ファイティングポーズ IN リンカ
「カエデさま。いつもナーシルッディーン=マフムード王子がお世話になっており、感謝を申し上げます。けれど、どうか‼︎ ナーシルッディーン=マフムードさまを諦めてはいただけませんか。ナーシルッディーン=マフムードさまは、我がザイードの宝。国民からも慕われ、人気があるのです。そんなわけでナーシルッディーン=マフムードさまの一挙手一投足は国民からも注目されております。どうかどうか、ナーシルッディーン=マフムードさまとの婚約を解消していただけないでしょうか」
今度は私の家、フラワーショップ『リンカ』の客間で、玉露ティーを淹れた湯呑みを前にして、マッフーのフルネームを連呼するこの方。
ザイードから遠路はるばるやってきた、マッフーのじいやさんだ。そのじいやさんがこうべを垂れて、慇懃に物を申している。
ただ、マッフーのフルネームをこうも連呼されると、カタカナで脳内を埋め尽くされてしまい、私は正常な判断力を失ってしまうのではないかという危険性を感じていた。
「ナーシルッディーン=マフムードさまが、」
これ以上やられると脳が麻痺すると思い、失礼とは思いながらも、じいやさんの言葉を遮った。
「あ、あのっっ。あのですねえ。あ、諦めろと仰られてもですねえ……マッフーが」
「そうだ。俺はカエデを愛している。カエデと結婚するんだ」
お、おう。照れるよ。……てか、え⁉︎ そうだっけ⁇
私は慌てて、会話の風向きを変えた。
「そういえばさ、幼馴染っての、あれ、いったいどういうこと?」
ギロッと私が睨むと、マッフーは居住まいを正し、真剣な眼差しで私を見つめた。
「確かに幼馴染であるサリーヌとは幼い頃から婚約はしていた」
「なっっ⁉︎ そんな女性がいるのに、私に求婚したっていうの?」
「違うカエデ、聞いてくれ。彼女とは、日本に来る前に、すでに婚約は破棄してきたのだ」
「でも彼女はそうは思ってないって……」
「いや、ちゃんと彼女の了承も得てきた」
すかさず、じいやを見た。すると、ふいっと目をそらす。この、悪代官め。
ここで、パパママが入ってくる。
「いやあ、まったくもって、どういう話になってるのかと、心配しちゃったよ」
「ねーパパ。驚いちゃったわよねー。私たちもそれなら安心ですけれど」
が⁉︎ マッフーとのお付き合いを、あんだけ反対していたのに、なんだと、許容しているだと⁉︎
「楓、円満で幸せな家庭を築くんじゃよ」
今度は慈愛に満ちた目をしたおじいちゃんが、感慨深げに言ってくる。すると、横からずいっと身を乗り出してきたじいやさんが、うちのおじいちゃんに向かって、暴言を吐いた。
「あなたは黙っていてください。これはナーシルッディーン=マフムードさまにおいて、重要なお話なのですよ。このような小国の島国、何処の馬の骨ともわからない小娘を、ナーシルッディーン=マフムードさまの結婚相手になぞ選んでみなさい。ナーシルッディーン=マフムードさまのご親戚の王族やザイードの国民からの批判が雨あられと……」
「なんじゃと⁉︎ 楓のどこが馬の骨というのだっ‼︎ 貴様こそ、どこの誰に向かって、そんな横柄な口を聞いておるのじゃ‼︎」
おじいちゃんが、珍しくキレた。どこの誰に向かってって、もしかして私も皇室とか貴族とか、どこかの……。
「目と耳をかっぽじってよく聞んじゃ‼︎」
おじいちゃん、それやっちゃうと実際、目が潰れます。
「恐れ多くてこのことはなかなか口にもできんが、楓はな、山坂町きっての美男美女カップルの営む、フラワーショップ『リンカ』の娘じゃ」
うん、それな。
それにしても、恐れ多くて口にもできんって、どゆ意味⁉︎ ブサイクてこと⁉︎
「そして、柔道界では狂った犬と恐れられ、『花屋の黒帯』の異名を持つワシの孫娘でもある。このワシが試合に出場すれば、獲物を狙うカラスのような鋭い目にビビる者続出、そして一度組み合えば、一本を取るまでスッポンのように食らいつくクソ根性。そんなワシが優勝のトロフィーを何度かっさらったことか、」
ゲホゲホと、パパママの咳払いに私も合わせる。おじいちゃんの話、この話題になると長いんだあ。それにしても、カラスとかスッポンに例える、説得力のなさ。狂った犬。それもう狂犬でいいねー。
その咳払いに、おじいちゃんが気がつくと、さらにおじいちゃんもゴホンと咳払いをし。
「とにもかくにも、これほどの名家が他にあるか、という話じゃ」
名家⁉︎
「おおおおおじいちゃん、もうヤメテ。なんか逆に虚しいわ」
おじいちゃんとじいやさんが睨みをきかせあっている。うち、狭いんだから、そんなにイキんないでくれ……。
けれど、そこで芯の通った言葉が、このどうでもいい宙に浮いた空気を断ち切った。
「とにかく、俺とカエデは愛し合っているのだ。じいやになんと言われようが、俺たちは結婚するぞ、結婚するのだっ」
うお、まだその段階まで気持ち、もってってないけど‼︎
私はこの話し合いに終止符を打つべく、立ち上がって声を高らかにした。
「もう、みんなやめてっ‼︎ 私たちのことは、あたたか〜く・ぬるく・ぬる〜く見守って欲しい。だって私たち、まだ一回しか、で、デートしてないんだから。じいやさんももうちょっと様子を見てくださいませんか。時間……そうっ時間ください時間を」
私はマッフーの腕をむんずと掴み、そして引っ張って二階への階段を駆け上がる。
パパママ、おじいちゃん、じいやさんを置いてきて、ガチ修羅場の危険性はあるけれど、とにかくマッフーと話をしないといけないと思ったんだ。
「お、ここがカエデの部屋か」
私のベッドの壁に貼ってある、アラシの松◯潤のポスターに向かって指を差し、うぬ、この男はいったい誰だっっ‼︎ などと怒り狂っているマッフーをベッドに座らせて、私もその横に座った。
「カエデ、すまなかった。まさか、じいやが迎えに来るとは思わなかったぞ」
「前に言ってた、日本語ができるっていう、じいやさんだね」
「そうだ。乳母のマリアとじいやは日本人のようなものだからな」
「迎えに来たってことは、マッフー、ザイードに帰るの?」
「ん、……ああ」
途端に表情が暗くなった。どことなく寂しそうな、そんな雰囲気も醸し出している。まさか、私と別れるのがそんなに……。
「……また、戻ってくる?」
「その可能性は高いだろうな」
⁇
言い方が引っかかり、私は首を傾げた。その拍子にベッドがギシッと音を立てる。
「……どういう意味?」
マッフーを見ると、口元には薄っすらと笑みをたたえているけれど、とても寂しそうな目をしていた。
マフ王子は、私の方へと顔を向け、そして私の右手を握った。
そして、突然真剣な顔をして、エライことを言ってのけた。
「カエデ、お前と子作りがしたい」
待てー‼︎
お付き合いをすっ飛ばして、なんてこと言うんだこの王子‼︎ 怒‼︎
「マッフー、いったいどういうことかな?」
握られた手に、ありったけの力を込めて握り返す。これでもかとギリギリすると、マッフーが唇を曲げた。
「イタイイタイイタイ、チガウチガウ、聞いてくれカエデ」
私はパッと手を離すと、立ち上がってファイティングポーズを取った。
「先に説明」
「も、もちろんだ」
「さっきのなに」
おじいちゃんがあんなの聞いたら、頭が沸騰するくらい怒って、おばあちゃん形見の薙刀か、家に代々伝わる洞爺湖土産の木刀を、持ち出してくるだろうな。
「言い方を間違えた」
「なるほどな。とにかく、これ以上変なこと言うな」
「わ、わかった」
マッフーは、居住まいを正し、そして語り出した。それを私はずっと、そのファイティングポーズで聞いたのだった。




