Re: / Phase.10
僕は足を止めた。水たまりに映る自分の姿にため息が零れる。なんて情けない面をしているのだろう。今朝はずっとこんな調子だ。夢から覚めたのに、まだ夢を見ているかのような、いや、まるで夢が夢ではなかったかのような感覚。莉衣さんと再び出会ったことで、そのもやもやとした気持ちは少しずつ僕の中で膨らみ始めていた。
学校へ向かう道すがら、僕は夢の中での出来事を思い返していた。
莉衣さんと出会った時のことや、学校での出来事、服装の検査や昼休みに杏子が教室にやってきたこと。十六夜という女に、安藤という男。そして、雨の中での莉衣さんとの再会。僕はそれらを事細かに覚えていた。
だからこそ、それが大きな疑問だった。
次から次へと記憶は蘇る。それはあまりにも不自然すぎる。普通、夢なんてえものは起きて数分もすればあっという間にぼやけて、すぐに忘れてしまう。印象的だった場面でさえも鮮明に思い出すのは困難だ。にも関わらず、僕は覚えている。今日とあの夢の中とを比べることが出来るほどに。
重たい足取りのまま、僕は学校へ辿り着いた。そして再び自分の目を疑った。
正門を抜けた向こうで服装検査が行われている。そこには生活指導の小山田の姿もあった。
まるで夢と同じ光景を前に僕は立ち尽くしていた。
――違う。そんなはずはない。
何度心の中でそう唱えても、目の前の現実は変わらない。心臓が強く脈打つのを感じて僕は胸を押さえた。
――あれは夢だったんだ。とてもリアルだったけど、現実じゃない。
そう思いたくても思えない理由が一つあった。
「莉衣さん……」
今朝の彼女は何かを知っている様子だった。やはりあの時引き下がらずに、彼女を引き留めるべきだったと、僕は後悔した。
学校を目の前にして僕は踵を返した。たった一日学校をサボるくらいどうってことない。それよりも、もっと重大な何かが起きている気がして、僕は走った。
莉衣さんの行方を探そうにも手掛かりなどなかった。夢の中の記憶を辿っても、僕は学校にちゃんと行っていたし、彼女の口から一日の行動に関することなど聴けていなかった。要するに初めから手詰まりの状態だ。
だったらひたすらに動き続けて探すしかない。僕はまず最初に彼女と出会ったあの交差点へと向かった。
数分後。交差点には莉衣さんの姿は無かった。さっき僕が通った時よりも少し人影が疎らだ。僕と同じ制服もちらほらと目に入る。真逆の方向へ向かっていく僕に彼らの視線が集まっていた。
――視線が集まるのは嫌いだ。
莉衣さんが見つからない以上、ここに長いする理由も無い。また別の場所を探さなくては。
しかし、どこを探せば莉衣さんに突き当たるのか見当もつかない。だが、じっともしていられなかった。
時間は『午前九時』の少し前。携帯の画面には数件の着信とメールの知らせが表示されている。
「……父さんにも連絡いってんだろうな、多分」
呟いて携帯の電源を落とした。誰かと話をしたい気分じゃない。ただの思い違いだったら、それで良い。怒られるのはそれからでも良いはずだ。
曇り空の下、当ての無い捜索が始まった。
脇道を抜けて大通りへと向かう。抜けた先は何度と見たあの大きな交差点だ。既に出勤・登校の時間帯は終わっている。人影もまばらだった。
僕なりに考えを巡らせる。あの時――夢の中で――彼女は誰かから逃げていた。ならば人混みは避けるだろう。人気のない場所のほうが周囲の変化に気付きやすいし、人通りの多い商店街やアーケードに彼女は居ないだろう。
交差点から伸びる狭い脇道に僕は向かった。
彼女は『夕方の五時過ぎ』にまた会おうと言っていた。移動方法はおそらく徒歩のみだ。となるとこの近辺から、それほど遠くまでは行っていないはず。付近をしらみつぶしに歩けば、もしかしたら彼女に会えるかもしれない。
自然と歩く速度も上がった。
しばらく歩き続けて、僕はふと気付いた。
「ここは……」
僕が見た夢の最後の場面。安藤と対峙した場所に僕は立っていた。
思わず身が竦む。一刻も早くここからは離れたい。言いようのない不快感が込み上げて、僕は足早に住宅街の奥へ進んだ。
住宅街の外れまで来ると、そこには小さな公園があった。中を覗いてみると、平日の午前中ということもあって人の気配は無い。
僕はベンチに深く腰掛けて、辺りを見回した。
有り触れた光景。しいて言うならば、これだけ人の居ない時間というのはあまり無い体験だった。耳を澄ますと静寂だけが残る。
視線を落として深く息を吸った。
「サボりか? 少年」
誰かが僕に声を掛ける。いや、誰かではない。その声の主を僕は探していたのだ。
綺麗な黒髪が風に靡いている。
「学校があると自分から言っておきながらこれだ。全く最近の学生は何がしたいのだか……」
笑いが零れた。彼女の嫌味に対してなのか、それとも再会を喜んでなのか。よく解らなかったが、とにかく僕は笑っていた。
「隣、いいか?」
僕が手で示すと彼女はそこに座った。ふわりと香る柑橘の爽やかな匂い。そこには夢の中で見た彼女と全く同じ姿をした人が居た。
「それで、どこから話そうか。と言うよりは、君が聞きたいことに答えたほうが早いかな?」
青い瞳に僕の姿が映る。
僕は彼女に最大の疑問をぶつけることにした。
「あれは、本当に夢だったんですか? 言ってる意味わかんないかも知れないんですけど、凄く、リアルで、まるで――」
「本当に一日を過ごしたように感じた。と、そんなところかな?」
僕は頷いた。「それに、夢の中で出会ったあなたと現実で再会して、しかも、なんでこんな話を信じてくれているのかも解らなくて、本当支離滅裂だし、意味わかんないし……」
実際に言葉にしてみると余計に困惑してくる。自分自身でも現実とは思えない。正夢というには出来過ぎているし、夢では無かったというのは、あまりにもぶっ飛んだ考えだ。
だが、彼女が語る言葉もまた非現実的なものだった。
「それは、君が見たものが夢じゃないからだ」
「え……?」
「君は確かに一度今日を過ごした。そしてまた今朝に戻ってきたんだ。ただ、それだけのことだ」
「そんなこと――」
「あるわけない? まぁ、普通に考えればそうなんだけどね。私が君を信じる理由も無い。でも、君は安藤の名を知っていた。それに十六夜のことも。今の状況がいかに不可解で理不尽なものなのか、私には解る。それに間違いなく君は一度私と出会っている。君の、その『夢の中』でな」
それはあまりに奇天烈な説明だった。あまりにも理解から程遠い。
「たぶん、というか、まぁ、絶対に今はまだ理解できていないと思うけど、もう一度夜になれば君にも解るはず。今日の『十一時』だったか。時間が来ればね」
「それは一体、どういうことですか?」
「時間が来れば君はもう一度朝に戻る。そしてまた今日をやり直す。今の君と同じように」




