Prologue
雨が降っている。冷たい雨が横たわる僕の体を優しく包み始めた。
残された時間はあとどれくらいあるのだろうか。『午後十一時』になるには、まだ一時の猶予があるはずだ。それまで僕は誰も通らないこの道端で静かにその時を待ち続ける。
少し離れた場所に立つたった一つの街路灯は、時折点滅を繰り返しながら、一人ぼっちの僕を薄っすらと照らし続けてくれていた。
彼女は無事に立ち去っただろうか。それだけが心配だ。別れを告げた時の彼女の表情を思い出しながら、僕は動かない体に合わせるように目を瞑った。
耳を澄ますと周りの音がよく聴こえる。アスファルトに打ち付ける雨音、それに混じって届く向こうの通りを走り去るエンジン音、そして僕の呼吸。それ以外の何もここには存在しなかった。
たったの十七年しか生きていない僕にもやり直したいことは山ほどある。その全てを無くすことはきっと不可能だけど、今日の僕に出来ることは全てやり尽くせたと思う。それほどに今日を全力で過ごしたんだ。後悔は雨粒一つ程も無い。これでやっと長い一日が終わる。やっと長い夢から解放される。ここに来るまでに何度もそう思った――
今のこの姿を昨日の僕が知ったらどうするのだろう。幾度と同じ疑問を抱いては、その度に同じ答えに辿り着いた。
――それでも、アキは私のそばにいてくれる?
雨に混じって彼女の声が聴こえた気がして僕は目を開けた。
「僕は……何度だって、会いに行くよ」
それが僕の出した答えだから。
再び目を閉じて、眠りに就くように深い呼吸を繰り返す。雨音が良い子守唄になってくれるおかげで僕の心は穏やかだった。
近付いてくる足音。その存在に気付いて僕はそっと顔を上げる。
「莉衣……」
小さく彼女の名を呟くと、その表情が少し綻ぶのが見えた。
「ごめんね」莉衣さんは膝を突くと僕の髪をそっと撫でた。「やっぱり置いていけないよ」
彼女は腰を下ろすと僕の頭を持ち上げて、ゆっくりと自分の膝の上に置いた。
「もうすぐ、なんだよね」
その言葉に頷いて答える。
「そっか……」
莉衣さんはじっと僕の目を見つめた。その頬に涙を伝わせながら。
だけど、この手を伸ばしてそれを拭ってあげることさえも今の僕には出来ない。もどかしい想いが頬を伝わる。
残された時間がもうあまり無いことは解っていた。微かに残っていた体の力が抜けていく感覚。彼女は重たくないだろうか。最後まで心配ばかりかける人だ。
街路灯から離れた暗い路地で莉衣さんはそっと僕の頭を撫で続けた。降り続く雨のせいで彼女の温もりを感じることは出来なかったけれど、何を語るでもないこの時間が僕にはとても愛おしく、ずっとこのまま時が止まればいいのに、なんて柄にも無いことさえ考えていた。
――僕の名前は伊瀬忠明。これは僕の出会った特別な一日であり、僕が見つけた『未来』を守る為の物語。




