ある初夏の午後
午後の最後の講義が終わった後、私は体育館横の女子用の更衣室に駆け込んだ。
のろのろしていると、ここは、ものすごく混んでくるのだ。
本当は、弓道場の近くに更衣室があれば助かるのだが、そもそも弓道場という結構な面積を取る建物を弓道部員だけが使用できるというのは、他のサークルの学生から見れば、かなり贅沢なはずなので、無理は言えない。
私は、道着に着替え、空きロッカーに通学に使っているリュックと、風呂敷に包んだ着替えを突っ込むと、足袋にスニーカーという、およそ不釣り合いな、というか足袋がどうしてもスニーカーに入りきらないので、かかと部分を踏みつけた格好で、行灯袴の裾を踏まないように気を付けつつ小走りに弓道場へと向かった。
大学の敷地の北東側に位置する場所に、弓道部のサークルボックスを兼ねた弓道場がある。
弓道場は、うちの大学においては、体育の授業でも使用されることがないため、完全に、弓道部員のみの場所だった。
6人立ての射場と芝生の植えられた矢道、そして的場。
そこは、風通しの良い庭付きの部屋、というか離れ家のようなものだ。
そして、今日は、私が一番乗りだった。
アルミ製の引き戸を開けると、射場は矢道側のシャッターが下りたままで、暗かった。
灯りを点け、窓も開けて空気を入れ替える。
私は、矢道側のシャッターを順に上げ、金属製の取り外し可能な柱を外していった。
外からの光が射場の床を照らし、一挙に明るくなる。
矢道の芝生は青々とし、初夏の風は爽やかだ。
しかし、そんな初夏の晴れやかな雰囲気をゆっくり楽しんでいる余裕はないのだ。
私は、矢道側の端の扉付きの靴入れから自分の草履を出して、放った。
段差になっているところで躓かないように注意しつつ、草履を引っ掛けて、矢取り道を歩き、安土の横の観的所へ向かう。
弓道部において、一番乗りの役目は、掃除と的の準備である。
観的所には安土の整備に使う道具や的が収納してあるのだ。
安土とは的を立てる土盛りのことである。土というより砂なのだが。
ここは、いつもひんやりとしている。
地面を軽く竹箒で掃き清めた後、水道にホースを繋ぎ、安土に水を撒いて湿らせる。
天気が良い日は水撒きもしやすい。空中を弧を描いて渡る水はキラキラと光って眩しかった。
安土が適度に湿ったところで、木製のコテを使って下から上へと均していく。しかし、行燈袴の裾を汚さないように気を付けながらなので、普段着の時より動作が遅くなってしまう。
綺麗に凹凸なく砂の斜面を作っていくのは、なかなか難しい。
高校時代の修学旅行で行った京都の寺の庭も、きっと、こんなふうにしているのだろうけれど、あれは、相当な技術で仕上げられていると、今ならば分かる。
射場の方に誰かが来たようだ。
「お~い、誰だぁ~?」
あ、倉科さんだ。私は、声で判断し、的場の前に下げられている幕を捲り上げて、立ち上がった。
「鈴木Cで~す。」
弓道部には、私を含めて鈴木が3人いる。新入生の私は、“鈴木C”と呼ばれているのだ。
「ひとり~ぃ? すぐそっち行く。安土のやり方、分かる?」
倉科さんは経済学部の2年生。倉科さんはクリーム色のブラウスにジーンズ。足元だけ足袋を履き、草履を引っ掛けて、矢取り道を歩いてきた。
「とりあえず、均すところまではやりましたが……。」
私がそう言うと、倉科さんは、安土の方をざっと見た。
「綺麗にできてるじゃない。えらい。的の立て方は教わった?」
「一応は。でも、まだ、1人でやったことはないです。」
私は、大学に入ってから弓道を始めた。
高校の時は、所謂“帰宅部”だった。
私の家は、合併で住所だけは市になったものの、辺境地区で、通学時間帯にしかバスが来ない。
帰りのバスに乗り遅れたら、家から迎えに来てもらわなければならない。しかし、運転ができる両親は共働きで、そうしょっちゅうは頼めない。
同じ地区から通っていた先輩に聞いたところ、部活動はそこそこ盛ん、というか強くはないものの熱心な生徒が多く、最終バス(18時台であるが)には間に合わないと考えた方がよいとのことだった。
だから、学校が終わると、図書館へ行ったり、学校近くの商店街などをぶらついたりして、適当に時間を潰してから帰りのバスに乗って帰宅する、を3年間繰り返した。
大学に入学したら、何かやってみたかったのだ。
が、3年間の帰宅部生活で、碌に運動らしい運動もしてこなかったせいで、体力には自信がない。
本格的な体育会系サークルに入るのは、最初から無理だと思っていた。
弓道部に入ったのは、サークル勧誘の際に「うちの部は、走らなくてもいいよ。」と言われたからだった。