いたって私は冷静ですよ。
えー。まずは、聞いてください。
初デート。タクシーで乗りつけたのはいいけれど降りる時、そう料金を支払う、まさにその時だ。マッフーは、なんとも驚くことに、お金を持っていないとのたまった。
「え、一円も⁉︎」
「持っていない」
「え、え、クレジットカードとかは⁉︎」
「一切、持っていない」
「カネー‼︎」
いやいやもちろん、すべてを奢ってもらおうなんて、ハナっから思ってないよ、モゴモゴ。
そんなわけで、タクシーの運転手さんに哀れみの顔で見られつつ、私が料金を支払う、と。
そして、ここ⁉︎
「ちょっと待って、なんでここ⁇」
これはどこからどう見ても、ビアガーデン。あちこちでカンパーイなどと陽気な声が上がっている。ういーういーとか、ハイハイハイハイ飲みましょう、っっとか、……⁉︎
デ、デートとはなんぞや⁇ と、私が混乱していると、マッフーが背中を押してきて、会場へと促した。
「なんで、ここ⁉︎」
再度、疑問を口にする。すると、マッフーの口から納得の言葉が出て、私は大いにため息をついた。
「タキに教えてもらったのだ。ここならサークル室から近いとな」
「うん、確かに車で三分だけども」
歩けるよっ‼︎ 無駄にしたタクシー代。高額すぎる初乗り料金が恨めしい。
「チョウチンが綺麗で、デートにはもってこいだと」
「その提灯にアサヒとかキリンとか、ガッツリ書いてあるけどな‼︎」
「なんというロマンチックなお店だ」
「……う、うん、まあ」
心の中で、滝先輩帰ったらシメル、とか呟きながら、私は案内された席へと座った。
ビアガーデンといったらビールでしょということで、最初の乾杯は生中を注文する。
「カエデ、初デート楽しいな」
「うん、ちょっとモヤっとしてるけどーまあ楽しーかなー」
冷たくキンキンに冷えたビールは、喉元を通って胃の中を爽快にする。
「ぷはあ、美味しいー。枝豆、サイコー」
枝豆をマッフーの口の中に入れてあげる。マッフーは少しだけ頬を赤らめ、そして私の口にも枝豆を入れてきた。
皮つきでー‼︎ だー‼︎ これって、デートだよねー‼︎
そして、二杯目の生ビールを頼む頃に。
私は、マッフーに出会ってからずっと不思議に思っていたことを思い切って聞いてみることにした。少し勇気はいったけれど、ビールとビアガーデンの雰囲気にすっかり気分のよい私。あちこちで、わああっと盛り上がりを見せているし、そんな明るく柔らかい雰囲気が、私の背中を押してくれた。
「あのさ、マッフー。どうして、私なんか……ってか、いつ、私のこと好きになったのかなって……」
頬をアルコールの酔いで、ほわりとピンクに染めているマッフーが、焼き鳥と格闘しているのをチラチラと横目に見ながら、私はサラダをよそう。よそいながら、ドキドキを隠しているんだなこれが。
「うむ、それはだな。カエデ、おまえは大切なものをたくさん持っているからだ」
「大切なものを?」
最後の一口を、ぐおっと飲み干して、マッフーはじっと私を見た。ってか、熱い眼差しで見つめている。うおおお、恥ず。
「そうだ。あの日、初めて会った日。おまえはそんな小さい身体で、あの子どもを守っただろう」
「うん、まあ。悠人は家は近所だし、小さい頃からよく遊んであげてたから弟みたいなもんだから」
「それに、サークルの子どもたちのことも大切にしている」
「ああ、あれはさ。一応、子どもさんを預かる責任があるから。安全面には注意してるっていうか」
「とても有意義な話し合いをしているな」
「んー、だね。活動決める会議だって、みんな真剣だもん。ただ、鬼ごっことかして遊んでるだけのサークルじゃないんだなこれが」
少しだけ、鼻高々になる。それは、私がこの子ども会活動『けやきのき』を誇りに思っているからだ。
土曜日の午後に『活動』といういわゆる遊びを行うのだが、その活動を決めるにも、週一度から二度の話し合いをしっかりと持つ。内容はもちろん、活動の安全面、教育面、情緒面、体力面からのアプローチも考慮に入れ、子どもたちにどんな影響を与えるのかを類推する。
子どもにとって何が必要なのか、また学生は子どもから何を求められているのか。真剣に考え、話し合っているのだ。
「子どもたちの楽しそうな笑顔を見るのが、幸せなんだもん」
あーあ、恥ずかしいこと言っちゃった。そう思って、串カツにかぶりつく。カラッと揚がっている串カツは、とても美味しい。
「……そうか。羨ましいな」
「え、」
顔を上げると、マッフーの憂い顔。太い眉毛は眉尻が下がり、威厳のイの字も見当たらない。
「……マッフー?」
弱々しさを含んだグレーの瞳。伏せられた睫毛が、その瞳を一層、寂しげにする。
私は、そっと皿の上に串カツを置いた。
「俺には大切なものなど、何もない」
心もとない声が、ふるっと揺れたような気がした。
いつもなら。
マッフーにだって、大切なものなんて、ひとつくらいアルデショ‼︎ お金持ってんじゃーん‼︎ なんて、軽口を叩いてしまうけれど……。
そんな雰囲気じゃない。
「そ、そうなの?」
「……カエデ、おまえに教えてもらったガーデンあっただろ?」
「ああ、あの日本庭園? 私のお気に入りの?」
「あそこは本当に綺麗だった。美しかったのだ」
「でっしょー‼︎」
マッフーの寂しげな表情に対して、私は明るく声を張った。
「ああ、それでな。サークルの活動も本当に楽しいんだ。ミズフウセンセンソウやオニゴッコなどという遊びは、俺の国にはないからな」
「そんなことないでしょ。ザイードの子どもたちだって、同じようなことやって、遊んでると思う、よ、……」
そこまで言って、はっと気がついた。
やっていないのではなく。
やらせてもらえなかったのではないか、と。だから、知らないのだ。知らなかったのだ。きっとそうだ。
沈黙が重かった。そして、さらにマッフーの肩にのしかかるザイードの王位継承者という重みが、ずしりと空気を重くした。
ただの鬼ごっこで遊んでいないというだけなのに。
「……美しいこと、楽しいこと、守ること、カエデは宝物のようなものを、たくさん持っている」
「…………」
「ただ、羨ましいのだよ」
「マッフー……」
「俺も誰かを守ってみたいのだ」
マッフーが串カツをかじる。
「これからも、色々なことを教えて欲しい。楽しいことをしているカエデは、生き生きとしていて、見ていて幸せになる」
「そ、そお……?」
照れる。
「愛してるぞ、カエデ」
えええ、うそ‼︎ ここでそれ言う⁉︎
「やややや、まままま待て待て、……ビアガーデンで串カツ食べながら言うことじゃないと思うんだ。もっと、ちゃんとしたデートでさ、夜景を見ながらとか、………⁉︎」
恐る恐る顔を上げて、マッフーを見る。
「マッ……フー⁇」
バタンっ‼︎
えっ⁉︎
「ちょっと⁇ マッフー⁇」
ぐおー。ぐおー。
「……おいおい、寝たよ。信じられん……」
私は、しばし呆気に取られていたけれど、いきなり眠りに就いたマッフーを見て酔いが一気に覚めたため、意外に冷静に対処することができた。
「スミマセーン‼︎ 会計お願いしまーす」




