第九章 約束する魔王
早く目が覚めたイオは部屋の状況を見てため息をついた。
テーブルに突っ伏して寝ているのがリッカとソニア。
ベッドの上に寝ているのが、あれからまだ目を覚ましていないルニャと、ルニャのパジャマをつまんでいるカエデ。
時計を見てもまだ六時だ。
しばらくするとリッカが目を覚ました。
「おはよーございます」
目をこすりながら背伸びをしているリッカの顔はまだ眠たそうだ。
背中に氷を入れてみたくなったが、残念ながら手元に氷がなかった。
「ルーちゃんまだ起きてないんですね」
「時間も時間だしな。俺が起きたのもついさっきだ」
「わ、本当にこんな時間です。私、こんな時間に起きるの初めてかもしれません」
「いつもは何時ぐらいに起きてるんだ?」
「えーと。五時ぐらいです」
「考えてた方と逆の答えだったな」
「これ応えるといつもそういわれるのです。なんででしょうか?」
何やら真剣に考え始めた。
それにしても、五時に起きるなら何時に寝ているのだろうか。
そう聞こうとしたら、突然ソニアがむくっと立ち上がった。
「ソーちゃん?」
「ワンちゃん。ワンちゃん」
ソニアは独り言のようにそうつぶやくと、部屋を見渡した後ゾンビのような動きで部屋から出ていった。
「なんだあれ」
「さあ」
イオとリッカは顔を見合わせて首を傾げた。
きっと寝ぼけていたのだろうと、二人はそう結論付けた。
「お兄ちゃんに聞きたいことがあるんですがいいですか?」
「なんだ?」
「あ、あのですね・・・・・・キューちゃんと、き、キスしたのって本当ですか!?」
頬を赤くして、興奮気味にリッカはテーブルに手をついている。
これは嘘をついても仕方ないだろうな、とイオは頬をかきながらうなずいた。
「あ、ああ」
思わず声が裏返ってしまった。これは意外と恥ずかしいものだ。
「じゃ、じゃあ。お兄ちゃんはキューちゃんが、その、す、好きなんですか?」
「好き? ・・・・・・」
そこでイオは考える。
(俺はカエデのことが好きなのか? 抱き付かれたり、キスされたら、まぁ嬉しいよな。一緒にいてても嫌だとは思わないし。むしろ楽しいか)
「好き、って何なんだろうな」
「え、えーと。そういえば何なんでしょう」
リッカは少し真剣そうな顔で考え始めた。
とりあえず、ごまかすことには成功したようだ。
カエデを好きかと聞かれても、よく考えれば今まで誰かを好きになったことがなかったからよくわからない。
けど、一つだけわかることがある。
(カエデもルナも。リッカとソニアも離れてほしくないっては思ってるな)
さすがにそれを口にするのは恥ずかしかった。
イオはベッドに腰掛ける。
「むぅ。お布団揺れたせいで起きた」
カエデは頬をふくらませながら目をこする。最後に大きなあくびをすると、イオの隣に座った。
「キューちゃんに一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
リッカのしぐさに、イオは何を聞こうとしているのかがすぐに分かった。
やめさせようと思ったが、カエデがどんな反応をするのかに興味があった。
「キューちゃんは、お兄ちゃんのことが、す、好きですか!?」
聞いているリッカ自身が恥ずかしがるのはどうかと思う。
カエデは質問の意味が分からなかったのか、首を傾げてパチパチと目を瞬かせる。
リッカがもう一度同じ質物をすると、カエデは顔を真っ赤に染め上げた。
「あ、え、あ、あの。えと、その」
あたふた
手は宙をさまよい、目は泳ぎっぱなしだ。
「大丈夫か?」
「ひゃわっ!」
イオがカエデの肩に手をのせると、かわいらしい悲鳴をあげて飛び上がった。
キスは自分からしてくるくせに、恋愛話がダメなのだろうか。
これは意外な弱点を発見した、とイオは少しずれた解釈をしていた。
一度イオの顔を見てリッカの顔を見た後、カエデは意を決した風にイオに抱き付いた。
「わからない。でも、こうしてるの暖かくて好き。おやつは?」
「俺もこうしてるのは嫌いじゃないな」
イオもカエデと同じように背中に手を回す。
小さくて、ちょっと強く抱き着けば壊れそうな華奢な体。
だから、壊れやすいものをつかむようにやさしくそっと抱く。
「ん。翼、あんまり触らないで」
「悪い。あたったか」
「少し」
カエデとルニャのおかげでわかったことなのだが、亜人は人間にない部分を触られるのはあまり好きではないらしい。
「ごちそうさまです」
「い、犬さん見たらダメ!」
カエデは慌ててイオから離れた。
なんだか、前にも同じような光景を見たことがある気がする。
今日は朝からカエデの恥ずかしがっている姿をいっぱい見ることができた。
「俺風呂行ってくるな。昨日は入る前に寝たみたいだから泥とかついてるし」
「だったら、キューちゃんも一緒に入ったらどうですか?」
「そ、そんなダメ!」
カエデは顔を真っ赤にすると、布団に頭から潜り込んでしまった。
その姿勢だと、カエデの子供っぽいパンツが見えているのだが、指摘しないことにした。
これ以上は、「血、全部吸う・・・・・・!」と言われるような気がした。
イオが風呂でゆっくりしていると、あわただしい乱入者がノックもせずに入ってきた。
カエデでも入ってきたのか? とイオは振り返るが、視界は飛び込んできた乱入者によって塞がれていた。
そして、バシャアアンという水しぶきが飛ぶ音とともに、乱入者はイオに抱き付いた。
「イオ!」
「ゲホゲホッ! こ、これ水飲ん・・・・・・だ、ぞ」
カエデだと思っていた乱入者は、カエデではなかった。
かわいらしい顔に、ピンク色の髪の毛からはピョコンと生えた髪の毛と同じピンク色の猫耳。腰のあたりからも生えているピンク色の尻尾。
「る、な? ルナか!」
「うん」
イオは今の自分の状況など忘れて、ルニャに抱き付いていた。
やっと、やっと会えた。
「お帰り」
「ただいま。イオ」
ルニャはにっこりほほ笑むと、イオの背中に手を回した。
しばらくそうしているとカエデとリッカが入ってきて、
「・・・・・・おやつ。それ、いろいろとダメ」
「る、ルーちゃんもそれダメです! ふ、服がぬれて」
イオとルニャは二人に指摘され、ようやく自分の状況を思い出した。
風呂に入っていて何も着ていないイオ。
服は着ているが、湯船に入ったせいで濡れて服が透けたルニャ。
その服からは下着と肌がうっすらと現れ、濡れた髪の毛からは水滴がしたたり落ちる。
イオとルニャの顔は恥ずかしさで赤くなっていき、限界まで達したのか、ルニャは逃げ出すように風呂場から出ていった。
「おやつ、あとで血、全部吸う・・・・・・!」
カエデが出ていくと、顔を真っ赤にしていたリッカも無言で出ていった。
「結局言われたな」
イオが風呂から出ると、待ち構えていたルニャの蹴りが飛んできた。イオはそれをかわすと、ルニャの手をつかむ。
「は、はニャして!」
ルニャは突然慌てはじめ、つかまれている手を振りほどこうとする。
「爪、治りそうか?」
「・・・・・・魔術じゃニャおんニャかった。しかたニャいよ。爪とかは魔術的には治癒魔術の範囲外ニャんだから」
その顔はどこか切なそうで、悲しそうだ。
「そのうちニャおるから気にしニャいでよ。君が落ち込んだら、私も落ち込んじゃう」
「そうだな」
「にゃー」
イオがルニャの喉をなでると、猫耳をピョコピョコ動かし、気持ちよさそうに目を閉じる。
「おやつ、カエデもなでて」
近寄ってきたカエデの頭をなでると、これまた気持ちよさそうに目を閉じる。
「お、お兄ちゃん見境なさすぎです」
「悪いな。もう手が空いてないんだ」
「そ、そんな・・・・・・じゃなくて、お兄ちゃんは女の子だったら誰でもなでるんですか?」
そう聞くリッカは少し怒り気味だ。
イオは息をつくと、ルニャとカエデから手を離してリッカの頭をなでる。
「これでいいか?」
「は、はいー・・・・・・じゃなくて! もういいです・・・・・・」
リッカはプイッと顔をそらすと、部屋から出て行ってしまった。
何か怒らせてしまったのだろうか。
乙女心はわからない。
ルニャとカエデ。
久々に、この二人と一緒にいることができる。
そしてぐーとなるカエデとルニャのお腹の音。
「おやつ、血吸っていい?」
「ああ」
イオがもう一度カエデの頭をなでると、もう一度気持ちよさそうに目を細めた。
今度はルニャの方に向き直り、
「久々に作ってもらってもいいか?」
「任せて! 久々って、私どのぐらい寝てたの? 今更だけど、ちょっと記憶が混乱してるの」
「ホントに今更だな」
「いただきます」
イオがルニャに封印のことを教えようとしたところで、カエデがイオの首に噛みついた。
「ま、待てカエデ! なめて、なめてないぞ!」
「忘れてた」
カエデは一度口を離すと、イオの首を舐める。
やはり、この舐められる感覚はどうにもなれそうにない。
その間にルニャは料理の準備を進めていた。
カエデが制服を着ているということは、今日もゆっくり吸うつもりなのだろうか。
「もう病院のベッドでもないし、カエデのペースで飲んでも大丈夫だぞ」
「ホント?」
イオがうなずくと、カエデは嬉しそうに顔を輝かせ制服を脱いでいく。
今日もいつもみたいに子供っぽい下着だ。
「お、おやつ目瞑って!」
「はいはい」
イオが目を瞑り、しばらくするとカエデが二回ガブガブと噛みついた後、血を吸い始めた。
見られたことへの怒りだったのかもしれない。
「じゃあ、私は死にかけたってこと?」
ご飯を食べ終わり、お腹をさすりながらそう聞いてきたルニャに、カエデは少しためらいがちにうなずいた。
「ま、今話した通りだ。封印が解けたのも、運が良かったってところだろうな」
イオとカエデは結界魔術が破れた後のことを簡単にルニャに説明をしていた。
ただ、天使のことと、イオが落ち込んで元気を失っていたということだけは伏せておくことにした。
過ぎたことだ。ルニャに変に責任を感じられても、後味が悪くなるだけだ。
「ネコさん聞いてもいい?」
「どうしたの?」
カエデはわずかに頬を赤くし、お腹をさすりだす。
「ま」
イオが止める前に、カエデは口を開いた。
「赤ちゃんできたら、名前何がいいかな」
ピキッ
そんな音が確かに聞こえた気がした。
恐る恐るルニャを見ると、顔を真っ赤にし、猫耳と尻尾を逆立てている。
「ど、いうことニャの! イオ!?」
「ま、まて! これは完全な誤解だ!」
ルニャは突然あわあわと手を宙にさまよわせ、完全に混乱していた。
「ど、どうしよ。お、お祝いしニャきゃ。で、でもまだイオ結婚できる歳じゃニャいし。じゃ、じゃニャくてまだそういうのは。あれ? あれ?」
このままでも面白そうだったが、そろそろネタばらしをすることにした。
イオはルニャの猫耳を借り、カエデがキスで子供ができると勘違いしていることを教える。
ルニャはそれを聞き、ホッと胸を撫で下ろしたが、次の瞬間イオの首を絞めていた。
「き、キスってどういうことニャの!?」
「お、落ち着け。いろいろあったんだ」
ルニャは首を絞めていた手を離すと、急に脱力したのかペタンとお尻から座り込んでしまった。
「大丈夫か?」
差しだされたイオの手を、ルニャは呆然と見る。
「・・・・・・」
ルニャはカエデをライバルでも見るかのような目で見る。
見られたカエデはどこか得意げな表情をしていた。
ギュっと唇を噛みしめると、ルニャはイオの手を握る。
イオが引っ張ると、ルニャは立ち上がるのではなく少し力を込めてイオをベッドに押し倒した。
無理に動いたせいで足が少し痛かったが、そのことはすぐに頭から離れた。
「ルナ?」
「・・・・・・カエデちゃんだけずるい」
「まっ!」
イオが止める間もなく、ルニャは涙で潤んだ目を瞑りイオの唇に自分の唇を重ねた。
「ね、ネコさん!?」
突然の出来事に、カエデは悲鳴じみた声をあげる。
目の前でイオが他の女の子とキスをしていることが、たまらなく悔しい。
「だ、ダメ!」
ルニャが唇を離すと、カエデは弾くようにルニャを突き飛ばした。
「ごめんね、カエデちゃん。私も、イオとキス、しちゃった」
ルニャは恥ずかしそうに頬を赤くしたまま自分の唇を触る。
「おやつは、イオはカエデのものなの! カエデの・・・・・・」
カエデはイオの胸元に顔をうずめ、突然泣き始めた。
「君。なに女の子を泣かせているのだ」
「学院長か」
部屋の入り口を見ると、ため息交じりに学院長がイオを見ていた。
「一日も授業に出ていない君ら二人を呼びに来たのだが、戻ってきていたのだな。ルナ」
学院長はルニャの顔を見ると、表情を少し和らげる。
「うん」
「ちょっと来てくれ」
呼ばれたルニャが部屋から出ていくと、カエデは鼻をすすりながら顔をあげた。
イオが目にかかった髪の毛を払うと、くすぐったそうに顔を揺らす。
「前から気になってたんだけど、おまえよく俺のことを『カエデのもの』って言うよな。なんでだ?」
「・・・・・・前、カエデが家名嫌いって言ったの覚えてる?」
「ああ。でも、別に珍しいことでもないだろ」
過去にも何度かそういった人たちを見たことはある。
理由は様々だったが、こういう話はあまり聞きたくない。
どうしても、強すぎる自分に恐れていた両親の顔と、妹のことを思い出してしまう。
「カエデは」
「カエデ。この話はもう終わろう」
「・・・・・・じゃあ、おやつはカエデのこと捨てたりしない? カエデの、家族みたいに」
うつむいているカエデの表情はわからないが、震えている肩からカエデがつらそうだ、ということはわかる。
イオはカエデの頭をなでた。
「捨てないよ。俺は、『カエデのものなの!』だしな」
「っ! ・・・・・・おやつのばか」
カァッと顔を火照らせ、カエデは嬉しそうに微笑む。
やっぱり、カエデは落ち込んでいる顔より、この表情が一番いい。
「ちょっと屋上行くか?」
目をこすっているカエデにイオは手を差し出す。
カエデはコクンとうなずくと、イオの手を握った。
屋上から見える森は、昨日空間が閉ざされたということが嘘のようだ。
目を凝らせば、昨日のアルの光の粒子が見えそうだ。
「おやつ嬉しかった?」
「ん?」
「ネコさんとキスしたとき。おやつ、嫌そうな顔してなかった」
そういえば、あの時カエデはかなり動揺していたな、とイオは思い出した。
カエデの顔を見ると、少し不機嫌なのか頬を膨らませている。
「女の子からキスされたらうれしいな。もちろんカエデにされても」
カエデはうつむき頬を赤くすると、わずかに口元を緩めた。
「もう一個いい?」
「ん?」
「ネコさんも赤ちゃんできたらどうするの?」
「・・・・・・」
これはどう答えるべきなんだろうか。
カエデがキスで赤ちゃんできると本気で思い込んでいるから、下手にごまかすことができないのがつらい。
迫ってくるカエデの顔は真剣だ。
「なぁカエデ」
「なに?」
「カエデは赤ちゃんできたのか?」
「わからない。おなか大きくもならないし、変な感じもしない」
お腹をさすり、カエデは首を傾げる。
「じゃあ、カエデも赤ちゃんできてないってことだな」
「っ! そ、それは考えてなかった」
あからさまにカエデは肩を落としがっかりする。
その仕草に少し可哀そうになったが、本当のことを教えると大変なことになりそうだ。
イオはカエデの肩に手を置く。
「聞いてもいいか?」
「なに?」
「お前はそんなに赤ちゃんが欲しいのか?」
カエデは少し迷った後、少し恥ずかしそうにうなずいた。
「赤ちゃんできたら、お父さんもできる。結婚したら、カエデはもう一人じゃないから・・・・・・一人はつらい」
親に捨てられてずっと孤独を感じ、手に入れた友達の輪。
それでも親に捨てやれたことをいまだに引きずり、友達も自分から離れると思ってしまっている。
イオは無意識のうちにカエデを抱いていた。
「結婚しなくても、俺はお前から絶対に離れたりしない。さっきも言ったことだけどな」
「もし、カエデが悪いことしても離れない?」
「その時はちゃんと怒って、間違いを正してやるよ」
「嘘ついてない?」
「ついてない」
「・・・・・・嬉しい」
「ああ」
イオはカエデの背中を、やさしくたたいた。
カエデの流した涙はイオの服を濡らし、今までたまっていたストレスを吐き出すかのように、泣きながらカエデは愚痴を漏らした。
泣き疲れたのか、眠りについたカエデをイオは屋上からおんぶで運んできて、ベッドに寝かせた。
さっきまで泣いていたのが嘘のように、今のカエデの顔は穏やかだ。
「ううー」
「どうした?」
戻ってきたルナの顔はなぜかひどく疲れている。
「授業全く分かんニャかった。当てられてずっと立たされてた」
「そいつは、ご苦労だったな」
数週間も授業に出ていないのだから、それが当たり前だろう。
一体ルニャを当ててずっと立たせていたのはどこのどいつだろうか。
それをルニャに聞いてみると。
「学院長先生」
「あいつか!」
やりそうな相手だ。
イオがベッドに腰掛けると、ルニャもベッドに腰掛ける。
「イオは授業いかニャいの?」
「めんどくさいから行かないな」
「やめといた方がいいよ。私も一回それやったんだけど、長期休みの前に死ぬほど課題だされたから。あの時はニャきたい気分だったニャ」
さすがにそれはまずい。
これからは授業に出ていなさそうなカエデも引き連れて、たまには行こうかと決める。
「行くときは私も行くね。席自由だからおしゃべりもできるし」
「それは大丈夫なのか?」
「・・・・・・たまに立たされる」
要するにダメだということだ。
イオはポケットに手を入れる。
「ちょっと目瞑ってくれないか?」
「?」
ルニャは訝しげにイオを見たが、すぐにうなずくいて目を瞑る。
ポケットからそれを取ると、イオはルニャの耳に結んでいく。
「ふわぁっ! い、いお、耳・・・・・・ダ、メ」
「そういえばお前かなりダメったんだな」
力が抜けたかのようにベッドから落ちたルニャの頭をイオはなでる。
ルニャは気持ちよさそうに顔をほころばせた。
「イオニャにしようとしてたの?」
目を瞑ったままルニャは首を傾げる。
「もうちょっとだけ我慢してくれたらわかるよ」
「う、うん」
イオが猫耳に触れると、ルニャはピクッと体を震わせ唇を軽く噛む。
「ん、にゃ、にゃあ。ふぁっ!」
「・・・・・・お、終わったぞ」
イオが離れるとルニャは目をそっと開ける。
呼吸がわずかに荒くなり、顔が少し火照っている。
ルニャは自分の猫耳を抑えて首を傾げると、鏡の前に小走りで向った。
「あ、ありがと」
ルニャはイオに背中を向けたまま礼を述べた。
猫耳には、水色のリボンが結ばれていた。
「屋上に向かってるときカエデが渡してくれたんだ。ボロボロだったのに、こいつ元の形に直してたんだ」
「カエデちゃんが。あとでお礼言わないとね」
イオは寝ているカエデの頭をやさしくなでる。
孤独だった吸血鬼。
でも、今はイオにルニャもいる。
(聞いてみるか)
「ルナはカエデのことどう思ってる?」
「友達」
「見放したりするか?」
「そんニャの絶対にしニャい!」
期待通りの回答で助かった。
でも、今の言葉はカエデに聞かせてやった方がよかったかもな、と少し後悔した。
ルニャがカエデの頭をなでると、少し嬉しそうに微笑む。
「それに、カエデちゃん妹みたいで可愛いから、余計にはニャれたくニャいかニャ」
「妹、か」
「あ、ごめん」
イオがうつむくと、ルニャはイオに聞いていた妹の話を思いだしすぐに頭を下げた。
「ダメだな俺も。いつまでもあいつのこと引きずって」
乾いた笑みを浮かべたイオの手を、ルニャはそっと握る。
暖かいルニャの手。
ボロボロになった爪にはテーピングが巻かれている。
みんなを守るために命を張り、大切に手入れしていた爪までも失ってしまったルニャ。
「ごめんルナ。あの時俺が、天使の言うことなんて聞かずに死んでたら、お前はこんなことに」
この時代で封印が解けたせいで、ルニャはいらない被害を受けてしまった。
今まで考えてこなかったことが、雪崩のように頭の中に浮かんでくる。
「イオ!」
ルニャの手がイオの頬を叩いた。
「これはイオのせいじゃニャいよ。それに、もしイオがこの時代にいニャかったら私はカエデちゃんに、ソニアちゃんに会えニャかった。爪がボロボロにニャったのは確かにショックだけど、時間が立ったら生えてくるもん。そのおかげでカエデちゃんたちに会えたんだ、って私は思ってる。だから、ニャかニャいで」
「泣いてないっての」
イオは目をこすりながらルニャに抱き付いた。
こんなことをしているからリッカに見境がないと言われるんだな、と思ったが、今はこうしていたい気分だった。
ルニャは恥ずかしそうに頬を赤く染め、イオの背中に手を伸ばした。
ルニャとカエデが寝、イオは森の中を歩いていた。
「ここだな」
足を止めた場所は一部の木が倒れ、地面が魔術でえぐられた跡がある。
ルニャの封印が解けた場所。
そして同時に、アルの命がなくなった場所。
せめて墓ぐらいは作ってやろうと思った。
「こんなもんでいいだろ」
天使の墓としてはずいぶん小さいが、そこはアルのことだ。きっと許してくれるに違いない。
墓が完成すると、イオは一輪の花を供えた。
何て名前の花かは知らないが、ここに来る途中学院長にもらったものだ。
なぜそんな花を持っているのか聞いても、「竜人の勘だ」とごまかされてしまった。
イオは戻る前に、もう一度アルの墓を見る。
「俺はあんたとの約束通り、あいつらを守って見せる。守るだけじゃない。できるだけ、あいつらが幸せな道を選べるように俺も努力する。たぶんあいつらの力も借りるとは思うけど、必ずそれ以上の幸せをあいつらに送ってやるって、俺はもう一度約束するよ」
小指を立てると、小指が結ばれたような錯覚を覚えた。
後ろを振り返ると、ルニャとカエデが笑顔で立っていた。
「寝たんじゃなかったのか?」
「イオが出て行ったあと起きたの」
コクコクとカエデもうなずく。
「夜も遅いし、もう帰ろ?」
「ああ」
イオは差し出されたルニャとカエデの手を握る。
暖かくて、小さな手。
この世界から見ればちっぽけなものだが、イオにとっては何よりも大切な存在だ。
「あ、このまま歩いたら私たち後ろ向きにニャっちゃう」
「おやつが後ろ向き」
「握り直したらいいだけだろ!」
こんなバカみたいな会話も、過去に魔王と呼ばれた少年にとっては、最高の思い出だ。




