私どうしたらいいんですかあー⁇
「うそ……」
これは夢じゃないのだろうか。思いもよらぬ事態が起こっている。
サークル室の一角に置いてある19インチのテレビ。このサークル室で、一番高価な電化製品。OBからのありがたき、置き土産だ。
そんなテレビの番組に、私は釘づけになっていた。
今から、ドロケイ(泥棒と警察という鬼ごっこ)をやろうとしているのに、マフ王子の姿がないなあなんて、思っていたら、なんとそのテレビの中にいる‼︎
『ザイード王国の王位継承者であるナーシルッディーン・マフムード王子、熱愛発覚』
あわわわ。
『お相手は、王子が留学中のT大文学部所属の才女、Tさんです』
そして、バンッと写真が出る。
「⁉︎ まさかこの写真ーーー‼︎」
私は足元から、力がするすると抜けていくような気持ちになった。
「こ、これ、日本庭園でマッフーに押さえつけられて撮ったやつだ……」
最後の最後に、マッフー本人も、さっと自撮りで入ったヤツ。いわゆる、遠と近だけれど、まごうことなき王子とのツーショット写真。
それが、流出している。
「うそうそうそうそうそ」
「カワウソー」
滝先輩が、茶々を入れてくる。それを無視して、画面を食い入るように見る。顔にはボカシが入っているが、私を知る人にはバレるだろう。
冷や汗が、背中を流れていく。
ピリリリリ。
その時、スマホのけたたましい音に思わずのけぞった。震える指で着信ボタンを押し、もしもしもしもしと慌てて電話に出る。
『ちょっと楓っっ、あん、あんたなにやってんのっ‼︎ て、テレビ、て、テレ、』
動揺爆発のママからだ。
「ちょっと待って待って‼︎ これ冗談だから、フェイクだから、エイプリルフールだからああ‼︎」
『楓っっ、とにかく帰ってきなさい‼︎ そんでどーしてこーなったか説明してっ』
これはマズイ。ママがおかしくなっている。ここはいつも冷静沈着なおじいちゃんに……。
「ママ、ちょっと落ち着いて。おじいちゃんに代わって代わって‼︎」
ブチっっ。
切れた。
すると、後ろで「じゃあ、活動始めるぞー」と今井部長の冷めたひと声。
ここでいう『活動』とは、子供会活動、ひいては遊びのことを指す。
みんな、私を無視して、行くつもりだな‼︎
「……ま、待ってよ、待ってえええ。どうしたらいいの、私どうしたらいいのおお」
悶絶する私を置いてきぼりにし、わらわらと蜘蛛の子を散らすように子どもたちとサークル員が出ていってしまった。
「……あ、アイツめーーー‼︎」
『国際問題ぃぃーーー』と最近までは、散々言っていたのに。
この瞬間、『個人情報ー‼︎ 怒‼︎』に代わった。
✳︎✳︎✳︎
「ねえ、これ一体どういうことっっ‼︎」
「こら、しー‼︎ 静かにしろっっ‼︎ もっと声のボリュームを下げろ」
マフ王子のその真剣さに私は口を手で塞いだが、すぐに言葉を繋いだ。
「どういうことか説明してっっ」
「こらっ、頭をあげるなっ。見つかるだろう‼︎」
「うをっ」
次には、頭を押さえつけられ、もう少しで顔が地面につきそうになる。
T大、お洒落なカフェ併設の管理棟の脇。たこ焼きの形に丸くカットされた植木が並ぶ、その裏側で。
私たちは二人で猫のように丸まった格好で、頭を低く下げている。
「あの写真、どうしてバラしたのよっ」
「あれはだな、色々とジジョウがあってだな」
「事情ってなんなのよ。早く話してっ」
「待てっ、まずいぞ。追っ手がこっちにくる」
植木と植木の隙間から、キョロキョロと辺り周辺を見回りながら、警察官が歩いてくる姿が見える。
「どうする? 移動する?」
私はマッフーの頭の白い布に付いている枯葉を指先でぴっぴっと弾くと、神妙な顔つきで言った。
「いや、今動くのはトクサクではないな」
「でも管理棟から、サークル室へ戻る時、絶対ここ通るよ」
「そうか、……じゃあ移動だ」
こそこそと、なるべく植木から頭が出ないように、四つん這いになって進む。目の前にマッフーのお尻が。アラブ独特の白い『カンドゥーラ』が、どうにも目立って仕方がない。
「ねえ、なんでそんな目立つ格好をしてくんのよ」
「さっきまで、記者会見だったんだから仕方がないだろ」
「それ正装なんだよね?」
「もちろんだ」
ほふく前進っぽく進む。そして植木の一番フチまで辿り着くと。
私はマッフーを見た。白い民族衣装の裾やヒザ部分が土や砂で真っ黒になっている。当たり前か、四つん這いになってるからね。
「せっかくの正装、汚れちゃうよ。いいの?」
「ああ、これくらい構わん。今はとにかく逃げないといけないからな」
「待って‼︎」
声を落として言う。そっと外を覗くと、立ち止まった警察官が、あちこち目で探っている。
「やばい見つかる、こっちに来そう」
「よし、俺がオトリになるから、おまえは逃げろ」
「なに言ってるの、そんなのダメ。一緒に逃げようよ」
「いいんだ、おまえが逃げのびてくれればそれで……」
「……マッフー」
マフ王子が、陸上でよく見るやつ、クラウチングスタートの体勢を取った。その拍子に、枯葉や枯枝を踏む音が響く。普段なら何気ない音だが、こうして追われる身になってしまうと、やけに大きく聞こえる。
心臓がドキドキと打ち始めた。
「いくぞ」
その背中が大きく見える。
「う、うん」
私はなるべく身体を小さくして、植木の陰に身を落とした。
「おまえは俺が守るからな」
「マッフー、」
そう言った瞬間、マフ王子はバッと飛び出していった。足は速い方なのか、スポーツは得意だと言っていた。一足飛びに彼方へと走っていく。
「いたぞっ、こっちだっっ‼︎」
「早く‼︎」
立ち止まっていた警察官が、近くにいた警察官を手招きして呼び、そしてマフ王子の背中を追いかける。
(マッフー……)
私はその様子を見届けると、植木の茂みから飛び出して、マフ王子を追いかけていった警察官とは反対方向へと走った。振り返ってみても、誰も追いかけてこない。
(あんな、カッコイイとこもあるんだ……)
私は自分が、ぽわーとなっていることにも気づかず、管理棟の中庭を走り抜けた。