1.森に眠り森に目覚める
木々が鬱蒼と生い茂る中、ただ倉庫にあったローブ一本だけをぶら下げて奥へと進む。
ここは、富士の樹海。絶界の自殺スポットだ。
今の自分にピッタリだな。そんなことを思いながら進む人影が一つ。
短めの黒髪に、浅黒い肌をしており、背丈は日本人にしては高め。
人に聞けば十中八九かっこいいという答えが帰ってくるであろう精悍な顔つき。
ただし、仄かに赤みがかった黒い瞳の目つきは、それこそ人を殺せそうなほどに鋭い。
体つきは最近流行りの細マッチョなどではなく、むしろマッチョ。
ただそれほどムキムキと筋肉に溢れているわけではない。
彼、周防 龍之介は、現在の制服姿からも察せる通り、都内の高等学校2年生。
しかし、もうそんな肩書きのようなものも必要ないだろう。
何故なら彼は今日、ここで死ぬのだから。
別に死にたいわけではない。ただ、生きていても何の意味もないと思ったのだ
。生まれた理由などなく、生きる目的があるわけでもない。
惰性で1年半ほど高校にも通ってみたが、特にやりたいことも見つからなかった。
友達、と言える人間関係はあった。でも親友じゃない。
どこかで壁を作って、そのへんの有象無象よりは仲が良い。そんな程度。
最初の頃は、容姿でちやほやされて、彼女も作ってみたりした。
でも特に感情は動かなかった。
「壊れた人形みたい」
そう言われた。
望まれずに生まれた命なんてそんなもんかな、というのがその時の正直な感想である。
もう一度言うが、死にたいわけじゃない。
ただ、死んでみようかな・・・・と、そう考え、行動に移しただけだ。
適当に丈夫そうな木を見つけてよじ登る。
しっかり重さに耐えられる事を慎重に確認し、ロープを結んだ。
事を成すための運命の輪はもうできている。
おもむろにそれを首にかけると、ふと祖父の顔が頭に浮かんだ。
「じいちゃん、ごめん」
一番大切な人に謝罪の言葉を口にして、宙に飛んだ。
走馬灯なんて無い。ただ自重により落下する感覚だけが体を支配する。
突如、持ち上げられたようにがくんと首に激痛が走る。
が、それは一瞬だった。バキっと音がして、再び落下する。
(おいおい、そんなやわだったのかよ)
いったいあの慎重な確認はなんだったのか、枝が折れてしまった。
どこか安堵と期待はずれの入り混じった感情を顔には出さず、このまま落下で死んでもいいか、と不謹慎なことを思いながら地面に激突した。
痛みに顔をしかめる暇もなく、ロープによって繋がれた枝が、思い切り後頭部に直撃する。
龍之介はそのまま意識を手放した。
***
木々のざわめきで目が覚めた。まだぼんやりとしている意識を頭を振って覚醒させる。
ゆっくりと起き上がり、月明かりに照らされた自分の体を眺めてみた。
おかしい。怪我が一つもない。折れたと思っていた腕やら肋骨も、後頭部のこぶすらない。
「わけがわからん」
口に出してどうにかなるわけでもないが、取り敢えず声を出してみた。
喉にも異常は無いようだ。
そういえば、と思い出したように首に手をやった。そして、驚きに目を見開く。
ないのだ。首にしっかりと食い込んでいたロープが。
「これじゃ死になおしもできんな」
なんだ自分はまだ死にたいのか、と自嘲気味の笑をこぼし、立ち上がった。
辺りを見回しても、あるのは森の木々と静寂のみ。
ただ、生えている木々は見たことのない種類だった。
少なくとも富士の樹海では見なかったと思われる。
「ふむ、誰かが俺を運んだのか?」
可能性としては一番高いが、それでもかなり低い可能性だろう。
なにせ龍之介は樹海をかなり奥の方まで彷徨ってから首を吊ろうとしたのだ。
普通なら探そうとするだけで一苦労どころではないはず。
にもかかわらず自分は明らかに気を失った場所とは違うところにいるのだから、困惑するのも当然と言える。
「取り敢えず、どうするかな」
どうするか、というのは単純にもう一度死ぬか、それともという話である。
ただ、せっかく準備したロープはどこかへ逝ってしまったので、もう一度死ぬ手段を考えなければならない。
それは億劫だ、と龍之介は思った。
それに自分が今どういう状況かもはっきりとは把握できてないのだ。それが微妙な不安を与える。
(やはり状況の確認が先だな。死ぬのはいつでも出来る)
所持品は衣類のみ。こんなことなら小銭でも持っていれば気休めになったかもしれないと、いらぬ後悔をしながら森の中へと歩を進めた。
***
小一時間ほど歩いているのだが、先ほどから体に妙な感覚がある。
実は、目を覚ましてからも感じてはいたのだが、混乱していたためか、気のせいだと頭の片隅に追いやっていた。
それが時間を経て、だんだん無視できない違和感になりつつある。
(さっきからなんなんだ?この感覚は)
どんな?と聞かれてもおそらく説明し難い。
なんというか自分の中にもう一人自分がいるというか、血液が二重に流れている、そんな感覚。
無視できないといって、体に悪影響があるという気もしない。
が、感じる度合いがどんどん大きくなっていく。
とうとう看過できなくなり、立ち止まったその時だった。
「っ?!」
ほんの一瞬、自分の体が光ったように見えた。
もう一度自分の体を見る。が、もちろん光ってはいない。
「気のせい、か?」
そう言って諦めようとした時だった。
ふわっとした微弱な浮遊感と共に、龍之介の体が紅黒く発光し始めたのだ。
「んな?!なんだこれ?!」
突然のできごとに慌てふためく龍之介。
地に足はついているが、浮遊感は僅かに残ったままになった。
自らの体から発せられる謎の光。
それは漫画やアニメなどでよく出てきた、"オーラ"とかによく似ていた。
(お、落ち着け俺!一旦落ち着け!まずは状況確認だ、うん)
必死に自分の感情を制御し、もう一度よく自分の体を眺めてみる。
全身を覆う紅黒光。これは何か?と自身に問う。
すると、頭の中でまるでパズルが解けたかのように理解できることがあった。
(これ、さっきまでの違和感の正体だ。だが、これは一体)
そう。あの二重の血流の感覚の正体がこの"オーラのようなもの"であると、知らずの内に理解した。
それがなんなのかは全く不明だが。
「害は特に無さそうだな。今のところ眠くもないし、もう少し歩くか」
辺は真っ暗で、体は発光しているように見えるのに、周辺を全く照らさない。
どうやら光ではないようだ。
ともかく支障は無いと判断した龍之介。
現在地が何処かは見当もつかないが、眠くないのは時差ボケか?などと思案しつつ、再び森の中を進んでいく。
しばらく進んだところで、半径3mほどに開けた場所に出た。
辺は依然暗闇に包まれ、木々が葉を揺らす音しか聞こえてこない。
生きることを選択したのは良いものの、水や食料を確保できないといずれ死んでしまう。
死ぬのを止めた手前、飢え死にはいくら龍之介でも勘弁願いたかった。
(さすがに喉が渇いてきた)
富士の樹海を彷徨っていた時を含めて今日、と言っていいのかわからないが、ここ数時間は水分を摂取していない。
「くっそ、『水』~」
なんとなく不満気に呟きながら、木に手をついた。
(お、この木冷たくて気持ちいいな。まるで体に染み渡るような感覚だ)
しばらく目を瞑って、その清涼感を楽しむ龍之介。
しかし、ふと頭上の違和感に駆られ、上を見上げて目を開けると、パラパラパラパラ葉が落ちてくるではないか。
しかもよく見てみると、どれも枯葉である。
(おかしい。さっきまでは枯れ木なんて無かったぞ?)
さきほどから枯葉を降らせている枝から幹を辿ると、どうやら今なお自分が触れている木が枯れ木になったようだ。
(俺が最初に此処に来た時はこんな状態ではなかった。・・・・まさか、な)
思考と共に感じるのはさっきまでは無かった体の潤い。喉の渇きなど既に皆無である。
おもむろに別の木へ手をつき、ただひとつを念じた。
(『水』)
途端に体に清涼感が流れ込む。そして、手をついたの幹がどんどんとしなびていく。
疑念は確信に変わった。だが、おかしいことがある。まるで限界を感じないのだ。
微妙な罪悪感を覚えつつも、手を離さずにいると、たちまち木は枯れ、葉をすべて落としてしまった。
「ますますわけがわからなくなってきた」
がっくりと肩を落としてうなだれたその顔に、期待と不安が綯い交ぜになった笑みを浮かべる。
(この"力"を理解する必要がある。)
龍之介は本能でそう悟る。
(おそらくは"何か"を吸収する能力だろう。だが先ほど水分を吸った時には限界を感じなかった。胃に何かが入った感覚も無い)
しばらく考え込み、いくつかの検討事案をまとめる。
1.限界はあるのか
2.何が吸えるのか
3.吸ったものはどうなるのか
以上のことについていろいろ試してみることにする。
面白くなってきた。龍之介は純粋にそう思った。にやりと不気味な笑みを浮かべながら。