あなたはナーシルッディーン=マフムードさまのアッシャムス⁉︎
「すまない、カエデ」
「ううん、当然だよ」
「俺が悪い」
「そんなことない。誰も悪くない」
マッフーが頬に頬を寄せてくる。
「ひとりで大丈夫か?」
「ん、大丈夫」
「すまない」
「大丈夫だって。別々の部屋で寝るのなんて当たり前だよ。こう見えて私、嫁入り前の娘だからね」
お父さんが許さなかったんだろうな。
「なにかあったら、すぐにじいやに知らせてくれ」
「気を遣ってくれてありがとう。大丈夫だよ」
「カエデ、明日の朝、一緒に朝メシを食べような」
おデコにキス。
「ん、おやすみ」
「……おやすみ」
マッフーは部屋から出ていった。
私はとても疲れていて、ベッドにそのまま服のまま潜り込んだ。足をまるけて猫のように眠る。けれど、昼間にあった王さまとの出来事に、精神は興奮しているのか、まったく休まらない。
目をぎゅっと瞑った。
色々と、前途多難なことがあった。それをどうしたらいいか、なんて考え始めると、途端に息苦しくなってくる。
しばらくしてトントンと、ノックがされて、私は飛び起きた。
「はい、マッフー⁇」
「カエデさま、失礼いたします」
ドアが開き、じいやさんが両手にトレーを持って、入ってきた。その上には、ティーセットが乗せてあり、腕にはタオルが掛けてある。閨の用意を持ってきてくれたことが、一目にわかった。
「……じいやさん」
「カエデさま、なにかお困りなことはございませんか?」
日本語だ。ほっとする。
「ううん、大丈夫です。ありがとうございます」
じいやさんは、腕にかけたタオルとトレーをテーブルの上に置き、そしてその場から私の方を見た。なにかを話しかけたいような素振り。
「か、カエデさま、今日はお疲れでしたでしょう」
その遠回しな言い方に私は苦笑し、はいと頷いた。
「……厳しいお方なのですよ」
マッフーのお父さんのことだね。じいやさんは優しげな顔を浮かべて、笑った。
「ナーシルッディーン=マフムードさまにも、終始あのような態度で接しておられる」
「それはちょっと寂しいですね」
「まったくその通りです。乳母のマリアも、いつも心配して嘆いております」
「そうですか。マッフー、大変だったんですね」
「ナーシルッディーン=マフムードさまはいつも、あのように厳格であらせられる父王シャフィーク=マフムードさまに認めてもらおうと、一生懸命に勉強されていました。いつも、シャフィーク=マフムードさまと同じような難しい顔をして……けれど、それが、」
じいやさんが、言葉を切って、ふふふっと笑い出した。あらら、ちょっと可愛いらしいおじいちゃん、になったよ⁉︎
「日本にいらっしゃる時の、ナーシルッディーン=マフムードさまは、……それはそれはとても楽しそうで」
私はベッドの上で起こしていた身体を、真っ直ぐに伸ばして、その上で正座した。
「あんな風に笑ったお顔を、このじいや、ザイードではとんと見たことがありません」
「え、そうなんですか……⁇」
「はい。日本ではいつも笑っておられましたねえ」
「そ、そう、です……ね」
⁇
⁉︎
じいやさん⁇ あなたはいったいどこでそれを見ていたのでしょうか? まさかのス、ストーカー⁇ ぶるぶる。
「カエデさま。あなたはナーシルッディーン=マフムードさまの太陽です」
ぶほうっと、心のうちの私が吹き出すが、決してそれを外には出さない。
それが、殿倉楓。
「いえいえいえいえ、そんな滅相もございません」
「いいえ、あなたはナーシルッディーン=マフムードさまのアッシャムスです。これからも、ナーシルッディーン=マフムードさまを笑わせてあげてください」
「……は、はい」
んむ⁇
私が、不審な目線を向ける。
「⁇ どうしました⁇」
「いやあ、あのですね。じいやさんはその、お、幼馴染のサリーヌさん推しでしたけども、そのことは、もういいのかなって……⁇」
「では、おやすみなさいませ」
「あ、はい」
じいやさんは、足元に動く歩道でもあるかのように、すうううーーーと去っていった。
私は、ぐぬぬと歯ぎしりしながらも、布団の中に再度潜り込んだ。
まあいいや。ひとりだけだけど、味方につけたもんね。
もう考えててもしょうがないっっ‼︎ おやすみなさいよ‼︎




