表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/9

ただの見学、だったはず

 結局、私は、その場では何も決められず、後日、弓道場へ見学に行くということで開放してもらったのだった。


 その時は、弓道自体よく分からなかったし、何か、途轍もなくお金がかかりそうな感じがしたのだ。


 私は、弓道で使う弓は、まゆみの木で作られているのだと思っていた。

 田舎育ちの私にとって、檀の木は馴染みの木だった。裏山から通じる雑木林に生えていて、秋になれば、枝にぶら下がるように、小さく角ばったピンク色の果皮を持つ美しい実が生るのを知っている。実は熟すと果皮が4つに割れ、中から赤い種子が顔を覗かせる。

 あまり高くなる木ではないし、木材としてメジャーなものではなさそうだ。矢に鳥の羽が使われているところも、何だか、高価たかいものというイメージを持たせた。


 後になって、弓も矢も、貸してもらえることが分かるのだが、そして、私は、今では、それらが、意外な材料で作られていることも知っているのだが、とにかく最初は、よく分からなかったのだ。


 あまりお金がかかりそうなことは、避けなければならない。だから、翌日以降は、むしろ近寄らないようにと気を付けていた。が、間の悪いところがある私は、生協食堂で昼ご飯を食べている時に、見つかってしまったのだった。


「あ、鈴木さんだよね。お昼ご飯の後、何か予定ある? 良かったら、弓道場へおいでよ。」


 倉科さんに、日替わりB定食の鯖の塩焼きをつついていたところを、ばっちり、目撃された。

そして、私の正面に座って、食べ終わるのを待っている倉科さんを振り切ることは、できなかった。


 大学の敷地はそれなりに広く、自分に直接関係する場所以外は、いったいどうなっているのか、未だに皆目見当も付かないのだが、その時、私は北東に位置する弓道場についてはまったく知識が無かった。


 倉科さんに連れられて、初めて弓道場を訪れた日のことは、よく覚えている。


 実は、その道自体は、それまでにも通ったことがあったのだ。

 しかし、人の背丈よりも高い植木の列が矢道を隠しているため、そこに弓道場があるということを知らなければ、素通りしてしまうような道だった。


 射場の北側の引き戸を開けると、板の間、そしてその正面に広がる矢道と的場によって造られた空間が見渡せた。何か、急に視界が広がったような錯覚を覚えたのだ。


 初めて見た弓道場であり、勝手が分からず困惑していると、倉科さんから、中に入って後ろ側の方に座って見学するように言われた。


「あ、弓を引いている時は、声出さないようにね。危ないから。」

倉科さんは、小声で、私に伝えてきた。


カッ、パン。


 弓から矢が離れるタイミングで鳴る音に続いて、的に当たった音が聞こえた。的に当たると、随分と良い音がするものだと、初めて知った。


 弓を引き終えた上級生は、弓を倒して軽く礼をして下がり、壁にその長い弓を立てかけた。


 そして、射場には最後の1人。

 正面の的に向け、ちょうど、弓を引き下ろしているところだった。キリリっと音が鳴った。


 不意に風が通り抜けた。


 風がやむと、また、次の音が鳴った。


カシッ、タン。


 すると、その場にいた私以外の全員が拍手をした。


 え? 私も慌てて、拍手に加わる。


 と、すぐの瞬間、パンパンと手が叩かれる音が響いた。

 的場の端に人が現れ、「確認しま~す。」と声を上げたのだった。


「おおまえいっちゅう、にてきいっちゅう、さんてきはわけ~、よんてきさんちゅう、おちまえいっちゅう、おちかいちゅう。」


 その時は、向こう側から叫ばれた言葉の意味が分からず、何が起こったのだろうか? という感じだった。


 それまでに聞いたことがなかった言葉、そして聞いたことがなかった音。

 例えば、纏めて運ばれてきた矢を矢立てに入れる時の音すらも、新鮮だった。


 私は、少し心が動いてしまった。


「倉科、隣の子、新入生?」


 つい、ぼ~っとなっていたところに、声がかけられた。そして、私は、気付いた時には、板の間に座ったままの状態で、周りを立ち姿の上級生に取り囲まれていた。


 完全に、逃げ遅れたのだった。


「は、はじめまして。教育学部1年の鈴木です。」

私は慌てて、挨拶をした。


「へぇ、鈴木さんか。同じだ。うちのサークル、鈴木姓が既に2人いるんだよね。俺、経済3年の鈴木浩紀(ひろき)。で、あと理学部2年の鈴木克敏(かつとし)ね。一応、俺が鈴木A、もう1人の方は鈴木Bって区別してるんだ。下の名前も訊いていい?」

私を取り囲んだうちの1人がそう言った。


「えと、鈴木綾莉(あやり)です。よろしくお願いします。」

私は、頭を下げてしまってから、しまったと思ったが、遅かった。


「おぉ、今年の新人第1号だぞ! みんな集まれ~。」

「経験者? あ、経験者じゃなくっても大丈夫だからね。」

「ねぇねぇ、鈴木さん、何処出身? 下宿どの辺?」

「この前、お花見に来てたよね? どっか行きたいところある? 車出すからさ。」

「教育ってことは、将来、先生? 小学? 中学?」

取り囲んできた先輩方は矢継ぎ早に質問してきて、もう、ただ見学に来ただけ、とは言えない雰囲気だった。更に、大勢の先輩方に取り囲まれる形となった私は、そのままの流れで、弓道部員となってしまったのだった。


 帰り際に倉科さんが少し申し訳なさそうにして言った。

「ごめんね。本当は、まだ、他のサークルとかと迷ってるんじゃない? ただ、弓道部も考えてくれたら嬉しいんだけど。もし、別のサークルの方が良かったら言ってね。私の方から皆には話すから。」


 私は、もういっぱいいっぱいで、それ以上、他のサークルのことなど考えられる状態ではなかったが、頷いた。


「あ、あの、謝らないでください。私もはっきり言えなかったのが悪いので。ただ、弓道ってお金がかかりそうなので。その、私、まだバイトとかも決めてないし……。」

何とか、自分の都合ということで、それとなく、難しいということを理解してもらえたらなどと、この期に及んでもなお、私は無駄な抵抗をしてみせたが、倉科さんは、まったく違う受け取り方をしたようで、


「あ、大丈夫だよ。うん。弓も矢も借りることができるから。自分の弓を持ってる子なんて少ないし。なんだ、そっちの心配かぁ。」

と、もう、すっかり解決したといったふうに切り替えてしまった。


 結局のところ、一番のネックは金銭的なものであったのも確かであり、弓と矢を借りることができるのなら、途中で辞めることになっても、さほど影響はないかもしれないと、自分でも思ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ