序章・漆 暁~夜明けを待つ闇の王~
太陽が身を隠し、満月の輝きが夜天を支配する頃合い。
世間では、夜独特の静けさが微睡みを誘い、夢見を享受していることだろう。
ズンッ
和んだ身体にふいに訪れる圧迫感。
まるで長年連れ添った嫁のように、星夜の食事の準備をしていた幻十郎は、突如として感じた力の大きさに唖然とした。
島全体を覆うような重圧が、霊体である幻十郎を直接揺らす。
東の森が昼間のように明るくなり、地響きと共に突風が巻き起こる。小屋が揺れて棚の物が落ちた。
暗黒の空間が一転、おとぎ話の妖精の苑を思わせる光の世界に様変わりする。
「なんじゃ、なんじゃ、何が起こったんじゃ!?」
不測の事態に耐性のある幻十郎でさえも、この現象には只々驚いた。
何が起こったのだろうか。
混乱した思考の隅で、馴染み深い刻印の波動を感じ取り、星夜とアカツキが激突した発生地点を睨みつける。
結論は直ぐに出た。
「このとんでもない刻印の波動は――まさか、強大な刻印同士がぶつかり合っておるのか!?」
急転する現実に、考えが追いつかない状況で、即座に思考を切り替えて、今起きている事柄を整理する。
幻十郎が導き出した答えはたった一つ。
久方ぶりだが忘れようもない、かつて生死を共に駆け抜けた相棒――無二の親友の温もり。
「だとすると、片方は……もしや、アカツキか!?」
その時、優しい光が幻十郎に流れ込み、幻想的な世界を体感する。
そこで見たのは、汚れきった魂をも癒しきるような黄金の海。
過去を振り返ったかのような走馬灯、あるいは死後の世界を垣間見ているのだろうか。
自分が永遠に失ったもの。願っても戻らない理想郷。
嵐に飛び込んだような激しい思考の渦、その奥底で幻十郎は懐かしい光景を見た。
『おいッ、暁! 海の向こうには何があるんだろうな!』
『おいおい、やめとけ。無駄死にするだけだぞ』
『せっかく異世界に来たんだ。騎士なんかで一生を終わらせるつもりか?』
『う~ん、ソレも嫌だな』
『そうだろ! 冒険だ、冒険!』
『お前といると退屈しないな、御堂』
『当たり前だろ! 俺は退屈が大嫌いだ!』
――失った己の半身を、過去の自分を想い出す
――夢と希望に満ちていた若き日の追憶
『おいッ、この魔獣共、王獣に近い実力を持ってるぞ!』
『お前は先に行け! コイツは俺が足止めしておく』
『何言ってんだ、御堂。俺達は最強のコンビだろ? 運命共同体だ』
『……それもそうか。ここまで来たら変わらない、か……』
『そうだ、死ぬときも一緒だ!』
『それはヤダな。俺はいい女と共に死にたい』
『お前みたいな浮気男には無理な話だな』
『おっ、言うねぇ。この仏頂面が! ハハハハハハッ』
王獣へと堕ちた暁省吾、この世をさまよい永遠とも言える時を過ごす御堂幻十郎。
暁の記憶が蘇ったからなのか、繋がり合う絆で感応したのか。この瞬間、暁と幻十郎、二人の脳裏にかつての想い出――遠い過去の日々が駆け抜けた。
「今、のは……?」
気付くと首元が濡れている。
幻十郎の両の目からは、いつの間にか涙が溢れていた。
今のは夢だろうか。いや……
幻十郎は思わず立ち上がった。
「これ、は……」
己の全てを満たすような感覚。ソレは幻十郎にとって終わりを意味する。
これは――
「まさか、そうか……アカツキが……その時が来おったのか……」
かつてこの島で無念にも果てた親友、暁省吾。
魔獣に取り込まれても尚、執念が勝利して、刻印の力と共に、王獣へと変化した。
それが今解き放たれたと云うことは――
「星夜、か……」
◆◇◆◇◆◇
その頃、各地で力を観測した者達が揃って声を荒げる。
――中央大国ベリス「うつろひ神殿・神託霊廟」
白装束を着飾った盲目の少女が、色を通さない無の瞳で虚空を見上げた。
普段感情を露にしない少女が珍しく動揺したのを見て、付き添っていた神官が不安そうな表情で問い掛ける。
「どうなされましたか、巫女姫様」
「いえ、この力……うつろひ様を感じるわ」
選定された者以外は入ることさえ許されない霊廟の最奥部で、少女は期待に胸を躍らせた。
――ディッカ諸島連盟群「無敵要塞ファーブニル・円卓大広間」
重厚な鉄をイメージさせる要塞の一角、至る処に多種多様な機械が並べられた部屋があった。
本来、この世界にはありえない"科学"という力、別の世界から違法に持ち込まれた未知の技術。
一部を除いてトップシークレットでもある科学は、畏怖の象徴として、敵対国への抑止力へと繋がる。
豪盛な椅子に座り、膨大な研究資料を読みふけっていた男は、廊下が騒がしいのに気付いて、顔を上げる。
程なくして、叩きつけるように扉を開けて、学者風の装いをした男が慌てて飛び込んできた。
「大変です、議長!」
「何事だ? 騒がしいぞ」
「も、申し訳ありません。対刻印用の探知システムが作動! ――それも膨大なエネルギー反応を検出しています!」
「……場所は?」
「南東、四時の方角、距離二万キルです!」
「大陸の外、果てか……。それほどの逸材ならば他国に渡すのはマズイな……情報だけは欠かすなよ」
「――ハッ」
数十年前に誕生した歴史の浅い新興国。それらが集まった大陸北西の島々は、他国からの侵略を阻むため、互いに協定を結んでいた。
椅子に腰掛け話を聞いていた男――盟主又は最高議長と呼ばれる若き研究者は、流動する世界に一石を投じる存在に、危機感を募らせた。
――シルギニア国「王宮鍛錬場」
齢を重ねて尚、筋骨隆々の戦士――騎士団の一つを任される男が、懐かしさに口元を釣り上げた。
最近では噂を聞くこともなく、音沙汰のない戦友、とっくに亡くなったと思っていた人物の波動を感じて、訓練を一時中止する。
彼は何もない方向を見つめ、只、佇む。
尊敬する騎士団長の異変を感じて、部下達が不思議な顔をした。
「どうかしましたか、団長?」
「いや、懐かしい気配を感じてな。アカツキという名を知っているか?」
「……アカツキ、ですか?」
「ああ、お前も聞いたことがあるだろう? 五十年前の戦争で活躍した英雄の一人ミドウの片割れだ」
「もしや<剣聖>ミドウですか? 我が国の黒狼騎士団の元団長……」
この国は大陸中央の騎士大国。特に魔法を取り入れた剣術――魔剣技の使い手の多さには目を見張るものがあった。
それ以上に国の名を知らしめたのは、地球協会――ギルド本部があることである。渡り人の多さでも有名であり、当然、騎士団に入る渡り人の数も他国とは比較にならなかった。
「そう、三十年前に突如騎士をやめて行方知れずになったきりだ」
「その相棒ですか……」
「彼もまた伝説だ。懐かしいな、生きていたのか……」
この後、テンションの上がった国内屈指の実力者は、より一層訓練に力が入る。
それに付き合わされた部下達はボロボロになり、涙目だったという。
――トンボリ王国「クーレル城・王の間」
王の傍らに控えていた宮廷魔導士が、王に近寄り膝をつく。
何か言いたいことがあるのか、王もそれを察して、問い掛けた。
「どうした?」
「アチラの方角から凄まじいエネルギーを捉えました。刻印、それも極上の力のぶつかり合いを感じます」
「ここからさらに東だと? とすると大陸から外れた場所――ブリリアント、もしくは例の未開の島々か。まさかそんな果てで……。念のため、検問を敷いておくか」
大陸東に位置する小国ながら、屈強な戦士を青田買いして、力をつけてきた傭兵王国。
特に刻印保持者は一騎当千にもなりうるイレギュラーな存在。近年では他国もその異邦人――渡り人達を取り込んできているため、油断はできない。
信頼する魔導士が捉えた貴重な戦力の情報に、有能な王は今後の展望を画策していく。
――北方の覇者アスタール帝國「帝都オウラ・支配宮殿」
「ククク……」
傲岸不遜な面持ちの覇気溢れる男――第二十八代皇帝が偉そうに腕を組んで、不敵な笑みを浮かべた。
その近くにいた側近の女性が曖昧な表情で訴えかける。
「皇帝……」
「フン、狼狽えるな。たかが一匹、排除など容易い」
「はいッ、……ですが、厄介なことになる可能性も……」
「捨て置け。帝國に不要ならばその存在は目障り、目の前に立ち塞がったら蹴散らせば良い」
「はッ」
「我が軍は最大最強の兵力。二十万の精鋭達が滅ぼしてくれるわ」
他国の支配を狙う大陸最強の覇王は、着々と準備を進めていた。
――レジスタンス"虹の橋"「本拠地アルフヘイム・幹部室」
崖が入り組んだ険しい渓谷に、組織の隠れ家となる巨大施設があった。
窓から見える大自然の色彩は絶景であり、展望台から覗いているようであった。周囲は見晴らしも良く、ある方法でしか内部に入ることはできない。
その施設の最上部の部屋で、メンバーの一人である女性が、窓の外を呆然と眺めていた。
組織を束ねるリーダー格の男が「何かしでかしたかな」とギョッとした血相で、引攣りながらも宥めるように微笑む。
「ど、どうしたのかな?」
「懐かしい光……」
「へっ? ……泣いているのか?」
いつも通り、不貞腐れていると思いきや、予想外にも泣いていた。
女の涙に弱いリーダーは、どうしたものかと、戸惑ってしまう。
「……どうしてかしらね」
「色々あったからな。無理もない」
今までの苦労を顧みて、リーダーは原因はそこにあると考えた。
女性の肩を抱いて、心を寄せ合うように、互いに寄り添う。
「……兄さん……会いたいわ」
そこにいない誰かを恋慕するかのように、女性は意識を遠くに馳せた。
――神聖国家レイフロンティア「アマテラス教会・祈りの聖堂」
煌びやかなドレスを纏った神々しい女神――聖女と敬われる少女が、邪気のない喜色満面の顔で、付き従う女性達に目を向けた。
人々を照らす信仰の対象――太陽神アマテラス像の前で、従者が確認の意味を込めて、聖女に尋ねる。
「聖女様、これはもしや……」
「……ええ、これは神の一振りよ」
正に教会の伝承にある通り。
一心に祈りを捧げていた彼女らは、時代の変動を指し示す力の波動を、心地よい感触で身に受けていた。
――???
その存在は、只一つの目的のために暗躍していた。
「へぇ、ボクの他にもいたのか。フフフッ、楽しみだ……」
無邪気な故に、見る者が見れば恐怖せずにはいられない笑顔。
普通の人間として町に潜んでいたソレは、歪な笑いを上げながら、闇へと消えていった。
世界がゆっくりと動き出した。
◆◇◆◇◆◇
アカツキが――死を強調する骸の外見が、人の姿を取り戻していく。
最後に残ったのは、安らかな顔付きをした暁だった。
理性を取り戻したその姿も、今は光に包まれて徐々に薄れつつある。
「今、懐かしい夢を見ていた。……フフ、既に過去の出来事だというのにな……」
「……戻った、のか?」
「そう、見事だ、若き渡り人。懐かしき同郷の青年よ」
星夜は必死だったため、本当に倒したという実感がまだ湧いていなかった。
状況が理解できない星夜を見て、暁は満ち足りたような顔をして、天を見上げる。
「この光……温かいな……青年よ、礼を言おう……ついに解放された……ああ、これでやっと逝ける……」
魔獣と成り果て狂った状態にあっても、暁本来の意識も混じっていたのだ。
永遠の牢獄の中で、もがき苦しみ、それでも束縛から解けない数十年。
暁は、長い悪夢からやっと自由になれた。
「本来ならば何か礼をしたいところなのだが……そうだ、これを受け取ってくれまいか?」
先程まで星夜を苦しめていた漆黒の剣が、突如目の前に現れる。
剣は鈍い黒色の光を放って点滅していき、星夜の持っていた黄金の刀に、吸い込まれるように消えていった。
星夜が驚愕の声を上げる。
「――剣が!?」
「我が剣が従うか。やはりそれは神の一振り……」
「……神の一振り?」
聞き覚えのない単語を耳にして、星夜はオウム返しで問い返した。
幻十郎の説明にも出てこなかった言葉だ。何のことだろうか?
答えを待つ星夜に、何か含むことがあるのか、暁は口を濁した。
「いや……特別な刀とだけ言っておこう。今はまだその力、使いこなせていないようだしな。だが、いずれ必要になるやもしれぬ」
「……?」
「死んだ者は世界に還元されるのが世の理。今この瞬間だからこそ分かる、その刀と同じくらい強大な力を世界のいずこかで感じる。やがて相まみえることもあろう、精進せよ」
暁の真剣な顔を察して、星夜は反射的に頷く。
確かに強力な刀だが、下手をすれば暴走していた。
今後は慎重に使用しないといけないだろう。
星夜は気を引き締めて、手に収まっていた刀を見つめた。
「ではな……」
伝えるべきことを言い切ったのか、暁が未練はないとばかりに、去ろうとする。
幻十郎のことを忘れていると思い、星夜が慌てて声を掛けた。
「ちょっと待った! 爺さんの気配が近づいてきてる! 最後に会わないのか?」
「……今さら奴に会ってもな。ははっ、あの世で語り合うとするさ」
「……そうか」
星夜の価値観では別れの挨拶は必要だと感じたが、本人達にしか分かり合えない流儀があるのだろう。
星夜は黙って引き下がった。
「ではさらばだ! 強く生きよ!」
光が弾けて、再び夜が戻ってくる。
強い言葉を遺して、暁は消え去った。
気が抜けたのか、手元の刀も輝きを失い、同様に消滅する。
「ハアッ、ハアッ、ああ~ッ、もう限界……」
とっくに超えた筈の疲労の限界が一気に押し寄せ、星夜は強烈な眠気に襲われる。
こんな場所で安易に眠れば、本来であれば魔獣に食い散らかされるところだ。
だが戦闘の余波に怯えて、しばらくは近づいてこないだろう。
もうすぐ幻十郎も辿り着く。馴染みの気配がどんどん近づいて来ている。大丈夫だ。
爺さん、後は任せた……
星夜はそのまま意識を失った。
広げすぎ?
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