攻略対象との出会い その③
昴から遙と呼ばれた青年。青みがかった短い髪と、黒縁の眼鏡が特徴の利発そうな彼は今、ゾンビと対峙している。
ゾンビはゆらゆらと身体を揺らしながら、一歩ずつ遙へと近づいていく。
それを見ていた昴が、私の手を離し両手で金属バットを握った。
「……遙を助けないと」
小声でそう言うなり、昴はゆっくりとゾンビの背後に近づき始める。今、ゾンビは遙にしか気づいていない。私も鉄パイプを握り直して、同じく近づこうとしたその時……。
――カラン。
足元から聞こえる小さな、しかしはっきりと周囲に響き渡る音。
その場にいた全員の時が止まったようにすら感じる、一瞬の間。
私はゆっくり視線を足元へ落とした。そして気づく。
足元には空になったジュースの缶が転がっていた。先程の音はそれを蹴飛ばしてしまった時のものだったのだ。
理解が及ぶと同時に時が動き出す。こちらを振り向いたゾンビの虚ろな目に私と昴が映り、同時に標的へと変わった。
「……っ!」
昴が攻撃に一瞬躊躇してしまう。そのせいでゾンビの接近を許してしまった。
後方へ下がろうとするが、ちらりと私の方を見てはゾンビに向き直る。
……そうか、私がいるから下手に下がって標的をこちらに変えたくないのだろう。
先程こちらを見た彼の目は、刺し違えてでも私と遙を守ろうという決意を宿していた。
「……やらなきゃ。私なら出来る、出来る……」
今ここで昴を死なせるわけにはいかない。私は自分に暗示をかけるかのように何度も呟く。
覚悟を決めろ。ここで戦えなければ、この場を生き延びてもこの先で生き残れない。
一度深呼吸をする。
「……やああああっ!」
鉄パイプを両手に持ち、一気に駆け出す。
昴は勿論、こちらを見ていなかったゾンビも当然すぐに反応出来ず、私は勢いのままに鉄パイプを振りかぶるとそのままゾンビの頭へと叩きつけた。
「く……っ!」
腐敗が進んでいるとはいえ、元々人だった存在の頭を思いきり鈍器で殴りつける感触はとても不快で、思わず眉を寄せてしまう。
乙女ゲームの主人公にこの行為は出来ないな、と頭の隅で納得しているとゾンビが鉄パイプをぐっと掴んできた。
恐らく私の力では倒しきれなかったのだ。頭を破壊すればゾンビは活動が出来なくなる、という設定だったので迷わず頭を狙ったのだが、やはりそれだけでは足りなかったらしい。
しかしゾンビがこちらに意識を向けた瞬間に私は叫ぶ。
「昴さん!」
私の声で昴は我に返ったらしく、金属バットを振りかぶるとゾンビのこめかみ辺りを思いきり殴った。
流石に無防備な状態で二度も殴られてはゾンビも耐え切れなかったらしく、歪な頭の形をしたゾンビはその場に倒れ動かなくなる。
もしかしたらいきなり起き上がってくるかもしれない、とその場にいた誰もが思ったのだろう。
暫くは三人とも動けずにいたが、いくら待ってもゾンビが起き上がってくる気配がない事がわかるとようやく緊張が解けたのか、誰ともなく溜め息を漏らした。
「何とか倒せたみたいだな……」
「……昴さん、ごめんなさい。私のせいで危険な目に遭わせてしまって」
「いや、結果的に皆無事だったんだから、美月ちゃんは悪くないよ」
本当ならば昴が後ろからゾンビを殴り、ゾンビが怯んだ隙に三人で逃げるというイベントだったのだ。
……私は何処かで慢心していたのだろう。ゲームのイベント通りに進むのだから、イレギュラーはないのだと。
だが、実際はそんな事はなく私の不注意で昴を危険に晒してしまった。
「ええと、昴」
「ああ、遙。無事か?」
「はい、何とか」
私達のやり取りを聞いていた遙がこちらへ近づいてきては声をかけてくる。
そして私の方へ視線を向けると優しく微笑んだ。
「助けて頂いて有難うございます。貴女のような勇敢な女性は初めて見ました」
「い、いえ……その、大した事は」
「謙遜なさらないで下さい。貴女と昴のお陰で僕は助かったのですから。……と、まだ名乗っていませんでした。僕は遙と申します」
「あ、私は美月です。宜しくお願いします、遙さん」
「ええ、宜しくお願いします」
彼が三人目の攻略対象、遙。
年齢は私達より一つ上の十七歳。とても丁寧で物腰が柔らかく、年下である主人公や昴に対しても常に敬語で話す。
彼は洞察力が高く、物語の序盤からゾンビが日中には出現しにくいという仮説を立てていたり、ゾンビの侵入しない場所を見つけたりしていた(ゲーム内では安全ポイントと称されていた)。
奏や昴ほど戦闘に向いているタイプではないが、弓道部に所属しており最初にゾンビに襲われた時は学校にいた為、弓を持ち出してきているのでそれを使い戦う。武器の特性上、先程のように接近されてしまうと戦えなくなってしまう。
生前の私は奏のルートを攻略中だったので、彼と仲の悪い遙と接触する機会があまり無かった為に、わかっているのはこのくらいだが……。
「よし、遙も見つかった事だし戻ろうか」
「そうですね」
昴の言葉で思考が途切れる。確かにこれ以上の長居は無用だろうと同意して、倒れているゾンビがまた起き上がって来ても困る為に一先ず奏のところへ戻る事にしたのだが……。
私と昴が先に進む中、遙はどこか浮かない顔をしていた。