10.「降格してたまるか」
落ち着け。
落ち着くんだ俺。
今さら実力で勝負したところで、さっき未来ノートで出た実力テストの総合問題。
どう背伸びしたところで赤点必死は間違いない。
俺に残された手段はただ1つ。
不正行為でも、カンニングでも無い。
予習、全力で予習するしかない。
不正行為には限りなく近いけど、太陽や成瀬たちを入学早々悲しませるわけにはいかない。
「ようシュドウ」
「た、太陽!?何でお前がS2に来てるんだよ!」
「いきなり大声出す事ないだろシュドウ。俺これから野球部のテストだからさ。ラッキーボーイのお前の幸運を頂きに来た次第さ」
「さっさと行けって太陽。俺のクラスの女子たちが興奮してるだろ」
「何だよそれ?」
勉強ばかりしてきたであろう、ガリ勉女子たちからカン高い歓声が上がっている。
それもそのはず。
野球部のテストに備えて、ここ数カ月で太陽の体は引き締まった筋肉を併せ持つ超良い男でしかない。
しかもルックスも最高。
それでいて学業も優秀な文武両道と分かっているSAクラス選抜の筆頭が、冴えない俺の隣にいきなり現れた。
クラス中の眼鏡女子たちは悲鳴を上げ始めている。
もう良いから、さっさと俺の前から消えてくれ太陽。
俺の祈りが通じたのか、早めに野球部のテストに向かうと言い始めた太陽が、俺の周囲をかき乱すだけかき乱してS2クラスから去って行った。
はぁ~ようやく落ち着いた。
って違う。
落ち着いている場合じゃない。
俺にはまったく余裕が無い。
明日の実力テストまであと何時間猶予がある?
「高木君、やっほ」
「げっ!?成瀬」
「なんで私が来たらげっ!?なの?酷いよ高木君」
「お前こそなんでS2に来てるんだよ。ここはS2だぞ成瀬、早く元のクラスに帰れって」
「どうしてそういう事言うの?」
「お前がここにいたら、俺のクラスの男子たちが興奮するだろ?」
「なにそれ?」
勉強ばかりしてきたであろう、ガリ勉男子たちから歓声が上がっている。
それもそのはず。
成瀬はS1クラス、俺たちS2の一般入試組が辿り着く事は無かった違う世界の女の子だ。
しかもルックスも最高。
成績もトップクラス、S1クラス筆頭の美少女が冴えない俺の隣にいきなり現れた。
クラス中の男子たちがすでにこちらを見ながらヒソヒソ話を始めている。
もう良いから、さっさと俺の前から消えてくれ成瀬。
「S2も明日実力テストあるんだね」
「S1もあるのか成瀬?」
「そだよ」
この作新高校の特別進学部。
登校初日からテストの嵐が吹き荒れている。
いや、台風の本州上陸はまだ明日の朝。
台風上陸まであと何時間俺に猶予はある?
「太陽君行っちゃったね」
「えっ?あ、ああ。今日のテストのためにあれだけ練習頑張ってたもんな」
「そうだね……ねえ高木君。明日実力テストあるし、一緒に図書館で勉強しない?」
「成瀬と?」
「今日はバイト無いんでしょ?」
マズい……確かに成瀬と一緒勉強したいのは山々なんだけど……。
制服も可愛いし、笑顔も可愛いし……って違う!
それが問題なんだよ。
成瀬がいると勉強に集中できない上、何より明日のテストの予習が出来ない。
今さらここに来て未来ノートを見せながら、入試の時のように太陽や成瀬に実力問題の未来問題を教えてもらい続けるわけにはいかない。
入試の時はマジで追い詰められて2人に頼ってしまった。
でもこれから先3年間。
高校生活の間、ずっと2人に頼り続ける事は不可能だ。
「ねえ高木君?」
成瀬が耳にかかる髪を右手で拭い耳を出す。
可愛らしい仕草。
やる事成す事、何から何まで可愛い。
って違う。
今は成瀬を観察してる場合じゃない。
このままだと俺は詰む。
明日詰む。
きっと詰む。
「悪い成瀬、ちょっと外で話そう」
「う、うん」
荷物を持って成瀬と一緒に教室の外に出る。
未来ノートに印字された問題から、1分1秒でも早く正答を導き出す必要がある。
成瀬にその姿を見せるわけにはいかない。
ノートに書かれた問題の答えを必死に調べようとしている姿を成瀬に見られてみろ。
この人一体何してんの?って思われる。
間違いない。
絶対だ。
「――どうして?何で一緒に勉強してくれないの?」
案の定、口下手な俺が上手く成瀬を説得できるはずも無く……。
ただ一緒に勉強したくないとだけしか思われていないようだ。
成瀬の目が潤んでくる。
泣き虫の成瀬。
わざわざ教室の外に出たのが逆効果。
他のクラスの生徒からも、俺が成瀬をいじめているようにしか見えないじゃないか……。
「どうして?」
「……」
まずい。
非常にまずい……。
S2のクラスメイトはおろか、他のクラスのギャラリーまでますます増えている。
「成瀬、ちょっとこっち」
「う、うん……」
今にも泣きだしそうな成瀬の手を引いて、まだ熟知していない校舎の中を適当に突き進む。
ようやく階段の踊り場に周りから見えない死角を見つけた。
こんな人目のつかないところに女の子を連れてきてしまったが、実力テストが明日に迫る俺にはそんな事を考えている心の余裕がまったくもってみじんも無くなっていた。
先に話してきたのは成瀬の方だった。
「やっぱり高木君……私の事嫌いだから?」
「そうじゃない」
違う。
どちらかと言えば成瀬の事は超好きだ。
違う、そうじゃない。
今伝える事はそんな事じゃなくて、とにかく成瀬とは別々に、1人で自習がしたいんだよ俺は。
「だったらどうして?」
「……成瀬。俺、今までお前に黙ってた事がある」
「……うん」
明日の実力テストまで24時間を切っている。
バイトを初めて、時間という感覚が研ぎ澄まされていた。
時給は大事。
1時間という時間はもっと大事。
1秒でも早く予習を始めないと俺が詰む。
この子のために入学した高校、そんな気がしないでもない。
もう頭の中がグチャグチャして分からなくなってくる。
とにかく俺には、もうこの子にかまっている暇は無い。
心の余裕が無くなった俺はこの登校初日に――。
成瀬にとんでもない事を言ってしまった――。
「成瀬、俺たち太陽と3人でよくマクドナルド行ってただろ?」
「うん……」
「お前は楽しかったか?」
「楽しかったよ」
「俺も超楽しかった。でも俺と成瀬の楽しいは大分違ってた」
「……どういう事?」
「俺は3人で話してるのも楽しかったけど、可愛くなったお前のその顔をずっと眺めてるのが楽しくて楽しくてしょうがなかったんだよ」
時間が無い俺が真面目に話をしているのに、成瀬は突然顔を真っ赤にして両手で顔を塞ぐ。
早く全力で予習に取り掛かりたい俺には時間という余裕がまったくない。
素で解答に辿り着ける秀才の成瀬と違って、俺にはまったくもって一片の余裕も無い。
「だからだな……その……成瀬」
「なに、なに?」
「お前が俺の席の前にいると、俺はお前が気になってしょうがないから勉強に手がつかなくなるんだよ」
「なによそれ……」
「真面目に聞けって成瀬」
「分かんないよそれ高木君」
「だから俺が言いたいのは、お前がいると勉強出来なくなるって言ってるんだよ。悪いけど俺そういう事だから1人で勉強したいんだよ。じゃあな成瀬」
「ちょっと待って高木君」
言いたい事を言い終え、成瀬を置いて図書館へ1人で向かう。
作新高校という進学校。
もう来るところまできてしまった。
30万円死ぬ気で稼いだ。
今さらすぐに退学するわけにはいかない。
俺は何様なんだと俺自身に言いたいくらい随分好き勝手に発言したのは認める。
成瀬になんと言われようと、もう彼女にかまっている時間は俺には1秒も無い。
俺に明日、数学の難問奇問、三角比の余弦定理を素で解かせるつもりか成瀬は?
そんなの無理に決まってる。
俺には余裕も無ければ時間も無い。
おまけに実力はもっと無い。
問題に何が書かれているのかすらまったく分からない状態。
それを何とかするための時間を今計算してみた。
残り21時間。
明日の朝のバイトに3時間。
最低睡眠時間が4時間。
21マイナスの7で残り僅か14時間しか残っていない。
彼女の可愛い顔は3時間眺めていても飽きる事が無い悪魔の可愛さだ。
小・中学校6年間、眺め続けてきた俺には分かる。
今あいつを図書館の目の前の席に座らせてみろ。
目が合うと成瀬は間違いなくニコリと笑い、俺の精神を崩壊させる。
そうなったら俺は終わりだ。
日付を跨いでもなお、成瀬の可愛い顔がループする。
俺は明日余弦定理の問題に屈し、実力テストの数学のテスト中、間違い無くモンモンとした時間を過ごす事になる。
一歩間違えばすぐに総合普通科まで転落して退学必死。
俺は今、図書館へ1人で向かうという正しい選択をしたに違いない。




