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 第八章 天使の試練に挑む魔王

「天使?」

 カエデはイオと、目の前の翼が生えた女性を見比べながら首を傾げる。

 確かに天使はいるが、前にイオに言った通り普段は天界にいてこんな場所に来ることなどないはず。

 それに、あの女性の翼は確かに天使が持つ翼だが、黒色に染まっている。

「あんた、堕天使になったのか」

「あなたに接触したことが罪になったのでしょうね」

「そんなことはどうでもいい。なんでこんなところにいる」

 イオの手が剣にかかるのを見ると、カエデもナイフに手をかける。

 堕天使の放っている光のおかげであたりが少し明るい。

 カエデはイオから少し離れてみて、大丈夫とうなずく。

 突然風で木が揺れ、

「きゃっ!」

 イオに思いっきり抱き付いた。

「何やってんだお前は」

「こ、怖い」

 いくら明るくても、急な音にはダメだった。

「うふふ。仲がいいことですね。ですが、柔らかい女性のお肉を当てるのは感心しませんよ? 吸血鬼さん」

「っ! あ、あててきゃっ!」

 カエデは慌ててイオから離れたが、自分で踏んだ木の枝の音にびっくりしてまたイオに抱き付いた。

 なんだか、今度カエデと一緒に肝試しをイオはしてみたくなってきた。

 イオはカエデの頭をなでる。

「なんでここにいる」

「知りたいですか?」

「俺の前に現れておいて、偶然だなんて言わないよな」

 堕天使はうなずき、懐から一つの小さな石を取り出す。

 見た目は普通の石だが、ごくごくわずかに魔力を秘めている。

 カエデはそれを見た瞬間、その石が何なのかが分かった。

「封印石!」

「あれが?」

 イオがそう問うと、カエデはうなずいた。

 ということは、

「あいつのか!」

「はい。これは、ルナ・インディシアさんの封印石です」

 飛びかかったイオの手を堕天使は宙に浮いてかわす。

 突然のことに呆然としていたカエデだが、風で木が揺れるとすぐにイオに抱き付きに行った。

「なんで、お前がそれを持ってる!」

「・・・・・・せめてものお詫びとして探し出したのです。魔王サタナスがこの時代に来たのは、過去のわたくしが説得できなかったせいですから。あと、あなた方は疑問に思いませんでしたか?」

「疑問に?」

 イオは拳をおろす。

「いえ。何も思わなかったのなら、聞かないほうがいいことですよ。これを聞いても、いいことは何一つありませんからね」

 堕天使の表情は、どこか思いつめていた。

 イオは聞こうか悩んだ末に、聞かないことにした。

「わかった。その代わり、その封印石を渡してくれ」

「ありがとうございます」

 堕天使は地面に降りると、封印石をイオに渡す。

(聞かれなくてよかったです。ですが、イオさんが自分を封印したということを、どうして魔王が知っていたか、ということは疑問に思っていると思っていたのですが。聞かれれば素直に答えるしかありませんでしたよ。わたくしがうっかり教えてしまったと)

 天使は様々な世界で記憶を共有することができる。

 例えばイオが自分を封印した世界がAだとしよう。そして魔王サタナスが自分を封印しなかった世界をBとしよう。この二つの世界で、天使だった彼女は記憶を共有していたのだ。

 封印石を手に入れて一瞬だけ喜んだイオだったが、すぐにある疑問にたどり着いた。

 そして、どうしてそのことに今まで気付かなかった、と自分を責める。

「カエデ、封印石の封印の解き方知ってるか?」

 パチパチとカエデは目を瞬かせた後、あ、と口を開いた。

「・・・・・・しらない」

 カエデも知らなかった。

「堕天使。お前は知ってるか?」

「堕天使でもなければお前でもありません。アルです」

「アル。知ってるか?」

 アルは目を閉じ、封印石を握っているイオの手をそっと握る。

 その仕草にカエデは少し頬を膨らませた。

 なんだか、自分以外の人がイオの手を握るのが嫌だった。

「下界の者には封印石の封印を解く方法はありません。数百年たつことで、自然と封印が解けることしか」

 アルのその一言に、カエデは顔をうつむかせ涙を流した。

 もう二度と、ルニャに会うことができないと宣告された。

「会いたい。ネコさんに、あい、たいよ・・・・・・えっく、ひぐっ。あい、たい」

 それにたいして、イオは冷静を保っていた。

 この女はこういっていたのだ

―――下界の者には方法がないと。

「お前は解けるんだろ? 元天使の堕天使でも」

「鋭いですね。正解です」

「ほ、ほんと?」

「はい。ですから、泣くのをやめてくださいね。吸血鬼さん」

 アルがカエデの頭をなでると、カエデは嬉しそうに涙を拭いた。

「じゃあ、頼んでもいいか?」

 イオが手を前に出すと、アルは首を振った。

「なんで!?」

「封印石の封印を解くとなると、普通に魔術を使うのと原理が大きく異なってきます。結果、封印石の封印を解くことには成功しても、術者たるわたくしの命が消えてしまいます」

 止まっていたカエデの涙が、また流れ始めた。

 イオも、さっきまでは何としてでも封印を解いてもらおうと思っていたが、相手の命がかかっている以上強引にはできない。

 あと一歩でルニャに会えると思ったのに。

「イオさん。一つ聞いてもよろしいですか?」

「なんだ」

「あなたは大切な人たちを守り切れますか?」

「ああ」

 即答だった。

「あなたが魔王だったということは、いくら情報を規制されていようともいずれは世界に知れ渡るでしょう。おそらく、あなたをよく思わない人々がこの先大勢出てきます。きっとその時には、あなたの友達である吸血鬼さん、リッカさん、ソニアさん。そして、ルナさんまでもが危険に及ぶことでしょう。それでも、あなたは彼女たちを守れますか?」

「俺は、何も失いたくない。そのためなら、俺は命だって使ってみんなを守る。だけど、こいつはもう」

 イオは封印石を両手で握り膝をついた。

 どんなに頑張っても、イオにはこの封印石の封印は解けない。

 アルはイオとカエデの肩に手を添える。

「本当にあなたに人を守れる力があるとわたくしが納得できれば、封印を解いてあげましょうか?」

「いいのか? それをしたら、お前は死ぬんじゃ」

「確かにわたくしは死んでしまいます。ですが、それも含めて魔王を止められなかったわたくしの責任です。ですが試練はあります」

「試練?」

 アルはイオから封印石を取ると、後ろに下がった。それと同時にあたりの光が薄れ、カエデは短い悲鳴をあげてイオに抱き付く。

「あなたに本当に彼女たちを守れる力があるかテストをします。もし、わたくしからこの封印石を奪い取ることができれば封印を解いてあげましょう。ですが、いくつかルールを設けます」

「・・・・・・」

「この勝負、あなた以外の参加は認めません。もし手助けをしたならば、この封印石は破壊します」

「てめえ!」

 今すぐにイオは殴りかかろうとしたが、何とか踏みとどまる。

 今下手な動きをして封印を解くチャンスが消えるのは、なんとしても避けなければならない道だ。

「ほかにはあるのか」

「武器の使用も禁止します」

 イオは鞘を腰から外しカエデに渡す。

「お、おやつ。か、カエデはどうしてたら」

 目に涙を浮かべ、カエデは剣に抱き付いて少し震える。

 イオがアルから封印石を取ろうとすれば、カエデは必然的に一人になってしまう。

 カエデの周りを照らしてやろうにも、さすがにそこまでは気が回らなくなるだろう。

「なぁアル」

「なんですか?」

「こいつ一人にしたくないから、お互いに動けるスペース決めないか? それに、堕天に落ちてても天使は天使だ。あんまり人に見られていいものでもないだろ」

「それもそうですね。いいでしょう」

 アルがうなずくと、とたんに場の空気が変わった。

「周囲一キロの空間を一時的に閉ざしておきました。一応リッカさんとソニアさんは空間の外なので、遭遇することはまずありません」

 簡単にそういっているが、空間を閉ざすことなど簡単にできることではない。

 魔力が最大だった魔王時代のイオでも可能だったかもしれないが、魔力はかなり消耗していたことだろう。

 アルの魔力反応を簡単に確認してみたが、たいして落ちている様子もない。

 それだけ魔力量に差があるということだ。

「では、華やかに花火を打ち上げましょうか」

「まて。俺の勝利条件はお前から封印石を取ることだ。敗北条件は決まってないぞ」

 アルは無言のまま空に手をかざし、魔力を放つ。

 あれがある程度の高さになれば花火のようになるのだろう。

「敗北条件。それは、あなたがルールを破るか、」

 魔力弾が膨らみ、

「吸血鬼さんが死ぬことです」

 花火となって爆発した。

「カエデ!」

 イオはアルの言葉に嫌な予感がして、自分の体を壁にしてアルの視界に映らないようにする。

 刹那。イオの体が吹き飛ばされ、木にたたきつけられた。

「がはっ」

「おやつ!」

「く、るな」

 口から血を掃き出し、イオはよって来ようとしたカエデを言葉で止める。

「どういう、つもりだ」

 今の一撃で、何本かの骨が折れてしまった。

 確実にカエデを殺そうとしていた。

「これはあなたが友達を守れるか、の試練です。ここで守れないようでは、この先新たな敵が現れようと絶対に守ることはできません」

「なるほどな」

 イオは膝に手をつきながら立ち上がり分析する。

 胸に手を当てると、イオは折れた骨を治癒術で治す。

 さっきのアルの攻撃魔術は、とっさに張った反射魔術をいとも簡単に破壊した。おまけに、肉体強化で防御力もあげていたのだが、それすらもほとんど意味を持たなかった。

 イオは何とか耐えられたが、カエデはその方法すらとることができない。

「うまいことやってるな。カエデは手出しをできない。この試験では俺がカエデを守らなくちゃいけない。カエデが自分を守ろうとすれば、それは俺に手助けをした、とみなされるわけか」

「そ、そんな」

「その通りです」

 カエデは自分の命が危険だとわかり身震いする。

「ですが、避けることはかまいませんよ。魔術を使う、何らかの方法で彼を手助けしない以外では、吸血鬼さんの行動は自由です」

 アルが魔術を使おうとしたのを見て、イオは殴り掛かかった。

 その攻撃をアルは簡単に避けたが、イオは連続で殴り、蹴りかかる。

 魔術は確かに脅威となりえる。だが、魔術にも確かに弱点は存在する。

それは、魔術を使うためには脳の中で演算をしなければならない点だ。

 たとえば、攻撃をかわすために体を動かせば、かわすことに体をどう動かせばいいかと脳の中では演算することになる。

 つまり、攻撃を加え続ければ、よほど簡単な魔術である魔術弾以外は発動できない。

 魔術弾は威力の高い魔術だが、注意していれば回避は容易だ。

「風よ」

 周りの空気が動いたかと思うと、暴力的なまでの風がイオを地面にたたきつけた。

 嵐のように吹き荒れる風に叩き付けられ、イオは肺から酸素を吐き出した。

 発動していた。

 魔術弾以外の、魔術が。しかも、今の魔術は中級規模に位置する風属性魔術『ストーム』だ。

 初級規模程度の魔術なら激しい動きをしながらでも使える者はまれにいるが、中級規模となると不可能なはずだ。

「が、はっ。な、んでだ」

「言い忘れてました。わたくしたち天使の脳は人間と少し違いまして、どんな状況でも魔術をつかえるのですよ」

「ざけてるな!」

 足を払おうとしたが後ろに飛ばれて逃げられた。

「おやつ大丈夫?」

「ああ。けど、あれはまるでチートだな」

「勝てる?」

「勝たないとな」

 だがどうしたものか。

 魔術を得意としている敵とは何度か戦ったことはある。

 だが、さすがに天使と戦うのは初めてだ。

 やはり、一番の問題はいつでも魔術をつかえるということだ。

「考えても仕方ないか!」

 イオは手をアルに向け、魔力を集中する。

 この勝負は封印石を奪い取りさえすれば勝ちだ。

 ならば、動きを一時的に止めさえすれば。

「遅いですよ」

 アルの放った魔力弾をイオはかわし、一度木に姿を隠す。

 カエデもどこかに姿を隠し、魔力反応を消している。

 イオも念のために消そうかと考えたが、やめておいた。

 そんなことをして、カエデを探されるのはまずい。

(どうやってあいつから封印石を奪い取る)

 問題点は多い。

 身体能力も確実に相手の方が上だ。

 そのうえ魔術まで使われるのだから、普通に戦っていては勝ち目がない。

 次に封印石をどこにしまっているかだ。

 アルの魔力反応が高くて、封印石のごくわずかな魔力は感知できない。

 一番災厄な隠し場所は胸の間だが、それはなさそうだ。

 というより、あのサイズでは無理だろう。

(カエデといい勝負か? いや、カエデのほうがちい・・・・・・)

 なんだか遠くからものすごい殺気を感じた気がしたが、気のせいだと信じたい。

 イオは木から転がるように出ると、アルに向かって魔力弾を放ち同時に走り出す。

 相手をマヒさせる魔術は発動までに少しだけ時間がかかってしまう。

 普通に使おうとしたのでは妨害されるだけだ。

 魔力弾をはじいたアルの懐に飛び込み、イオは拳を振り上げる。

 簡単にかわされたが、それも予想済みだ。

 イオは地を蹴り、そのまま跳躍する。

「これでも食らえ!」

「っ!」

 振り上げていたイオの拳が激しい光を放ち、アルの視界を一瞬奪う。

 着地したイオはその隙を突き、魔術を発動させアルをマヒさせる。

「しまっ!」

 イオは着地すると、息をつくのも忘れて、封印石をしまえそうなスカートのポケットに手を入れた。

「ない?」

 もう片方のポケットにも手を入れたが、何も入っていない。

(スカートって、これ以上ポケットないよな)

 上着にも、入れられそうなものはない。

 だとするとどこに。

「女性のスカートをまさぐるなんて、意外と大胆なんですね」

「マヒしてるのにずいぶんと余裕だな」

「少し焦っていますよ。あなたが大胆なので、もしかしたらこの隠し場所も」

 アルの視線につられるようにイオもそこに視線を向ける。

 おかしい。

 イオは目をこすってみたが、やはりこれはおかしい。

 アルの胸が、なんだかでかくなっている。

「おい、まさかお前」

「あなたが隠れてる間にここに隠しなおしました。本来の姿では隠せませんが、魔術で大きくしたので大丈夫になりましたよ」

「・・・・・・悪い」

 魔術で作り出したものとはいえ、さすがに悪いと思いながらもイオはゆっくりと手を伸ばす。

 なんだか、「あとで血、全部吸う・・・・・・!」と言われている気がする。

 イオは目を瞑り手を伸ばしていくが、伸ばしきったところで何も触れなかった。

 目を開けると、数メートル先でアルが頬を赤くして、両肩を抱きながらイオを睨んできていた。

 どうやら麻痺が解けて動けるようになったらしい。

「・・・・・・さっきのいろいろと卑怯じゃないか?」

「少し反省しています。さすがに作り出したものとはいえ、触られると感覚もあるので嫌です」

「だったら別の場所に変えてくれよ。じゃないと触ることになるぞ」

 さっきは少しためらったが、次は容赦する気はなかった。

「それは大丈夫です。同じ方法は通じませんので」

「そうかよ。だけどな、俺は何としても取らないといけないんだ!」

 イオは地を蹴り、封印石を奪うためにアルに向かう。

 木に隠れてイオの姿を見守りながら、カエデは震えていた。

(うう。おやつ近いからあんまり怖くないけど、やっぱり怖い)

 どうにも暗い場所というのは薄気味悪くてなれそうにない。

 カエデは力がこもっていた手から力を抜く。

守られているという状況がとても屈辱的だった。

 自分も封印石を奪うことに協力したい。

 けど、そんなことしたら封印石が、ルニャが壊されてしまう。

(おやつ、頑張って)

 カエデはイオに渡された剣を抱いたまま、天に祈った。

 ―――ネコさんに、あわさせてください






 リッカは空を見ながらぼんやりとしていた。

 その隣ではソニアが少しイライラしていた。

「遅い! とうに集合時間は過ぎているというのに」

「もしかしたら、あの二人時計持ってないのかもしれませんよ。お兄ちゃんは知りませんけど、キューちゃんお金ないですから」

「それなら一概にあの二人が悪いとは言えないな。よし、探しに行こう」

 立ち上がったソニアの髪の毛をリッカは引っ張り座らせる。

「な、何をする!」

「だ、ダメですよ!」

 リッカは顔を赤くして、うつむき気味になる。

「そ、その。もしあの二人がそういうことしてたら、め、迷惑にもなりますし」

「そういうこととは?」

 リッカは更に顔を赤くして、蚊の鳴くような小さな声になる。

「え、エッチなことです」

「ふ、不健全だ! ほ、捕縛するぞ!」

「だ、ダメですってば!」

 勘違いをした二人は顔を真っ赤にしたまま、二人が帰ってくるのを待つことにした。

 その時は遅れた理由を問い詰め、もし何かあったのならばソニアはイオを捕縛するつもりでいた。

 リッカは途中からそれはないだろうと思い始めていたが、ソニアには言わないことにした。

(キューちゃん、無知すぎますもんね。キスで子供できるって、まだ信じてるぐらいですし)

 『生まれたらどんな名前にしたらいい?』と、夜集合したときに聞かれたときには思わず吹き出しかけた。

 でも、女友達として教えたほうがいいのかな、とリッカは少し真剣に考え始めた。






「あきらめませんね」

「あきらめて、たまるかよ」

 口から血をはき出し、イオは痛む腕を抑えながら立ち上がる。

 アルの攻撃を受けまくったせいで、体全身が悲鳴をあげている。

 たいしてイオはアルに指一本すら触れていない。

「ぐあああああああああああああああああ!」

 アルに向かって走り出したが、またしても背中から木にたたきつけられた。

「動きが鈍ってきましたね。そろそろ限界ですか?」

「な、にが限界だ。がっ」

 立ち上がろうとしたイオにアルは魔力弾を放った。

 木に隠れているカエデは、何度も飛び出そうとしていたが何とか踏みとどまっていた。

 けど、そろそろ限界が近い。

 握られた拳からは皮膚が切れて血が流れ出し、柔らかい唇からも血が流れていた。

 ルニャのことがなければ、たとえ一対一の勝負だったとしても飛び出していた。

 カエデは、素直に怒っていた。

 突然振り向いたアルと目があった。

 すぐに木に隠れたが、ばれた。

 いや、あの振り向き方に一切の迷いがなかったのは、ずっと前から居場所を知っていたということだろう。

「そうですね。では、そろそろ吸血鬼さんを殺すことにしましょう」

「っ! やめろ!」

 立ち上がろうとしたが、体が思うように動かなかった。

「今は武器もなく、手加減をしている状況ですが、これが本当の殺し合いならあなたは殺され、吸血鬼さんも殺されていますよ」

 アルはイオに背中を見せ、カエデのいる方向に歩いていく。

 あの目は本気だった。

 このままでは、カエデが殺されてしまう。

「あ、ああああああ」

「カエデ!」

 走って逃げたカエデだったが、魔力弾で足を撃ち抜かれてしまった。

「すみません。予想よりももろかったようですね」

「い、いや。し、死にたく、ない。死にたくない!」

 カエデの泣き叫ぶような声。

 その瞬間、イオの体から魔力が漏れ出した。

 アルとカエデは不思議そうにその様子を眺める。

 魔力の暴走ではない。

 魔力があふれ出す現象など、カエデとアルは見たことがなかった。

 その魔力は黒色へと変化し、再びイオを取り込むように戻っていく。

 イオの腕には黒鱗が現れ、尻尾が新たに生成されていく。黒い髪の毛は銀色へと変色する。

「そ、そんな。竜人化だとでも言うのですか!? あれはさっきあなたがやろうとして失敗していたはず」

 たしかにイオはさっき竜人化しようとして失敗していた。

 だが、そんなことは大した問題ではない。

「一度失敗してもな、次も失敗するとは限らない。だから俺は成功できた。それだけの話、だ!」

 イオの拳がアルの腹を殴り、木々を倒しながら吹き飛んでいく。

 封印石は取り損ねたが、これでチャンスも増えた。

「ありがとう」

「感謝されるようなことじゃないって。お前が殺されるかも、って思ったらなれたことなんだしな」

「怪我、大丈夫?」

 カエデはイオの全身を見渡すが、意味のない質問だとすぐに分かった。

「これになったら回復力が上がるみたいだな。おかげでだいぶましになった」

 イオはカエデの足の怪我を治すと、戻ってきたアルからカエデを守るように背中に隠す。

 両手をあげたアルにイオは警戒したが、

「降参です」

「なに?」

「さすがに竜人化は想定外の出来事です。このまま続ければ、下手をすればわたくしが死んでしまいます」

 アルは封印石を取り出すと、イオに渡した。

 勝ったというのに実感がわかない。

「おやつやった! やった!」

 カエデはイオの手を握り踊るように回り始める。

(勝った? おれは、こいつに勝ったんだな)

 改めてそう実感すると竜人化が解け、イオの体から急速に力が抜けて座り込んでしまった。

「わっ」

 手を握っていたカエデはイオに引っ張られる形になり、イオを押し倒してその上に倒れる。

 そこでカエデはイオの服をギュっと握り、顔をうずめる。

「おやつ頑張ったから・・・・・・ご、ご褒美あげる」

「ご褒美? カエデが俺に?」

 カエデはうなずく。

 目を涙で潤わせ、赤く頬を火照らせたカエデ。

 イオが何か言うより前にカエデは目を瞑り、イオの唇に自分の唇を重ね合わせた。

 ご褒美、とカエデは言ったが、カエデ自身もうれしくなっていた。

(おやつと。はずかしいけど、うれしい)

 これではご褒美ではないような気もしたが、割とどうでもよくなった。

 カエデはいつしか、この時間がずっと続けばいいのにと思っていた。

「あらあら。ずいぶん大胆な吸血鬼さんですね」

「っ! て、天使見ちゃダメ!」

 カエデは逃げるようにイオから離れる。

 完全にアルの存在をカエデは忘れていた。

(き、キス・・・・・・見られた)

 あまりの恥ずかしさに首まで真っ赤にする。

 イオは立ち上がると、少し泣きかけのカエデの顎をクイッと持ち上げ、その柔らかな唇に自分の唇を重ね合わせた。

「お、おやつ!?」

 カエデは唇を抑え、目を見開く。

「お返しだ。うれしいことはうれしいけど、お前はいつも不意打ちだからな」

「あう。おやつのエッチ・・・・・・」

「キスがエッチなら、カエデもエッチだな」

「っ! ち、ちがう!」

 さすがにからかいすぎたのか、カエデが本気で泣きそうになってきた。

 イオが謝りなだめると、カエデはお腹を突然さすりだし、

「キス今日いっぱいした。赤ちゃんできてたら責任、とってね」

「・・・・・・はいはい」

「約束」

 イオは差し出された小指を結び、約束を交わす。

 どうせ赤ちゃんはできないのだから、この約束自体も意味がない。

「ごちそうさまです」

「うう。またみられてた。天使嫌い」

 落ち込んでいるカエデの頭をイオはポンポンとたたき、握っている封印石をカエデに渡す。

「じゃあ、頼んでもいいか? アル」

「・・・・・・約束ですので仕方有りません。ですが、どうして吸血鬼さんに渡したのですか?」

「持ってたらそこからあいつが出てくるだろ? 俺クタクタで、とてもあいつを受け止めれる気がしないからだ」

「おやつ、カエデに押し付けダメ。だから、」

 カエデは封印石を持っている手でイオの手を握る。

 それ以上カエデは何も言わなかったが、微笑んでいるその顔からなんとなく予想できた。

―――一緒に受け止めよ?

 イオは素直にうなずき、カエデと一緒にアルに視線を向ける。

「いやだとは思うが、頼む」

「いやではないですよ。堕天使に落ちたわたくしはどのみちあと数年しか生きられない体です。それに伴い力も落ちているので、今のわたくしではもう、竜人化したあなたには手も足も出ません」

「そういうことだったのか」

 どうりで簡単に降参したわけだ。

 一つ謎が解けて、イオは心のもやもやが取れた。

「いきます」

 アルのがそういうと、閉ざされていた空間が元に戻り、封印石が光りだす。

「きれい」

「ああ」

 封印石が人の姿になっていくにつれ、アルは光の粒子へと変化していく。

 ほんの一センチだった封印石はどんどん大きくなっていき、猫耳と尻尾が現れていく。

「それでは、サヨナラですね」

「ありがとうな」

「天使さんありがとう」

「ふふ。天使から天使さんにランクアップしましたね。では、ルナさんとこれからもお幸せに」

 その言葉を境に、アルの姿は完全に消滅した。

 最後の光の粒子が消えると、一気にあたりが暗くなった。

「っ! お、おやつ! 明かり!」

「・・・・・・悪い。魔力がそこ尽きてる」

「そ、そんな」

 泣きそうになったカエデだったが、その顔にはすぐに笑顔が咲き始めた。

 イオとカエデの腕には、すやすやと穏やかな寝息を立てているルニャ。

 イオとカエデは顔を見合わせ笑った。

「「お帰り」」

「むにゃー。もう食べられニャいよー」

 一体何の夢を見ているのだろうか。

「っ! お、おやつ目瞑って!」

「カエデ。さすがにこのタイミングでキスはないと思うぞ」

「そ、そうじゃなくて」

 カエデの頬が赤い。

 それに、なんだか慌てている気もする。

 わからない。

 イオはわからないことを考えることを放棄し、月明りに照らされているルニャの横顔を見る。

 おもわずつつきたくなったが、両腕がふさがっていてできそうにない。

 暗くてよく見えないが、手に伝わってくる感触は暖かくてなんだか柔らかい。

 視線をルニャの横顔からゆっくりと動かしていく。

「いっ!?」

「おやつ見ちゃダメ!」

「あ、おいカエデ!」

「あっ」

 イオの目をカエデが塞ぐと、半分支えを失ったルニャの体がイオの手からも落ちて頭から地面に落ちていった。

「か、カエデ任せた!」

「ね、ネコさん!」

 イオは背中を向けることにした。

 なんでルニャは裸なんだ。

 そういえばあの柔らかい感触は何だったんだろうか。

(背中であってくれ)

 もし胸だったとしたら、ばれたらどんな目に合うかわかったものではない。

 帰り道、リッカとソニアに出会うと、混乱した様子だったがルニャの封印が解けたことに大喜びだった。

 結局、その日にルニャが目を覚ますことはなかった。



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