(1) ロケーション!?
月曜日の気だるげな朝の光が駅のホームを照らしている。
藤森がいつものように追分駅で降り、青色が印象的な夏の制服を着た友達の女子生徒といっしょに自動改札を抜ける。同じ制服を着た女の子たちが対向して入線してきた男鹿線普通列車のドアをボタンで開け、青色の真新しい3ドアの車両からぞろぞろと降りてきてたちまち小さな駅舎の中を埋め尽くした。
その集団に混じって藤森達が駅前を歩いて行くと、友達が小さな商店でパンと飲み物を買うというので自動販売機の前で待っていた。
藤森のすぐ後ろのガラス引き戸が少し開いていて、その中には茶色いキジトラの子猫がグレーの色違いな母猫にしっぽを立ててついて歩いていた。
母猫が外の空気を吸いに外に出ると子猫も同じようについてきた。
何でも母親の真似をしたがる年頃なのか、子猫は母親と同じように体を伸ばすと周りを見渡した。子猫の視界に白いスクールソックスと黒いローファーが見えた。これを着けている人間はきゃーきゃー言いながらいつも頭を撫でてくれることを子猫は思いだし、いつもしているようにその白いソックスに頭をすりすりしてみた。
期待を込めた目で子猫は視線を上にあげる。だが、予想に反して反応が無かったからか、子猫は少し首を傾げて、それでももう少し待ってみようと思ったようだ。
ガラス戸が開く音がして、中から藤森の友達がパンやドリンクが入った白い袋をぶら下げて出てきた。子猫に気が付いたその友達が屈み込んできゃーきゃー言いながら子猫を頭を撫でた。子猫は目を細めて、もっと撫でろというように脚に体をすりよせた。
「かわいいー! 子猫いたんだねー! りさちぃは……ん?」
しゃがみこんで猫を撫でていた友達が藤森を見上げた。母猫も足元に寄ってきて同じようにした。
「え? どうしたの?」
「ナンデモナイデスヨ。コネコカワイイデスネ」
友達は子猫を膝に抱きかかえたまま藤森の顔を覗き込んだ。そして、1人と2匹がその顔をみて目を丸くした。
――そこには、形容不可能な表情を浮かべる藤森が突っ立てっていたのだった。
SVがアウローラのオフィスで広報部とエンターテイメント部の社員と応接エリアで顔を突き合わせていた。朝からこの日は気温が高くて最新式のビル空調システムがフル稼働してもSVの顔に薄く浮かんだ汗が引くことはなかった。
社員たちが打ち合わせしていたのはCS衛星放送事業者のスペースTV!で放送している、アニメ専門チャンネル「アニメックス」のINOUEグループのアニメ情報番組の事だった。「アニゲマステーション!」というタイトルの30分の情報番組で、今回制作会社から制作協力の依頼があったのだ。
スタジオの作画部門が制作に協力し、INOUEグループが展開しているオンラインゲーム「アイドルガールズ(仮):通称アイルズ」に関連するもので、3周年記念ライブで使う銀細工のブローチが秋田で作られたことからそれを現地取材するという。
この取材のロケーションに同行するリポーター役として、エンターテイメント部は最初から川尻みそのを提案していた。INOUEのデジタルコンテンツグループの担当者から積極的な起用提案があったことが理由だった。
だが、実際に秋田の関係個所を事前取材した制作会社からは「もう1名出せないか」と打診されていたのだった。猫実部長が「じゃあ、もう1名はアウローラの女の子を出してはどうかな?」と広報部と制作会社に提案し、それがこのミーティングが開かれた理由だった。
暑さ対策でノーネクタイ姿でミーティングに出席した広報とエンターテイメント部の社員にSVが提案した。
「スケジュール的にも問題ありませんし、こちらからは藤森さんにしたいと思いますが、いかがでしょうか?」
SVがテーブルの上に差し出したファイルを開いて見せた。そこにはちんちくりんな女の子の顔写真が貼られた宣材用のプロフィールがあり、対面に座る社員が二人同時にそれに顔を向けた。特に異論がでるわけでもなく、SV達はスケジュール帳にいくつか書き込むと次の議題に移っていった。
ミーティングが終わったあと、自分のデスクで作業するSVに紙コップ入りのコーヒーを渡しながら城野が少し不安そうな顔を見せた。
「藤森で大丈夫ですか? いずみか田澤に任せた方がいいんじゃないですか?」
「大丈夫よ。あの子はリポーター向きだと思うわ」
「そうですかねぇ」
城野は異議は挟まないものの、あまり積極的な同意はしなかった。ユニットの活動方針はSVが決める事で余計なことをいうつもりはないのだが、藤森の引っ込み思案な性格を気にしていたようだった。もちろんSVもそのことは理解して判断しているのだが、もう少し説明が必要かなと思った。
「確かに、人見知りなところもあるけど、人の気持ちをすぐに理解できるところとか、結構重要な素質だと思うわよ。自然にそう振る舞えるのは藤森の才能だと思うな」
「なるほど…… ちゃんと見てるんですねぇ。見直しました」
「そうよ、意外とちゃんと仕事してるのよ。 もっと褒めてもいいのよ?」
「……さて、そろそろ制作会社の人が来る頃ですよ」
城野が褒めてくれないので少し不服そうな顔をしたSVは、机の上のバインダーとタブレットPCを取り上げると城野を連れ立ってエンターテイメント棟へ向かってオフィスを後にした。
高校生組より早く出社した広森が、トレーニングに藤森が参加しないことを聞かされたのは自主トレのためにトレーニングウェアに着替えてエンターテイメントオフィスにトレーナーさんを呼びに行った時だった。
SVがエンターテイメントオフィスで打ち合わせをしていて、広森がSVと城野に声をかけたのがちょうどその時で、そう聞かされた広森は欠席の理由がロケーションだと聞いて少し不安そうな、複雑な表情を浮かべていた。SVは広森の少しぎこちない微笑みを見て、気になったのか「何か心配?」と尋ねた。
広森は少し言葉を選んだのか、やや間を開けて答えた。
「りさ…藤森さん、少し人見知りなところがあるのでちょっと心配になっただけです。でも藤森さん、ステージの上ではすごく明るく楽しそうですし、少し心配し過ぎなのかなって、そう思ったものですから」
「どうする? フェアリーリングとして同行するならスケジュールを調整するけど」
「いえ、それは差し出がましい気が……。過保護すぎる気がしますし、なにより、藤森さんはちゃんと役割を果たすと思います。そばで見てきましたから、私にはわかります」
それに、安浦浜さんとトレーニングしておきたいこともありますので、ときっぱりと断った。自分の判断について自信があることが広森の表情から読み取れる。
その顔を見て、SVは軽く2回ほど頷いた。
「よく考えてくれているのね、二人のこと」
そういわれた広森は、YESともNOとも受け取れない戸惑うような微笑みを返してきた。それが照れなのか、それ以外の感情なのかまではSVには読み取れなかった。
トレーナーが呼びかけたので、広森が軽く頭をさげて一緒にオフィスから出ていくのを見送ると、入れ替わりに制服姿のみそのが入ってきた。
みそのはステージではまとめている長い髪を降ろしていて、新屋にある美大付属の高校の制服を着ていた。おはようございま~す、という挨拶のあとにSVを見つけて声をかけてきた。
「りさちゃんからメールきてたけど……」
「え? いつのまにメアド交換してたの?」
「この前のステージのMCやった時にね……ほら」
右手のきれいな指でつかんだスマホをSVに見せた。
藤森からのメールが表示されていていたが……
【卿はよろしくお願いします失敗したら御免なさい私テレビとか磁針無くて迷惑欠けたら本当にごめんなさい】
という漢字変換が無茶苦茶な文面で、普段の藤森ではありえない事だった。
みそのは左手の人差指で頬を撫でながら、目をそらしつつ
「なんか、パニクってる気がするんだけど……ホントにいいの?」
と、SVに遠慮がちに答えた。遠回しに再考を求めているようだった。
SVの隣に立っていた城野も「どうなんです?」といいたげな視線を送ってきた。SVは少し頭をかきながらみそのに尋ねた。
「みそのはどうなの? パーク外での活動初めてでしょ?」
「やることは別にパークの中の撮影とかと同じだし大丈夫だよ。私は別にりさちゃんのフォローするのは全然OKなんだけど、変にトラウマ作ったりしたらかわいそうじゃん?」
SVは腰に手を当てて、わざと自信ありげに答えた。
「大丈夫! 藤森はやればできる子だし、ステージではあんなに輝いてるじゃない? 私も同行するんだし大丈夫よ」
「ふーん……まあ、そこまでいうなら」
みそのはあまり大丈夫とは思わなかったようだが、SVの自信ありげな顔を見て妥協したようで、タイムレコーダにIDカードをかざすと衣装を受け取りにイシューカウンターに向かって行った。
もっとも城野はSVの自信が演技だと気が付いているようで、アウローラのオフィスに向かう廊下でバインダー片手に声をその点を率直に尋ねた。
「本当は何を考えてるんです? なにか目的があって藤森にしたんでしょ?」
「……やっぱり気が付いた?」
「当たり前ですよ。私、役職はともかくマネージャーとしては先輩なんですからね」
「そうよねぇ……藤森の人見知りとか、引っ込み思案とか、あがり症とか心配な点は多少はあるわよ。多少ね」
「いや、多少の数が多い気がしますけど……」
「まあまあ……でもね、だからこそ、藤森にはユニット最初のロケーションに出演してもらいたかったのよ。そうすれば、この分野では藤森が誰よりもユニットの中で"先輩"になれるでしょ?」
「ショック療法ですか? うーん……藤森、ようやくゲスト対応もよくなってきたところなんで、そこをつぶしたくないからちょっと心配でして」
「もちろんそれだけじゃないわよ。いったでしょ? 藤森はロケーション向きだって」
二人が進行方向に顔を向けると、ちょうど高校生組が出社してきたところで、その中にぎこちなく歩く藤森の姿を見つけた。二人に気が付くと藤森は顔を向けて挨拶してきたがその表情は文章では形容できないような、なんとも気まずそうな顔をしていた。
城野が右手で手を上げて返事したあと、そのまま右手を顎の先に当て「ふむ…」と少し考えてからSVに視線を送った。
「……まあ、なにかあったら呼んでください。なんとかしますから」
「ありがとうね。助かるわ」
みそのと藤森の衣装は会社が用意したものでスチームストリートのタウン・テキスタイルで買える商品を社内のテキスタイル・マネージャーに選んでもらったものだった。
みそのはデニムシャツに白のTシャツ、ショートパンツという組み合わせでやや大人っぽいイメージで、一方たいした年齢差がないはずの藤森はイエロー系のカーディガンにワンピースといかにもガーリーなコーディネートで、ピンク系のスニーカーの影響もあってか実際以上に子供っぽく見える。
アウローラのユニットオフィスでその姿を披露した藤森にみそのは「かわいいよ、似合ってる」と褒めていた。広森が朝礼のために戻ってきてその姿を見かけて、藤森が「ど、どうですか?」とおずおずと感想を求めた。
広森はいつものやさしい笑顔を向けて、藤森の頭をなでながら答えた。
「りさちゃん、とっても似合ってるわよ。すごくかわいいよ」
「ほ、ホントですか? こ、こどもっぽいような気がして」
「りさちゃんのかわいい感じにあってると思うよ。きっとテレビを見てくれる人もかわいいって思うよ、きっと。くひ……」
最後の煩悩が混ざる濁った笑みまでは誤魔化しきれないようだったが、広森はいつも以上にやさしい表情を浮かべていた。
広森がみそのと一緒になって褒めてくれたことがうれしいのか、藤森は少し顔を赤くしていた。一方、フェアリーリングのメンバーとしてはいろいろ心配なのか、舞が藤森の手を取って励ましていた。
「何かあったら絶対助けに行くからねっ! だから、頑張ってきてね!」
「は、はい! が、がんばります!」




