5.21の星夜の後の一宿一飯
やっと主人公以外の人間が出た・・・・・
3週間が経った。
現在、龍之介は朝日に照らされながら、川を伝って山を登っている。
それも凄い速度で。上半身は何も着ておらず、腹に一文字の、背中に袈裟懸け状の大きな傷跡が残っている。
この世界に来てから人には出会えていない。
そもそも下流の果てはどうだったのかというと、森を抜けた先、そこはなんと海だった。それはもう思いっきり海に繋がっていた。長い砂浜が三日月の様に続いていたが、町や村など以ての外。人のいそうな気配は全くなく、振り返れば、この森が、砂浜と同じ三日月型の長大な山脈に囲まれているのが分かった。
海までが2週間、引き返してから今日までで1週間。往路は、狩りなどで手間取ったりして時間がかかったが、復路では身体強化の効率化が成功したこともあってかなり時間を短縮できた。
さて、何故山を登っているのかというと、それは山越えをするためだ。目的は人の集まる場所、簡単に言うと村や町を探すためなのだが。
この森は、あの三日月型山脈に囲まれているせいで未開の地になっているのではないか、というのが龍之介の考えだ。
あるかもわからない村やら町やらを探すには、この森は厳しすぎる。正直、川から離れるのもかなり不安、というわけで山越えなのである。
ただ、他にも理由があって、鎧熊との戦闘に慣れ、セオリーが出来てしまいパターン化した。マンネリした戦闘は興奮を産まず、そのせいか段々と人肌恋しくなってきてしまった。
つまり寂しくなったわけだ。
今までは戦闘や能力の研究で誤魔化せていたものの、研究が安定し、戦闘も危機感の無くなった今、それがとうとう我慢できなくなってしまった、というわけで、やっぱり山越えなのである。
***
ちょうど日が頭の真上に登ったあたりで山頂にたどり着いた。
山頂は浅いクレーターの様に窪んでいた。
クレーターはかなりの広さがあるが、その代わり何もない。土がむき出しになっており、所々大きめの岩が転がっているが、緑は全くない。
登っている間の景色と大分差がある為、かなりの違和感を感じる。
ビュービュー風が吹く中、クレーターの真ん中で仁王立ちする龍之介。
その時、大きな風切り音と共に頭上を大きな影が通り過ぎる。あの日と同じように。
影は龍之介の周囲を大きく旋回する。
頭上に目を向ければ、上空を旋回しているのは、あの日あの時あの場所で見た、ドラゴン。
頭から後ろ足まででも50~60mはあろうかという巨体を持つ、ここ一帯の頂点に立つ存在。
ドラゴンが体を傾ける。旋回の起動が変わり、こちらへめがけて滑空してきた。
真紅のオーラが飛行機雲のように尾を引いている。
地面の数メートル上で急停止し、反動を両翼で羽ばたいて相殺する。
羽ばたきは、強風を巻き起こし、砂塵を巻き上げた。
ズゥンという重い音をたててドラゴンが着地する。
土煙の中からヌゥっと鎌首をもたげると、龍之介を目で捉え、じっと見つめてくる。
ドラゴンが軽く息を吸うのを見て、身構える龍之介。
「ほぉ、相変わらず凄まじい量だな」
重く響くやけに渋い男の声。もちろん龍之介が発したものではない。
「・・・喋ったのか?」
「我は知的生命体ぞ」
いきなりのことに少々混乱したが、聞こえた言葉の意味を時間をかけて咀嚼する。
確かにファンタジーな話では珍しいことではないが、実際にこうしてしゃべるところを見ると、かなり不思議だった。さすがファンタジー。
「・・・・・そう、か。凄まじいってのは何の話だ?」
「小僧の"魔力"だ」
「マリョク?なんだそれは?」
「何だ小僧、見えぬのか?体を包む光の膜ぞ」
「あぁ"オーラ"のことか」
ドラゴンは「おーら?」と首を傾げる。こうも感情豊かに動かれると、高性能ロボットを見ている気分になる。そんなこともできるのか、と。
「いや、なんでもない。そうか。魔力か。ということは魔法もあるのか?」
「どういうことかは知らんが、小僧も使っておっただろう?」
「そうなのか?」
「ん?身体強化してここまで登ってきたではないか」
どうやら色々と聞いてから山を降りなければならない。
そう思った龍之介は、一度仕切り直し、これまでの経緯を説明した後、適当にいくつか質問した。
わかったことは以下の通り。
・"オーラ"改め"魔力"。
・魔力を消費して魔法を使える。身体強化、具現化、吸収、放出全て魔法らしい。
・魔力の色は本人の特性、得意な属性を表す。
・この色の種類はかなり多く、濃淡などの微妙な差を鑑みればそれこそ無数にある。
・特性が無いからといってその魔法が使えないということはない。
・特性は言わばプラス効果で、火の特性があれば火の呪文が普通より強くなるということ。
・ただし最上級呪文になると特性がないと厳しいものもあるとか。
・龍之介の魔力は規格外。ドラゴンもこんな量は見たことないとか。そして色も珍しい。
・昔、黒の魔力を持っていた魔術師は、死霊術師だったとか。
・ここまできてあれだが、この話は全部数百年前の知識なので現在の認識がどうなっているのかは不明
上記のことがわかったので、この世界のことについても尋ねてみたのだが、
「我はここ数百年山の外へ出ていない。人語を話したのも然り」
だそうで。
なんでも数百年前に、世界中を巻き込んだ種族戦争があったらしく、それが終わってからは世界との関わりを断っていたとか。理由は疲れたから。なんとも人間味?溢れる話である。
ちなみに、気になって歳を聞いてみたところ、
「二千から先は数えていない」
との名言を賜った。
「さて、そろそろお暇しよう」
「そうか。良き対話だった、人の子よ」
「あぁ、色々教えてもらって助かった」
「フン、礼はいらぬ。またここへ来て、世界の話をしてくれ」
わかったよ、と手を振って去ろうとした龍之介をドラゴンが引き止めた。
「待て小僧。これを持って行け」
そう言うと、自分の首あたりを軽く引っ掻いて、何かキラキラした物を飛ばす。
それは綺麗な放物線を描いて龍之介の元へ。
ぱしっとそれを掴むと、手のひらの中には一枚の黒い艶やかな鱗。
「今どうなったかはわからんが、昔はそれで一晩の宿くらいはとれた」
「何から何まで悪いな・・・・と、そういえばなんて呼べばいい?」
「我が名はヴロト。我も名を聞こう人の子よ」
「俺は龍之介だ。じゃあなヴロト。また来る」
手をひらひらさせて山を降りていく龍之介。
それを見送る龍は、一つ唸るとため息混じりに呟いた。
「また来る・・・か。ククク、名を名乗ったのも幾百年ぶりだったな。今日は良き日ぞ」
***
夕日が照らす森を駆ける龍之介。別に急ぐ理由は無いのだが、ヴロトに宿の話を聞いて、久しぶりに料理が食べたくなったのだ。
これまで可能性もなかったものが急に現実味を帯びたせいか、時間が経つごとにその欲求は強くなる。
膨張していく欲は、急かすように龍之介の足を動かした。身体強化まで使わせて。
と言っても身体強化は、襲ってくるかもしれない野獣に対抗するためでもあるのだが。
(あれは・・・村、か?)
身体強化の応用で、遠視を効かせている。ついでに聴力も強化して、野獣などの急襲に備えている。
その遠視で伸びた視界の先、まだかなり距離はあるが、森を抜けた平地に、ヨーロッパ風の家がいくつか立ち並ぶ場所が見えた。
規模からしておそらく小さな村といったところだろう。
あと10分ほど走れば到着するはずだ。
(人に会うのは久しぶりだな。・・・・しかし言葉は通じるのか?)
さっきまで龍と話してはいたが、なんでも数百年ぶりと言っていたし、人と話す言語が同じとも限らない。よくよく考えてみれば、龍と話していたこと自体も普通じゃない。
(いや、そんなこと考えてても意味ないな)
結局は村には行くわけで、言葉が通じなければその時はその時。そう思って、少し走るスピードを上げた。
***
村についた・・・・のだが、村人たちの視線が痛い。
上半身裸でしかも大きな傷が二つもあるのだから、一応覚悟はしていたが、それでも居心地のいいものではなかった。
文明の水準は、中世ヨーロッパ風に見えるが、道に排泄物が転がっていたり、などは無くて助かった。ああいうのは話に聞くだけで十分である。
そんなことを思いながら歩いていると、後ろから声をかけられた。
「なぁ、あんちゃん」
振り向くと、いかにも村人Aと言った風の中年男性が立っていた。
「あんたどっから来たんだい?」
村人Aの問いに、どう答えたものかと迷う。
いきなり森の中にいた?異世界から来た?さすがにこれらは論外だろう。更に変な目で見られる事になる。ここは無難な答えにしておくのがベストだと判断する。
「森で道に迷いまして、ここを見つけられたのは運が良かったです」
そう答えると、意外なことに村人Aは顔を訝しげにしかめた。
「あんちゃん・・・・あんた」
(まずったか?何がいけなかった?)
と内心冷や汗だらだらでいると、ふわっと村人Aの顔が微笑みに変わる。
「方向音痴なんだなぁ!はっはっは」
どうやらあまり嬉しくない方向で勘違いしてくれたようでなによりだ。
「あー・・・まぁそうなんですよ。どこか泊まれる所は無いですか?」
「うーん、この村には生憎宿屋は無いんだよなぁ。あまり外から人が来るわけでもないしな」
「そうですか。ならここから一番近い宿屋のある村か町を教えてもらえないでしょうか?」
龍之介がそう聞くと、村人Aは驚いて目を見開く。
「いやいやあんちゃん。ここからじゃ一番近い村まででも3日はかかる。今日はうちでいいから泊まっていきなよ」
そうまくし立ててきた。龍之介としては野宿上等な暮らしをしてきた為、何も問題は無いのだが、ここは好意に甘えておくことにする。美味しいものも食べれるかもしれない、という下心は懸命に隠した。
素直に頭を下げて礼を言うと、「何もしないで会った人間に死なれたらたまんないよ」と笑って返された。けっこうお人好しらしい。
晩御飯は村人A改めジョシュアさんの妻、ジーナさんの手料理だった。
龍之介は、久しぶりの料理を泣きながら食べた。
ジョシュアさんとジーナさんは目を丸くしていたが、森で迷っている間はまともな物を食べれなかったのだと説明すると、なんとか誤魔化されてくれた。嘘は言ってないから大丈夫だろう。
食後にジョシュアさんとエールを飲み交わした。
実のところ、祖父の晩酌に付き合っていた龍之介はかなりアルコール慣れしている。
が、かなり夜遅くまで飲み耽り、結局テーブルに突っ伏して寝た。
ジーナさんがあまり酒を飲めないので、久しぶりに気持ちよく飲めたと言っていた。
「こんな時くらいしか思い切り飲めないから付き合ってやってよ」とはジーナさんの言。
夢を見た。祖父と祖母と幸せに平和に暮らしていた頃の。
その記憶は夜空の星の様に煌いていて、今の自分にはとても眩しかった。
突然思い出の上映が途切れる。次いで降って響く声。
「・・・できちゃったんだ」「堕ろすのも世間体が・・・」「・・・だから仕方なくお前を」
――生んだ?
違う。
俺は生まれてない。
意味なく生まれた命は生などない。
死んでいるのと同じ。
お前らは俺を生んだんじゃない。
俺を・・・
――殺したんだ。
窓から射した朝日に目が覚める。久しぶりに見た悪夢のおかげで目覚めは最悪だ。
ジョシュアさんと酒を飲んだのが記憶を掘り起こしたのだろうか?
いつの間にか毛布が1枚かけられていた。ジョシュアさんかジーナさんがかけてくれたのだろう。
なんだか頬がスースーするな、と思って触れてみると、どうやら自分は泣いていたらしい。
(いい年して悪夢で泣くとはな)
と苦笑せざるを得ない。
階段の方から誰かが降りてくる足音がする。
急いで涙を拭うと、ちょうど入ってきたジーナさんに朝の挨拶をした。
「おや起きたのかい。今朝ご飯準備するから待ってておくれ」
ジーナさんはそう言って厨房へと向かう。
平和だ。朝日、毛布、屋根、朝食。こんな当たり前のものだけで心に平穏を感じる。
野宿も捨てたもんじゃない。あの生活なくしてこんな気持ちを感じることはできなかっただろうから。
立ち上がって、手を上に伸ばし、全身をしならせる様に伸びをする。
その時にはもう悪夢のことなどすっかり忘れていたのだった。
昼過ぎ。村の入口――龍之介が来たのとは逆側――には人が3人立っている。
龍之介と村人夫婦。
「ほんとにもう行っちゃうのかい?」
「ええ。ここにいるといつまでもお世話になってしまいそうなので」
「そうかい。飲み仲間が行っちゃうのは寂しいなぁ。最初は殺されるかと思ったのにね。はっはっは」
「どういうことですか?全く」
豪快に笑うジョシュアさんに、苦笑混じりにため息をつく龍之介。なんでも呼び止めて振り返った時の龍之介の目つきが鋭すぎて死すら予感したという。自覚はあるが、そろそろ気絶する人間が出そうな気がしてくる。
「はっはっは。まぁ今はいい思い出かな。さっきも言ったとおり、この道を辿っていけば3日もあればマヘスの村へつくはずだ」
「はい、いろいろと有難うございました。服まで頂いちゃって。ジーナさんも」
「いいのよ気にしなくて。うちの人も久しぶりに美味しくお酒飲んでたし」
「ではそろそろ」
「うん、気をつけていくんだよ」
声音から本当に心配してくれているのが分かる。こんな良い人達がこの世界で出会った最初の人なのは運が良かったのだろう。これからもこんな出会いが続くとは限らない。
だからこそ、龍之介は心から感謝することができた。
もう一度深く頭を下げてから出発する。親切な村人夫婦は、見えなくなるまで村の入口で見送ってくれた。
***
「行ってしまったか・・・」
見えなくなった少年を思い出してみる。
あんなに酒を美味しく飲めたのはいつ以来だろうか?多分息子が死んでからは初めてだった。
息子はまだ幼かった。それを賊に攫われてしまった。賊の名前は聞いたことがあった。人身売買などの残虐行為で有名な盗賊団だった。知らせを聞いた時は気が狂いそうになった。それでもまともに生きてこれたのはひとえに妻のおかげだ。
あの少年を見た時、気がついたら声をかけていた。
振り返った少年の目つきに失禁しそうになったのは秘密だ。悲哀以外の感情が全て抜け落ちたようなそんな目に、殺されるかもと思ったほどだ。
この世に悲哀以外のものを見ていない様な、悲哀の紅。
しかし、その目は息子を失くした直後の自分を見ているようで放っておけなかった。
話してみれば礼儀正しく、素直ないい子だった。一緒に飲んだ酒は本当に美味しかった。
息子が生きていればちょうど彼くらいの年格好だったはずだ。そう思うと楽しくて飲むのを止めることができなかった。まるで本当の息子と飲んでいる様な気分だった。
本音を言えば引き止めたかった。ここで一緒に暮らそうと言いたかった。
だが、少年の人を拒絶する威圧感がそれをさせなかった。多分、彼を引き止めたところで断られていただろう。残っていたとしても、息子にはなれなかっただろう。
そう思うと、送り出すことしかできなかった自分が不甲斐なく思える。
もっと色々とできることはなかっただろうか?
「大丈夫よ。あの子なら」
そんな不安を読み取ったのか妻が肩に手を置いてくれる。
「そうだな。リュウノスケなら・・・・・・」
いつか、いつの日にか、再び会えることを願いながら、日常へと戻っていく。
「さて、仕事だ!」