お花見サークル勧誘
私は、大学進学と同時に独り暮らしとなった。
その辺は、まぁ色々あったのだが、結局のところ、地元の大学に落ちたのだ。
たとえ受かったとしても、実家からの通学はちょっと難しかっただろうけれど。
県外への進学に際しては、両親と同居の祖母からは、まぁ仕方がない、という反応があった程度だったが、なぜか、父方の伯父夫婦から反対された。
もう1年頑張って地元の大学に進学しろ、と言ってきたのだ。
父が言うには、従妹の珠絵ちゃんが、私の影響で、県外へ進学すると言い出すのが嫌なのだろう、ということだった。
父は、浪人したからといって、絶対に地元の大学に受かるという保証はないのだし、私が納得しているのであれば受かったところに行け、と言った。
3月の後半の某日に、母と大学の近くの賃貸物件を見てまわり、当日のうちに決めた部屋は、フローリングの部屋が2つとキッチン、バス、トイレ付で3階に位置する。
思っていた以上に高い家賃に、申し訳なく思ったが、母は、大学からの距離と部屋の階に関しては譲ろうとしなかった。
そして、母からは、何度も、鍵を閉め忘れないように、と言われた。
実際、田舎では、鍵など閉めずに外出することも珍しくないのだが、街中での独り暮らしでは通用しないと、しつこいくらいに言われた。
ベランダに洗濯ものを干す時には、父のワイシャツを一緒にかけておくようにとまで言われ、それは、引っ越しの荷物に入れられたのだった。
大学の入学式は、独りで出席した。
両親とも仕事があったし、そんなものだと思っていた。
そして4月中は、講義も必修科目以外はお試し期間的で、昼過ぎからは、ほぼ予定が入らなかった。
大学の敷地内では、生協の近くのスペースに会議室用の細長い折り畳み式の机が並べられ、様々なサークルが勧誘活動を行っていた。
私は、まだ、友人と呼べる同級生もおらず、一方、田舎の公立高校では、まず見かけることのなかった髭を生やした男子学生などに少々びびりながら、その列を少し離れ気味に見学していたのだった。
「ねぇ、ひょっとして新入生? 良かったらお花見に行かない? 車出すから。すごく綺麗なところがあるの。遅くならないうちに帰るし、どう?」
そう声をかけてきたのが、倉科さんだった。
倉科さんは、ほっそりとしていて色白で、薄めの化粧をしており、コットンシャツにジーンズというカジュアルな格好をしていたが、これぞ女子大生、という感じで、田舎の公立高校を卒業したばかりの私には、眩しく見えた。
それが、サークル勧誘の一環であるということに気が付いたのは、私以外の新入生数人と共に車上の人となってからだった。
新入生は、3台の車に分かれて乗車させられた。
私は、理学部2年の鈴木克敏先輩の運転する車だった。ちなみに、弓道部内では、鈴木B先輩と呼んでいる。
助手席に座った倉科さんが、私たち新入生に、向かっている山桜の名所について説明してくれた。
大学の敷地内にもソメイヨシノは植えられていたが、入学式の日にはもう僅かに花びらが残っているだけという状態であった。
しかし、少し離れたところに山桜の名所があり、そこは見頃なのだと。
現地に到着してみて分かったのだが、そこには、私たち以外にも、他の様々のサークルや、他大学の学生たちのグループが集まってきており、大学のサークル勧誘に花見は付き物なのだという事実を知った。
新入生は上級生たちに誘導され、既に場所取りされ、ビニールシートが敷かれた一角に着いた。
「いらっしゃ~い。飲み物は何がいい? あ、未成年はお酒ダメよ~。お菓子とか食べる物もあるから、遠慮しないでね。食べる物、何だかツマミみたいな物ばっかりだけど、あ、唐揚げ食べる?」
ビニールシートに座って待っていた経済学部2年の佐々木さんが声をかけてきた。
そして、私たち新入生は、次々と紙コップを持たされて、その場にて自己紹介をする破目になったのだった。
新入生は、確か、その時には、私ともう1人同じ教育学部の時枝さん、経済学部の今村君と女子学生が2人、理学部の西川さんと男子学生が3人くらい、いたはずだった。結局、時枝さんは弓道部には入らなかった。
山桜は綺麗だったと思うのだが、よく覚えていない。
ただ、あっちでも、こっちでも、同じようなビニールシート上での勧誘合戦は繰り広げられており、他のサークル所属の上級生がやってきたりして「良かったらこっちの話も聞いていかない?」などと、思ってもいない方向から声が飛んできたりして驚かされた。
うちの大学は、教育、経済、法、医、薬、理、工、農の総合大学で、教養課程である新入生は全員本部のある中央キャンパスで1年次を過ごす。その後は、経済、医、薬、理の学生は中央キャンパスに残るが、教育、法、工、農の学生は他のキャンパスへ移動することになる。
私も2年生になったら、2駅離れた別のキャンパスに通うことになるのだ。
従って、サークル勧誘の中心は中央に残る経済学部と薬学部、理学部の上級生が行っていた。医学部だけは、どうも、勝手が違うらしく、医学生と看護学生だけのサークルがあるという話だった。
「教養の間はあまり差がないけど、学部に上がっちゃうと講義と実習で忙しいとかで。あと6年間大学にいるでしょ。公式戦の関係もあって、全学の体育会系サークルには参加しにくいみたい。あっちは、東医体とかって医学部の学生だけの大会に出るから。文化系サークルだと時々全学のサークルに入ってる人もいるらしいよ。看護学科は4年間だけど、やっぱりあまり全学の方には来ないね。」
倉科さんと佐々木さんに挟まれた格好になった私は、そういった話を黙って聞いていた。
「2年になったら私は中央から出るのですが、そうするとサークルって1年間だけになっちゃいますか?」
私は、ウーロン茶をちびちびと飲みつつ、質問してみた。
「教育だよね。2駅だけだし、こっちに引きにくることもできるよ。向こうにも弓道場が別にあるから、あっちで続けてもいいと思うし。あ、合同で合宿したりもあるんだよ。」
「1回、弓道場にも来てよ。いきなり未経験者が引くのは無理だけど。あと、うちの部は、走らなくてもいいよ。体力に自信がなくても大丈夫。」
左右からそう返され、私は、ますます山桜どころではなくなったが、“走らなくてもいいよ”は、深く印象に残ったのだった。




