環境の違いと、ちょっとした焦り
5月の連休前までには、前期の時間割は完成していた。
最終的に、必修と選択の科目が必要単位数に達していることを確認して、学生課へ書類を提出し終わると、なんだか一仕事終えてしまったような気分になったが、これは、スタートに過ぎないのだった。
その頃までには、同じ講義を選択し、顔馴染みになった同学年の友人が、同じ教育学部にも他の学部にもできていた。私は、どちらかというと人見知りする方で、自分の方から声をかけるのは苦手だったので、もっぱら、声をかけてきてくれた人と仲良くさせてもらうようになっただけではあるが。
1年目は、他学部の学生と席を隣り合わせることも少なくないため、他学部のちょっとした情報なども入ってきた。教育、経済、法、医、薬、理、工、農の総合大学で、どちらかというと理系寄りの大学の中では、教育学部の文系科目選択である私には理解できない会話も多かったが、農学部の子の話は、普通に面白いものが多かったのである。
それは、私が地方のどちらかというと僻地に育ったことと無縁ではなかったのだと思う。農学部に入ったものの、生まれてこの方ずっと都会暮らしだった子たちにとっては、早くも始まった必修の実習でのあれやこれやが、いちいち驚きの連続らしい。一方で、私は、既に実際に経験として知っている事が、都会に暮らす人たちには、やはり縁遠いことなのだと実感した。
どういうことかというと、どの学部であっても、1年次はここ、本部のある中央キャンパスで教養課程を修めることになっているのだが、同時に、それぞれの学部独自の前倒し学習も組まれていて、農学部の子たちは、かなり離れた場所にある農学部のキャンパスの実習農園や実習農場へ定期的に行くことになっているという。公共の交通機関もあるにはある、のだが、当然ながら本数は非常に少ない。しかし、都会暮らしが長い子たちには、それがあり得ないことだったようだ。そして、2年次までには絶対に運転ができるようになっていなければ生きていけないという、ある意味では、分かり切った結論に達し、車校のパンフレットとにらめっこしていた。
「ああ、車校の予約、やっぱり午後に集中するんだなあ。必修の科目に重ねるわけにいかないし、既に決まったバイトの方はずらせないし。正直、車が要るなんて思ってなかったわ。ちゃんとバスがあるって聞いてたのに。けど、バスが朝と夕方に2本ずつなんてあり得ない。」
ずっと、そういう環境で生活してきた私にとっては、逆に10分おきにバスも電車もやって来る、大学周辺の交通事情の方が驚きであったが、この便利な環境に慣れてしまうと、実家の方に帰るのが面倒になってくるのかもしれないと恐れてはいた。
「ねえ、鈴木さんはどうするの? 免許は取るんでしょ?」
不意に訊ねられて、私は、もう少し大学に慣れてから考えようと思っていたことを、性急に求められた気がした。周りの皆が、どんどん先へ先へと決めて進んで行ってしまうことに、焦りがあった。4年間なんて、短いのかもしれない。でも、まだ、始まったばかりの大学生活を、もう少し純粋に楽しみたかったのに。
私は、夏休みか、場合によっては春休みに合宿免許というのを考えていると、一応は考えていたことを口にした。本当は、ただなんとなく、そんな方法もあるなあというレベルで、真剣に検討していたわけでもなんでもなかったけれど。
すると、農学部の牧村千翔ちゃんは、はっとしたように手にしていたパンフレットをめくりはじめた。
「あった! そっかあ、2週間で免許が取れる方法があったんだった。鈴木さん、さすがあ。しっかりしてると思ってたんだ。」
何か思いっきり勘違いしているようではあるが、千翔ちゃんにとっても合宿免許は魅力あるものだったようだ。と、眺めていたら、千翔ちゃんは、ぱっと顔を上げてこっちを見た。
「ねえ、ひょっとしてもう、申し込んじゃった後?」
「あ、いえ、まだ。夏休みにするか、春休みにするか、も決めてないし。」
「2人以上で申し込むと、キャッシュバック有ってなってるよ。っていうか、合宿免許って、ここじゃなくてもいいはずだよね。どっか観光地みたいなところで、空き時間に観光できるやつとかあるんじゃなかったっけ?」
まだ、こっちは、そこまで考えていないというのに、千翔ちゃんは切り替えが早い。そして、気が付けば、話は、千翔ちゃんと一緒に合宿免許に参加するという方向に進んでいたのだった。
「夏休みの日程、なるべく早く確認してね。私、合宿免許やってるところ調べておくから。早めに予約しないと、いいところは埋まっちゃうよ。」
考えてみると、夏休みまでは、3か月ほどなのだ。弓道に関しては、6月頃から大きな大会があるとは聞いているが、夏休みの辺りの日程は、まだはっきりと確認していなかった。高校時代に部活動をやっていなかったこともあって、よく分かっていない部分もあるのだが、たとえ自分が大会に出場しなかったとしても、応援には行かなければならないだろう。6月までに、ちゃんと弓が引けるようになっているか、とは、また別問題だ。私は、早めに予定を組むことの大切さを、まだ、よく分かっていなかった。