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殿倉 楓。逆鱗に触れる。


キ、キキーッッツ。


「わわっ、……おっとっと、と」


金切り音が上がった。耳をつんざくような音にビックリした私。持っていた枝切りバサミを、思わず落っことしそうになった。

ハサミを握り直す。そして改めて、自動ドアの方を見た。


(なになに? 急ブレーキの音?)


車の事故にしてはどんがらがっしゃんの派手な音はしない。耳をすましていると、少し間があってから、子どもの泣き声が響いてきた。


「うわああああん」


気持ちの良い初春の空気が漂う日の午後のこと。

フラワーショップ『リンカ』にて。

両親から店番を拝命されていた私は、持っていたハサミをカウンターに置き、慌てて自動ドアの方へと向かった。


「わあああん、」


覚えのある声だ。切迫感ありで先ほどの車の急ブレーキ音と相まって、嫌な予感に包まれる。

まさか。事故?

慌てて外へと飛び出すと。


「ゆうとっっ」


案の定。

子どもが店の斜め前、大通りの交差点の手前で、座り込んで泣いていた。すぐ側には、黒塗りの大きな外車がハザードを出して停まっている。

その光景を視認した瞬間、私は全身から血がすうっと引いていくような、恐怖を感じた。知り合いだ!


「悠人っっ、どうしたのっっ」


もう一度名前を呼び、駆けつける。

悠人は、近所に住んでいる小学生だ。まだ低学年とあってか、ギャンギャンに大泣きしている。近所のお姉ちゃんという立ち位置の私の顔を見るや否や、悠人はようやく立ち上がり、大泣きの顔で駆け寄ってきた。


「カエデねえちゃんんっっ」


悠人の顔が、色を失い真っ青になっている。


「悠人! どうしたの何があったの?」


肩に置いた手にぐっと力を込める。上から下まで視線をさっと滑らせると、私はあっと声を上げてしまった。


「悠人っ、怪我してる」


膝小僧に傷が。擦りむけて、血が出ている。


その時、バタンッ。

側でハザードを出し停車していた黒塗りの大きな車から、運転手らしき人が降りてきた。左ハンドルだ。


「おいっ、危ないじゃないかっ!」


スーツを着たまずまずの若い男。帽子や白い手袋までしていて、それこそ『ザ・運転手』だ。

どこから拾い上げたのか、手にはサッカーボール。それを私に勢いよく放り投げてきたので、私はそれを手で跳ねのけた。ボールはそのまま、うちの店の前に転がっていく。


「ちょ、何するんですかっ!」

「それはこっちのセリフだっ。ボールがボンネットに当たったんだぞ。危うく大事故になるところだった」


悠人の肩に回した手に力が入る。沸々と怒りが湧いてきた。

いつもは優しく仏のように微笑んでいる(と自分では思っている)まなこを釣り上げて、私はありったけの声を上げた。


「でも歩行者優先でしょっ」


けれど、次の言葉で一変。


「赤信号でもか!」

「あ、……あか、」

「歩行者用の信号は赤だったんだぞ。こっちが青信号だったんだからなっっ!」


若さをはらんだ怒声に、悠人の両肩が跳ね上がる。

私は、悠人の顔を覗き込みながら、「それほんとう?」と訊いた。


「ご、ごめんなさい、サッカーボールがボンボンって跳ねてっちゃって……追いかけなきゃって思って」


悠人が右手で、手を上下させ、ボールが跳ねる動作をする。


「悠人は車にぶつかったの?」

「ううん、びっくりしてひっくり返っただけ。でも、その時にここ……」


悠人が膝小僧を指す。

それを見て、ほっと胸をなでおろすと、悠人の肩に手を回して抱きしめた。


「とにかく赤信号で飛び出したこっちが悪いっていうことなら、ごめんなさい。ほら、悠人も謝って」


小さな後頭部を手でそっと促す。


「ごめんなさいっ」


色のなかった悠人の顔に薄っすらと赤みがさす。悠人はようやく涙を袖で拭った。


「怪我してるから、うちで手当てしてあげる。先にお店に行ってて」

「うん」


ひょこひょことびっこをひきながら、悠人は知った家とでも言うように、慣れた様子でフラワーショップ『リンカ』に入っていった。

私はその様子を見守ると、振り返って運転手に言った。


「本当にすみませんでした。それで、もしかしたらこの後、具合が悪くなったりして病院に行くかもしれないので、名刺か何かいただけませんか」

「はあ⁉︎ こっちはなんにも悪くないのにか⁉︎」

「念のためです。あの子、うちの近所の子なんです。私、あの子の家族に状況を説明しなければいけないし」

「だったら、ボンネットの傷は弁償してくれるんだな?」


運転手は口角をくっと上げると、両手を腰に当て威嚇するようなポーズを取った。


「ボールくらいで傷なんて……」

「はあ? キミなんにも知らないんだな。ボールでボンネットがヘコむことだってあるんだよ」

「そうなら弁償しなきゃいけないですし、余計に名刺いただけませんか」

「キミねえ」


運転手が威圧をかけようと、胸を張ってじりじりと近寄ってくる。


その時。


車の後部座席の窓がすうっと音もなく開いた。スモークで見えなかった空間が、奥行きを晒すように広がる。

そこには。

異国の世界が存在していた。


男性。その端正な顔。

通った鼻筋に高い鼻。浅黒い肌。そして、頭からすっぽりと被っている白い布。それを押さえるように、額には金色の装飾品が巻きつけられている。中央には、翡翠色の大きな宝石。


そして、極めつけはその端正な顔を覆う、黒々としたヒゲ。一見して、というか何度見ても、どこからどう見てもアラブの人か。あくまで私のイメージだけども。


「何をしているのだ」


顔は外国人そのものだが、言葉は流暢で発音も完璧な日本語で驚く。

私が、その端正な顔に呆気にとられている間にも、男は日本語を駆使して、言いたいことを言い放った。


「いい加減、早く解決しないか。子どもが飛び出してきたのだから、そちらの過ちだろう。とにかく、俺は急いでいるのだ。こんなのに構っている暇はない」


言い方もきつかったが、視線もきつい。このアラブ人(※イメージです)の実際の年齢は不詳だが、私よりずっと歳上のようだった。威厳もある。有り余るほどの、威厳が。しかしそれはただ単にヒゲの効果ってだけか。


「さっさと行くぞ」


その言葉で、高飛車だった運転手がへこへこと頭を下げて背中を丸め、車の運転席へとそそくさと戻った。

アラブ人がさも面倒くさそうに、窓をウィーンと閉め始める。その横顔。不機嫌に眉を寄せる男の顔が、半分ほど隠れた時。

私は大きな声を上げて、思わず言った。


「あ、もしかしたらアラブなんとかしゅちょーれんぽうの人ですかっ?」


テレビで見た覚えがあった。日本がアラブの中の小さな石油国と友好関係を結んだというニュース。それ以降、交換留学生やら観光大使などの交流が活発に交わされているようだ。そんな情報番組に出ていたような……と、思い出したのだ。


すると。

閉じようとしていた窓がウィーンと下へ降りて開き、中からアラブ人が突然、叫んだ。


「バカモノっ、それを言うならアラブ首長国連邦だろっ。それくらい正式名称をちゃんと覚えておけ!……っていやいや、そこと違うわ!俺の国は、ザイード王国だ!」


あわわ。違うかってん? しかも怒ってきたぞ、この人。

私は慌てて、その場を取り繕うように言った。


「あ、そうそうっ。ザイードねっ! ザイード知ってる! ってかザイードの……キーマカレーのおじさん……?」


その瞬間。

車の窓から出している顔が。カッと目を見開いたかと思うと、みるみる真っ赤になっていく。その存在感ハンパない太い眉ときつい目をさらに釣り上げると、窓枠を両手でバンバンッと叩きながら叫んだ。


「キーマカレーはインドだろっ! このクソ女め! 俺はザイード王国のナーシルッディーン=マフムードだっ」


女子大学生アラブ人の逆鱗に触れましたの件……けれどなんだって? 今クソ女って言ったよね?


「じゃああれだ。あれだね。観光大使であらせられる、」

「か、観光大使だとっっ!」


赤らんでいた顔がさらに赤くなり、もうこうなると不思議なことに、まるで沸騰中のヤカンのように、頭から湯気が出ているように見える。うーん、錯覚か……。

私は一応、こちら様は悠人の事故の相手だしと思い、少しでも機嫌を取っておかねばと、乏しすぎる記憶を絞り出そうとした。


「すみませんすみません。わわわかった! そうだ、思い出したっっ! ゆるキャラの、……ザイードン! ザイードンでしょ? あれめっちゃ可愛いですよねっ」


今度は慌てたように運転席の窓が開いた。しつこいが左ハンドルでね。


「きききキミっ! 失礼だぞキミっ、」


いけ好かない若い運転手が、慌てふためいた顔で言う。


「この方は、ザイード王国の王子だぞっ」


あ。ザイードンじゃない? 全然違った、王子だって?

けれどそこまで言われても、私は大変なことを巻き起こしているのだということに、まだ気がついていない。


だって、こんなおっさんが王子さまだなんて、まさかねー。ってね。

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