僕の糞ニートの幼馴染が、チーレム勇者になったとかほざきだしたんだが
※テンプレチーレム話を貶めるような発言がありますが、あくまでキャラの発言であり、そこに作者の個人的見解や批判は含まれておりません
※男性の方が本作品を見て気分を害されても、一切の責任を負えませんのでご注意ください
週に一度。僕は幼馴染の家を訪れる。
「あれ、もう一週間経ったのー?うわ、月日経つの早すぎて怖いー」
大学を卒業してから、就職もせずに引きこもり始めた、糞ニートの幼馴染の家を。
「相変わらず汚ぇなぁ…」
「え、部屋?俺、男のわりに結構綺麗にしている方だと思うよ」
「違う。糞ニート。お前の顔」
「ひどっ‼」
「髭も剃らずに髪も伸ばしっぱなしで…本当だらしない」
ちゃんとしてれば、まぁまぁ見られる面しているのに、という言葉は飲みこむ。
そんなことを言ったらこいつは調子が乗るだけだし、だいたい僕が何を言った所でこいつが変わらないのなんて分かり切っている。伊達に二十年来の幼馴染をしていない。
「…で、いつもの持ってきてくれたの?」
「……ほれ」
「わーい。一週間ぶりのアルコールだぁ。しかもチー鱈まであるー」
「僕が汗水垂らして働いて買った酒だ。心して飲むように」
「て、言うけど、優だって非正規じゃん」
「腐れニートに言われたくないわ!!ボケ」
買ってきた第三のビールで乾杯して、二人で缶を煽る。
仕事疲れの体で一週間ぶりに煽るアルコールは、大した度数でもないのにくらりとした酩酊感を僕に齎した。
「てかさー。いつも言うけど、優さぁ自分のこと僕って言うのやめたら?流石にその齢でいったいよ。その乱暴な言葉遣いも」
「うっせぇ。てか、お前の前でしか言わねぇし。会社では大人しいけどちゃんとした良い子で通ってんだよ」
チー鱈を歯で噛み千切りながら、ニートを睨み付ける。こいつは一々自分のことを棚に上げ過ぎだ。
「僕はお前と違って、ちゃんと社会に適合してんだよ。社会に適合出来ないまま、現実逃避小説書いて、いつか小説家になるなんてほざいているお前とは違うの」
「現実逃避小説って…これでも俺、ネットではちょっとした人気作家なんだよ?」
「だからって一銭の儲けにもなんねぇだろーが」
この腐れニートな幼馴染は、有り余り過ぎる時間を活用して最近ネットで小説を投稿し始めたらしい。
書いている内容は所謂「チーレム小説」と言われる、テンプレ物。社会不適合者が異世界トリップをして、特別な使命と能力を与えられ、女の子にモテモテでちやほやされるという男の欲望をダイレクトに文章にしたもの。
「楽して幸せになりたい」という、こいつの思想が透けて見えている。
「そんなこと言って、優だって小説書いてたじゃん。人のこと言えないし」
「僕のはあくまで趣味。お前みたいに小説家になりたいなんて大それたこと言わないの」
本当は「…今は」と言う言葉が語尻に着くのだけど。そんなこと絶対、こいつに言わない。
いくら頑張っても増えない閲覧数に、いくら綴っても誰にも届かない言葉の数々に、僕はいつの間にか胸のうちに抱いていた夢を諦めた。
夢なんて、結局は叶わなくて当然なんだ。世の中、そんなに甘くない。
「ネット小説で書籍化出来る奴なんてほんの一握りだし、運よく書籍化出来たとしても、一発当たっただけで生計を立てられるわけない…いい加減、現実見ろよ」
残った缶の中身を一気に飲み干しながら言った言葉は、僕自身に言い聞かした言葉でもあった。糞ニートは何も言わずに、笑ってチー鱈を齧っていた。
早く、早く。
お前も現実を知るといい。
現実を知って、現実と向き合って。
そうしたら、僕は……。
「……実はさぁ、俺。優が来るまでの6日間、異世界に行っていたんだよね」
「はぁ?」
久しぶりに髭を剃って髪型を整え、端正に見えなくもない顔を露わにした幼馴染が、ある日突然トチ狂ったことを言い出した。
「……とうとう頭が」
「おかしくなんかなってないよー。本当なんだって」
僕が買って来たポテトチップスを音を立てて齧りながら、腐れニートは現実には有りえない世迷いごとを話し続ける。
「6日前目が醒めたら王宮にいてさぁ、見たこともない綺麗な女の人から『ああ勇者様!!召喚に応じて来て下さったんですね!!』だなんて言われたんだよね」
「…お、おおう」
「そんでなんだかんだ言って、色んな美形の女の子達とパーティを組んで旅立つことなってー。俺勇者だから、すっげぇ魔法とか簡単に使えてさぁ。みんな俺をすっげぇ持て囃してくれて超楽しいの」
……仮にも小説を書いている身なんだから、もっとマシな説明は出来ないのだろうか。
てか、話している内容、まんまお前が書いている小説の筋書き通りじゃねぇーか。実体験のように話すなら、もうちょっと捻れっつーの。
「…で、冒険の途中だったんだけど、今日って優が来る日じゃん?いなかったら心配するだろーなぁって思って、特殊アイテム使ってこっち戻って来たんだ」
「……さいでっか。綺麗なお姉さん達に囲まれてリア充謳歌してても、僕のことを忘れないでくれて嬉しいヨ」
「……でもさ。そのアイテム一回しか使えないから、次はもう戻れるか分からない」
急に低くなった声にどきりとして、齧りかけのポテチが手から零れ落ちた。
幼馴染は酷く真剣な顔で、僕の方を見つめていた。
「……やっぱりさ。この一週間でつくづく理解した。俺さぁ、優がいないとダメなんだよ。たくさんの女の子達に囲まれてチヤホヤされても、優の罵倒がないと物足りないし、淋しいと思った。だって物心ついた頃から、ずっと一緒にいたんだもんな。俺が引き籠っても、見捨てず定期的に会いに来てくれるのは、優だけだもん。両親ですら、俺が6日間不在でも何も言ってこないし」
「別に…僕は底辺なお前の姿を見て、僕より下の存在がいるって安心しているだけだし」
「それでも、俺は優がいてくれていつも救われてたんだ」
まるで、告白のような言葉に、自然に胸が高鳴った。
もし、こいつが変な妄想を垂れ流さずに同じ言葉を言ってくれていたなら、きっと僕はもう完全に落ちていたことだろう。
「ねぇ優。…俺と一緒に異世界に行かない?俺が優のこと何があっても守るし、幸せにするから」
こいつがこんな中二病的妄想の中ではなく、きちんと現実を見据えながら言ってくれさえ、したのならば。
「……それで、僕をお前のチーレムの一員に引き込むの?きっついわ~。その状況」
発した言葉は、震えていなかっただろうか。
ちゃんとこいつの冗談に乗ったように、茶化すように返せただろうか。
僕は缶チューハイを一気に煽って、引きつった笑いを浮かべる。
「大体こんな安全で便利な日本を出て、異世界に行くとか意味分からんし。僕はそういうのはパソコンの中だけでじゅーぶん」
幼馴染は「そう…じゃあ、さよならだね」とか、未だにふざけた妄想を垂れ流しながら、チューハイを煽った。
「缶のアルコールもこれで飲み収めだなぁ」とかほざくので、頭を殴っておいた。
――そして一週間後。幼馴染は、忽然と姿を消した。
「本当。どこに行っちゃったのかしらね…」
チャイムと共に家から出てきた幼馴染の母親は、どこか安心したような表情で首を傾げた。
僕が訪れたあの日の夜に、まるで煙のように部屋からいなくなってしまったらしい。
「まあ優ちゃんも、うちの馬鹿息子のことなんて忘れて仕事に専念なさいな」
息子がいなくなったのだとは思えない程の淡泊さでそう口にした彼女に、僕は首を横に振るだけで精いっぱいだった。
そのまま酒とつまみが入った袋を抱えて家に駆けて帰ると、居間にいるお母さんが驚いたように目を丸くした。
「あれ。俊治くんの所行ったんじゃなかったの?」
「…なんか…いなくなっちゃったって、おばさんが…」
「あら、まぁ!それは心配だわねぇ」
そう口にしながらも、お母さんの顔はどこか嬉しそうだった。
「まぁ、でも優。あんたにとっては良かったのかもね。俊治くん、イケメンでいい子だけど、大学卒業してからずっとニートでしょ?いくらあんたが俊治くんを好きでも、結婚なんてとても考えられないもの。幼馴染離れするいい機会じゃない」
「っちが…『私』は俊治のこと、そんな風に思ってなんか…‼」
「ふうん…なら、いいんだけど」
「私…私、部屋に行くね…」
階段を登って自分の部屋に入るなり、手に持っていた袋が手から落ちた。
中に入っていた缶が派手に転がり落ち、中の炭酸が駄目になったのが分かったが、そんなこと気にしている余裕なんかない。
そのままベッドに倒れ込んで、突っ伏す。いい加減限界だった。
「…馬鹿俊治…」
幼馴染一人が消えても、世界は変わらない。
その肉親ですら、憑き物が取れたかのように清々した表情をしているくらいだ。
彼がいなくなっても、何も変わらない。
「糞ニート…お前がいなくなったら、僕は誰を見下せばいいんだよ…誰の前で、僕は自分を『僕』なんて痛い呼称で呼べばいいんだよ…!!」
そう。「僕」の世界、以外は。
幼馴染が引きこもりを始めた時、多分僕は安堵したんだと思う。
ずっと好きだった彼を、他の誰かに取られないで済むことを。
僕は…私は
とおの昔に成人したはずなのに、中二病から抜け出せずに自分のことを「僕」と呼ぶような、痛い女で。
その癖、成長するにしたがって周りの目を気にして段々その痛さを表に出すことも出来ないようになって。張り付けた「良識」で、必死に素の自分を押し隠して生きていて。
ちゃんと全うな人間になろうとしながらも、それでも正規の仕事もつくことが出来ず、職場の同僚ともまともにコミュニケーションも取れない、友人もまともに出来ない、恋人もいたこともない、そんな駄目な女で。
強すぎる劣等感に押しつぶされそうなままにいつも生きてきた私に、構ってくれるのは、優しくしてくれるのは、いつも幼馴染だけだった。
そんな彼に恋をするのは必然だったのだと思う。
だけど優しくされればされる程、自分と彼の境遇の差を感じて、余計に惨めになった。それなりに顔立ちが整っていて、コミュニケーション能力も高い彼は、私にとって、近くにいても遠い存在だった。
そんな彼がニートになって、私はようやく彼と対等になれた気がした。
彼の周りにいる人たちが、落ちぶれた彼から離れていくのが嬉しかった。
無職で蔑まれている彼の前だったら、私は取り繕わないありのままの「僕」でいられた。隠していた趣味も、他の人にはとても言えない無遠慮で乱暴な言葉も、全部口にすることが出来た。
だって、彼には私以外、いなかったから。私だけが、直接彼と触れ合える、唯一の人間だった。彼は素の私にちょっとだけ驚いて、だけど中二病真っ盛りの過去を知っているだけに、すぐに、「懐かしいね。学生時代に戻ったみたいだ」と笑った。
素のままの自分の姿で、週に一度、二人きりで安いお酒を酌み交わす。ただ、それだけで、幸せだった。
幸せだった、のに。
(ああ、それなのに)
(それなのにどうして、望んでしまったのだろう)
(現実を見ていない彼だからこそ、手に入ったのに。現実を見れない腐れニートの彼だからこそ、私は対等の立場でいられたのに)
「…馬鹿だよね。私」
目から、生暖かいものが零れ落ちる。
「いつかさ…いつか俊治に現実を見て欲しいって…現実を見たうえで私を好きになって欲しいだなんて、思うなんてさ」
贅沢になった私は、いつかニートから立ち直った彼と結婚して、貧しくても幸福な家庭を築くことを願ってしまった。
そんな夢みたいな話、ある筈がないのに。
そんな夢が叶う程、私は大層な女じゃないのに。
ああ。神様。教えて下さい。
私がそんな贅沢な望みをしたから、彼は私の前からいなくなってしまったのですか?
私の想いを彼は知っていて、それが重くて彼は私の手に届かない所へ逃げてしまったのですか?
私を置いて、行ってしまったのですか?
こんなことなら、願わなければ良かった。
あるものだけで満足していれば良かった。
彼が隣にいるだけで、ただそれで、十二分に幸福だったのに。
「あの時一緒に行くっていったら…連れてってくれたのかな」
異世界だって、どこへだって一緒に行くって、そう口にすることが出来たのなら。
現実を見ていない俊治だって構わないと。ただ隣にいられれば、それだけでいいとそう言えたのなら。
その日私は一晩中泣いた。
それからは、私はまるで機械のように生きてきた。
ただ食べて、働いて、眠る。生きる為にただルーティンワークを繰り返す、それだけの日々。
一か月経っても俊治は帰って来ない。俊治がいない毎日は、ひたすら無機質で味気なかった。
夜眠ると、毎晩俊治の夢を見た。
俊治はRPGの勇者のような恰好をして、ネコ耳が生えた女の子やら耳が尖ったエルフの女性やらに囲まれていた。どうせ夢を見るならば、二人きりで一緒にいるところにしてくれればいいのに。私は自分のふがいがない脳みそを恨んだ。
俊治の顔が脂下がっておらず、いつもどこか淋しげなのがせめても救いだった。
『…う…優……』
俊治が恋しいあまりに、最近は幻聴まで聞こえるようになってきた。
『俺は帰…ない…けど…優が、来…だけ、な…』
幻聴はノイズ交じりで、囁くような静かな声だったが、それでも懐かしい俊治の声で。
幻聴だと分かっていてもずっと聞いていたいと思うのに、いつもすぐに途切れてしまう。
「……ついには、幻覚まで見え出したか」
不眠気味で充血した目で、私は目の前の宙に浮いたそれを眺めた。
それは、手首から先しか見えない、白い手だった。
手は、私を招くように左右に揺れている。
中指の付け根にある、黒いほくろに見覚えがあった。
「俊治……」
もしかしてこれは、幻覚ではなくて、心霊の一種なのかもしれない。現実に耐えきれずに、ひっそり一人で死んでしまった俊治が、私をあの世に迎えに来たのかもしれない。
だけど、そうだとしても、それがなんだというんだ。
「俊治がいない世界なんて…生きている意味ないよ」
幽霊だとしても、構わない。連れて逝かれても、いい。
そんなことよりも、今はただ俊治に触れたい。
わたしは躊躇いなく、宙に浮いた手に向かって手を伸ばした。
「……っ」
そして次の瞬間、手を強く引かれる感覚と共に、眩い光が私を包んだ。
そして私は、「私と僕が生きていた世界」から、永遠に姿を消した。