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 第二章 吸血鬼に血を吸われた魔王



「罪を見つめなおしてください」

「罪?」

 剣を腰につりさげている少年は問い返す。

 背中から生えている真っ白な美しい翼。

 その手を血で濁した少年も、素直にそう思うことができた。

「はい。あなたは怒りに我を忘れ、罪を犯し続けています。ですが、その罪を見つめなおせばきっと、あなたは変わるはずです」

 下界に来ることがないはずの存在。

 天使

 その天使は少年に向かって、人間が与え続けた恨みではなく、ただ優しさ、もしかしたら憐れみを与えていた。

「・・・・・・」

 天使が何かを言っているが、よくわからない。

 暗闇に取り込まれる感覚にとらわれ、イオはゆっくりと意識を取り戻した。






「ん、なんだ?」

 首に違和感を覚え、イオはぼんやりと目を覚ます。

 何か夢を見ていた気がしたが、よく思い出せない。

「くちゃ、おいしい。んくんく」

 痛いぞ。

 それに鉄のにおいがする。

 イオは視線を首筋に落とす。

 上半身下着姿の少女が抱き付いていた。

 鼻をくすぐった紫色の髪の毛はぼさぼさになっていて、その少女はイオの首に噛みついている。

「おい」

「おいしっ!」

 ビクッと少女の体が震え、ゆっくりと視線が上がる。

 ペロッ

 唇についていた血を一舐めし、少女は手の甲で口周りをぬぐった。

 イオは自分の首筋を触り、血が出ていることを確かめる。

 顔を少女から逸らし、

「いろいろ言いたいことはあるが、まずは服を着てくれ」

「服?」

 イオはわずかに顔を赤らめ、顔をそらす。

 少女は自分の体を見た後、イオを見て、さっき綺麗にたたんでいた制服を見る。

「・・・・・・エッチ」

 頬を赤く染め、少女はそっと両肩を抱くように胸を隠す。

 言い返そうとしたが、下手に振り向いてもう一度少女の下着を見るのはさすがにまずいと思った。

 そういえば、今日一日で女の子の恥ずかしい姿をよく見ている気がする・・・・・・ただし痛い思い出と一緒に。

 イオは少女が着替えている間に首筋に治癒魔術をかける。

 小さな傷だったためか、魔力の低下しているイオでも十分に治せる範囲内だったのが助かった。もともと、この程度の傷では何も問題がないのだが、血が流れるという状況は好ましくない。

「おいしかった」

 着替え終わった少女は開閉一番そういった。

 口から覗く八重歯と、背中から生えている小さな紫色の翼は吸血鬼の証だ。

 ただ、吸血鬼には目に複雑な模様が浮かんでいて、わずかに光っているのだが、それがないということは人間との間に生まれたハーフなのだろう。

つまり「あなたの血は美味しかった」とこの少女は言いたかったのだ。

 イオは脳内でそう解釈をする。

「で、昼寝中の俺の血を勝手に吸ったんだな?」

「お腹すいてた・・・・・・から」

「確か吸血鬼用に血って売ってなかったか?」

 リッカに聞いた話で、実際には自分の目では確かめていないのが、この際はどうでもいい。

 どうして自分の血を吸われたかということが重要なのだ。

「お金ない」

 少女は財布を逆さまにして金がないことをアピールする。

「金がないから血が買えないってことか?」

 うなずく。

「で、のんきに寝てた俺の血を吸ったと」

 またうなずく。

そして、ぐーと小さなかわいらしい音が少女の腹から鳴り響いた。

 少女は恥ずかしそうにわずかに頬を染めると、お腹を押さえる。

「おなかすいた」

「確か血だけじゃ腹膨れないんだったな」

うなずく。

「言葉で返してくれよ。会話が成り立つから構わないけど」

「構わない」

「その構わないはどっちのだ?」

 少女はうなずいた。

「要するに、うなずきで構わないと」

 うなずく。

 イオはため息をつき、こめかみを押さえた。

「お前名前は?」

 少し迷った後、少女はイオを指さした。

「俺からってことか?」

 うなずく。

 特に先に聞く理由もないので、少女の希望通り先に名前を教える。

「イオ・インディシアだ」

「カエデ・・・・・・」

「カエデか。家名は何だ?」

 カエデはうなずく代わりに首を横に振る。

「家名は嫌いだから、あまり言いたくない」

「それでも別にいいか。で、カエデ」

「なに?」

 首を傾げ、カエデはお腹をさする。

 そしてその眼は獲物を見つけた野獣のようだ。

 あまり長いこといると、また血を吸われそうだ。

「吸血鬼に血吸われても何もないのか?」

「・・・・・・」

 気まずそうに顔をそらされた。

 よく観察してみれば、カエデの頬が少し朱色に染まっている。

「何もない」

「さっきの間が気になるんだが」

「・・・・・・その、男の子の血吸ったの初めてで、ちょっと恥ずかしい」

「そういうものなのか」

「そういうものなの」

 よくわからない羞恥心だな、と思った。

 でも、血を吸われて何もないなら安心だ。

 イオの過ごしていた時代では、吸血鬼とは接触がなかったせいでデマしか聞いたことがなかった。

 吸血鬼に血を吸われれば吸血鬼になる。

「たしか、吸血鬼って太陽に弱いんじゃなかったか? お前は大丈夫なのか?」

「ハーフだから平気。でも、純粋な吸血鬼は『あつまる』ダメ」

「『あつまる』? 暑くて丸みたいな形だからか太陽が『あつまる』なのか?」

 カエデは頷き、まぶしそうに目を細めて太陽を見る。

 イオもつられるように太陽を見た。

 確かに太陽を『あつまる』と表現しても通じる人ならば通じそうだ。

 ぐーとカエデのお腹がかわいらしい音を立て、恥ずかしそうに背中を向けた。

 イオは変わったな、と思いながらもカエデに声をかける。

「飯食いに来るか?」

「いいの?」

 振り向いたカエデの顔はどこか嬉しそうだ。

「俺の金じゃないしな。ダメだっても何とかするさ」

 コクコクとうなずき、カエデは屋上のドアに向かってさっさと歩を進める。

 ドアノブに手をかけ振り向いたカエデは、

「はやく」

 そう一言だけ言って、いまだに動いていないイオの手を握る。

「お腹ぺったんこ」

「胸もな」

「っ! こ、これから成長する! ・・・・・・はず」

 イオの一言にショックを受けたのか、カエデは自分の胸を両手でペタペタと触り始めた。

 一応、手を握られているからイオの手もカエデの胸に当たっているのだが、言うとめんどくなりそうだったのでやめた。

 それに、骨が当たっているが、柔らかさもちゃんとあってこれはこれで気持ちいい。

 手を握ったまま歩いていると、校舎を歩くときは注目を浴びてしまった。

 カエデに「手を離さないか?」と聞いても「逃げられたらぺったんこのまま」と言われて、余計に強く握られるだけだった。

 頬を赤くするなら離してくれと思ったが、同時に無駄な抵抗だろうな、とも思った。






「女子寮?」

「一応俺の部屋がここにあるからな」

 女子寮を見たカエデは不思議そうに首を傾げている。

 男子禁制の場所にわざわざ何で来たのだろうと思っているのだろう。

 カエデは少し何かを考えたのか、

「女の子?」

「そうきたか。でもな、俺は正真正銘男だ」

「・・・・・・変態」

 罵られた。

 さっきまで握られていた手も振りほどくように離れ、カエデは自分の身を守るように両肩を抱く。

「変態には乱暴されるって聞いた。痛いのいや。変態ダメ」

「学院長公認のことだ。そこしか住む場所ないのが本音だけどな」

「そうなの?」

 それを聞いたカエデは安心したのか、体から力を抜いた。

「血をくれた人は信じる」

「さっき疑ってなかったか? それはどうでもいいか」

「どうでもいい」

 コクコクとカエデはうなずく。

 カエデが差し出してきた手をイオは握り返す。

 もうルニャの部屋は目と鼻の先だったが、さっきまで握っていたせいで自然と体が反応していた。

 それに、周りからの視線もこうしているほうが一人で歩くよりは落ち着いている。

「イオ?」

「今帰ったのか」

「おさかニャ大量ゲット! その子は?」

 両手で顔の半分ほど隠すほどの袋からは生もののにおいがプンプンと漂ってくる。

 買い物から今帰ってきたのか、ルニャは少ししんどそうだ。

「カエデ」

 視線を向けられ、カエデは自分の名前を言う。

 ぐーというお腹の音も鳴らした。

「おニャかすいてるの?」

「こいつ金ないんだってさ」

 イオが親指でカエデをさすと、コクコクとカエデはうなずく。

「じゃあ一緒に食べニャい? さすがにおさかニャかいすぎちゃって、腐ったら勿体ニャから」

「いい?」

 カエデはイオに顔を向け、そう聞いた。

「こいつがいいって言ってるんだからいいんじゃないのか?」

「大勢で食べたほうが楽しいもんね。で、ちょっと聞いてもいい?」

 ルニャは視線を少し落とし、握っているカエデとイオの手を見る。

 さっきまで笑顔だったルニャの顔から少し笑みが薄れる。

「その手はニャに?」

「何って言われても、なぁ」

「暖かい。結構好き」

「お前のそれは感想で、こいつの回答になってないぞ。絶対に」

「君のも回答にニャってニャい!」

 ルニャの蹴りを回避し、ヒョイっと魚を一匹袋から奪い取る。

 カエデはイオが奪った魚を奪い取り、ガブリとかぶりついた。

「・・・・・・変なにおい」

「おさかニャのいい匂い!」

 ルニャの訂正を無視して、カエデは魚をイオに返品する。

 焼いた魚は食べられても、生はダメだった。匂いがダメだ。

 焼く?

「返して!」

 カエデはイオに返品したばかりの魚を奪い取る。

 焼いた魚が食べられるなら、焼けばいい!

「ああー!」

 ルニャの謎の悲痛の叫びなど無視して、カエデは火炎魔術を使う。

 ボゥ!

 さっきまで生臭かった魚は、ただの煙臭い黒い何かへと変貌してしまった。

「・・・・・・お魚」

「それ私のセリフ! 一番楽しみにしてたやつが―」

 ルニャが魔術で地面を少し削ると、カエデはそこに黒い何かを入れる。

 それを確認したルニャはもう一度魔術を使って地面を埋めた。

 今更だが、手を握っているのだからカエデもしゃがむときには言ってほしい。

 魔術で焼けば食べられると思ったのに・・・・・・残念だ。

「火炎魔術は調整が難しいからな。直接焼こうとしたら大体料理には失敗するんだ。だから、野宿とかする場合は一回木や落ち葉を燃やしてから料理を作る」

「物知り?」

「イオの時代って、ニャんか過酷そうだね」

 時代が過酷だったのではなく、自分のとった行動のせいで過酷だったとは口が裂けても言えない。

 といっても、この知識もとある人物に教えてもらっていたもので、自分で見つけ出したわけではなかった。

「つうか、そろそろ部屋に行かないか? 入口の前にいるせいで、他のやつ結構迷惑してるから」

「わわっ」

 迷惑そうにしている人の顔を見て、ルニャは一人勝手に寮の中へ逃げていった。

「行こ」

 カエデは相変わらずイオの手を握ったままルニャの後を追う。

 それにしても、この手はいつまで握られているのだろうか。






 ルニャのご飯(半分以上が焼き魚)を食べ、イオは風呂に入っていた。

 過去にも風呂はあったが、この入浴剤という物はなかった。

「はぁー」

 ルニャは食べた後、すぐに寝てしまっていた。夜ということと、腹がいっぱいになったのがルニャの睡魔を駆り立てたのだろう。

 カエデは確かテレビを見ていたはずだ。

風呂から出ようとしたときに、扉越しからカエデの声が聞こえてきた。

「おやついる?」

「今入ってる。あと、俺の血がうまいからって俺を『おやつ』って言うのやめろ」

「おやつはおやつ」

 扉越しに意味の分からないことをカエデは言ってきた。

 めんどくさい。

 洗面所をカエデに陣取られているせいで、出ようと思っても出られない。

 さすがに、同い年の女の子に裸を見られるのは恥ずかしい。

「あー、俺もう出るからテレビでも見とけよ」

「見るやつもうない」

「だったらそこから出て行ってくれ。俺が出れない」

「・・・・・・」

 なんだと?

 ちょっと待て。あれはまずいぞ。

 扉越しに見えるカエデのシルエット。

 そのシルエットが、服を唐突に脱ぎ始めた。

 パサッ

 衣擦れの音と今の音。

 あのシルエットに偽りがないことが分かった。

 この風呂場には一応、人一人が何とか通れる窓があるが、そこを通ったところで事態は好転しない。むしろ、女子に見つかって悪化する可能性のほうが高い。

「・・・・・・はい、る」

 そういったカエデはゆっくりと入ってくる。

 とっさに顔をそらそうとしたイオだったが、それはできなかった。

 と同時に、わずかながら安堵を覚えていた。

「恥ずかしいから、じっと見ないで」

「いや待て。恥ずかしいなら入ってくるなよ。包帯で」

 イオがカエデの姿を見ると、カエデは顔を赤くして胸と大切な部分を手で隠すように腕を動かす。

 どのみち、その部分は包帯を巻かれていて見えることはないのだが、服じゃないということが羞恥心へとつながるのだろう。

 包帯は胸と大切な部分だけにまかれていて、そこ以外の白い肌は完全に露出している。恥ずかしさでか、目はわずかに涙で潤んでいる。

「で、なんでそんなかなりマニアックな姿で来たんだ?」

「お礼」

「お礼?」

 お礼と言われても、何かした覚えはない。

 そもそも、裸に包帯という組み合わせを頼んだ覚えなどあるはずもない。

「血くれた」

「ああ。でも訂正するぞ。あれはくれたではなく、奪ったの方が正確だ」

「同じ」

 変なところでこだわりがあるみたいだ。

 イオはため息をつくと、カエデに背中を向ける。

 包帯という謎のもので隠しているとはいえ、まじまじと見るのはさすがに可愛そうだ。

「お礼って何をするつもりなんだ? あまり過激なのはさすがに断るぞ」

「背中」

「できれば必要最低限の言葉をしゃべってくれ。通じることには通じるんだが、そのうちわからないことが出てきそうだ」

「おやつの背中洗う」

 風呂場の唯一の出口をふさがれている以上、従うしかなさそうだ。

 一度カエデに背中を向かせ、イオは腰にタオルを巻いて入浴用椅子に座る。

「あとで血ほしい」

 それを聞いてお礼というより、血をもらうのが目的な気がした。

 カエデはタオルに泡を立てていく。体がほんの少し軽くなった気がしたが、気のせいだろうとカエデは思った。

「あいつの血はダメなのか?」

「ネコさんの血は毒。亜人の血はすっちゃダメ」

 ちなみにネコさんというのはルニャのことだ。ネコさんと言われたとき、ルニャは明らかに嫌そうな顔をしていた。

それに気づいていないのか、ルニャのことを呼ぶときはずっとネコさんだ。

ネコさんと魚のこともあってか、ルニャは少しカエデと距離を置いてしまっている。

「そいつは残念だな」

「ネコさんの血も吸いたかったのに残念」

 カエデはそういうと、洗い終わったのかイオの背中に湯をかける。

そしてそのままイオに抱き付くと、ペロリとカエデはイオの首筋をなめた。

 ゾクッとする感覚にとらわれたが、もう一度ぺろりと舐められた。

「にゃ、ニャに・・・・・・してるの」

 洗面所を見ると、眠たそうに目をこすっているポーズのまま、目を見開いて固まっているルニャがいた。

「ネコさん」

 カエデはイオから体を離し、ルニャに向き直る。

 イオもルニャを見て、ついでにカエデを見てすぐにルニャに視線を戻した。

「お、おい、カエデ!」

 思わず声が裏返ってしまった。

 いろいろとまずい。

「・・・・・・イオ」

 ルニャは冷たいまなざしをイオに送ると、爪を十センチほど伸ばした後出ていった。

「お、おい!」

 イオの声にルニャは振り向いてくれなかった。

 こめかみを抑えると、イオはカエデを見ないように座る。

 確かにこれはルニャが何かを思っても文句は言えない。

「カエデ。出て行ってくれ」

「ネコさんなんで怒ってたの?」

「自分の姿を見ればわかる」

 カエデは言われたとおりに自分の体を見る。

 確か包帯を巻いていたはずだから、何も問題はないはずなのだが・・・・・・

「っ!」

 自分の体を見た瞬間、カエデは硬直した。

「え? なんで、ちゃんと」

 頭が混乱する。

 なんで、なんで素っ裸なの?

 確かに包帯はちゃんと巻いていたはずだ。

 ペタペタと体を触ってみても、確かに包帯の感触がない。

「カエデ」

「・・・・・・」

 今更ながらイオがいることを思いだし、顔を真っ赤に染めていく。

 さっき、イオはカエデを一瞬だけだが見ていた。

(みら・・・・・・れた?)

 男の子に、裸を、この小さな胸を見られた。

 しかも、この姿でイオに抱き付いて首を舐めまで・・・・・・

 目に涙が浮かんでくる。泣きそうになったが、それは何とか抑えることができた。

 イオが振り向かずに差し出してきた包帯を無言で受け取ると、洗面所に置いてある服を拾い上げる。着替えはここから出てからだ。一刻も早く、ここから離れたかった。

「・・・・・・おやつ嫌い」

 出ていく間際に、ボソッとカエデは言葉を漏らす。

 ドアが閉まると同時に、イオは大きなため息をついた。

「やべ。カエデの言葉結構きたぞ」

 初めて女の子に嫌いと言われた。

 これはさすがに落ち込みを隠せない。

 風呂から出た後、イオはルニャの引っ掻き攻撃を受け、カエデには噛みつかれた上に無視された。

 そういえば、風呂場にタオルはなかったのだが、一体何で洗われていたのだろうか。  



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