第五十二話 魔術師、逝く
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「そろそろ手足の感覚が無くなってきました」
「そうなのか……」
すでに動かなくなっていた手足、床石の冷たい感覚こそが生きている証しだと言い聞かせていただけに、その冷たさすらかんじなくなってしまい最後を迎えようとしていると感じ、思わず声を出してしまう。
瞼を開ければ明るい人工太陽の光を感じるが、目の前にいるであろうヴルフとアイリーンの顔がどこにあるのすらすでにわからないでいた。
「スイール、一ついいか?」
「ええ、何なりと」
「これだけ長く生きて、辛かったか?」
本来ならば”幸せ”だったのかと尋ねるべきであろうが、スイールは七千年以上も生きてきた。それも、最愛だった人を幾度も見送ってきていたであろうことは容易に想像できる。だから、ヴルフはあえて、生きてきて”辛かった”のかとの言葉が自然と口から洩れてしまった。
本来であれば、逝く友に問い掛ける言葉でないとわかっていながら……。
「ヴルフらしいですね。一人は辛いですよ」
「やはりそうか……」
「でもね……」
何千年も一人で辛かった。
笑みも浮かべず、瞳はまっすぐ前を見据えながら、そう答えた。
だが、その答えにはまだ続きがあった。
「逝く時こそ一人と思っていたのに、傍に二人もいて見送ってくれるのです。幸せと言わずして、何と言えばいいのでしょうか?」
「……よく言うよ。本当は傍にいて欲しい二人を遠ざけたくせに」
一人で逝かず、看取ってくれる友人がいるだけで、最後に”幸せに”なった、うっすらと笑みを浮かべながらそう続けた。
しかし、本当に傍にいて欲しいのはここにいない二人、エゼルバルドとヒルダなのは間違いない。だが、二人を遠ざけたのはスイールに頼らずに立派に独り立ち出来る、その証明をして欲しいとの意図も含まれていたのだ。
理由はそれだけではない。しかし、言葉を紡ぐ事は無く胸の内に仕舞い込んだままにした。
”変り者”で減らず口を叩くスイールに向けて、ヴルフは最後に辛辣な言葉を向ける。だが、それは笑みを伴っており親愛なる友人に向けて、餞別の、いや、はなむけの言葉であるとしても過言ではない。
逝く友人にはなむけの言葉は合わないかもしれない。しかし、生きてきた役目を無事に果たしたとすれば、”はなむけ”の言葉がぴったりである、ヴルフはそう感じざるを得ないのだ。
「そろそろ、お別れのようです」
「まだ逝くな!と言っても無理なんだろうな」
「ええ、手ずから寿命を終わらせましたからね」
魔術師最後の魔法、魂の消滅で魂に刻まれた寿命を破壊してしまった。どんな治療を施しても元に戻らない。こうなる運命だったと最後に再び笑顔を見せる、そして……。
「先に逝きます。謝る人が沢山待っているでしょうから。あなた達はすぐに来ないで……くだ…さい……ね…………」
瞼を瞑り、唇をゆっくりと動かし、か細い声で最後の言葉を吐き出す。
それから、ヴルフやアイリーンがどんなに語り掛けても、スイールの唇はそれ以上動く事は無く、固く閉じたまま二度と減らず口を吐き出すことは無かった。
ヴルフとアイリーンの二人に看取られ長すぎる人生を、冒険の日々を終えたのである。
役目をしっかりと果たしたと、ほほえみを残して……。
「逝ったか……」
「まだ、実感がないけど……」
ヴルフはスイールの両手を取り胸に乗せる。
そして目を瞑り、祈りをささげて安らかな眠りを祈るのであった……。
大粒の涙をこれでもかと流しながら悲しみ暮れて呆然とするのかと思っていた。胸にぽっかりと大きな穴が開き、埋めようともがきながら。
しかし、そうはならずヴルフもアイリーンも現実を受け入れられず、スイールがまだ生きているとさえ感じるのだ。
「って、なんだ?これは!」
「ちょっと、どうなってるのよ!」
祈りが終わり、瞼を開けた二人は思わぬ光景に驚きを隠せずに声を上げてしまう。
目の前で逝ったスイールの体に変化が起き始めた為に。
土気色を通り越して真っ白くなった顔、そして、胸の上に乗せられた動かぬ両手。そのどちらもが、人とは全く似ても似つかぬ、”宝石のような石”に変化し始めた。
色の付いた硝子、それとも、紅玉。
燃えるような真っ赤な輝きを放つ宝石に。
しかし、二人は宝石ではないと瞬時に判断してしまう。
先ほどまで嫌と言うほど見せられた、朱い魔石にそっくりだったからである。
「確か、スイールはこう言ってたな」
『実は、あの黒い腕と繋がっていた時に、腕を通して直接朱い魔石に魔法を発現させたのです』、と。朱い魔石と繋がっていたと。
そして、スイールは直接、朱い魔石に魔法を発現さた。
結果、朱い魔石の寿命を終わりにした。
だから、その逆も真なりだったのではないかと。
スイールと朱い魔石が繋がり、一つとなった時に魔法を使った。
だから、朱い魔石とスイールは同一の存在。
スイール自身も朱い魔石となってしまった。
「そうすると、スイールが朱い魔石になっちゃった?」
「って、事だな」
結論付けるのは早いが、それしか思いつかなかった。
そう考えているうちに、スイールの物言わぬ体は宝石へと変化が進みついには見る場所全て、つまりは全身を朱い魔石に変え始めた。
この速度で変化を進めるのなら、あっという間に前進が朱い魔石に変わってしまうと思われた。
そして、それは現実のものとなるのである。
「スイール、人じゃなくなっちゃった……」
「これ、どうすればいいんじゃ?こんな結末、こいつだって考えていなかったろうに……」
暫くの時間が過ぎた。
スイールの体全てが朱い魔石に変化したとしても不思議でない時間が。
手も触れずに行く末を見守るヴルフとアイリーン。
そして、二人にも予想外の出来事が起こる。
赤い魔石と化したスイールにヒビが入り始める。頭頂部に始まり、顔、そして首元へとヒビが走る。服に隠れて見えないが、胴体にもヒビが走り、最終的には爪先まで走るだろう。
自然にヒビが入ったとすれば、その次はヴルフとアイリーンにも予想が付く。
大きく入ったヒビから小さなヒビが無数に走り始めるだろう。
その結果……。
「やはり、こうなる運命だったんじゃな……」
この部屋の奥、玉座の手前に鎮座していた朱い魔石と同じ運命。砂粒の様に細かく砕けて行った。ゆっくり、ゆっくりと。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
宮殿の大広間から駆け出していったエゼルバルドとヒルダ。
床石を蹴り付ける度にカッカッと硬質な靴底の音が耳にまで届く。
二つのドアと大きな扉を潜り、宮殿の外へと躍り出る。長く続いていた廊下はすでに後方にあり、スイールやヴルフ、アイリーンの姿を窺い知るにはすでに遠くなった。
宮殿の入り口でエゼルバルドはキョロキョロと首を動かして辺りを見渡し、裏へと続く道を探す。それはあっさりと見つかり、再び駆け出して宮殿の裏へと急ぐ。
宮殿の裏は、正面や家々が建ち並んだ道とは違い、瓦礫や不用品で溢れかえってごみごみして汚らしい。まさに臭い物に蓋、と言った状況だ。
人の見える場所は綺麗に、目につかない場所は汚い。
表面だけ見繕った朱い魔石にピッタリだとエゼルバルドは頷いた。
そのごみごみした瓦礫や不用品の山を貫くように一本の道が続いている。そうしなければならぬ場所があるのだろう。
それこそエゼルバルドとヒルダが探している、地下遺跡の上部へ続く通路か階段があるのだろうと向かった。
「でも、こんなに瓦礫があるのって驚きよね」
「確かにね。この宮殿も崩れかけてたんだろうね。あれを見てみろよ。」
瓦礫の山にはまだ形が十分残っている塊も残っている。
その中でもエゼルバルドの指が示す先に、塔の先端の尖がり帽子や屋根から見下ろす動物の彫像、金箔が残っている壁材など、残っていればどれだけの価値があるかわからぬ遺物がゴロゴロとしている。しかも、現在の宮殿とは似つかぬ、誰が見てもその目を奪われるだろう芸術的な。
瓦礫の山の間に作られた一本の道を進み、行き止まりに到着した。
そこには頑丈な鉄格子がはめ込まれたその先に、暗く先が見えぬ狭い通路があった。
「これだろうね」
「破壊しちゃう?」
どうやって開けるのかと鉄格子を調べ始めるエゼルバルドの後ろから軽棍を肩に担いで物騒な発言をするヒルダ。
しかし、エゼルバルドは”それはよそう”とせっかく担いだ軽棍を下ろすようにとお願いする。
そのかいもあってか、スポンとはめ込まれただけで簡単に除ける事がわかった。
人の背程しかなく腕が通るほどの隙間がある鉄格子、エゼルバルドは軽々と持ち上げて退けてしまう。そして、瓦礫の山から適当な棒を拾うと先端に暗闇を照らすように生活魔法の灯火で明かりを灯した。
「それが、行こうか。どうなってるかわからないから慎重にな」
「もう~。わかってるわよ」
エゼルバルドは左手で明かりの灯った棒を掴み、右手でブロードソードを引き抜き暗く狭い通路を進み始めた。
魔法の白い光は十メートル先まで照らし出す。象牙の様に白い壁や天井、床は先程までいたすり鉢状の巨大な空間を構成していた石材と同じだ。
コツコツと響く足音が狭い通路で反響しこだまとなって幾つも耳に届く。他にはエゼルバルドとヒルダが息を吐く音と服の下に着こんだ鎖帷子が軋む音。そして、”ヒュー”と吹き抜ける風の音。
その風の音でどこかに続いていると確信できる。
「それにしても、カビ臭いな」
「仕方ないわね。ずっと使ってなかったんでしょ」
「広い空間じゃないし、保守用の通路だからいつも使ってるとは限らないしな」
吹き抜ける風に乗ってエゼルバルドとヒルダの鼻腔の奥に吹き付けてくるカビ臭さに表情を歪めてしまう。真っ白い壁や天井はカビなど発生しているとは思えないほど綺麗であるが……。おそらく、この通路の終点、もしくは中間地点にある空間がカビの発生源であろうと何となく推測する。
「まぁ、いいけどね。それよりエゼル、急がなくていいの?」
「なんで?」
「何でって、暴走したのを止めるんでしょ?いつ、なるかわからないじゃん!」
エゼルバルドは狭い一本道を慎重に進んでいると見て良いのだが、ヒルダには悠長にしているとしか見えなかった。それでスイールからの頼みごとを果たせるのかと疑問を口にした。
「あぁ、大丈夫。今すぐどうかなる訳じゃないらしい。スイールのノートに二、三日の猶予はあるって書いてあったから」
暗い通路の先を見据えながらエゼルバルドが理由を口にする。
スイールが記した人工太陽の考察に暴走したときの時間的猶予がどれくらいになるか、重要事項として記載があったのだ。だから、ヒルダほど焦ってはいない。
「そ、それじゃ!スイールの所に戻ろうよ」
「それは駄目だ!」
人工太陽がすぐに暴走しない。
エゼルバルドがそれを口にした瞬間、ヒルダはもう先の短いスイールを見届けるべきだと足をピタリと止めた。
だが、エゼルバルドはそれを首を横に振ってヒルダの提案を拒絶する。
そしてヒルダ同様に足を止めて振り向く。
エゼルバルドが今にも泣き出しそうな悲し気な表情がヒルダの心に突き刺さる。
「オレだって、出来る事なら戻りたい。時間的余裕もあるし」
「な、なら、戻ろうよ」
「それは出来ない」
エゼルバルドも内心ではヒルダと同じく、スイールの傍で最期を看取りたい、傍を離れたくない、と思っているのは確かだ。今にも泣きだしそうな表情をしているのが何よりの証拠でもある。
「スイールがオレ達に望んでるんだよ。逝くところを見て欲しくない、って。それに……」
「それに?」
スイールが最後に望んだ事。
エゼルバルドとヒルダには無様に逝く最期を看取って欲しくない。
それだけではない……。
「……ううん、違うな。何でも無い」
「何それ?」
エゼルバルドには言葉を続けようとした。だが、首を横に振って吐きかけた言葉を飲み込んだ。何となく、わかっていた。看取って欲しくないなんて嘘だと。
本当の理由は恐らく……。
それに、最後の挨拶はすでに済ませた。
何から何までありがとう、と。
スイールの最期に笑顔で送り出してくれた。
それだけで十分。
「いいじゃないか。先に仕事を済ませてしまおう」
「また胡麻化すぅ!」
ヒルダが頬を膨らませて、胡麻化したエゼルバルドに軽く怒りを向ける。いつか理由を語らせてやる、心にそう誓うのであった。
それから魔法の光を頼りに暗く狭い通路を進み、梯子を見つけて登って行く。
どこまで登ればよいのかと心が折れそうになりながらも登りきる。
こじんまりとした部屋にたどり着くとさらに暗く狭い通路が続いている。その奥に同じ梯子が幾つかあるだろう。全てを登り切れば待望の人工太陽とまみえる事が出来る筈だ。
ヒルダが梯子を登り切りエゼルバルドは次の暗い通路へと足を進めようとした。
「あっ!」
「ん?エゼル、どうしたの」
エゼルバルドは体のバランスを崩し膝を着いてしまう。
力なく肩の力が抜け、視線は床を見据える。
魔法の光に照らされ真っ白の床石がはっきりと見えた。だが、なぜか床石の繋ぎ目がボヤっと歪み見える。それと同時に床石に丸い小さなシミがいくつも生まれる。
エゼルバルドの瞳から零れ落ちた大粒の涙が床石に落ち丸いシミを作り上げた。それもいくつも……。
「……ス、スイールが……逝った。たった今……」
「えっ?」
エゼルバルドにはスイールが逝った瞬間がわかった。
肩を叩かれ、”仲良くね”と耳元で告げられた、スイールのはっきりとした声で。
悲しい、このままここで朽ちて良い、そんなことを考えてしまう。
だが、エゼルバルドにはそうするだけの時間は与えてくれなかった。
エゼルバルドは袖で目元をガシガシと拭うとゆっくりと立ち上がりブロードソードを構える。
「スイールめ。こうなる事を予測してたな!」
「悲しむ時間すらくれないって、何処までも親失格ね」
エゼルバルドとヒルダは武器を構えて暗く狭い通路へ視線を向ける。まだ瞳の端には涙が残っているが溢れ出してはいない。
悲しくてもスイールから託させた最後の願いをしっかりと完遂させる、二人は気持ちを切り替える。
暗く狭い通路の奥から”カンカンカン”と床石を蹴り付ける無数の足音が聞こえてくる。
あの朱い魔石の最期の兵士、戦力だろう。人工太陽を制御していた一団、おそらくそれが正体。
「仕方ない、ヒルダ行こう!」
「ええ!」
エゼルバルドとヒルダは暗く狭い通路から現れた敵に向かって駆け出すのであった。




