Initial-E / Phase.3 -Who will be your side?-
彼女が去って三日が経った。
慌しく対応に当たっている施設の研究員達とは対照的に、私に与えられた職務は至って平穏で退屈なものだった。ただ只管にこの施設内にある第二研究所――以前莉衣と過ごしていた建物の正面に位置する――ここの警備及び出入りするものの管理を行うだけなのだが、第一にこの狭い施設に外部の人間が訪れることは先ず以って無く、更に複数の研究所を往来することが出来る人も物も限られている。知った顔と見慣れた書類や機材が運ばれるのをただ『見て』流すのが今の私に与えられた責務なのだ。
物資の搬入の為、一日に幾度と無く運搬用の車両が目の前を通り過ぎていく。その度に、そのガラスに、磨かれた銀の車体に、私には不釣合いな程に美しい白衣が目に入った。
染みの一つも無いこの純白の衣が私は少し苦手だ。しかし彼女はいつも「よく似合っている」と言って笑っていた。離れてしまった今は正直あの笑顔が恋しい。それが如何に大それた願いだと解っていても、反射した自分の姿を視ると彼女への追慕の念が増していく。
溜め息など出ない。不平も不満も。今の私の置かれた状況は真っ当どころか私の想像よりも遥かに寛大なものだ。私は――信用されているのだろうか。否、まだ利用価値が残っていると考えたほうが妥当だろう。そのどちらにしても私にそれを気にする権利など無い。私はただ彼女の為に生きていなければならないのだ。
午後四時二十六分。予定では今日最後となる搬出作業が終わった。これよりは研究所よりの退出者及び予定外の来訪者と搬入にのみ気を配ることになる。しかし、それも基本的には無い話であり、私はこのままずっと孤独に立ち続けるだけだ。この施設において『予定外』というものは存在しない――はずだった。
「よう、十六夜」
搬入を終えたトラックの影からその人は現れた。短い髪に凡そ一六〇センチの背丈、鋭い目付きに細身のシルエット。よれたシャツが肌蹴て鎖骨が露になっているが、それを気にするような人ではないことを私は知っていた。
「お疲れ」と彼女は手を挙げて挨拶をした。女性にしては低く力強い声だ。とても印象的で一度耳にすれば忘れることは無いだろう。
「御疲れ様です。久しぶりですね、No.13」
私が頭を下げようとすると、彼女はふらふらと手を振ってそれを拒絶した。彼女からは以前にも私は堅苦しくて面倒臭いと指摘されたことがある。
「そーゆーのめんどいからパスで」
私と彼女は、今は元より、一度たりとも同じ立場であったことは無い。上下関係があるとすれば私が『下』であり、彼女が『上』なのだが、No.13がそれを鼻に掛けた態度を取ったことは無い。彼女の中ではあくまで私は対等の存在なのだろう。
しかし周りの人間がそれを良くは思わないことを私は理解している。幾度注意されたとしても私の態度に変化は起こらない。彼女が命ずるのであれば膝を突き、平伏すことなど容易い。そしてそれは彼女も承知のことだった。
「本日はどのような御用件でしょうか。既にこの第二研究所は来訪の受付時間を過ぎていますので、許可証が無ければ――」
「あーあー、いいからいいから。あたし十六夜に会いに来たんだよね」
やたらと軽い口調でNo.13は私の言葉を遮った。
「私に、ですか」
それは確かに『予定外』の出来事ではあったが、私はそれを少しも驚いていなかった。いや、正確には彼女の姿を見つけた瞬間はそうであったが、私は彼女という人物を知っていたからこそ、これからは常に想定外の展開が続くことを想定していた。
「おぅ。今時間いいか?」
初めに久しぶりと彼女に言った通り、彼女とこうして話をすることはおろか、顔を突き合わせること自体がもう四ヶ月も無かったことなのだ。それ自体は珍しいことではないが、私に直接の用事とは……。
彼女の要望に出来るだけ応えるべきなのは解っていたが、私にもそう易々と応じることが出来ない事情というものがあった。
「時間と申されましても、二十四時間体制で私はここで勤務しておりますので」
「はぁ? 休憩は?」
「御座いません」
「交代は?」
「居りません」
そこまで言って初めてNo.13は首を傾げた。私の待遇に対して、少なくとも今は、私以上に納得がいっていないという表情だ。
流石に二十四時間、つまり一日中ずっとここに私一人しか居ないとは考えてもいなかったに違いない。
「ここで御用件を御聞きする訳にはいかないのでしょうか」
「いや、ここではな……」
No.13。彼女のことを多くの人間がそう呼んでいる。彼女がこの施設での十三番目の実験の成功者であることが由来である。
この施設内部には他にも数字で呼ばれている被験者が数名居るが、そのどれもが他の被験者とは少し勝手が違うもの達ばかりなのだが、その中でも、彼女、No.13は一際特別だった。
「どうすればいいかな?」
「そうですね……。上の者に掛け合ってみては如何でしょう。貴方ほどの方でしたら多少の我侭も聞き入れて頂けるのでは」
私の提案にNo.13は不満気に溜め息を吐くと、「それもそうだな」と一言残して彼女は後ろの第一研究所へと向かった。――莉衣と過ごしたあの研究所へと。




