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 第三章 慕われる魔王


「てて」

 ルニャとカエデに痛められた場所を抑えながら、イオは床から起き上がる。

 部屋を見渡すと、どうやらルニャの部屋のようだ。

 昨日ルニャには「寝てる間に部屋から放り出す」と言われていたが、さすがにそこまではされなかった様だ。

 かぶった覚えのない掛布団をどけ、ベッドでまだ寝ている二人を見る。

「いつの間に仲良くなったんだよ」

 お互いの服をギュっとつかみ合い、穏やかな表情のルニャとカエデ。

 どっちが掛布団をかけてくれたんだろうな、と思いながら適当にテレビでもつける。

 ルニャの猫耳がピョコピョコとテレビの音に反応したと思ったら、料理番組だった。しかも魚。

 寝ているときまで反応するとは、一体どこまで魚が好きなのだろうか。

 試しにチャンネルを変えてみると、猫耳は動きを止めた。チャンネルを戻すと、また猫耳が動き始めた。

 その反応が少し面白く、イオがしばらく続けていると。

「イオやめてよ!」

 ガバッと起き上がったルニャは頬を朱色に染め、猫耳を抑える。

「痛い」

「あ、ごめんカエデちゃん」

 ルニャが起き上がった勢いでベッドから落ちたカエデは、むすっと頬を膨らませルニャをにらむ。

 頭をさすりながらベッドに丸くなると、すぐに穏やかな寝息を立て始めた。

 いわゆる二度寝というやつだ。

「起こしてやったらどうだ?」

「ううー。あとで引っ掻きだから。起きてカエデちゃん」

 ルニャが肩をゆすると、目をこすりながらカエデはゆっくり上半身を起こす。

「おはよ」

「ネコさんおはよう。あと、おやつもおはよう」

「なんかとげとげしいな」

「おやつはエッチ」

「っく」

 いろいろ訂正したいのだが、無駄なことだろう。

「胸、見られた。恥ずかしい」

 掛布団で胸を隠すようにして頬を赤らめる。

 これも反論ができない。

「私ショックニャんだよ? イオそんニャことする人だって考えてニャかったんだから」

「何もしてない!」

 この話は昨日の夜に片が付いたと思ったのだが、カエデは意外に根に持つタイプだった。

「血」

 カエデはお腹をさする。

 イオはその意味を理解し、カエデの隣に座ることにした。

 ルニャは何をするのかわからないのか、首を傾げ二人を交互に見比べる。

「ニャッ!!」

 イオの首筋をカエデが舐めると、猫耳と尻尾をピンと立てルニャはそんな声をあげた。

 別にカエデの今の行為には、変な意味はない。

 カエデは目を閉じると、カプリとイオの首に噛みついた。

 痛みに一瞬顔をしかめたが、すぐに痛みは薄れた。

 吸血鬼が血を吸う相手の首をなめるのは、痛みを極力殺すためだ。

 ただ、初めてカエデがイオの血を吸ったときには、あまりに腹が減っていたために舐めるのを忘れていた。

「あ、血吸ってるんだ」

「おいしい」

「血吸ってるときあんまりしゃべるな。もう一回歯刺さるのは痛いんだから」

「カエデは美味しいからいい」

「言ったそばからやめてほしいな」

「にゃ、ニャんか大変そうだね」

 一度の供給で三回も歯を刺され、三回痛みに顔をしかめたイオ。

 カエデが血を吸っている間にルニャはトーストを焼き始めていた。

 最初はイオにやらせようとしていたが、カエデにもっと血を吸いたいからと断固拒否された。

 トーストが焼き終わる少し前にカエデは唇を離し、もう一度イオの首をなめる。

「傷治せるのか」

「吸血鬼の唾液は特殊。でも、大きな傷は難しい」

 血を吸われていた時間が長かった気もしたが、以外にもふらついたりはしない。

「制服着てたから、汚さないようにちょっとずつ吸った」

「そういえば、寝てるときも着てたよな」

「これしか持ってない」

「私のパジャマ貸してあげようと思ったんだけど、全部洗濯しちゃってたから無理だったの」

 イオはルニャとカエデを見比べて、確かにカエデはルニャの服を着られそうだな、と思った。

 朝食を終え、イオとカエデの服でも買おうかと話が出たが、あいにくと二人は金を持っていない。ルニャの財布も昨日魚を買いすぎていて、今月しのぎ切れる分しかない。服など買っては命にかかわる問題だ。

「ごめん。さかニャ買いすぎた」

「別にいいって。俺はこの服別に嫌いじゃないし」

「でも目立ちすぎじゃニャい?」

「おやつの服かっこいい」

「そうかニャ」

 ルニャとカエデに来ている服を見つめられ、イオは少し複雑な気分になる。

 今着ているこの服は過去の、魔王と呼ばれていた時に着ていたものだ。

 この服だけでばれることはないだろうが、褒められても素直にうれしいとは思えない。

「どうせ今日は学院休みなんだろ? それに、この学院制服でも私服でもどっちでもいいみたいだし、そこまで目立たないだろ」

「そっか」

 コクコクとカエデもうなずく。

 どうやら、血を吸えたことでご機嫌なようだ。

 イオがベッドに寝転がると、真似をするようにカエデも寝転がった。

「あ、あれ? 二人ともまた寝るの?」

「暇だしな。寝るかどうかは別として、しばらくはここにいるだろうな。カエデはどうなんだ?」

「おやつと一緒にいる」

 なんだか嬉しいセリフだな、と思ってしまった。

 ただの会話。

 過去の世界では思い出そうとしても思い出せないことだった。

 ルニャとカエデ。

 二人と話をしていると、いつの間にか夕方にまでなっていた。

「ネコさん大丈夫?」

「う、うん」

 顔の前で手をひらひらとしてきたカエデにルニャはうなずく。

 イオも少しだけルニャを心配していた。

 昼を過ぎたあたりから、なんだかそわしなく上の空。

 何かを聞いても的外れな回答をよこすこともしばしばあった。

「あんま無理すんなよ? 病気とかで寝込まれたら、あと味悪いし」

「ネコさん心配」

「カエデも心配してることだし、少し寝たらどうだ?」

「ダメ」

 ルニャは首を振る。

「これ、寝てもニャおんニャい」

「おい。まさか俺が知らない間に新しい病気でも現れたのか!?」

「違う」

「じゃあどうしたんだ?」

 ルニャは頬を赤くして、少しうつむく。

「一人にしてほしい。一人にしてくれたら、一時間でニャおるから」

「本当にか?」

 ルニャはコクンとうなずくと、ベッドに横たわる。

 イオとカエデは顔を見合わせ、二人してうなずく。

「わかった。もし悪化したらすぐに呼んでくれ」

「カエデもすぐに来る」

「ありがと」

 ルニャはにっこり笑うと、布団をかぶりこんだ。

 カエデが心配そうにルニャを見たので、イオはなんとなくルニャの頭をなでることにした。

 昨日のリッカの話では、ケットシーは耳をなでられると落ち着くことがあると言っていた。

「ふぁにゃあ」

「どうした?」

「み、み。それ、いまダメ・・・・・・」

 ルニャはイオの手を払うと、両手で猫耳を覆い隠す。

 忘れていた。

 昨日ルニャの猫耳を触ったとき嫌がられたんだった。

「なんか、すまん」

 イオはカエデの背中を押し、部屋から出ていく。

 二人が部屋から出ていったのをルニャは確認する。

 昨日からだ。

 いつもやっていたことを我慢するのは、案外と体に悪い。

「大丈夫。誰にも見られてニャいから」

 ルニャはそっと手を伸ばし、目当てのものをつかむ。

 今からすることは誰にも見られるわけにはいかない。

 人として、女の子として、ケットシーとして。

「ふぁっ。やっとできる・・・・・・」

 ルニャは手に握っている物のにおいをかぐ。

 その瞬間、体中が熱く火照り始めた。頭はボーとしてきて鼓動が早くなる。呼吸もわずかに荒くなり、少し興奮する。

 今日の朝、二人がどこかに行ってからやろうと決めていて今までじらされた分、いつもよりも効果が強い気がする。

「これ、好き」

 ルニャはそれのにおいをかぐだけでは飽き足らずに、甘く噛む。

 こうするとたまに自分がおかしくなって、あとで後悔することもあるのだが、今はそんなことも忘れていた。

(あ、きちゃ・・・・・・った)

 さっきまで保っていた理性が、一気にどこか遠くへ追いやられた気がした。

「こんニャのダメニャのに。で、でもこれのせいだから、いいかニャ?」

 ルニャは噛んでいたマタタビを口からだし、その匂いをもう一度嗅ぐ。

「ん、にゃあ」

 いつの間にかもんでいた胸から、くすぐったいような甘い感覚がルニャの体をめぐる。

 これは初めての経験だ。

 マタタビで興奮することはよくあるが、いつもは変な踊りをしたり、凶暴になって布団とか部屋を引っ掻き回したりする程度だ。

 けど、今まで胸をもんだことはない。

「や、にゃにこ、れ」

 未知の感覚に悶え、マタタビを握っていた手でシーツをつかむ。

 少し怖い。けど、マタタビで興奮している今のルニャは嬉しさのほうが強かった。

 毎日マタタビをかいでいて、いつの間にかそれが日課になっていて嗅がないと意識がボーとすることはよくあった。

 今日もそうだったのだが、マタタビをかぐ前もなんだかいつもと違った気がする。

「あんっ、ふぁあ・・・・・・」

 カエデに見られる時と、イオに見られる時。

 なんだか、イオに見られていた時は少し心が弾んでいた。

 なんでだろうと思ったが、

「はにゃあっ!」

 ひときわ強い快感に体がビクンと跳ね上がった。

 気が付けば、微弱な電流を魔力で流していた。

 やめたいと思ってもやめられない。そもそも、やめたいとさえ思えない。

 前にケットシーはマタタビをかぐと発情することがあると聞いたことがあるが、このことを意味するのだろうか。

 考えようと思ったが、ボーとした頭ではよく考えられない。

「にゃ、やん。いお・・・・・・イオ」

「どうした!?」

 突然部屋のドアが開けられ、イオが入ってくる。

 が、その足はすぐに止まった。

「ネコさん何してるの?」

 イオの後ろからピョコリと顔を出したカエデは不思議そうにルニャを見る。

「・・・・・・悪い」

 そっとカエデの目を手で覆い隠し、イオはこの部屋から出ることを選択した。

 これはラッキーというより、いろんな意味で災厄だと思った。

 が、ドアに手が届きそうなところでルニャにベッドまで投げ飛ばされた。カエデも一緒に飛ばされた。

「イオだー。カエデちゃんも一緒―」

「あれ?」

 てっきり殺されると思ったのだが、意外にもルニャからは殺気らしきものはない。

 ただ、ルニャの雰囲気がおかしいことは一目でわかる。

「うにゃにゃー」

 すりすり

 ルニャに胸元に頬釣りされ、イオはどうしたらいいのかと迷う。

「う、うにゃにゃー?」

 すりすり

 カエデは頬を赤くしてルニャを真似し始めた。

「カエデ。恥ずかしいならしなくていいぞ。つうかお前もやめろ」

「・・・・・・うん」

 カエデはイオから離れると、慌ててイオから顔をそらした。

 イオはルニャの首根っこをつかみ、ヒョイと持ち上げる。

「お前、マタタビ使っただろ」

「? イオあたり―」

 そう言うと、ルニャは両手でイオを押し倒し、その上にのしかかった。

「お、おい」

「えっとね。女の子生みたい―」

 ルニャは服に手をかけ、そろそろと脱ごうとし始める。

 その顔が赤いのはマタタビのせいか、恥ずかしさなのか。それともその両方から来ているのかどうかイオにはわからない。

 が、これは今までで一番危険なところにいるということはすぐに分かった。

「や、やめろ」

 イオはルニャを押しのけようと両手を突き出すが、帰ってきた感触は柔らかな物だった。

「あんっ。イオ急ぎすぎー」

「あ、こ、これは、ふ、不可抗力だ!」

 怒られると思ったが、ルニャは怒っている様子がない。

 むしろ、口元に手を当て面白そうに笑っている。

「顔赤くして可愛いー。ね、もっと、もんで? イオの手、気持ちいい」

(おい。こいつマタタビ効きすぎだろ! 思いっきり発情してるじゃねえか!)

「おいしそー」

 次の獲物を見つけたのか、ルニャはイオから離れる。

 ルニャが向かう方向にいるのは、カエデだった。

 カエデはれっきとした女の子だ。

 女であるルニャがカエデに何かすることはないだろうと、イオはホッと胸をなでおろした。

「ネコさん?」

「いただきまーす」

「ひゃんっ」

「ちょ、まてよ!」

 ルニャがカエデの翼をパクッと咥えた。

「あ、あ。ネコさ、ん。食べない・・・・・・で」

 目をギュっと閉じ、耐えるようにカエデは下唇をかむ。

 男とか女とか、今のルニャは見境がなくなってしまっている。

「おい。カエデが嫌がってるぞ。そろそろやめてやっ!」

「み、ないで・・・・・・あんっ」

 カエデの制服のボタンをはずし、翼をくわえたままルニャはカエデの胸をもみ始めた。

 これは、止めようにも止められない。

 カエデのあんな姿を見れば、ルニャを止められても、下手をしたら自分を止められなくなるかもしれない。

 女のルニャならまだ何とかなるかもしれないが、男のイオのほうがカエデの被害が大きくなる、とイオは計算して、ルニャが収まるのを部屋から出て待つことにした。






「おやつひどい。助けてくれなかった」

「でも、見られるのは恥ずかしかったんだろ? それに、俺が出た後こいつもすぐ寝たみたいでよかったじゃないか」

「見ないで助けてほしかった」

「無茶を言うな」

 眠りについたルニャの頭をなでながら一応カエデに謝っておく。

 でも、あの時もう少しカエデを見といた方がよかったかもな、と少し思ってしまった。

「思い出したら血、全部吸う・・・・・・!」

 両肩を抱き、八重歯を覗かせるカエデ。

 血を全部吸われて死ぬのは勘弁だ。

 惜しい気もするが、できるだけ思い出さないよう努力しようかと決める。

 でも、ルニャが起きてからは少し怖い。

 昨日はルニャとカエデの恥ずかしい姿を見た後は、何か痛い目を見ていた。

 ということは、ルニャが起きてからひっかかれる可能性は十分にあり得る。

「こいつの爪痛いからな」

「おやつ悪くない。ネコさん説得する」

「それは頼もしいな」

「カエデは頼もしい。カエデは頼もしい。うん。頼もしい」

 なんだかカエデが一人でうなずき始めた。

 どうにも頼りなさそうなのは、口に出さないほうがいいのだろう。

「そういえばこの学院授業はいつなんだ? 昨日も行ってた様子ないけど」

「自由」

「自由? 行っても行かなくてもいいってことか?」

「うん。ネコさんあんまり行ってないって言ってた」

「カエデはどうなんだ?」

「いってな・・・・・・たまに行く」

 思いっきり目をそらされた。

 なんだか嘘くさい。

 でも、自由登校なら気が楽でいいし、災厄の場合いかないという手もある。

 というより、そんなところに行く気はまるっきり出ない。

 そういうわけで、イオは学院には行かないことに決めた。

「お腹かわいた」

「もうそんな時間か」

 イオは時計を見るとカエデのそばによる。

 『お腹かわいた』。これは血が欲しいときにカエデがいう言葉だ。

 どうやら血も食事と同じで、一日三回吸うのが健康にもいいみたいだ。

 イオが目を瞑ると、カエデは服を脱ぎ捨てる。ペロリとカエデはイオの首筋を舐め、一気に噛みついた。

 イオは一瞬痛みに顔をしかめたが、すぐに痛みは薄れた。

「今度飲むとき用の服買わないとな」

「お金ない」

「こいつも金欠だしな。稼ぐのも大変だし、学院長にでも頼んでみるか」

「たのもたのも」

「明日な。あと、吸いながら喋るな。痛い」

「ごめんなさい」

「・・・・・・」

 しばらくたって血を吸い終わったカエデは、垂れて体についた血を拭き取ると制服を着なおす。

 イオは閉じていた目を開け、久しぶりの光に思わず目を細めた。

 別にカエデが血をゆっくり吸えば服を脱ぐ必要はないのだが、ゆっくり吸うのは大変らしい。何でも、ゆっくり吸うのと自分のペースで吸うのでは、自分のペースで吸うほうがおいしいらしい。

 吸血鬼の感性はよくわからない。

 問題点をあげるとすれば、カエデが自分のペースで血を吸うと、血がこぼれることだ。

「服買うより、マイペースで飲んでもこぼれないよう練習したほうがいいかもな。俺も必要以上に血を持っていかれるのは好ましくないし」

「うう。がんばったらできるけど、大変」

「できるだけ頑張ってくれ」

「おやつのために頑張ってみる」

 イオが頭をなでると、嬉しそうにカエデは目を閉じた。

 しばらくして目覚めたルニャは、マタタビで発情していた時のことは覚えていないようだった。

 それを聞いたカエデはホッと安堵の息をついていた。

 説得する必要がなくなって安心したのだろうか。

「おニャかすいたかも」

「ネコさんご飯作って」

「カエデちゃんもぺこぺこ?」

 コクンとうなずく。

「イオも?」

「空いてるっちゃあ、空いてるな」

「もう。おんニャの子がせっかく聞いてるんだからちゃんと答えてよ」

「そこは頑張って女の子って言ってほしかったな」

「私無理だもん。で、おニャか空いてるの?」

 ルニャは頬を膨らませる。

 ケットシーも頑張れば『な』を言えるようになるのだが、まだ若いルニャには無理なことだ。実は一人でお風呂に入っているときにこっそり練習しているのだが、未だに『な』を言えたことはなかった。

「空いてるな。作ってくれるのか?」

「うん! ご飯は一緒に食べたほうが楽しいもんね」

「むぅ。カエデも一緒に食べる!」

 かやの外に追い出されたとでも思ったのか、カエデはイオとルニャの服を引っ張り、頬を膨らませる。

 イオとルニャは顔を見合わせ苦笑した。

 ルニャがエプロンを着ると、さっさと料理を始めた。

 カエデはテレビをつけると、食い入るように見始める。

(暇だ)

 料理中のルニャは会話がないし、テレビを見ているカエデに話しかけても「うるさい」と言われテレビから視線を離さない。

 イオは部屋から出ることにした。

「お前が俺か」

「?」

 廊下ですれ違ったコートをかぶりこんだ人物の声にイオは振り返る。

「気のせいだったか?」

 だが、誰一人この廊下にはいなかった。

 扉の開いた音もなかったし、気のせいだったのだろうか。

 部屋に戻っても暇なことだし、イオは適当にぶらつくことにした。






「おやつ?」

 部屋に戻ってきたイオにカエデは首を傾げる。

 なぜ、この暑いなかコートを着ているのだろうか。

 確かイオが出ていく時、コートを持ってなかったし、金もないと言っていたはずだ。

「誰?」

 ルニャは料理に集中しているせいか、カエデの様子に気づいていない。

「俺だ」

 イオはコートを脱ぎ、片手で持つ。

 確かに顔、体系、魔力の質などすべてイオと同じものだ。

 だがもう一度問う。

「あなた、誰? おやつじゃない」

「・・・・・・おいネコ」

「ネコじゃニャくてルニャ! あ、ルニャじゃニャくてニャが言えニャい・・・・・・」

「ルナ、か? 念のために聞くが、俺の名前覚えてるか?」

 ルニャは火を消すと、イオを訝しげに眺める。

「カイどうしたの?」

「いや。忘れてなかったらそれでいい」

 その瞬間、ルニャはイオの後ろに回り込み十センチに伸ばした爪を胸に当て、カエデはイオの首をいつでも噛みちぎれるように歯を当てる。

 この態勢だと、イオが逃げる間もなく殺すことだってできる。

「あニャた、誰ニャの?」

「おひゃひゅひゃひゃい(おやつじゃない)」

 それが分かったのか、イオは両手をあげる。

 どうでもいいが、カエデは威嚇のつもりでイオの首にいつでも噛みつけるようにしていたが、欲に負けて血を吸い始めていた。

 だが、少し強く噛めば動脈を噛みちぎることができる。

「俺はお前らのしってる俺だが俺じゃない」

「どういうこと?」

 イオは口元を歪め、今までイオが隠してきたであろうことを口にする。

「魔王サタナス・イブリールだ」

 その言葉を残し、イオ・・・・・・魔王サタナスは虚空へと姿を消した。

 取り残されたルニャとカエデはただ、魔王サタナスが消えた場所を呆然と見ていることしかできなかった

 ポタッとカエデの顎から滴り落ちた魔王サタナスの血の味は、イオと全く同じ味だった。






 イオが部屋に戻ると、突然猫の引っ掻きと、吸血鬼の噛みつき攻撃にあった。

 その猫と吸血鬼を正座させ、イオは痛む顔と首をさする。

「で、なんで俺はひっかかれて噛まれたんだ? なんとなくだったらとりあえず一発殴らせろ」

「女の子殴るなんて。おやつひどい」

「待て! まだ殴ってないし、先にやられたのは俺だぞ!」

「・・・・・・どういうことニャの」

「ん?」

「イオにあった」

 その言葉で、カエデはうつむく。

 ルニャの声は、いつもと違ってどこか真剣みを帯びていた。

 イオはとてつもなく嫌な予感がしていた。

「魔王サタニャス・イブリールって、どういうことニャの? ・・・・・・さたにゃ。もういい」

「よく頑張ったな」

「そんニャことはどうでもいいの!」

「どうでもいい」

 イオはため息をつく。

 いつかはばれるとは思っていたが、まさか過去から来た自分にばらされるとは予想外だった。

 だが、本当に過去から来た自分だったとすれば、それはかなりまずいことになりそうだ。

「確かに俺は、過去に魔王サタナス・イブリールって呼ばれてた。たぶん、お前らが知っての通りの内容でだ」

「おやつ、嘘、だよね」

 うつむいたままカエデは震える声でそう言っていた。

 ここは嘘だと言ってやりたい。

(こいつらに離れられても、過去と同じに戻るだけだ・・・・・・なにも、問題はない)

「嘘じゃない。正真正銘、過去に大量の人間を殺してきた魔王サタナス・イブリール本人だ」

 魔王は誰かがつけたものだが、今はどうでもよかった。

 ルニャが猫耳をピョコッと動かすと、唐突に立ち上がった。

「ニャんで、教えてくれニャかったの?」

「教えられるわけないだろ。大量殺人を犯してんだぞ? そんなこと教えたら、お前ら俺から離れるだろ」

 ああそうか。

 魔王復活で世間が慌てるとか、もうどうでもよかったのだ。

 ルニャとカエデ。

 この二人が自分から離れるのが、怖かった。

「おやつ馬鹿」

「カエデちゃんの言う通り、イオは馬鹿」

「なっ! これでも俺はお前らとっ!」

 ネコと吸血鬼に抱き付かれ、イオは言葉を失う。

 暖かく、柔らかく、か細い存在。

「私は、他の誰もがイオを否定してもイオを肯定する。過去に犯した罪は消えニャいけど、えーと。消えニャいんだけど、カエデちゃんパス!」

「おやつはカエデのものなの! だから、一緒にいなくちゃダメ。おやつの血・・・・・・好き。離れちゃいや。おやついなくなったら、カエデいっぱい泣く」

 恥ずかしそうにカエデは頬を赤くし、顔をわずかにそらす。

 ルニャはカエデの今の発言に、目を少し大きく開いている。

「か、カエデちゃんには負けニャいんだから!」

「ネコさんには負けない」

 二人の間にライバル心が芽生えたようだが、抱き付いていない時にやってほしい。

 二人の手に力が入って少し痛い。

 特にルニャが。

「お前ら怖くないのか? 俺のこと」

 それを聞いた二人は首を傾げ、同時に言う。

「「怖くな(ニャ)い」」

 何の迷いもない言葉。

「イオはイオだよ。昔のイオは知らニャいけど、私たちは今のイオを知ってるもん。それに、もしイオが暴れても、私一人でも十分止めれるし」

 コクコクとカエデも同意するかのようにうなずく。

 怖がられないことはうれしい。

 が、一つ納得いかないことがある。

「俺がお前らに負けると?」

「うん」

 即答だった。

「確かにイオは強いよ。ソニアちゃんを簡単に倒したから。あれも多分手加減してたんだと思うけど、私は負ける気がしない」

「おやつに負けない」

 カプカプとカエデは首を甘噛みする。

 これはカエデの中では一体どういう仕草なのだろうか。

「さんざん言われてるけど、俺もお前らには負ける気はしないぞ。魔力はかなり落ちてるけど、身体能力は落ちてないしな」

「魔力ニャしの勝負でも、あたしが勝てるよ」

「引き下がらないな」

 二人はにらみ合うが、ルニャがイオに抱き付いたままの分いまいち迫力に欠けてしまう。

 そしてとうとう我慢できなくなったカエデがイオの首に牙を立て、血を吸い始めた。

 さっきの甘噛みは特別な仕草ではなく、ただ血を吸いたいのを我慢していただけだったのを、痛みに耐えながらイオは知ることとなった。

 せめて、血を吸うのは舐めてからにしてほしかった。

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