アリス・ハーゲンティ
名を得た私は、沢山の料理と、優しい人達に囲まれてその日は眠りについた。
料理をどれだけ食べたかは正直覚えていなかったが、とりあえず腹八分目まで膨らんだのは間違いない。お腹がぽっこりとしているのを近所のおばあちゃんが優しくなでてくれてたし。
まあ、ともかく、私は眠って夢をみた。
それは夢と言っていいのかよく分からない夢だった。
そこは果てのない部屋だった。果てがないのに部屋というのも奇妙な話だけど、確かにそれは部屋だった。それを上から俯瞰している、なんとも不思議な夢だった。
その夢の部屋の中に一人、なんかおっさんがいた。
作業着を着て、スクーター用のヘリメットを被ったマッチョマン。
特徴のない髪型で、目付きだけがギラギラと鋭いが、顔を見るとなんとなく安心できる謎の顔立ち。
そして何より、手紙を見ては凄く微妙そうな顔で首を傾げる姿はなんというかたまらなく懐かしい。
私はそのおっさんがやっている行動をただ見ていた。手元の何かを操作するそれは、何故かぼやけてうまく見えないけど、なんとなく楽しそうに見えた。たまに聞こえるナイスロリマイボディとか、貧乳だが致し方なしとかは気にしない方が精神衛生上良さそうだ。──おっぱいだけはでかくするか、いやいやそれはもはやロリではないという言葉はぶん殴ってもよろしいだろうか。
そして完成したという言葉と共にそのおっさんは真っ二つに叩き切れて、──片方が地面に落ちていったところで場面が切り替わった。
次に見えたのは不思議な光景だった。
荘厳な世界の中央、王様が座るためだけの玉座が存在する不思議な空間。まるで世界の一部だけを切り取って保管しているかのような不思議な世界で、この場所は何も存在していない。写真のようにその時間を止めた光景があるだけだ。
その世界の中心である玉座には誰も居ない。
その代わりとでも言うかのように、玉座の隣に静かに傅いている化物がいた。
それは人のような姿をした、雄々しい翼を持つ雄牛の悪魔だった。知性的な目でこちらを見つめるその化物は、どこまでも静かで、どこまでも寂しげだった。
〝──我等が王と同じく神と繋がりのある者よ〟
雄牛の言葉は言葉ではなかった。
それは響き続ける震えのようなもの、鼓膜ではなくて世界がただ動き続けている音。
言ってしまえば、それは風の音で、潮の音で、とにかくそういう自然の音だった。
〝我が名はハーゲンティ、この世界において神の役割を得た悪魔だ〟
「ハーゲンティ、……あ、名付けのかみさまだ」
〝便宜上汝の親だがな。まあ、それは今はどうでもいい──我が汝を王の間に招いたのには理由がある〟
「ごはんくれるの?」
〝汝はなんとも欲に忠実だな、──いいことだが違う〟
そうではなく、と溜息を吐きながらハーゲンティはつぶやいた。
〝汝に依頼がある、汝にしか頼めぬ依頼がある〟
「なに」
〝──世界を回ってほしい〟
………意味が分からない。
世界を回る、つまりは世界旅行って事かな?
でもそれなら私以外にも、と言うか私以外の人の方がいいと思う。
私はなんというか、ステータス的にしょぼいし。そもそもこの世界の事なんて何も知らない。
精々竜の里にいる人達の名前とか、その人達に教えてもらった事くらいしか知らないのだ。
常識も、知識も、能力も、ついでにお金もない私に一体全体どうしてそんな事を頼むんだろう?
〝汝が知らぬだけで、汝には秘密がある〟
「ひみつ」
〝汝は汝であるが、同時に汝ではない。その為に旅をしなければならない。そして、汝が旅立たねば我等もただではすまん〟
「……めんどくさい」
〝──世界一周食べ歩きの旅とでも考えろ〟
「やる」
世界一周食べ歩きの旅、なんて最高の響きだろう。
それはすごく美味しいに違いない。もしかしたら不味いのもあるかもしれない。
楽しみだ、実に楽しみだ。問題はどうやってムシュフシュお姉ちゃんに伝えるかだけど、……どうしよう。
なんとなくだけど許可を貰える光景が思い浮かばない。
これはどうした事だろうと必死に頭を捻っていると、そういえばいたハーゲンティが一度咳払いをして私に声を掛けた。
〝そちらの方はどうにもなるから気にするな〟
「できるんだ」
〝我が友人が奴の母だ、故に説得は現在行われているだろう。
なので貴様はそれを悩む必要はない。それよりも汝は生き残るために自らの力を把握する事に努めろ〟
「はあく」
〝うむ、──まあ、詳しい話はあの小僧にでも聞け〟
それだけ言うとハーゲンティは指を鳴らして、──夢から覚めた。