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第四十五話 大規模な戦闘、その終わりの先に

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 何もないむき出しの地面を踏みしめて進んでいたディスポラ帝国軍の重歩兵隊は突如現れた落とし穴に数百人を飲み込ませて、波の様に進んでいた動きを止めた。目の前には隠された堀、落とし穴が長大に掘られていたのだ。


 重歩兵隊は防御を重視して重い鎧を身に着けているので、この様な堀を進むには適さない兵科であるのは誰の目から見ても疑う余地は無い。

 橋を架けて前進するか、堀の無い場所を選んで前進するかの二つに一つの選択しかない。尤も、退却するとの選択もあるのだが……。


 橋を架けるには一度、その場で敵と対峙し続ける事になるだろう。

 ここまで周到に準備を続けていた敵がそれを見逃すはずがない、それこそ戦争の常識とも言える。


「後背から敵が現れました!!」


 カルロ将軍が数日前から予定していた敵の後背を突く伏兵一万がディスポラ帝国軍の重歩兵隊の最後尾に殺到した。


 前方にはトルニア、スフミ連合軍の右翼部隊と落とし穴が、後方からは少数とはいえ伏兵が現れた。この状況で恐怖に駆られて混乱しない方が可笑しい。

 ディスポラ帝国軍の方がこの場で戦う兵士の数は多い。兵士の半分以上、いやそれ以上を投入してバスハーケンへの血路を切り開こうとしていた。それが今は仇になったと言わざるを得ない。


 数万の兵士が恐怖で逃げ惑う。

 ある兵士は味方を押しつつ前方へ。

 ある兵士は脱兎のごとく逃げだそうと南へと。

 そして、ある兵士は襲い掛かってきた敵へと向かって。


 では、バスハーケンに一番近い、落とし穴のすぐ近くにいた兵士はどうなったのかと言えば、後ろから押し寄せる味方に押されて落とし穴に続々と落ち始め、しまいにはその落とし穴がディスポラ帝国軍の重歩兵隊で埋め尽くされることになった。


 それが功を制したのか、後方から押し寄せる兵士は味方を踏み落とし穴を越えて、トルニア、スフミ連合軍の右翼をも打ち破って、バスハーケンへと這う這うの体で逃げ込んだのであった。


 この時のディスポラ帝国軍の死者は、落とし穴に落ちて味方に殺された重歩兵隊が数千、それも五千を数えたという。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 ルカンヌ共和国からバスハーケンを目指してきたディスポラ帝国軍の重歩兵隊が大人しく戦力を削られているだけなのかと言えばそうはならない。

 バスハーケンの街へと目指す友軍を救うために街から援軍が出ることは当然だろう。


 トルニア、スフミ連合軍が守備しているバスハーケン包囲の南部側、すなわち、ディスポラ帝国の重歩兵が狙いを定めて進撃しようと進めているその先に、街から出撃した騎馬隊が街から打って出てきた。


 トルニア、スフミ連合軍はおおよそ三つに部隊を分けている。

 北側の門を、東側の門を、そして、戦闘に巻き込まれつつある南の門を包囲する部隊にである。

 三つの部隊の中で兵力の多い順で上げれば東側、北側、南側の順になるだろう。


 その兵力の多寡を決めていたのは、当然ながら背後から現れるディスポラ帝国軍の重歩兵部隊を考慮してである。

 シャールの街をディスポラ帝国軍が出発したのは諜報員からの情報ですでに知られている。そして、バスハーケンでシャールに一番近い入り口はと言えば東側である。

 そこを重歩兵がすぐに通り抜けられないようにと堀や土塁で行く手をふさいでしまえば次に近い入り口を目指すだろう。


 カルロ将軍はそうやって敵の心理状態を考えながら部隊編成をしていたのだ。

 兵士の精神状態、距離、歩む速度を考慮すれば、南の城門へと殺到することは容易に予想できることだった。


 本来、挟撃を敢行し有利に立とうとするディスポラ帝国軍の狙いは正しい。

 しかも、挟撃を敢行しなければ友軍が不利な状況に陥るために、バスハーケンから軍を出撃させなければならないのだ。


 合計で九万もの軍隊、そのうちの五万ほどが初手でバスハーケンへと向かっていたが、それが混乱の極みに陥った所をトルニア、スフミ連合軍が襲い掛かる。

 混乱の極みにあった軍隊がどうなったかは、多数の死者を出して這う這うの体でバスハーケンへ逃げ込んだとは知っての通りだ。


 それ以外がどうなったのかだが……。


 まず、バスハーケンから援護に出撃した騎馬隊、--これは一度出撃した一万五千である--、がトルニア、スフミの南側の軍に襲い掛かる。

 一万五千の騎馬隊が攻撃してくれば、当然ながら迎撃行動に出るしかない。ただし、迎撃の準備が整えられていたために決定的な打撃を与えることはできないでいた。それでも、数度にわたる波状攻撃を加えられ、これでは勝ち目がないと見たトルニア、スフミ連合軍は陣地を捨てて、東側を守る軍へと合流していった。


 その後、混乱していた味方の重歩兵隊を無事にバスハーケンへと収容することに成功する……のだが、ここまではトルニア、スフミ連合軍で指揮を執るカルロ将軍の計画通りに進んだ。ディスポラ帝国軍に敵わないと見ると、サッと引かせたのも予定通りだった。


 それよりも、バスハーケンに逃れられず残された四万余りのディスポラ帝国軍の方が実は酷い目に遭っていた。最終的には殆どの兵がバスハーケンへと逃げ込めたのだが……。







「後方に敵が現れたぞ。補給部隊を守れ!」


 バスハーケンをぐるりと包囲する敵の大軍から大切な補給物資を守ることは並大抵のことではないと、補給部隊とその護衛、合わせて四万もの兵がそこに集まっていた。

 その大切な補給物資を守るディスポラ帝国軍に対しトルニア、スフミ連合軍は三つの部隊合わせて二万五千を投入した。それでも四万の敵を打ち破れるかは時の運というほどに兵力差が大きい。


 だが、ディスポラ帝国軍は足の遅い重歩兵隊と共にこの地に現れたばかり。それに、護衛の兵士もその殆どが重歩兵隊が主力を構成している。極少数、騎馬隊や軽歩兵隊が占めているが、四万の数からしてみれば雀の涙ほどにしか見えない。

 特に、騎馬隊が少ないことが決定的だっただろう。


 ディスポラ帝国軍は西を向いて陣容を整えていた。

 当然、南の陣の左翼はバスハーケンへの血路を開くために配置した五万の重歩兵だ。

 そして、残った四万は、半数に分けて中央、右翼へと配置し、その後方には指揮官と補給部隊を置いていた。

 当然、左翼が厚く、右翼が薄い歪な陣形であることは誰の目から見ても確かであろう。


 それに対するトルニア、スフミ連合軍はディスポラ帝国軍九万に対して五万と明らかに少ない数で対抗しようとしていた。一見、劣勢に見えるが、重歩兵への対策として堀と土塁を築き上げて数の劣勢を補おうとしている。

 そのうち、二万がバスハーケンへの血路を開く五万の重歩兵へと向かわせていたのだから二倍以上の兵力に油断していたことは確かだろう。

 その結果は既に承知のとおりである。


 ディスポラ帝国の中央、右翼部隊へは残った三万が応戦する筈だった。残った四万で三万の軍勢を足止めしておけばいい、そんな気楽な戦いにである。

 だが、蓋を開けてみればどうだ、正面の土塁の奥から矢を山なりに、しかも散発的に仕掛けてくるだけで姿を現そうともしていない。堀と土塁に絶対的な自信を見せているのだろうと、誰もが思っていた。


 トルニア、スフミ連合軍は正面には五千の一万五千の兵士しか置いてなかった。

 バスハーケンの高い場所から見ていれば当然わかるのだが、それを連絡手段がこの時点ではなかった。

 二万五千の部隊を敵右翼、つまりは北から攻撃を敢行させたのだ。


 ディスポラ帝国軍の正面からは矢が散発的に降り注ぎ、右翼からは一点集中とばかりに車()かりに似た陣容で次々に兵力を繰り出され、薄い陣容から被害を増やしていった。


 それから決定的だったのは、カルロ将軍が数日前からどこかへ出陣させていた一万の軍勢と一騎打ちを終えて五千の兵士を率いていたヴルフ達の軍勢だろう。

 ディスポラ帝国の後方にどこかへ行っていた一万の軍勢が現れて混乱させる。そして、頃合いを見計らってヴルフ達が率いる五千の軍勢が北から補給物資のみに狙いを定めて攻撃させる。


 北方から包囲されるように攻撃され、しかも補給物資が奪われ始めると、疲れていた体にさらに疲労が蓄積し始め、ディスポラ帝国軍に動揺が広まり動きが鈍くなる。


 そうなると完全に負け戦であろう。

 車()かりで右翼では被害を出し、後方からも敵が現れ、終いには補給物資まで無くなった。後は逃げるだけしか手はなくなる。

 この時、ディスポラ帝国軍は幸いなことに五万の左翼部隊がすでにバスハーケンへと逃げ込んでいた。その為に逃げだす為の進路は既に開いていたのだ。


 かくして、補給物資を守っていた四万の軍勢は開いた進路を這う這うの体で逃げだしてバスハーケンへと逃げ込んだのである。


 残ったのはディスポラ帝国軍とトルニア、スフミ連合軍の死体だけであるが、当然ながら転がっている死体の半分以上、七割近くはディスポラ帝国軍兵士であった。

 トルニア、スフミ連合軍の戦死者が千から二千の間だったが、ディスポラ帝国軍の戦死者は八千近くに上ったのである。


 ディスポラ帝国軍はどうすれば良かったのかだが、本来は陣容を固めて挟撃の構えを見せるだけで良かった。そうすれば、自然とトルニア、スフミ連合軍は自滅してしまっただろう。

 尤もそれは、東からルカンヌ共和国軍が退却するディスポラ帝国軍を追撃してこない事が前提であるのだが。


 何にしろ、この戦いはディスポラ帝国軍に蔓延する帰郷の心理をうまく利用したカルロ将軍の作戦勝ち、この一言で片付けられてしまうだろう。




 ちなみに、トルニア、スフミ連合軍の正面、つまり、バスハーケンの東門に向いている軍勢がどうなったかと言えば……。


 後輩からルカンヌ共和国から撤退してきたディスポラ帝国軍が現れる前に攻撃を受けていたがミルカの活躍により追い返したとは承知の事だろう。

 その後、正面にヴルフに指名された二人、一人は一騎打ちで敵の元帥を追い返したミルカと対人戦ならと任せられるエゼルバルドを正面に据え置いたことで、ディスポラ帝国軍の攻撃を回避していた。


 すべてがカルロ将軍の手の平の上で転がされたのだが、ディスポラ帝国にはそれを知る手段はなかった。




    ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 攻めても被害を受けて崩せず、守るにも距離を置いて迂闊に手を出してこないトルニア、スフミ連合軍に対し沈黙と守り続けるディスポラ帝国軍。

 バスハーケンの堅城の門をしっかりと閉じて、まるで殻に閉じこもった貝のようになってる所へ悪い報告が飛び込んできた。


 トルニア、スフミ連合軍にルカンヌ共和国軍が合流してきたのである。

 わずか一万五千ほどであるが。

 それが、世界暦二三二八年十二月三十日、その年の最後の日だった。


 この地はトルニア王国やスフミ王国からは遥かに遠い場所にある。その二か国からすれば敵国の奥深くにまで進攻した、と言わざるを得ない場所だ。


 だが、ルカンヌ共和国からしてみたらどうだろうか。国境からバスハーケンまでは堅固な要害の街などほとんどなく、人口の少ない村が点在するのみ。国境近くのシャールが多少防壁を有しているだけだ。

 それだけ、ディスポラ帝国はこのバスハーケンを重要拠点として大規模な予算をかけ続けて堅牢な防御の城を築き上げていた。


 それであるがゆえにルカンヌ共和国の国境からわずか二百数十キロしか離れておらず、補給物資の輸送は容易に出来てしまう。


 こうなれば、ディスポラ帝国が勢いを取り戻すには難しく、帝都にでも戻ってはどうかと意見が交わされたが、たった一万五千が来ただけでさらに引くとは何事かと皇帝が怒鳴り散らしたという。


 その決断が、彼の命運を決めてしまう。

 とうとう、年が明けて世界暦二三二九年一月一日、ディスポラ帝国、皇帝ゴードン=フォルトナーの運命の日が来てしまったのである。




 その日は年が明けてめでたい日であるにもかかわらず、バスハーケンを押しつぶすような鈍い銀色の厚い雲が垂れ込めていた。

 世界的に見ても一月一日は晴れの特異日とされ、曇りと記録されているのは十年に一度くらいしかない。しかも、午後からは晴れてくる事が多い。




 だが、そんな日を待ち望んでいたのか、トルニア、スフミ連合軍が陣を置いてある川の東側とは反対の西側、バスハーケンから二キロほど離れた小高い丘の上に数人の人々が立っていた。

 それぞれ、武器を手にしているがその視線の先にはバスハーケンの堅城が見事にそびえ立っている。


 当初は別の場所を予定していたが、大勢の兵士に見られてしまう可能性があり最終的にはあまり人の少ないこの場所を選んだのである。


 その小高い丘の上の中央に陣取るのは一人の魔術師、スイールであった。

 彼の周りには十数人がぐるりと取り囲んで指示を待っていた。


「では、役割を伝えますので必ずそれを守ってください」

「大げさではないか?」


 ヴルフが”やれやれ”と呆れた表情を見せるが、スイールはそれを無視して指示を出し始めた。


「まず、ヴルフ、アイリーンはここから先の丘の下で兵士と共に襲い掛かってきた敵兵を倒してください。容赦はいりません、全てを通さぬつもりでお願いします」

「うむ、わかった」

「はいはーい!」


 二人には小高い丘を下った場所、約百メートルほど先で敵を待ち構えて欲しいと指示を出した。

 敵の姿は何処にも見えず、バスハーケンの堅城も動き始める様子は今は無い。ヴルフは杞憂ではないかと口に出そうとしたが、巫山戯た様子をこれっぽっちも見せないスイールにその言葉を飲み込んだ。


「魔術師たちも同じように兵士達と共に行ってください。各々は防御に徹するようにお願いします」


 当初の予定では借りた魔術師に別の意味で力を借りようとしていた。

 だが、今はそれをする必要がなくなったので、ヴルフ達と共に敵の迎撃にあたる様にと指示を出した。


「ミルカ殿は遊軍としてお願いしたい。ヴルフ達の後方に位置してすり抜ける敵がいたらこれを排除」

「ああ、承知した」


 ミルカと共にいるヴェラへと指示を出した。

 指示に不満が無いわけでもないが、それだけでファニーの仇がとれるものなら安い物だとミルカは頷くのであった。


「そして、最後にエゼルだ。君は私と共にここで」

「何をするかわからないけど、わかったよ」


 最後に義理の息子であるエゼルバルドに、共にこの場で事に当たると告げる。


「私の見立てでは敵を防ぐ時間は十分かそこらです。その時間を全力でお願いします」


 スイールはどれだけの時間守り切れれば良いかを提示し終わると、それぞれが守る場所へと向かうようにと号令をかけるのであった。


※大規模な戦闘が終わり、最後の時が訪れようとしています。


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