海峡の街へ
こんばんは、遊月です!
物凄く久々の更新となりました……!(> <;)
しずくに襲いかかってきた黒いもやのような獣。現れた【災厄】にどう立ち向かう……?
では、本編スタートです!
「――――――っ!?」
「しずく、危ない!」
咄嗟にパトが引き寄せてくれなかったら、私はそれに触れてしまっていただろう。そのまま、通り過ぎたそれから隠れるように、木陰に移される。後から、私たちを捜すような唸り声が低い聞こえてくる。
茂みに肌が擦れた痛みも忘れて、私はそれを見る。
森の中から現れたのは、少し小さめの動物のような『生き物』だった。動物に似ていたけど、私の知っている動物と明らかに違うところは。
全身が黒いもやみたいなもので覆われているところ。
その表面に一点、目のように光る赤い石が付いているところ。
そして、何より。
「……っ、しずく、下がる!」
今までずっと優しかったパトが、その雰囲気を一変させている。
端整なその顔に浮かんでいるのは、恐怖と、警戒と、怒り。
私を庇うように立っているその背中で、その顔はすぐに見えなくなってしまったけれど。その様子と、その姿の禍々しさでようやく私にも実感できた。
目の前にいるのが【災厄】なんだ、って。
村のみんなから家族を奪って、そしてこの世界に暮らす人たちを苦しめているモノ。
もやのような、だけどしっかりと実体を持っていそうなその体は、たぶん模している動物――今は少し大型の猟犬くらいの大きさに変わっている――と同じような速さで動けるに違いない。きっと私たちの、少なくともただの人間である私の足では逃げようと思っても逃げられないようなスピードで。
それに、集落でパトや長老のゲブリュルさんから聞いた話だと、たぶん触っただけで命に危険があるっていうことみたいだから、迂闊に近寄ることもできない。
どうにかして目を眩ませて、対策を考えた方がいいのかも……。
といっても、私が持っている物で使えそうなのはあまりない。
「ねぇパト、あの赤いのが【災厄】の目なのかな? あれをどうにかすればちょっとは離れられる? その間に……、ん?」
ふと、パトが私を信じられないような目で見ているのに気付いた。
何と声をかけていいかわからない、というよりは、わからないけれど何から訊けばいいかわからない……というのに近いような視線。
何かおかしいことを言った?
不安になってきて、「どうしたの?」と尋ねたとき返ってきたのは、意外な言葉だった。
「しずく、赤、どこにある?」
「え? あの【災厄】の顔の真ん中に……」
もやみたいな形をしているし、もしかしたら動いてしまったのかも? それか私の見間違い?
私はもう1度、【災厄】の様子を窺う。
パトが訝しげに尋ねてきた『赤』は、獰猛に吠えながらフラフラと歩き回る【災厄】の眉間の辺りに煌々と輝いている。最初は石のように見えていたけれど、よく見ると微妙にそれ自体が動いているようにも見えた。
その動きは、まるで鼓動のようで、気味が悪い。
あまり目を凝らして見ていたくなくて、目を背けるようにパトに視線を戻す。真正面から私を見る澄んだ視線がぶつかってきて、少し乱れた呼吸を整えながら。
「ほら、あの赤い光。まだ顔の真ん中辺りにあるじゃない。大きくなったり小さくなったりして動いてる」
「しずく。オレ、赤見えない。赤、あるか?」
パトの視線は間違いなく私の指差す【災厄】の顔を見ているのに、やっぱり見えないらしい。パトは、私よりもずっと視力がいい。それに、森の中は比較的明るく、パトからも【災厄】の顔は見えるはずなのに。
私に見えているものが、パトに見えないなんて……!?
あんなに鼓動みたいに蠢いているのに。あの目が私たちを見つけてしまう前に、何とか作戦を立てないといけない……っ!
――――鼓動?
「あっ」
そのとき思い出したのは。
『過去の記録によりますと、あなた方【天使】ならば、彼奴の生命活動にとって重要な核と呼ばれる部分を見ることができるとのことなのです』
村で聞いたゲブリュルさんの言葉だった。
もしかして、あそこが「核」……!?
あそこが「【天使】だけが見ることのできる場所」なのだとしたら。
「パト、――――」
一瞬呼びかけて、やめる。
たぶん、あの顔の真ん中に目のように光っている赤い部分が今いる【災厄】の急所――核だ。そこを叩けば、もしかしたら【災厄】を祓うことができるかも知れない。
だけど、私じゃきっと近寄れない。さっき飛びかかってきた速度を思うと、近付いた瞬間、逆に触れられてしまうかも知れない。パトは「病気になる」と言っていたけれど、それはかなりぼかしてくれた言い方。
きっと少し触れたら瀕死、長く触れていたら確実に命を奪われてしまうのだろう。そう思わせる……理解するしかないような恐ろしさがある。
それは、怖い。
死にたくなんかない。
私は、こんなわけもわからない状況から抜け出して、いつか元の世界に帰るんだから。
その為にも、ここで終わるなんてできない。
だけど。
間違いなく、パトの方が私より動きが速い。力もある。たぶん、あの「核」を狙うこともできると思う。
だけど、それでパトを危険に曝していいの……?
ふとよぎった思いに、言葉を遮られる。もし失敗したら、パトが危険なのに、そんな簡単に行かせられるわけがない。
つい口走りそうになったことを悔やむ私の耳に、澄んだ声が入ってくる。
「大丈夫、信じて」
その声に顔を上げると、パトは私の目をじっと覗きこんでいて。
その優しい瞳は、いま伝えてくれた言葉に真実味を加えていた。
「オレ、最初言った。オレ、天使様…………しずくのこと、守る。だから、ここで死なない」
同じだった。
この世界に来たばかりのときに聞いたのと同じ、何の根拠もない言葉。だけど、こんなにも力をくれる。
「しずくがしたいこと、オレ、する。しずくのこと、支える。だから、言って。オレ、どうする?」
「……いいの?」
当たり前だ、というように頷いてくれるその顔があるだけで、何でもできるような気さえしてきて。
「パト、あの【災厄】の顔の真ん中を狙って、」
「わかった」
一瞬、風が強く吹いたような気がした。
実際、そのとき風は吹いた。
あまりの勢いに舞った葉が空気の冷たさと相まって、肌が冷たい痛みを感じたのも一瞬。
舞う砂埃に反射的に瞑った目をまた開くと、目の前には平然と立っているパトと、ゆらめきながら薄らいで、そのまま消えていく【災厄】の姿があった。
「え、終わり……?」
「…………しずく」
あまりに呆気ないその終わりに、思わず立ち尽くしてしまう。そんな私に、パトは静かな声をかけてきた。
一瞬、そんな彼を怖いと――――
「すごい、すごい……! しずく、やっぱり【天使】! 【災厄】、初めて消えたっ、消えた……! これで村、安全。ありがとう、しずく!」
思いそうだったけれど、その笑顔に全部が洗い流されたような気になって。
それから、安心しきって脱力しきってしまった私をパトが背負ってくれて、森を抜けるまではあまり時間がかからなかった。
悪いからいい、と言ったけど、力の入らない私を心配して「早く、次の街!」と言うパトには逆らえなかった。
森を越えるその速さに、さっきまでパトはやっぱり私に合わせてくれてたんだな……とまた別の申し訳なさも芽生える中。
いきなり開けた視界。空気に土と水のにおいが加わったような感覚。聞こえてきた水音に、人の声。
「着いた。ここ、ブリュッケンブルクの街」
数kmはありそうな幅の大きな川――と思っていたけど、潮の香りとかがするから、どうやら海峡らしい。その上に跨がるように築かれた橋の上に栄える街。
私の着いた、2番目の街だった。