プロローグ
一人の少年が経っていた。
そこに居たのは単なる少年だ。もっと言うと、その顔には何処か剣呑な空気が漂ってはいるが、それも含めて、この街では決して珍しい事ではなかった。
最も、大の大人三人がその少年の周りに倒れ伏している光景は、いくらか珍しいものではあったのだが。
少年は青あざの出来た顔を確かめるように撫でると、痛みが走ったのか顔をしかめて顔を歪めた。
「…糞共が、喧嘩売るなら一人で売って来いよ。雑魚の癖に、知恵だけはある」
そう言って、少年は気絶した三人のうちの一人に唾を吐きかける。死んでいる様子はないが、それにしても三人の有様もまた酷い物であった。見るものが見れば、死人が出ていないのが不思議だとさえいうだろう、顔は陥没し、腕はあらぬ方向を向き、額からは何かにぶつけられたように鈍く血が流れている。
まさしく死屍累々という言葉が良く似合う。そこが路地裏でなければ、警邏の一人や二人来ていても全くおかしくはなかった。否、実際、何時人が来てもおかしくはない状況ではあった。
だが、そこに来たのは警邏ではなかった。
「また喧嘩?飽きないね」
彼女はその特徴的な金髪を動きやすくなるように後ろで結び、尻尾のような髪を背中まで垂らしていた。その姿を認めると、少年は苦虫をかみつぶしたような表情を見せる。
「何の用だよ。アリス」
「別に?用なんてないよ。ただ見かけたから声を掛けようかな、と思って」
街ですれ違った友人に対してそうするように、女はそうしていた。だが、この場面においてそれを行うのは、どう考えても普通ではなかった。
「相変わらず、イカれてるな。お前」
「可哀想に、目が腐ってるんだね。私は何処からどう見ても平凡な一市民だよ」
見た目だけを見れば確かにそうだ。けれど、この眼の前の光景に心を一切動かさない女を表す他の言葉を、少年は知らなかった。
彼女はしゃがむと、倒れ伏している男たちを一人ずつ観察していく。何が面白いのか、その身体を指でつついたりして遊んでいたが、何かに気付いたように顔を少年に向けた。
「逃げた方が良いんじゃない?またぶち込まれても知らないよ」
「逃げるならお前もだろう。またお前のお父様に怒られるぞ」
「別に、怒られるのはいつもだし。それはどうでもいいけど」
そう言って立ち上がると、彼女は少年の前に立ち、薄く笑った。
「折角だから、これからデートでもする?」
「そんなことしたら、流石に死刑になりそうだな」
「ははっ、お父様はそんなことしないよ。炭鉱送りになるかもしれないけど」
「実質死刑だろ。それ」
そんな話をしながら、少年はその場を離れようと歩き始める。彼女はその後について行くが、途中、あっ、と声を挙げて立ち止まった。
「そう言えば、面白い物を見つけたんだ」
「またなんかの美術品か?俺はそう言うのは興味ないぞ」
「そんなの知ってるよ。君の美的感覚に期待なんてしてない」
一々言葉が刺々しいが、彼女は少年に対してはいつもそうだった。最初の頃こそ多少腹が立っていたが、少年はそのうち何も言わなくなった。慣れたともいう。
「例の場所でね。新しい部屋を見付けたんだよ」
「…へぇ」
あまり深入りしたくない話だった。だが、そんな少年の想いを知ってか知らずか、彼女は楽しそうに笑う。
「そこには石碑があってね。こんなことが書いてあったんだ」
嫌に勿体ぶった話し方をするな。と少年は思う。いつもなら、全ての事をさらっと言う女が、珍しい、と。
そして、実際彼女にとってはそれは特別なものだったのだろう。否、きっとこの世のすべての人間にとって、それは特別な言葉だった。
「願ったものをなんでも得られる願望器。その在処をここに示すってね」
そうして、彼女はいつの間にか手元に持っていた紙を少年に見せる。そこに書かれていたものを思わず見た少年に、彼女は意地悪な笑みを浮かべた。
「ね、やっぱりしようよ。デート」