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(5) 舞の提案

 アドベンチャーラグーンの駅前広場にある噴水を見ていた小さな女の子が、パークで買ってもらった赤い雨合羽のフードを外して空を見上げた。そして、母親に空を指差した。かすかなオレンジ色を含む青空には大きな虹がかかっていた。秋田でもこの季節、雨が弱まり霧雨のようになると夕方近くに虹が見えることがある。太陽を背にした時、地上から仰角40度前後の東側の空に虹が見える。市内は平野なのでこの条件は比較的簡単に合致することが多い。だからそれほど珍しい現象というわけではないが、パークのオンステージから見える虹は、小さな女の子を喜ばせるには十分な魅力があった。




 楽屋で準備を終えた舞たちはステージ脇から客席を見ていた。ゲストから見えないように衝立と植栽が置いてありここからでは客席全体は見えない。だが見える範囲内でもゲストの数が少ないことがわかる。客席のベンチは濡れていて、床には水たまりもあった。レインコートを着ているゲストは気にせず座っていたが、傘しか持たないゲストは遠巻きに客席を眺めていた。広森が隣にいる舞に声をかけた。


 「せっかくゲストが来てくれるんだから、それだけでも感謝しないと」

 「そうだよね。ゲストにはせめて気持ちよくステージをみてもらって、それで、パークのファンになってもらって……」

 

 藤森が舞の顔を見上げた。


 「でも、どうしたら気持ちよく見てもらえるんでしょう?」

 「えっと、それは……ステージ、ちゃんと頑張って……」


 ストレートな質問を受けて視線を上に向けて困っている舞に、広森も視線を合わせて空を見上げた。







 「頑張るのはもちろん。それだけじゃなくて、なんか、こう……」

 「居心地をよくする、とかですか?」


 藤森の「居心地をよくする」という回答例に、舞は少し考えるところがあったようだった。とはいえ、ではどうするのか、というと答えがすぐには見つからない。


 「居心地かぁ……」


 視線を客席に戻して様子を見ていると、レインギアを着たクリンナップ・アーティストが3人ほど客席にやってきて地面の水をモップで拭き始めた。



 赤いレインコートを着た女の子を連れた母親が、その様子を見てステージ近い方の客席のベンチに座ろうとした。座れると思っていたようだったが、母親はレインコートを着ていなかったので座面が濡れていて困っているようだった。父親が持っていたスポーツ新聞で拭こうとして母親がそれを止めた。


 そこに、スーツ姿のSVがやってきて、白いタオルと小さなスクイージーを手にしてゲストに声をかけていた。舞がその姿をじっとみていると、SVは女の子に声をかけながら座面をスクイージーでなでて水を地面に落とし、次に白いタオルで拭きあげた。興味深そうに見ていた女の子にSVが声をかけると、女の子は嬉しそうにベンチに座った。母親と父親がSVにお礼を言っているようでSVは笑顔でなにか言葉をかけていた。


 一連のSVの作業をみて、舞はずいぶんと感心していた。


 「SVさん、ゲストの座るところ拭いてあげてるんだ……」


 SVのいるベンチの前列にもクリンナップ・アーティストの若い男女が現れ、SVといっしょになって拭きだす。拭き上げたベンチにはゲストが集まって座りだした。舞が、小さくつぶやいた。


 「そうだ、これだよね」


 広森が舞の言葉に気が付いて、耳を傾けた。

 藤森と広森に、舞は顔を近づけて思いついたことを教えた。

 そのあと、3人で話が続いて、広森が最終的に結論を出した。


 「なるほどね。SVに相談してみたらどうかな?」


 舞は明るい表情で広森にうなづいて見せた。

 雨水の残水の処理が進み午前中ほどではないものの、夕方からの割引パスポートの影響もあって客席はだんだん埋まり始めた。予定時刻から20分ディレイ(遅れ)でステージは始まった。


 雨合羽の女の子が、エントランスにあるカウンターでスタンプラリーの景品であるポストカードを受け取って喜んでいた頃、ステージを終えた舞が楽屋前の廊下でSVに声をかけていた。SVは舞の話を聞いて何度かうなずいた。舞は嬉しそうに頭を下げた。SVが舞の話を否定せずに聞いてくれたことが単純にうれしかったようだ。



          **



 18時ごろにSVがオフィスに戻ると、城野がみんなが体を動かしたいというので自主トレに付き合っていると久保田から聞かされた。エンターテイメント棟のトレーニングルームに移動すると、みんなトレーニングウェアに着替えてダンスの基礎動作のトレーニングを受けていた。


 練習がいったん止まったタイミングでガラスのドアをノックして中に入った。

 みんなが汗を拭いたりドリンクを口にしているので、SVはそのままでいいから聞いてね、と前置きしてから口を開いた。


 「安浦浜さんの提案で明日、ステージ周辺のクリーンナップのお手伝いを行います。参加は強制ではありませんが、パークのオペレーションを理解するいい機会です。参加を希望される方は帰りまでに教えてください」


 業務連絡なので口調は敬語だった。こういう使い分けはアーニメントの社内文化だった。汗を拭いていたいずみが手を止めてSVに尋ねた。


 「時給はでるんですか?」

 「もちろん」


 こまちのストレッチに付き合っていた田澤が、こまちが「んー……」と唸るのを無視して確認した。


 「出勤は何時になるんですか?」

 「6時半ね」


 いずみは、げー、という表情を浮かべた。


 「なんで、そんなに早いの?」

 「コスチュームをイシューしてもらう必要があるのよ。メンテナンス・コスチュームじゃないとね。コスチューミングにはもう要請してあるから」


 舞があわてて声をあげた。


 「あ、あの! 絶対参加とかじゃないですから!……朝早くて無理なら、その、無理してこなくても大丈夫だから」


 SVがうなずいて、舞の頭に手を置いた。


 「まあ、そういうことだから。朝早いの苦手なら無理しなくてもいいわよ。勤務は普通にその後もあるし」


 みんなが「はーい」と返事して、SVはトレーニングルームを後にした。珍しく私物のトレーニングウェアを着ている城野が手を叩いて注目させた。

 

 「それじゃあ、アイソレーションをもう一回やって、そのあとリズムね」




 リズムダンスの自主練を終えたアウローラのメンバーたちは、シャワーを浴びに行ったり、コスチューミングカウンターにトレーニングウェアを交換しに行ったりしていた。


 本社D館のブレイクエリアで先に休憩していたのは舞といずみだった。いずみが自販機でリフレッシュドリンクを購入しているのを見かけて、舞も自販機にIDカードをかざしてドリンクを買いながらいずみに話かけた。舞は自分の提案が、いずみにどう受け取られているのか心配だった。なんというかわがままとか目立ちたがりとか、そんな類の話と思われたんじゃないかと思ったからだった。


 いずみがリフドレを一口飲むのを見届けてから思い切って聞いてみた。


 「いずみん、明日はどうする?」

 「んー、義務じゃないしなー」

 「だよね……」


 いずみは紙コップを手で揺らしながら少し考えて、視線を少し舞に向けた。


 「それにしても、思い切ったこと提案したね」


 逆に質問された舞は、ふぇ!? と声を上げた。

 少し驚いた舞は自販機から取り出したばかりの紙コップを両手で持ち、考えをまとめるようにゆっくりと話し出した。


 「うん……私、ダンスも得意じゃないし、歌だってそんな上手じゃないし……でも、ゲストはこんな私でも拍手してくれるし、雨が降って濡れてるのに見に来てくれるし……」


 いずみは何も言わずジャージのポケットに左手をいれて、中身が半分残った紙コップを右手でくるくると軽くまわしながら話を聞いていた。視線は舞の方に向けていた。別に話を聞いていないのというわけでなく、舞には何か考えているように見えた。


 「でね、SVさんとかクリンナップの人とかが雨を拭いてるの見て、思ったんだ。ゲストのために、私にも何かできないかなって」


 残りを飲み干して紙コップをいずみはゴミ箱へとぽいっと投げ入れた。

 いずみの美しい眉が少し感心したように笑っていた。


 「なるほどねぇ」

 「……あ、だからね、私が思っただけだから、無理に参加することないんだよ?」

 「そうだなぁ、ただ掃除するだけなら気分が乗らないなぁ」 

 「そうだよねぇ」


 舞は断られたと思って残念そうに笑って見せた。だが、いずみはいたずらを思いつた子供のような表情を浮かべ舞の前まで歩いてきた。


 「だからさ……」


 舞が「へ?」と小さく声を上げると、目の前のいたずらっ子は互いの右手を重ねた。そして、困惑する舞の手を引いてオフィスの方に歩き出した。


 「えっと、いずみん?」


 予想外のことに戸惑っている舞に、いずみは振り向いて不敵な笑みを浮かべて見せ、

 

 「ふふふん♪」


 とだけ答え、舞を曳航して廊下をずんずんオフィスに向かって歩いて行った。



 みんなが退勤した後、SVはオフィスに居残り今後のイベントのために残業していた。城野も久保田も先に帰るように言っておいたので、SVは眠気覚ましも兼ねてオフィスのテレビをつけておいた。静かなオフィスにバラエティ番組の笑い声が響いていた。作業の手をいったん休めて目頭をもんでいると、TVから天気予報が流れてきた。

 明日の秋田中央沿岸と沿岸南部は未明から午前6時ごろにかけて一時的に強い雨が降る恐れがあり、内陸南部には大雨注意報がでているとのことだった。

 オフィスの外を見ると、風に流された雨粒がパラパラと時折窓ガラスを叩いていた。

 





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