第四十一話 潜入前日
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ざぁざぁと冷たい雨の降りしきる真夜中に、朱い魔石に操られた男が現れてから既に七日。上陸地点を出発してから十二日目である。
スイール達は山岳地帯に坂道を重い足取りでゆっくりと登っていた。前日から始まった坂道は彼らの足を容赦なく痛めつけているのである。
就寝時には疲れを残さない様にと足を入念に揉み解していたにも関わらずだ。
踏み固められただけで、ろくに手入れのされていない道なのだから、足へのダメージは予想以上にきついものがあった。
そんな体を痛めつけているだけの坂道を昇っていたとしても、一つだけ朗報があったと言えよう。他でもない、真夜中に現れた操られた男からもたらされた手出ししないとの情報だ。伝えられた通り、人はおろか、小型の獣一匹すら現れなかったのだ。
道を踏みしめる足は疲れがピークに差し掛かっていたが、疲れとは正反対に体力だけは温存出来たので誰もが安堵していたくらいだ。
そんなスイール達が道の終点にたどり着いたのはその日の夕方近くになってからだった。
いの一番にうれしそうな声を出しながら、体を弾ませる赤毛の女性。
「ここで道が終わってるみたいよ?」
先頭を行く赤毛の女性、アイリーンが手をひさし様に額にかざしてその先を見据える。
彼らの視線の先には彼らの目指す目的地、その入り口が山麓に口を開けて待ち構えていた。馬車が通れる程に広い真っ暗な洞窟が。
注意深く洞窟へと近付いてみれば、”ああ、なるほど”と誰かの呟きが漏れ聞こえて来た。当然、声の主が誰かは言わなくても皆、承諾済みである。振り向かずとも、だ。
「で、何かわかったの?スイール」
アイリーンは何が言いたいのか、うっすらと気付きながらも声の主に問い掛けてみた。
おおよその予想は付いていたので別段、驚く必要も無いと思いながら。
「たいしたことではありません。足跡が沢山付いているなと思っただけです……」
それなら”同じことを気付いていたよ”とニヤニヤと笑みを浮かべるだけだったが、続けて彼の口から漏れ聞こえた言葉には少しだけ驚きを見せてしまった。
「多分、獣類の足跡も見えますね、これ」
ゆっくりと腰を下ろしながら地面を観察して行く。
人の足跡、言うなれば靴の跡が洞窟内に続いているのは誰てもわかる。おそらく、自我の芽生えた子供でさえもそれは分かるだろう。
しかし、その靴の跡で上書きされたその下、うっすらと爪の跡が残されていたのをスイールは見逃さなかった。
アイリーンも同じように腰を下ろして地面をよく観察してみれば、スイールが見たものと同じ獣の爪痕を見つける。パッと一瞥しただけでは分からなかっただろう。じっと見つめたからこそ、その目に飛び込んで来たのだから。
それにアイリーンは先頭を歩いていたのだから、外から敵が来ないかに意識を集中していたのだから巧妙に隠された爪の跡を発見出来なかったのは仕方がないだろう。
職務怠慢とは言い難い。
「じゃが、数はわからなさそうじゃな?」
「ええ。獣が多いのか、少ないのか……。人の数は十とか二十とか……出入りしているのはそのくらいでしょう」
出入りしている人数は足跡から予想が付くが、全体の戦力となればどれだけいるのか想像ができない。
この洞窟の先に完全な状況で地下遺跡が存在し当時のまま、--おおよそ七千年の昔の状態で--、に運用出来ていたとすれば、四桁後半から五桁の人が生活出来るだろう。
ここまでの道は一本しかなく分かれ道もない。
開墾した土地も見てなければ、当然作物を作る畑も見えない。
それ故に、地下遺跡で生活できる工夫がなされているはずだとスイールは見ていた。
「なんにしろ、今日は日も落ちるでしょうから、探索は明日に持ち越しです」
「そうじゃのぉ。どれだけの敵が待ち構えているかわからんから、休めるときに休むべきじゃろう」
「それじゃ、さっそくテントを張ろう」
「わたしは食事の支度をするわね」
「ウチは……」
洞窟から一歩外に出たスイールは、西の空へ沈みゆく真っ赤に燃え盛る太陽を眩しそうにちらりと一瞥すると、これ以上行動するには体を痛めつけるだけと判断した。
それから銘々が自らに課せられた役割に手を付け始める。
その中でも手持ち無沙汰になってしまったアイリーンはどうするべきかと思案するそぶりを見せた。敵地の目の前で野営をするのだから周囲の警戒は必要であるが、洞窟の奥も少しだけ気になっていた。
チラチラと視線が洞窟の奥へと向いているアイリーンに気づいたスイールは溜息を吐きながら告げるのだった。
「アイリーンは洞窟の偵察……とまでいかなくてもいいですが、それが終わり次第入り口に灯りを設置しておいてください」
「はいは~い。任せて!」
”洞窟の偵察を頼む”
彼女の心を見抜いたような言葉に、いや、気付いて欲しそうな行動を取っていただけありスイールの言葉に顔をぱぁっと輝かせる。
その笑顔を誰もが見ないうちに飛び跳ねるが如く洞窟の奥へと向かって言った。
「職業病ですかね~」
「ん、なんか言った?」
「いや、たいしたことではありません」
「そう……」
洞窟の奥、敵が拠点を作り待ち構えているだろうが、誰も見たことのない場所をいの一番にその目で見ることが出来ると、アイリーンは目を輝かせていた。それが彼女の琴線に触れたのか、それとも使命と感じたのかは定かではないが、スイールは職業病の一種ではないかと思わずぼそりと呟いてしまった。
それを近くにいたエゼルバルドの耳に届いたのだが、どもるような呟きは聞き取れなかった。聞き間違えかもしれないと首を傾げながら聞いてみるのだが、呟いた本人は”たいしたことではない”と口を噤むのであった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
太陽が西の地平線に完全に隠れ真っ暗な闇が支配する夜が訪れた。
車座に座るスイール達の中央にはぱちぱちと火の粉を舞い上がらせる小さな焚火がオレンジ色の光を放っている。
九月も中旬になれば夜は気温が下がり、体を冷やしていく。小さいながらも焚火があれば手をかざして温まれるのはとてもうれしいだろう。さらに、焚火の上には吊り下げられたヤカンからシューシューと蒸気が吹き出て、いつでもお茶を楽しめる。
食事が終わり体を温める飲み物で一息つく時になり、”遅くなったけど”とアイリーンが偵察の成果を口に出し始めた。
「それじゃ、洞窟の奥を見てきた報告ね」
「だいぶ時間が開いたのはたいした事がなかった?」
「んん~、ちょっと違うわね」
手の平でコップをころころと転がしながら何から話そうかと思案に入ろうかとしたところをヒルダが言葉を割り込ませてきた。
いつも通りのアイリーンなら誰かが作業の途中であっても、寝ていようとも報告を欠かさなかった。今回ばかりは戻ってきたアイリーン自らが”後で纏めて報告するわ”と告げていた。ヒルダだけでなく、誰もが気にしていた、いや、気になっていたのは当然と言えよう。
さらに、ヒルダが割り込ませた言葉、”たいした事ない?”にも否定的な言葉を並べてはぐらかした事も興味を引く一因となったと思ってもいいだろう。
「緊急性を要しなかった……の方がいいのかな?」
「何が違うんじゃ?」
そういうとアイリーンは焚火に視線を落とした。
たいした事がない。
緊急性を要しない。
似ていても全く非なる言葉、何となく同じではないかと考えてしまうが、アイリーンからすれば明確に異なった。
洞窟に先に足を踏み入れて彼女の目で見てきた事実を語ればそれもわかるだろうと、焚火に落としていた視線を戻して口を開いた。
「まず、洞窟は二百メートルくらい続いてたわ」
「そこまで長くはないのですねぇ」
「いえ、その続きがあるのよ」
洞窟が二百メートルもあれば入り口からの光も届かないだろう。夕方の太陽の光が弱くなる時間であれば特にである。夜目の利くアイリーンであったとしても、真っ暗中を進むのは骨が折れたはず。
だが、アイリーンが告げたかったのは二百メートルある洞窟よりもその先の事だった。
「洞窟は手で掘ったみたいになってるけど、奥は違ったのよ」
「なるほど……。まず、手掘りで二百メートル、ってところですか?」
「そんなところ。その続きがあってね……」
「人工物のトンネルですね」
「そう。あの時と一緒よ。覚えてるでしょ?」
山の中腹を人の手で掘り洞窟を作り上げた。その奥に人工の石を積み上げた整備されたトンネルが続く。人工構造物であるがゆえにほんのりと明かりを放ち、松明や生活魔法の灯火が無くとも十分に足元を注視出来るほどに明るかったと告げた。
過去にスイール達と訪れた事がある地下遺跡の一つに構造がそっくりだとアイリーンは付け足す。
約六年前、グレンゴリア大陸の南東部、アーラス神聖教国の内乱の終盤、首謀者だったアドネ領主が最後に逃げ込んだ地下遺跡の構造と瓜二つであると。
その時も同じ五人で乗り込んだのだからと、運命を感じると誰かが脳裏に思った。
「そのトンネルも百メートルで行き止まり」
「下へと向かう階段があったと」
「その通り。そっくりでしょ?」
人工構造物の通路の終点、階段の存在を確認して偵察を終えて戻ってきたのだという。
人の姿も操られた獣の姿も確認できず、気配もしなかった。
だから、たいした事がない、ではなく、探索をしないとわかっていたので緊急性が感じられなかった、のである。
「そこまで知っていれば大丈夫でしょ」
「そうですね。あとは何処まで階段が続いているかですが……」
「これ以上、考えても何も始まらんじゃろ」
ぱちぱちと焚火が申し訳程度に爆ぜる。
ゆらゆらと揺らめくオレンジ色が彼らを照らし、誰もが不安の表情を浮かべている。
どこに、どれだけの敵が待ち構えているのか、アイリーンの偵察でもこれ以上は危険を要するだろう。一人でも戦力を失うのは失敗を意味する。
だから、そこで偵察を切り上げるのはこの場合は正しい。
あとは過去に潜った地下遺跡から予想を立ててよう、スイールはそのように考えぼそりと呟いた。だがヴルフは、楽観的なのか、悲観的なのか、後はその場で臨機応変に対応するしかないとスイールの呟きを自らの言葉で消し去った。
ヴルフが口にした言葉の根底には、暗い雨の中に現れた男の一言が基礎になっていた。
”我は配下どもを仕掛けるのを止めることとする”
男の言葉、つまりは元凶である朱い魔石の場所へたどり着くまでは邪魔しないと考えた。だから、これ以上考えても無駄であり、敵の懐へ向かうしかないのだと。
「……なるほど。ヴルフの意見にも一理ありますね」
「だろう!」
スイールは顎に手を当ててしばらく考えた末にヴルフの意見に好感を持って頷きを返した。ヴルフはそれを笑顔で受け止めると、口を噤んでいる二人に顔を向ける。
「で、エゼルやヒルダはどう思う?」
焚火の番をしながら耳だけはしっかりと会話に向けていたエゼルバルドよりも、ボーっと何となく会話を聞き流していたヒルダの方が早く、体をびくっとさせてヴルフへ顔を向けて口を開いた。
「わ、わたしは……う~ん。お任せかなぁ……。と言うか、いつも通り?」
「何となく答えたって感じか?何考えてたんじゃ。まぁいい、で。エゼルはどうじゃ」
どもりながらの答えに疲れているのかと錯覚を感じてしまったヴルフ。だが、血色も良く目的地に到着して気を抜いてしまったのだろうと別段気にする様子もなく、その隣のエゼルバルドへと答えを求めた。
「明日、太陽が昇ったら探索でしょ。それだったら、いつも通りでいいんじゃない?皆で移動しながらはいつもの事だし。それに……」
いつも通り。
小さな焚火を篝火にして交代で見張りを行う。
特別なことは何もせず、いつも通り。
改めて力を入れるなどせず。
いくつも地下遺跡を巡ってきても、争いに巻き込まれても、いつも通り、何も変えずに来たのだ。今さら変えてもどうにもならないのだと。
ただ、今回に限り、気になる事がずっと続いている……。
「視線の事もあるし……」
「だろうな」
付かず離れず、一定の距離を保って向けられている視線。
監視されているからこそいつも通り、平静を保ちたいと考えた。
だから、ヴルフを始めとして誰もが首を縦に振って頷きで肯定した。
「それではいつも通り、当番で見張りをしながら休むとしましょう。今日だけはあれが消えてしまったら、再び点けてくださいね」
スイールはいつも通りの順番で見張りをしながら野営を行うと告げる。
しかし、今日だけは洞窟の入り口にアイリーンが灯した魔法の光が消えてしまったら再点灯させる事を追加の仕事とした。
「明日は探索をしますから、ちゃんと休んでくださいね。くれぐれも月を見に起きないように」
それは誰の話なのかと、誰もがスイールに視線を向けるのであった。
スイール達が見張りを置いて体を休めている深夜。
そこからほど近い地下では眠りを必要としない物体が呟きを漏らしていた。
『明日か……。我の邪魔をするものは何人たりとも生かすわけにはいかぬのだ……』
※さて、目的地に到着。
そして、休息を十分にとって踏み込みます。
敵地、死地、虎穴、まぁ、何と呼んでも、不気味ではありますね。




