プロローグ/周防 龍之介の独白
初めてってのは何でも緊張するもんですね(汗アセ
この世に生を受けてから、3歳までは名前が無かった。「おい」とか「お前」とか呼ばれてた記憶がある。
おつむはどうやら優秀だったようで、今考えても、あの少ない会話でよくあれだけ母国語を理解できたな、と思うほどだ。
そんな俺が名前をもらったのは4歳になる直前。確かクリスマスイブだったと思う。
当時、俺は1日の殆どを家の2階、何もないフローリングの部屋で過ごしていた。飯は1日1食で、大体はご飯と味噌汁と漬物というなんとも慎ましいもの。
所謂虐待を受けていたわけである。ただ、両親はかなり中途半端にビビっていたんだろう。たまに申し訳程度に暴力を振るわれたけど、顔や腹は殴られなかったし、飯も一応毎日出た。
度胸もへったくれもなかった。ならやるなよ、と後になって思ったりした。
その年のクリスマスイブ、いつものように冷たい床の上で震えながら、月明かりを頼りに飯を口に詰めていた時だ。
突然、玄関の扉が開いた音がしたと思ったら、1階が騒がしくなった。
それでも勝手に部屋の外に出ると殴られるので、気になりつつも食事を続けていた。5分ほどたった頃だろうか。
俺の世界の全てだった部屋の扉が勢いよく開かれ、3人の大人が入ってきた。廊下の明かりが逆光で眩しくて、顔は確認できなかった。
大人たちは呆然とする俺を、外の世界へ連れ出した。
そこからはあまり良く覚えていない。気がついたら祖父母に引き取られることになっており、荷物なども無かったため、身一つで引越しをしたんだと思う。
そして初めて名前というものを知った。もちろん自分がもらったからなのだが、記憶にある限り最高のクリスマスプレゼントだった。
その他にも、どうやらうちの家系はお金持ちに十二分に属するお家らしく、祖父母に引き取られてからは、まさに"英才教育"を地で行く施しを受けた。
祖父が文武両道を重んじる人だったので、色んな武術の師範代やら教官やらを呼び寄せたり、有名な家庭教師に始まりあらゆる学問の権威から教えを受けた。
恐ろしい人脈である。充実してたし、幸せだった。祖父が死ぬまでは。
中学2年の夏、授業を終えて家に帰ると、祖父は眠るように死んでいた。涙は出なかった。受け入れられなかったとかでもなくて、ただ単に、別に悲しくなかった。
もちろんそんな薄情な人間は俺だけ。祖母は泣いてやつれて、1週間後に後を追うように亡くなった。
また涙は出なかった。もうどこかで、人間こんなもんか、と思っていたふしがある。
その後、葬式を終え、俺は両親に引き取られることになった。"俺を虐待していた両親に"である。
久しぶりに再会した両親は、思っていた以上に小さかった。身長はとうの昔に追い越していたようだし、実際喧嘩しても勝てるな、とかしょうもないことを考えたりした。
人生の急速落下した音を聞いた気がした。なんでこんなのとまた生活しないといけないのかと、そう思った。
それでも俺はまだ中学のそれも2学年。つまり餓鬼だったわけで、両親の目的が遺産だったとかそういうことに疎かった。
今からでも、あの羨望の目で見ることしかできなかった"普通の家族"というものになれるんじゃないか。そう期待していた。
けど甘かった。
人間、それも頭のできちまった大人ってのはそう簡単に変わるもんじゃない。
暴力は受けないし、飯もまともなものが出る。
だがそれだけだった。ただの居候と何も変わらない。
高校入試に合格し、それを報告した時に、興味なさげにただ一言
「そうか」と言われた時、やっと理解した。
家族、友人、親戚、そう言った人と人との関係というものは時間が育むのだ。
血が繋がっているからといって、すぐに家族になれるわけは無かった。
そしてこの大人たちに、俺と家族になる気はない。
虚しくなった。静かに涙を流しながら、なんで自分を生んだのかを尋ねた。
流す涙ほどには期待を抱いて。
「できちゃったから」、「世間体が」、「仕方なく」
帰ってきた答えはだいたいこんな感じ。
話が終わる頃には涙と一緒にいろんな感情も消えたような感覚に襲われた。
人間として壊れた、そう思った。
ご意見ありましたら、優しく甘やかす感じでお願いします