第零話「100万円の入学祝い」
3月某日。
県内一の名門である難関高校、その校庭の一角へと掲げられた数字の羅列。
合格発表の場において、自らの番号が記されていても四葉にとっては、それが達成感というゴールには感じなかった。
四葉にとっては、それは約束によって果たされるスタートだからだ。
「うわ、四葉。マジで合格したじゃん、おめでと。パパ、マジでアホ」
此処へ愛車で送迎し、同行してくれた姉の八智緒が父を哀れんだ。
彼女は、四葉が父と交わした約束を知っているのだ。
彼女だけではなない、家族全員だ。
「この高校に合格したら、何でも好きなものを買い与える」。
その言葉が、去年の夏の終わりには、四葉を学年で五本の指で数えられる程の順位を与えた。
その頃には、父は四葉の顔を見るたびに、幽かに青ざめた表情で目を背けていた。
だが、約束は約束だ。
違えることなく、遂行してもらわなければこれまでの意味がない。
「で、いつから通っちゃうの?」
「・・・16になったらすぐ」
四葉と八智緒の会話において、それは高校を指すものではない。
16歳という年齢が、条件だ。
「・・・ん?」
その時、マナーモードに設定して、ジャケットのポケットに詰めていた四葉のスマートフォンが振動した。
「ママから?」
「・・うん」
姉からの問いに答えてすぐ、四葉は画面に表示されている通話ボタンを押した。
『四葉?おめでとう!先に見たお姉ちゃんから四葉が合格したって聞いたよ!』
母の言葉から察するに、四葉と八智緒の姉であり、次女の双葉が此処に訪れたらしい。
なんて気の早い姉と思いながら、四葉は「ありがとう」と返した。
『お父さんには気を使わなくていいからね?四葉はこの為に頑張ったんだし。でも、あんまり成績が悪くなるなら取り上げるからね?』
「・・・うん」
『じゃあ、お祝いの準備をしておくから、楽しみに待っててね!』
「・・・でも、これから八智姉とちょっとブラついてくる」
『あんまり遅くなくね?じゃないと、お姉ちゃん先に食べちゃうから』
ここで母の言う「お姉ちゃん」は次女ではなく、長女の金翅だ。
彼女は食い意地が張っている。
母の忠告を無視すれば、間違いなく帰宅すれば食卓に並ぶ皿は空になっているだろう。
だから、あんなだらしない体型を世間に晒している。
だが、胸中ではこのように小馬鹿にすることもあるが、四葉は姉達に感謝し、尊敬もしている。
末子の自分を疎まずに、良き姉として接し続けてくれたのだ。
そして、共に自分の成長を見守ってくれた、彼女らの「王子様」にも。
父が約束を果たせば、四葉も姉達の中へ、「お姫様」の仲間入りだ。
『四葉・・・?』
「・・・うん?」
『おめでとう』
「・・・うん」
そのやり取りの後、四葉は通話を終えた。
自分では自分の顔は見えないが、おそらく微笑んでいるだろう。
夕食では、三人の姉と母、内心では父も、自らを祝福してくるだろう。
感極まって、四葉は無意識の内に受験票を握りしめていた。
それを覚えた彼女は、潰した受験票を握った拳を掲示板の一点、自らの番号へと向けて仰々しく掲げた。
「・・・待ってて、私の『王子様』」
自らの伴侶を、四葉は既に決めていた。
受験勉強に追われながらも、考え抜いた最高の選択肢だと考えている。
「じゃ、四葉。行こ。遅くなるとマジ寒くなるし」
「・・・うん」
四葉と彼女の姉は、談笑しながら掲示板から踵を返す。
その光景を、この高校を受験した学生や、その父兄、さらには自ら「盛り上げ隊」を買って出た在校生のほとんどが、無言で見守っていた。
それほどまでに、彼らが姉妹を目撃し始めた時から、彼女らはこの場所にはあまりにも相応しくない服装と行動をしていた為だ。
この時の四葉には「その他大勢」にしか認識していなかった、その人間の中に、「彼」がいたことを彼女は大分後になってから知った。