アンデザイアード・ネーム
「ふーん、あの『緋色の閃光』がねー」
執務室で高そうなチョコを食いながら、イリアがつぶやいた。彼女は高そうなリクライニングシートに座りながら、俺に紅茶を淹れさせていた。
「緋色の閃光?」
何それ。
「エリスの二つ名。本人もそこそこ気に入ってるっぽい。──あ、このチョコ美味しい」
「ふーん、そりゃカッコいい二つ名だな。──ほい、紅茶」
「あんがとー。あんたも十三騎士の席に座ればカッコいい二つ名もらえるよー」
そんなのは願い下げだ、とすぐに返した。だって、なんか恥ずかしいじゃん。それに俺はそんな持ち上げられるべき器の人間ではないしね。
「あ、そうだ。ほい、チョコ」
何を思ったのか、イリアは箱の中からチョコを取り出して、俺に投げてきた。見ればイタリアの高級ブランドチョコだった。一つ日本円で二千円くらいはするものだ。
そんな高級チョコが三十個入った箱がイリアの机の上に二、三箱置いてある。一体誰からカツアゲしたんだろうか。
「それ誰からカツアゲしたの?」
と言おうとした口を言う寸前で閉じた。そうだよね、イリアがカツアゲするわけ無いじゃん。こいつはちょっとアレな性格だけど、一応は執行委員長なわけだし。
自分にそう言い聞かせて、チョコを口の中に入れた。入れると、途端に口の中で溶け、濃厚な甘みが口内中に広がった。
マジでサイコー!
この上司サイコー!ちょっと紅茶淹れるくらいでこんな高級菓子食えるなんて、なんて幸運。これで性格さえ良ければこの上司に文句なんてないんだけどねー。
自分用に新しい紅茶を淹れ、来客用のソファーに座る。イリアが海外のブランド物だ、と自慢しているソファーだ。三人くらいが並んで座れるものが向かい側にもう一つある。
間に長机があるが、その上には水晶玉だったり、エッフェル塔の模型だったりが乗っかっている。それ以外にも部屋のあちこちにいろんなものが捨ててある。
ついでをいえば、執務室の隣にはイリアの私室を彼女が勝手に造っていて、部屋から入って左にその扉がある。しかも俺と統括委員会会長以外はそのことは知らない。
まさに秘密の部屋だ。普段は魔法で偽装や結界を何重にも張っているから、教師陣にもバレることはない。
「委員長、失礼します」
断って入ってきたのは、三年の先輩だ。先輩の手元には一枚の紙切れが握られていた。
先輩は俺を一瞥したが、すぐにイリアに向き直って、手にしていた紙切れをイリアに渡した。
「ふーん、そ」
渡された紙切れをひとしきり眺めて、イリアは先輩を返した。
再び、俺とイリアが残った。
「ねぇ、千乱。あんたちょっと今から泉のとこ行ってくんない?」
「は?なんで」
泉とはこの学園の統括委員会会長である暁泉のことだ。頭脳明晰、才色兼備、文武両道、果ては最高権力者。四拍子揃って魔神級のラスボスみたいな人だ。
さらにはこの学園の序列一位で、『翡翠の聖女』の二つ名を冠している。終いには魔導師の中でも超がつく美人だ。
すごく優しい人なんだけど、あんまり近しい人間にはなりたくないよね。なんか怖いし。
「泉んとこでちょっとした問題があって、あいつの手駒だった生徒がみんな使いもんにならなくなったんだって」
「へー」
俺の反応があまりに希薄だったのか、イリアはつまんなそうに唸った。
「あんま驚かないんだ」
「だって、会長が生徒を手駒として使っているのは、執行委員の連中の中じゃ周知の事実だからね。それが使い潰されましたって聞いても全然驚かないよ」
しかし、手駒の生徒だってそこそこ序列は高い連中だろう。あるいは特殊な魔法の行使が可能な人物だ。それがことごとく使い物にならない自体ってのは一体どういう状況なんだ。
予想できることはいくつかある。泉さんが何かヤバイことに顔を突っ込んで、身代わりとなって彼女の手駒が犠牲になった、とかだ。
あるいは何かを探らせていたとか。
「そんなわけで、おねがーい」
「はいはい」
イリアに背中を押されて、俺は泣く泣く泉さんのとこに行くことにした。
泉さんに関しては色々と悪い噂がある。例えば特殊な体質の少女を監禁しているとか、新月の夜に変な魔法実験をしているとかだ。
どれも事実無根な噂話だが、そういうのが出るくらいに泉さんは謎が多い人間だ。
日本における魔導師の大家である暁家の令嬢で、子どもの頃から一族でも抜きん出た才を持ち、若干八歳の時に地獄に下って第六層までの魔法行使権限を得たらしい。
それ以後も順調に魔法の行使権限を伸ばしていき、現在は第八層魔導師だ。学園卒業後は『リーグ・オブ・ファンタズム』の重職に就く、というのがもっぱら言われている。
まさにこの学園を、ひいては魔導師世界をリードしていくような存在だ。
そんな存在が俺に一体何の用なのだろう。
*
泉さんの執務室の扉を叩くと、中から流水のようになめらかな声で、どうぞ、という声がした。まごうことのなき泉さんの声だ。
扉を開くと、ペンを走らせる彼女がいた。