水を弾くスポンジはいらない
「ああ、スポンジ壊れちゃった」
お風呂掃除をしようと思って両手にゴム手袋を装着してスポンジに水を含ませようとしたときだった。
それは何回も風呂桶の壁をこすってボロボロで、こするたびに小さくほぐれて流す手間を増やすものだったけど、壊れるまで壊れるまでと無理に使っていた結果、ついにばらばらになってしまった。
「仕方ない、買いに行くか」
さっさとお風呂掃除を終わらしてネット小説の続きを読もうとしていたのに、スポンジのせいで買う手間が増えてしまった。
壊れかけを捨てて早めに交換していればこんな手間がかからなくてすんだのに。そう自業自得なことが分かっているだけに私はため息をつきながら買いに行く準備をした。
高校に入ったら退屈な毎日が終わってなにか新しい毎日になるかと思っていた。たしかに始めは慣れない電車通学に新しい別の校舎に知らない人が多いクラスで少し心が浮ついていた。
けれど一か月、二か月経ってしまえば慣れてしまって、また退屈な毎日に戻ってしまった。元々人見知りで友達と呼べるものは少なくて、その数少ない友達たちも別の高校に行ってしまったため、今のところここの学校に友達はいない。
部活には入る気はなく、ただ学校に行って、授業を受けて、家に帰るの繰り返し。勉強は可もなく不可もなくこなしているのでこのままいけば問題なく卒業もできるだろう。
流石に暇すぎてつまらないのでネット小説に手をつけ始めて見事にはまり楽しんでいる。それの影響もあり、ある日普段の退屈な毎日ではなくなって非日常と呼ぶ楽しそうな出来事が起こればいいなと、不可能だと分かっていても自分もそんな体験をしてみたいと思っていた。
「……どうしてちょうどスポンジだけが売り切れなのよ」
適当なズボンにパーカーを着て簡単にポニーテールに髪をまとめたラフな格好をしてスポンジを買い求め一時間が経過していた。
おかしい、どう考えてもおかしい。最初に近くのコンビニに行ってみてなかったのは仕方ないと思ったけど、少し離れたショッピングセンターや他のコンビニへ行っても売り切れていた。
何か仕組まれてる気がするけど、こんなさえない普通の女子である私を嵌めても何の意味もないと思うんだけど。
「すごい怪しいけどようやくあったわ」
歩き回ってやっと発見したのは建物の隙間のスペースで風呂敷を広げてその上に商品だと思うものを色々置いている露店のような場所だった。
そこには、塗るタイプの薬、消しゴムに目当てのスポンジやノートパソコンなど様々な物があった。
それらの持ち主である店の主のおじさんは折りたたみの椅子に座ってにこにことほほ笑みながらこちらを見ていた。
「お嬢さん、なにか悩みがあるね」
そしておじさんはそのほほ笑みのままに私に話しかけてきた。あやしさ満点の雰囲気でスポンジのために声をかけるのをためらっていた私はその言葉に疑問を覚えながらも応じた。
「はぁ、悩みというか、実際に困っているんですけどね」
「困っている事かい?」
悩みを見抜いたようなそぶりで聞いてきたのに逆に問い返されて、さらにわからなくなったけど、スポンジの為にその疑問を振り払う。
「ええ、スポンジを買いたいんですけどどこも不思議となくて。このままだと帰れないんです。なのでそのスポンジが欲しいのですけど」
「ああ、そういうことか、てっきり退屈な毎日以外に大きな悩みがあると思ってしまったよ」
「……え?」
おじさんの言っている事が完全に今悩んでいる、というか思っていたものので少し間を空けて声を出してしまった。そんな驚いている私におじさんはスポンジを私に渡す。
「それは君の悩みを解消してくれる君の為のものだ。だからお金はいらないしお礼もいらないよ。僕はそのためにいるからね」
「あ、ありがとうござい……あれ? いない、嘘でしょ?」
スポンジを受取って顔を上げるとそこにおじさんと風呂敷と折りたたみ椅子はなくなっていた。
さっと血の気が引く感じがしながらも慌てて家に帰る。しかし思い返して、あのおじさんのにこにこ顔がでてきて全く怖くは感じず、不思議な感じだけがした。
ようやくスポンジを入手して、再びゴム手袋を装着してスポンジに水を含ませようとしたときだった。
「水を、吸わない?」
どんなに握っても、水量を調節して当てても水を張った桶に沈めても気泡すら出ずに水を吸わなかった。
「うそ、なによあのおじさん私の困ってること解消してないじゃない」
もう一度支度をして外へ出る。その手になぜか例のスポンジを持ったまま。
再びスポンジ買うのとさっきのおじさんに文句を言うためにコンビニ巡りをしようとすると私の前に男の人が立ちふさがる。
「お前も選ばれしスポンジマスターへの資格を持つ者だな。ならばそのスポンジ、いただくぞ!」
意味のわからないことを言ってスポンジを正面に掲げる男の人。そのスポンジから突然雷のようなものが飛び出し、私のすぐ傍の地面が黒く焦げて煙を上げる。
「は? なによそれ。あ、あぶないじゃない」
「何を言っている? スポンジマスターになるための戦いに危ないも何もないだろう。さっきははずしたが次は当てるぞ」
あまりに突然のことで頭が真っ白になって、なにも考えられなくなったけど、これだけはわかる。あの雷みたいなのに当たったらまずいと。それを思うと体や足が震えて逃げなきゃいけないと分かっているのに動けない。
だいたいなんだスポンジマスターとか。こんな能力バトルになるのにスポンジはないだろ、というか非日常が楽しそうとか思った自分を殴りたい。これは楽しくないし、実際に遭遇すると怖い。
「今さら怖気づいても無駄だ! 行け、ライトニング」
「なによそれ、一か八か。お願い私のスポンジ」
男の人が放つ雷に私はスポンジを正面に突き出した。あの人がこのスポンジを見て狙い雷を出しているのなら、おじさんからもらったこれにもなにかあるはず。
「な、なんだと!?」
私の目論見は当たりスポンジはなんと強力な雷を吸い込んだ。そんなものを吸わずに普通に水を吸ってほしかった。
「死なないことを祈るわね」
そうかっこつけながら、びりびりと帯電するスポンジを男の人に向けて思い切り握った。
「うばぁぐふぉへべれらぁ!」
すごい悲鳴を上げながらぷすぷすと煙をあげて男の人は倒れた。近寄って脈をとったらまだ動いていたのでほっとしながら落ちていたスポンジを拾った。
そう、ここから私のスポンジマスターへの激しい戦いの道は始まったのだ。
「そんなわけないよ。なんかださいし、実際怖いし疲れるしね」
また変な人が出てくるかもしれないので全力で家に帰り、さっきの男の人みたいに正面に掲げたり、ライトニングと恥ずかしながら言っても何も起きなかったので安心してそのスポンジを水につける。
「これは……使えるね。よかった、買うお金が浮いたわ」
あのスポンジは男の人の所に置いといた。結局あれは、水以外の、なにか特殊な能力を吸い込み吐き出せるある意味ではすごいスポンジだったのだろう。
けれど本来の用途からは外れているし、あんな非日常より退屈な毎日のほうがよかったのであの場に置いてきてしまった。
あの男の人があれを使ってスポンジマスターになれればいいと思いながら……というのは嘘で本音はどうでもいいです。
私はついに戦いの果て? に手に入れた普通のスポンジを手にして退屈な毎日のありがたみを感じながら風呂掃除を始めた。
あれからおじさんを探しても会うことはなかった。あの人はきっとどこかで私のように悩みを持つ人に風呂敷のものを渡しまわっているのだろうなとお風呂掃除をするたびに思い出すのだった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。この話はシリーズ物で不思議なおじさんが出てくる話を書いていきます。