第一章 蘇り魔王
意識が戻るとシャワーの音と鼻歌が聞こえてきた。
「にゃ?」
鼻歌は唐突に止まり、ネコみたいな声が聞こえてきた。
少年は疑問に思い、閉じられていた目を開けると、ピンク色と肌色が目の前に飛び込んできた。
それは人の姿をしていたが、一言でいうと人間ではなかった。
ピンク色の髪の毛からは、猫耳を思わせる耳が生えていて、腰からはピンク色の尻尾が伸びている。
身長は少年より頭一つ分小さく、それと同じように胸も小さい。
濡れている髪の毛からは水滴が落ち、鎖骨をつたう。
一言でいえば、ネコの女の子だった。
少女の顔のかわいらしさ、体のプロポーション、パチパチと瞬かせている目、それらすべてに少年は見とれていた。
「ぎ、ぎにゃあああああああああ!! へ、変態!!」
「なっ、てめっ!」
振り下ろされる爪をかわそうと思ったが、湯船にいたために回避が遅れ、とても鋭い爪が少年の顔を切り裂いた。
意識を失う前、少年はネコ少女の爪が十センチほど伸びていた気がした。
「で、その坊やが突然君の裸を見たと?」
「はい。私がお風呂に入ってたら、突然湯船に現れました」
ネコ少女は少年を指さし、猫耳と尻尾を逆立て、猫耳に結ばれている水色のリボンが揺れる。
頬をわずかに赤らめ、片手で小さな胸を多い隠し、もう一方の手はミニスカートの裾をギュっと小さな手で押さえていた。
「一応弁解しておくが、別に見たくて見たわけではないからな」
少年はネコ少女にひっかかれた顔を抑えつつ、意味もなさそうな弁解をする。
「変態はだまってて!」
「落ち着きたまえ。それに、もしかするとその坊やは運悪く君の裸を見ただけなのかもしれない」
「う、運が悪かったってどういうことですか!? 学院長!」
「胸が小さいって遠回りに言ってるんだろうよ」
ネコ少女の蹴りを少年はかわしつつ、学院長と呼ばれた女を観察する。
白い髪の毛は腰ぐらいまで伸びていて、高そうなコートを羽織っている。
ネコ少女の身体的特徴を遠まわしに指摘しただけあって、その胸は十分に豊かだ。
見た目は隣のネコ少女と違い、普通の人間の姿をしているのだが、
「あんた、竜人だろ」
「にゃっ!? き、君、人間ニャのにわかるの?」
「ああ。この女、人間の姿をしてるが、威圧が他の人間とは違う。あと、ここはいったいどうなってる。ケットシー、吸血鬼、エルフ、サラマンダー、他にも亜人がいた。本来亜人ってのはそれぞれが分かれて暮らしているはずだ。なのになんでここには亜人が複数の種類集まってるんだ」
ネコ少女は見開いていた目を一度閉じ、にゃははと、バカにした風に笑う。
「君、どのぐらい昔の話してるの? それはずいぶん昔の話。確か、数百年も前のね」
「数百年か。ずいぶん長かったな」
「にゃがい?」
「たしかに、封印されていたと考えれば長いほうかね」
学院長は腕を組み、少年を一瞥する。
「封印、ですか?」
ネコ少女は不思議そうに首を傾げ、思い出した風ににゃっと猫耳をピンと立たせる。
「まさかとは思うが、知らないとは言わないよな? 君は確か十六だったな。授業では、当然やっているのだろう?」
「あ、あのえーと。じゅ、授業でやったってことはその、思い出したような思い出してニャいような」
額に汗を光らせ、ネコ少女は涙目で少年のほうを見る。
そうしている間に学院長は指を鳴らしながらネコ少女に近づいていく。
はぁとため息をつくと、少年はネコ少女に教えてやることにした。
「封印ってのは封印魔術のことだ。対象の人間を時には物に、時には別次元へと封印する。俺の場合はどっちでもないが、この際はどうでもいい。で、時間がたてば封印は魔力爆発を起こしながら解かれる」
「ふむ。いい回答だ。助かったな、にゃー娘」
「にゃ、にゃー娘じゃにゃいです! 私は、ルニャ・インディシア! それが私のニャまえです! ・・・・・・ルニャじゃニャくてルニャで、あーニャが言えニャい」
ニャーニャー合戦をしたと思ったら、一人で肩を落とし落ち込むルニャ。
少年は説明を求めるように笑いをかみ殺している学院長を見る。
「そのにゃー娘はケットシーなのだ。特徴としては人間より魔力が高くて身体能力が高いことだな。あとは、『な』をニャとしか言えないことだ」
「それはまた、変な呪いがあるもんだな」
ということは、ルニャなのだから本当はルナ、ということなのだろうか。
本人がルニャと名乗ったのだから、名前を呼ぶときはルニャと呼べばいいか、と勝手に少年は決めた。
「の、呪いじゃニャいよ!」
「俺の名前は『ななな』だ」
「にゃ、ニャニャニャ? 絶対嘘だ!」
さすがにばれたようだ。
少年は頭をかき、にらんでくるルニャに本当の名前を言おうとして口を閉ざした。
本名を知られるのはかなりまずい。
相手がだれであろうと、自分の本当の正体を知られるのはできるだけ避けておきたい。
「にゃー娘。学院長命令として君はしばらく自室謹慎を命ずる」
「ニャんで!?」
「ほう? 私に逆らうのかね?」
「わ、わかりました」
ルニャは子猫のように身を縮ませ学院長室から出ていく。
少年はルニャの足音が離れていったのを確かめると、学院長に向き直る。
「ちなみに私の名前はスナク・リアクスーラだ」
「スナク。お前は俺のことに気づいているのか?」
少年の問いにスナクは背中を向ける。
「ああ。君が数百年前、殺戮の限りを尽くした魔王サタナス・イブリールなのだろう?」
「自室謹慎は終了だってさ」
少年がルニャの部屋に戻ると、ルニャは焼き魚をおいしそうに食べていた。
テーブルの上に置かれている皿にはまだ食べられていない魚が三匹。その隣にはきれいに身だけを食べられた骨魚が二匹。
今食べている分を合わせて、合計六匹の魚を食べる気なのだろうか。
と、どうでもいい考えを脳内から追い出し少年は魚を一匹もらうことにした。
「塩をかけるとはニャ丸だからね。で、君もさかニャ好き?」
「どっちかというと俺は肉派だな」
「残念」
そういう割には残念そうではない。
「お前は魚派か?」
「大好物!」
パッと笑い、新しい魚を捕食していく。
少年も魚をかじってみる。なかなかにうまい。
「そういえば、私ニャんで自室謹慎ニャんかさせられたのかニャ。一瞬だったけど。それと、女子寮は男子禁制だよ?」
「学院長権限でどうにかしてもらった。何しろ俺は数百年も前の人間だ。金もない、知り合いもいるわけがない」
「あ、ごめん」
ルニャは猫耳をしゅんと寝かせ、申し訳なさそうに謝る。
知り合いがいないというのは、過去に魔王と呼ばれていた時に殺してしまったということなのだが、説明をしたくはなかった。
それに、どのみち数百年もたっているのだから、殺していなかったとしても寿命で死んでいる。
亜人ならば数百年生きる種族もいるが、あいにく過去に亜人の知り合いはいなかった。
「ご飯食べる?」
「いや、魚二匹でいい。つうか、お前六匹も食べようとしてたのか?」
差し出された魚を受け取ると、骨だけになった骨魚を皿に乗っける。
一匹でもそこそこ腹が膨れる物を、その小さな体に入りきるものだろうか。
「ニャんか、私大食いみたいニャの」
「大食いね」
「む、胸は関係ニャいよ!」
「よく俺がそれだけ食べて小さな胸だな、って思ってたのわかったな」
「やっぱり思ってたんだ!」
胸を隠すように両肩を抱き、頬をわずかに朱色に染める。
少年は魚を食べ終えると、唸りながら睨んでくるルニャをよそに、腰に掛けてある剣をテーブルに置くとベッドに寝転がった。
「寝るの?」
一瞬少年の剣に目が行ったルニャだったが、すぐに興味を失っていた。
武器を持っていることなど珍しくなく、純粋にどんな武器を少年が持っているのかを確認したかったのだろう。
「ああ。封印のせいで魔力が大幅に落ちてる。身体能力に差はないんだけど、すこし疲れた」
「真ん中で寝たら私も寝にくいから少し端によってね」
「はいよ」
一緒に寝る気なのか、と聞き返すのもだるく、少年は少し端によると目を閉じる。
数百年。
ずいぶん長い年月だったな、と少年は思った。
少年の過ごしていた時代では、亜人たちはそれぞれの種族で暮らしていたし、このようなベッドもなかった。
(どうでもいいか。でも、俺はこの時代でやっていけるのだろうか)
それが唯一の心配点だった。
自分のふがいなさで死ぬのは、まぁ未練はあるが別にいい。
ただ、これ以上誰かを殺してしまうことだけは嫌だった。
(大丈夫だろ。過去では俺も怒り狂って殺してただけだ。ここじゃそのきっかけもないだろうし、魔力の劣ってる俺じゃすぐ止められちまうしな)
「ぐはっ!」
「やった!」
「やった! じゃねえ! 人が寝ようとしてるときに蹴りを入れるやつがいるか!」
少年が怒鳴りながら睨むと、ルニャはビクッと肩を震わせる。
「だ、だって・・・・・・君暗そうニャ顔してたから」
殴り返そうとしていた手をおろし、少年はため息をつく。
女に心配されるなんて情けない。
けど、
「それだったらもうちょっと方法あるだろ。言葉かけてくれるなり、楽しいことしてくれるとか」
目を見開いているのは考え付かなかったということだろうか。
少年はそれでも、自分を慰めようとしてくれたルニャに少しは感謝した。
「でもな、俺は別に落ち込んでたわけじゃない。ちょっと過去のことを思い出してただけだ」
「そうニャの?」
「ああ」
「そっか。蹴ってごめんね」
ルニャは頭を下げる。
少年が寝転がると、ルニャも同じようにベッドに寝転がる。
一応少年も年頃の男の子だ。
「お前は無知なのか?」
「へ、変ニャことされそうにニャっても、君ぐらいニャら押し倒せるもん」
ルニャの顔を見ると赤くなっているが、威嚇をするように腕をあげていた。
確かに、魔力の劣っている今ではケットシーに魔力では確実に劣っているだろう。
だがしかし。
「俺はお前に負けるとは思えないけどな」
「っ! 私に勝てるってこと?」
「おい待て。魔力をわざわざあげるな」
少年が手を前に出すと、ルニャは息をつくとあげていた魔力を下げる。
まさか、変に出した挑発に乗ってくるとは思わなかった。
それに、さっきのルニャの目は、ほんの少しだけだが恐怖を覚えてしまった。
別次元だった。
今まで何人もの人間を見てきたことがあるが、ルニャのさっきの目だけは、他の人間にはないものが含まれている。
「あはは。私挑発に弱いのよね。だから、挑発する時は覚悟してね?」
にっこりと笑われたが、どうしても素直に可愛いと思うことができなかった。
それでも少し可愛いと思ってしまったのは、ちょっと悔しい。
「今更だけど、君のニャまえは?」
「本当に今更だな」
その質問に少年は少し考える。
学院長のルナクにばれたとき何もなかったが、ルニャも何もないとは限らない。
怖がられ、世間に広まって面倒なことになるのは良くない。
「もしかして覚えてニャい、とか?」
「え?」
「封印魔術の後遺症かニャ。も、もしかして記憶喪失!?」
本気で慌てているルニャに苦笑しつつ、少年は話しを合わせることにした。
「まぁ、そんなところだ。っつても、名前以外のことはちゃんと覚えてるから大丈夫だ」
それを聞いたルニャは胸をなでおろし、ホッと息をつく。
すっかりと眠気も取れてしまい、少年は上半身を起こす。ルニャもそれにつられるように上半身を起こした。
「本当にニャまえ思い出せニャいの?」
「残念ながら思い出せないな」
「じゃ、じゃあ。私がつけてあげてもいい?」
目をキラキラと光らせ、ルニャは腕をついて少年を見上げるように見る。
胸が小さいせいか、ブカブカの胸元から見える鎖骨や、わずかな膨らみが目の毒だ。
「べ、別にいいぞ」
名前など特にどうでもよかった。
それに、変な名前を付けられそうになれば自分で考えればいい。
たとえばキラとか? なんかいろいろな意味でダメな気がした。
「イオ。イオ・インディシア! ・・・・・・ニャんてどう・・・・・・かニャ?」
ルニャはわずかに頬を赤くし、はにかむように口元に手を当てる。
いい名前だと、少年は素直に思った。
インディシアという名前は、ついさっき聞いたような気もしたが、すぐに思い出せない。
「それでいいんじゃね」
「ほ、本当にいいの?」
「名前なんてそこまで気にするもんでもないしな。ま、ニャが付いてたら却下だったけど」
パァッと顔を輝かせ、猫耳と尻尾をピンと立ててルニャはうれしさを表現していた。
少年・・・・・・イオと新たに名前を付けられた少年は、嬉しそうにしているルニャに声をかけた。
「そういや、俺この学院に入ることになった。お前と同じクラスで」
「うにゃ?」
首を傾げ、ニャんのこと? と疑問形でルニャは聞いてきた。
「なんか、あの女が俺に入れとか言いやがったんだ」
今でもはっきりと覚えている。
『君が入らなければ、君が魔王だということを世間にばらまくぞ? さて、心を入れ替えて殺戮をやめた君が、世間が騒ぐ要因を作るかな?』
と、脅迫じみたことを言われていた。
あの女の考えることは全く分からない。というより、竜人の考えることなどいちいち考えたくもない。
目を開けると、今度こそ目をキラキラと光らせ、猫耳をピョコピョコと動かし、尻尾をフリフリとルニャは動かしていた。
おそらくこれはケットシーの無意識での動きなのだろう。
ケットシーのことはよくわかってはいないが、なんとなくわかる。
ものすごく喜ばれている。
「ほ、本当ニャんだよね!? 嘘じゃニャいよね!?」
「ああ。嘘じゃない」
イオは迫ってきていたルニャの顔を押しのけながら肯定する。
まさか、ここまで喜ばれるとは思いもしなかった。
ガバッとルニャは起き上がると、唐突にイオの腕を引っ張り始めた。
「俺の腕を千切る気かっ!」
「わわっ! 急におっきニャ声出さニャいでよ。びっくりするのに」
それは俺のセリフだ、と言おうとしたがやめておいた。
イオは起き上がると、ドアの前でそわそわとしているルニャの肩に手を置く。
はニャ? と少し可愛らしい声をあげていた。
「学院の案内頼んでもいいか? もしそのため以外で腕引っ張ったんなら、一発殴らせろ」
「殴られるのは嫌かニャ」
顔の前でバッテンを作り、ダメとルニャは言う。
「わかってるって。で、頼めるか?」
「うん!」
また嬉しそうに猫耳をピョコピョコと動かす。
「ハニャアッ」
イオがなんとなく猫耳を触ってみると、突然ルニャはペタンと地面にお尻から座り込んでしまった。
「お、おい」
「うー。耳弱いのに」
猫耳を両手で押さえ、ルニャはイオをにらむ。
「触られちゃうと力抜けちゃうから、次からは触らニャいでね! いい?」
「とりあえずひっかこうとしてる手をひっこめろ。あとなんだその爪」
「ケットシー自慢の十センチ爪! 爪は大事に手入れしてるから、切れ味抜群!」
ビュンビュンと爪を振り回すルニャ。
その爪は十センチほどまで伸びていた。
おそらくこれもケットシーの特性なのだろう。
ルニャの爪を振っている仕草を見ていると、ビリッ。
「わにゃー!?」
服をかすっただけで、ルニャの服は破れてしまった。切れ味抜群とは、かするだけで破れることを意味していたのか。
爪を元のサイズに戻し、破れた部分をルニャはじっくりとみる。
「ううー。血出てきちゃった」
「どんだけ切れ味あるんだよ!」
「石も切れる」
「どんな凶器だよ、それ」
下手な武器よりも、よっぽど凶悪だ。
ブイ、と指を向けられても、素直にすごいと思えなかった。
涙目で破れた服を見ているルニャの服を見る。
脇腹のあたりで白い肌が破れた所から覗いていて、爪で切れたであろう場所からは一筋の血が流れている。
服のほうはきれいに切れているために、縫えば再利用は可能な範囲だ。
「傷跡にならないといいな」
「うー。やっぱ傷にニャるの?」
「どうだろうな」
イオが傷を触るとルニャは顔をしかめた。
かすっただけだというのに、意外と深く切れている。
もし、深くルニャの爪が当たっていたら致命傷だった可能性すらもある。
「治癒魔術使えるか?」
「その手があった!」
思い出したかのように猫耳をピンと立て、顔を輝かせた。
ルニャは目を瞑り、傷に手を当てる。
(さすがはケットシーだな)
傷周りに緑色の暖かな光が集まる。
顔をしかめていたルニャの顔も穏やかになっていき、その効果が一目でわかる。
本来治癒魔術というのは高位な魔術で使えるものが少なく、使えても下手な物ならば大量の魔力を消費してしまう。その結果魔力が枯渇してしまい、傷が治らないということもよくある。
「終わりっと」
手を離したルニャの肌はすっかりと傷が治っていて、傷があったのかすら疑ってしまうほどだ。
ケットシーは魔術の才能が高いとは聞いていたが、これはルニャ本人の才能も飛びぬけているのかもしれない。
「あ、あんまり見ニャいでよ。ちょっと恥ずかしい」
破れた所を手で覆い隠し、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「治癒術自体あんま見ないけど、お前は得意なのか?」
「苦手ニャ方かニャ」
「苦手、か」
だとすると、得意な魔術はどんなものだろうかと興味が少し出てしまう。
が、それは聞かないことにした。
なんとなく、身の危険を感じてしまったのだ。
「傷が治ってよかったな」
「でも服が―」
涙目で服を何とかできないか考えているみたいだが、服を魔術で治すのは難しいだろう。
それをルニャもわかっているのか、あきらめてタンスに向かう。
新しい服を手に取り、着ている服に手をかけると思い出したように、
「で、出てって!」
「はいはい」
部屋から出ると、部屋の中から服の脱ぐ音が聞こえてくる。
前を通る女子生徒の目が警戒しているのは、魔王としての本質を見抜いたわけではなく、女子寮に男子がいることに不信感を覚えているのだろう。
ひそひそとこちらを見られたり、避けて歩かれているのはあまりいい気分ではない。中には、イオの顔を見て男とわかると、目に涙を浮かべて逃げていった女の子もいた。
・・・・・・さすがにあれは傷ついた。
学院長もそういうところは生徒に伝えておいてほしかったが、愚痴を漏らしても仕方がない。
「ねーねー」
「ん?」
猫耳の次は犬耳。
イオの服を引っ張ってきたのは女の子だった。
小柄だと思っていたルニャよりほんの少しだけ小さいのに、胸がルニャより少し大きい。
黄色い髪の毛は腰まで伸びていて、大きな目も髪の毛と同じく黄色。
そして、髪の毛からは黄色の犬耳。
「誰だ?」
「私はリッカ。リッカ・アベラント。あなたは?」
自分を指さした後、イオを指さす。
「イオだ。イオ・インディシア」
それを言った瞬間、周りの女子たちの足が止まった。
リッカに至っては、目をパチパチと瞬かせ、ポカンと口を開けて固まっている。
何かまずいことを言ったのだろうか。
いや、ルニャに付けられた名前を言っただけのはずだ。
だというのになぜか周りの女子たちは、またイオの顔を見てひそひそと話をし始めた。
「聞いた? インディシアだって」「あの子双子だったの?」「聞いたことないない」「じゃあ彼氏?」「あー。あのひとかっこいいしね」「でもニャー娘だよ?」
(そうか。インディシアってどっかで聞いたと思ったら、あいつの家名だったな。つうか、ニャー娘って生徒も使ってるのか)
服を引っ張られる感覚にリッカを見ると、うつむいてプルプルと震えていた。
「どうした? 腹でも痛いのか?」
顔を覗き込むように膝を曲げる。
「お、」
「お?」
「お兄ちゃんとルーちゃんってどういう関係ですか!?」
犬耳をピコピコ動かせ、リッカは少し興奮気味だ。
「どういう関係って言われても、何にもないぞ」
さっき誰かが言ってたように双子でもなければ兄妹でもない。
もちろん恋人でもない。
「友達? いや、まだあって数時間だしな」
そもそも、友達とはいったい何なのだろうか。
過去にいたような気がするが、よく覚えていない。
では、友達では無ければいったい何なのだろうか。
「赤の他人ってほどでもないしな」
難しいところだ。
今思ってみれば、過去にルニャみたいな存在はいなかった。
「えーと。じゃあ、お兄ちゃんはルーちゃんとは知り合いってこと?」
「知り合い。そんなところか?」
「なーんだ。ルーちゃんまだ彼氏作ったことないから、やっと彼氏作ったと思ったのに。 ちょっと残念です」
「そういうお前はいるのか?」
「へっ? あ、わ、私はそのそういうのは。あの、ええと」
リッカは頬を赤くし、胸の前で指を弄び始めた。
イオは素直にルニャが出てくるのを待つことにした。
「なあ。お前亜人なのか?」
暇つぶしにリッカに質問する。
「私は人間ですよ? あ、この犬の耳はカチューシャです」
リッカは犬耳を取り外し、イオの目の前に突き出す。確かに作り物の犬耳だ。
リッカは満足そうにうなずくと、カチューシャを付け直す。
「ルーちゃんの猫耳がかわいくて、前猫耳つけたんですよ」
「で、どうだったんだ?」
首を横に振る。
「恥ずかしいからやめて、って言われちゃいました」
「亜人にしては普通の反応なんじゃないか?」
「ううー。私犬より猫のほうが好きなのに。胸もんでも、恥ずかしいからやめてって言われて逃げられちゃいますし。前、次したら絶交と言われたので、最近はしてません」
余計なことを言われたような気もしたが、気のせいのはずだ。
確かに亜人は自分の姿を人間に真似されるのを恥ずかしがるものもいる。
「でも、犬耳の亜人もいるんじゃないのか? そいつらは大丈夫だったのか?」
「あ、はい。この学院には犬さんは数が少ないのであまり会わないので大丈夫です。でも、ケットシーはもっと少ないんですよ?」
「そうなのか?」
イオはあたりを見てみる。
十数人ほどいるが、確かにルニャと同じケットシーは誰一人いない。
あと、そろそろ怪しむ目で見るのもやめてほしい。
「犬はいっぴ・・・・・・一人か」
「今匹って言いかけませんでした?」
「・・・・・・気のせいだ」
匹と数えられるのは、亜人にとって屈辱らしい。
どれぐらいたったか正確なところはわからないが、かなり時間がたっているような気がする。
さっきまで隣で話し相手になっていたリッカは「そろそろ見たいテレビ始まるので、私はお部屋に戻りますね」と、帰って行った。ルニャと遊ぶつもりで来たのではないらしいし、何をしに来たのだろうか。
そーとドアを開け、部屋の中を見てみる。
ルニャは裁縫をしていた。
もちろん、さっき破った服を治しているのだ。
「おいこら。お前は人を外に待たせて何してるんだ」
「わにゃっ!」
ルニャの頭をわしづかみにし、ベッドに放り投げる。
一発殴りたい気分だったが、さすがにそれはかわいそうだった。
「だ、だって」
「こういうのは暇なときにしろよ」
イオはテーブルの上に置かれている服を指さす。
まだ途中だったのか、針のついた糸が服からテーブルに伸びている。
ぱっと見だが、きれいに縫われていた。
「ごめん」
猫耳をしゅんと寝かせ、しょんぼりとルニャは肩を落とす。
「早く直したいのか?」
「お気に入りだったから」
それはそうだろうと思った。
今ルニャの着ている服と、破れた服は色こそ違うものの、形がほとんど一緒だ。
肩が露出し、胸元までが露出している。
座っていたり立っていたりすると何もないが、ルニャが腕をつけば、小さな胸のせいで胸元がちらちらと見え隠れする少し危険な服だ。
過去にはあんな服はなかったが、リッカから仕入れた知識では確か、キャミソールというものだったはず。
「で、あとどのぐらいで治りそうなんだ?」
「あと数分だと思うけど、あんニャい終わってからにするよ」
ルニャはため息をつくと、針を針山に突き立てる。
「数分ぐらいだったら待ってやるよ。さっきのは勝手に裁縫やってたから腹立っただけだ。案内してもらう側なんだから、さっきのも勝手なことだったな。すまん」
イオがベッドに腰掛けると、ルニャは裁縫を始めた。
小さな手は驚くほど器用で、流れ作業のように糸が通されていく。
「お前よく裁縫はするのか?」
ルニャは首を横に振る。
「あんまりしニャい。でも、昔はよくやってた」
「へー。その時も服縫ったのか?」
「・・・・・・それより、どこか見たい場所とかある?」
「いや、見たいところと言われても、何があるのかわかないからな」
明らかに話をそらされたが、触れないことにした。
誰だって、触れられたくない話の一つや二つはあるだろう。
縫い終わったルニャは頬釣りした後、服を洗濯機の中に放り込んだ。
「血も跡になってなかったんだな」
「運がよかったのかニャ」
「だろうな」
学院の案内をしてもらい、最後に学院裏を通る。少し離れた所から金属の鳴り響く音が聞こえてきた。
イオがその金属の音に身構えると、
「あれは騎士団の稽古だよ」
「騎士団、だと?」
「うん。ニャにか思い出でもあるの?」
思い出ならある・・・・・・嫌な思い出だが。
何しろ、魔王と呼ばれていたイオを討伐しようと組み立てられた組織が騎士団なのだ。
つまりは敵。
「あんまり近づきたくないやつらだな」
「ニャにしてるの? 早く練習見に行こうよ」
わくわく
ルニャの行動から見て取れた心境を言葉に表せばそうなるだろう。
(これ、断ってもいいか?)
断る間もなく、引っ張られる形で練習場とやらに連れていかれた。
それほどルニャは騎士団の稽古を見るのが楽しみなのだろうか。
一目見た瞬間、本当にこれは騎士団なのか? とイオは疑った。
模擬戦をしている一組を見た結果そう思った。
レベルが格段に落ちている。
イオはたった今模擬線を終わり、タオルで汗を拭いている一人の女子生徒を見る。
青い髪の毛を後ろでひとくくりにした、確かポニーテールという髪型だ。
身長はイオと同じぐらいで、胸の甲冑は他の女子たちよりも大きめだ。
「あいつ強いのか?」
「騎士団の中ではトップクラスって聞いたことあるよ。私は戦ったことニャいからわからニャいけど」
そういったルニャは戦いたそうにウズウズとしている。
「やめとけ。お前じゃ相手にならない」
ルニャの肩に手を置き、落ち着かせるようにそういう。
あの名前も知らない女の模擬線を見てわかったことは一つあった。
ルニャでは戦いにすらならない。
「お前があいつと戦ったら、あいつに大怪我負わせるぞ。主に爪で」
「ちゃ、ちゃんと手加減できるよ!」
尻尾を威嚇するようにピンと立たせ、爪を五センチほどに伸ばす。
ほら、と言いたげな顔は、伸ばす長さを縮めれば手加減をしているとでも言いたげだ。
多分、あの爪に触れても大怪我するような気がする。切れ味が落ちていれば話は別だが。
「今、何と言ったのだ?」
「ああ悪い。聞こえてたか」
「私は何と言ったのだ? と、聞いたつもりだったのだが?」
首にタオルを巻いたまま、青髪が近づいてきた。
イオは素直にめんどくさい、と思った。
「あんたが弱い、って言ったんだ。それ以外に何かあるか?」
その瞬間、騎士団の中と見学していた人たちの中でざわめきが起こった。
隣にいるルニャまでもがポカンとしたまなざしでイオを見ている。
「ご、ごめんねソニアちゃん。この人まだこの世界のこと知らニャから変ニャこと」
「君もうなずいていた気がしたのだが?」
「あう」
一睨みされてルニャは一歩後ずさる。
まさか、本人に聞かれているとは思っていなかったのだろう。
「で、君のその言葉は私を侮辱しているのか?」
「さぁな。ま、この弱い集団の中ではあんたは強いんじゃないか?」
鞘に手をかけ、立ち上がった騎士団をソニアは手をあげ制する。
イオは面白そうに唇をゆがませ、挑発する。
「どうする? 侮辱されたアンタは、このままのこのこと尻尾を巻いておうちにでも帰るか?」
それが、ソニアに残されていた理性の壁をついに崩した。
ソニアの手が鞘に触れたると同時に、イオも自分の鞘に手をかけ・・・・・・
ようとした手が空を切った。
「あ、剣部屋に忘れてたんだったな」
その一言で場の雰囲気が一気に軽くなるのが分かった。
だが、このまま引いてしまえば、こっちが逃げたみたいでなんだか癪だ。
「今回は不問としよう。だが、次同じようなことがあれば容赦はしないぞ」
「不問? 何のことだ? 弱虫さん」
「い、イオ! あ、あの本当にごめんニャさい。ほら、イオもあやま」
「らねえよ。弱いやつを弱いってわざわざ教えてやってるんだ。感謝されてもいいんじゃないのか?」
という冗談はそろそろどうでもよくなってきていた。
本当のところは、過去に散々迷惑をかけてくれた騎士団に、民衆の前で敗北という恥をかかせてやりたいだけだ。
「はて。私の聞き間違いでは無ければ、君は私に弱虫といったな? たしか次は容赦しないと言ったはずなのだが。ちなみに、騎士団は一般人に怪我を負わせても大目に見てもらうことだできるのだ。その意味は理解できるな?」
「要するに、俺が怪我をしても自己責任ってことだろ?」
「そういうことだ」
ソニアが剣を鞘から抜き、イオに剣先を向けると、周りにいた人たちは後ろへと下がっていった。
ざっと見渡してみたところ、ここにもケットシーはいなかった。
それほどまでにケットシーは数が少ないのだろうか。
「じゃ、来いよ」
「いや、さすがに素手の相手に剣を下ろすのは騎士道に反する。誰か、この者に武器となるものを貸してやれ! 君の得意武器は何だ?」
イオは考えるふりをした後、馬鹿にした表情でいう。
「素手だ」
それが引き金となったのか、ソニアは地を蹴り剣を振りかぶった。
実際イオは体術も得意としているのだが、ソニアはそれを知らない。
いい速度だ。
容赦なく振り下ろされるその剣は、完全に振り下ろされればイオの体を真っ二つに切り離すことだろう。
一切のぶれもないその動きは、騎士団とトップクラスと言われるだけのことはある。
ただし、魔王と言われた人間の敵では決してない。
「イオっ!」
ルニャの悲痛の叫び声が聞こえてくる。
よくよく見れば、ソニアも目を見開いていた。
剣とイオの距離はすでに数センチという距離だ。
かわすと思って放たれたソニアの剣は、勢いを殺そうとしているようだが、殺しきれていない。
「覚悟ねえな」
騎士団としての技術だけではなく、覚悟までもが弱い。
フェイントならともかく、相手にかわされると思って剣を振っている時点でまだまだ未熟だ。
イオは剣が髪の毛に触れる瞬間体をひねり回避すると、ソニアの勢いを利用してソニアの腕を前に引っ張り、足を払う。
「なっ!」
バランスを崩したが、かろうじて足で踏みとどまった。
よくバランスを崩して手を地面につかずに踏みとどまったな、と思った。
しかし、背中を見せているのは失敗だ。
「ど、どこだっ!」
イオはソニアが振り向くのに合わせ、ソニアの背中に密着していた。
念のために手首に打撃を加えて剣を落とさせ、ソニアの首を両腕で絞める。
「で、俺の勝利でいいか?」
「っく」
イオが腕を離すと、ソニアは悔しそうに剣を鞘に納める。
そして頭を下げた。
「すまなかった。悔しいながらも、君の言っていたことはどうやら正しかったようだ」
さげられている顔は良く見えないが、悔しそうにしているということだけはわかる。
騎士団と見学客がそれぞれ散っていくと、ソニアは顔をあげイオをまっすぐと見つめる。
イオが後ろから飛んできたルニャ飛び蹴りを回避すると、ソニアに当たってしまった。
「おいルニャ。いくら戦えなかったからって、油断してるやつに飛び膝蹴りはないだろ」
「君がかわすから!」
そんなことを言われても、痛いのはごめんだ。
どうやら、ルニャの飛び膝蹴りはソニアの甲冑に当たっていたらしく、ダメージを受けていたのはルニャの方だった。
それで涙目なわけだ。
「ソニアだっけ? 一つアドバイス欲しいか?」
「ふむ。強者の君からのアドバイスならばぜひ受け止めよう」
そこまで真剣に聞かなくてもいいような気がしたのだが、とりあえずいいかと思った。
「お前はとっさのことに反応できていない。俺がお前の勢いを使って倒れさせようとしたとき反応が遅かった。それに、戦う相手に背中は見せないほうがいい。倒れてでも背中は見せずに、倒れた場合はすぐに立ち向かえる体制を取る」
そこまで言ってみて気が付いたが、殺し合いもしないやつに実践のことを教えても意味がなかった。
膝を抑えているルニャはへーとイオを感心した目で見ていて、ソニアは頷いている。
「君のいた時代じゃ基本だったの?」
「ん? まぁそんなとこだ」
生きるためには必要だったのだから、間違ってはいないはずだ。
「時代? 君はまさか、封印されていたのか?」
「勘いいな」
「そうか。ならば、今度君の時代の話を聞かせてもらってもいいか?」
「あ、私も聞きたい」
はいはいーと、ルニャは間に入って手をあげてくる。
イオはルニャの両手をつかみ起立させると、
「また今度な」
「うん!」
「よろしく頼む」
ソニアは一言そういうと踵を返して一人で素振りを始めた。
今度は木刀でだ。
「一通り案内もしてもらったし、適当な時間になったらお前の部屋に戻るか」
「おさかニャ買ってきてくれたら嬉しいな」
「金ないやつに買い物頼むな」
思い出したようにルニャは猫耳をぴょこんと動かし、ポケットから取り出した財布をイオに渡す。
要するに、この金で買ってこいということなのだろう。
「適当な魚でいいか?」
「ダメっ! ちゃんとおいしいのじっくり探さニャいとダメ!」
フカーと猫耳と尻尾を逆立て威嚇すると、ルニャはイオから財布を奪い返した。
そのままじりじりと後ろに下がると、ルニャは校門の外へと走り出す。
最後に見えた口元のキラキラは、もしやよだれではないだろうか。
「魚好きもあそこまでいくとまさに病気だな」
独り言をつぶやくとイオは屋上を目指した。
なんだか無性に眠たい。
ルニャの部屋に行こうと思ったが、女の子の部屋に一人で入るのは少し気まずく、勝手にベッドで寝るのもはばかられた。
「ふあー。ったく。あいつは自由奔放過ぎるんだよな」
適当に愚痴を漏らすと、屋上からの風景を一瞥し、寝転がった。
少し硬いが、まぁ寝るまでの辛抱だ。
「・・・・・・血」
足音が一歩、また一歩と屋上に近づいていく。
「あの人の血」
目的はイオの血。
ふらつく足でその人影は屋上への扉のドアノブを捻る。
少し硬いが、亜人である彼女にとっては些細な問題だ。
喉の渇き、おなかの空腹感。
「血」
ドアを開けると、イオと呼ばれていた男がのんびり眠っていた。
久々の食事。
彼女は白色の制服が血で汚れないかと心配に思い、上だけを脱いでいく。
スカートは紺色だし、ついたとしても洗えばそこまで目立たないはず。それでもあまりつけたくはないが、さすがにスカートを脱ぐのは、誰かに見られなくてもかなりの抵抗が有る。
「はず、かしい」
外気にさらされた肌は白く、小さな胸を覆う下着は少し子供っぽさを含んでいる。
外で上半身下着姿という状況は、思ったよりも恥ずかしい。
制服を丁寧にたたみ、少し離れた所にきれいに置く。
「いただきます」
イオの首筋をそっとなで、唇を当てると恥ずかしさにビクッと少女は震えたが、一気にかぶりついた。




