序章・参 修行の日々~師匠と弟子~
星夜が幻十郎と話した翌日から、早速修行が始まった。
二人の目の前――地面には刃渡り五十センチ程のショートソードが二本刺さっている。
ホープレスエンドは島面積が約百平方キロメートルの、周囲が海で囲まれた絶海の孤島であり、海沿いの開けた場所を除けば、殆どが森で覆われていた。この島で単純に森といっても二つのタイプがあり、島の西側に位置する下級魔獣の住処と、東側の高位魔獣が徘徊する場所とに分かれる。
星夜達が現在いるのはその間部分の空白地帯であり、かつて幻十郎達が住んでいた小屋の前であった。
朝早く星夜は叩き起されて、食事後、外に連れ出された。
どこに向かうのかと思いきや、数歩程歩いた所で幻十郎が立ち止まり、静かに振り返る。小屋入口の裏手にある広場――そこが基本的な修行場であったのだ。
幻十郎はノリノリのテンションで、学校の先生が如く、キリリとした佇まいで切り出した。
「よし、早速稽古をつけてやろう」
「あのッ、その前に一つだけ……」
「ん? なんじゃ?」
師匠として威厳を全面に押し出さねばな、と意気揚々と鍛える気満々だった幻十郎に、言葉の先を折る形で星夜がストップを掛ける。
遠慮がちな問い掛けだったが、星夜の表情は真剣そのものだ。
失礼と受け取られ兼ねない状況に、幻十郎は気を悪くした様子もなく、質問の先を促した。
「あ、あの……先生は幽霊なのに何故物体に触れるのでしょうか?」
「おお、そんな事か。これは魔法の恩恵じゃよ」
たわいない内容に幻十郎は新鮮味を感じつつ、簡単に種を明かす。
ここは異世界、地球では想像に過ぎなかった要素も現実となる。つまりその筋の人間には堪らないキーワード――憧れの「魔法」も存在するのである。
星夜にとっては初の魔法、期待が現実となっていき、「的を得たり」とばかりに瞳がクワッと見開く。
弩級の衝撃を受けた星夜は、身を乗り出すように目を輝かせて、幻十郎に詰め寄った。
「――魔法! お、俺にも使えるんでしょうか?」
星夜は息を荒げて、どこぞの宗教信者よろしく、幻十郎へとにじり寄っていく。その姿は長年追い求めていた宝物を漸く見つけたかのようである。興奮のためか星夜の顔は若干赤くなっていた。
何じゃ、この純粋無垢な瞳は……
大人しそうに見えた星夜の突然の豹変ぶりに、ほんわかと和んでいた老人もたじろぐ。
「お、お主か……」
「はいッ! 先生も地球の人ですよね? なら俺にも魔法が使えるんじゃないでしょうか!」
「う、うむ、まず最初に……堅苦しい物言いは好かん。爺さんで良いぞ。敬語も無しじゃ」
「えっ? あ、ああ……じゃあ、爺さん。俺にも魔法が使えるのかな?」
夢見る子供のように真っ直ぐな星夜の視線が、幻十郎の居心地を悪くさせる。
ここで「使えるぞ」などと安易に口にしようものなら、星夜は狂喜乱舞で踊りまくることであろう。
だが現実は残酷なものだ。その答えは幻十郎の中でとっくに出ている。
どう言ったものか、と熟考した幻十郎は、はぐらかすのは結果的に良くないと判断して、躊躇いつつも気の毒そうに現実を語り出した。
「お主からは"魔"の素質が感じられん。無理じゃろうな」
「……えっ……そんな……」
非情な事実を聞いて、星夜はこの世に絶望したかのような悲壮な顔で崩れ落ちた。
あからさまにショックが浮かび出た星夜の有り様を見て、幻十郎はあまりの哀れさに、内心はっきりと言い過ぎたかと密かに反省する。
それでも幻十郎は、冷静に淡々と事実を連ねていった。
「魔法を使うにしても"覚醒進化"が必要なのじゃが、魔力の覚醒進化に関しては大概の渡り人は渡航と同時に会得させるみたいじゃからのう」
「覚醒進化……?」
「うむ、まあ一言で表すならばパワーアップじゃな。その辺はおいおい教えていくぞい」
ガックリと項垂れて「魔法使いたかったなぁ」と、星夜は未練タラタラにブツクサ小言を呟いていた。
こうして男のファンタジーロマンが一つ潰えた星夜は、剣のみに生きていくことを余儀なくされるのであった。
「まずは基礎を身につけてもらう」
「おう!」
「剣術の基本は間合い。極めれば最小限の間合い、薄皮一枚レベルでの見切りが可能となる」
「ふむ、ふむ……」
「その後は体捌きじゃが……すまん、基本の前にやることがあったな。まずは素振り、筋トレ、柔軟、瞑想を日課として生活してもらう」
淡々と修行内容が発表されていく中、星夜は最後の部分で引っかっかった。
幻十郎に問い掛ける。
「……あの、最後の瞑想ってのは?」
「うむ、気を扱うための練習じゃな。自分の身体をとことん感じるのじゃ。己の手足のように気を感じてもらう。気は分かるじゃろ?」
「あっ、うん」
「気――正確には生気じゃな。人が生きるために生み出す生命エネルギー。儂みたいな幽霊、もし悪霊ならば取り憑かれて美味しく戴かれるアレじゃ」
地の底から押し寄せる怨念のようなモノを匂わせて、持ち上げた両手首をダラリと垂れ下げ、幻十郎が幽霊のモノマネをする。
元々、陽気な老人なのだろう。辛気臭い空気を漂わせて、役者顔負けの恐い顔で脅してきた。
人魂の幻覚まで見えてくる始末だったので、星夜はビビりながら顔を顰める。
「や、やめてくれよ。俺、そういうの苦手なんだよ」
未だ幽霊という現実を直視しないように努めていた星夜に、幻十郎が悪戯っ子のような顔でニヤリと笑みを浮かべる。
幻十郎は楽しかった。
こんなに人と話したのは何年振りだろうか。
親友が亡くなって……いや、変わってしまってからは、この森をずっと一人で彷徨っていた。成仏できずに無駄に過ごす日々は、何と張り合いの無いものだったことか。
だがやっと人と触れ合えた。
できればこの少年がアヤツに区切りをつけてくれれば……自分も……。
そこから先は考えず、言うべきでもない。この少年には本来関係の無いこと、自分達の問題なのだ。それでも……
情けないことに、淡い期待を抱いてしまう。
「フォフォフォ、まあ冗談じゃ」
少年を鍛え出すと言い出したのもソレが目的なのではないのか。幻十郎は自己嫌悪に陥ってしまう。
しかしこの少年がまだ世界を知らぬ雛鳥なのもまた事実。これからの苦難を考えれば力は必要である。
例え後ろめたい気持ちが拭いきれなかろうとも、それだけは変わらない。ならば自分の全てを伝授するまで。
この純真な少年ならば道を違えることはないだろう。
幻十郎は羨望と悲哀を含めた眼差しで星夜を見ていた。
星夜は「ったく、趣味が悪いんだよ」などとグチグチと文句を言っている。
その姿を、幻十郎は昔の自分と重ね合わせた。この少年が人生を全う出来るように、そっと祈りを捧げる。
「本格的な体術、剣術はそれらが一段落してからじゃな」
「へっ? ……ああ、了解した」
「それと今から目隠しをして過ごしてもらう。とりあえず儂が良いと言うまでずっとじゃ」
「え゛?」
いきなり無茶振りをされて、星夜は困惑する。
視界を奪ってどう過ごせというのだろうか。
ついにボケたかと、失礼な事を思いながら、幻十郎に訝しげな視線を送る。
「それと剣を二十四時間常に身につけておけ。理由は後で分かる」
星夜の苦情をサラリとスルーして、幻十郎がすました顔で説明を続ける。
ブツクサと小言を呟いていた星夜だが、幻十郎の真剣な瞳を受けて、佇まいを正した。
おどけた空気が一転、真面目な雰囲気へと変わる。
「のんびりと教える気はない。色々と平行でやってもらう」
こうして星夜の目隠し生活が始まった。
修行が始まってから三ヶ月、星夜は未だにまともな剣術を教わっていない。
だが基礎能力は向上しており、視覚なしでの普通の生活も板につき、自分の気も感じられるようになってきた。同時に腰に帯剣していた剣からも妙な感覚が伝わってくるようになっていた。
今日から次の段階へとステップへと移るらしい。
いつものように待っていると、幻十郎がやって来て、講義がスタートする。
「達人は剣を選ばんというが、少々語弊があっての。どんな良い剣を持っても剣の腕が未熟であれば宝の持ち腐れ。逆に、互角に近い腕を持つ達人同士では剣の質がモノを言う」
「ふむ、要は良い剣を買えってことだな」
妥当な論理だ、と星夜は頷く。
多分、星夜は勘違いしているのだろう。それを感じ取った幻十郎は心底丁寧に紐解いていく。
「まあ、簡単に言えばそういうことなのじゃが……続けるぞ。そこらの剣も刻印の剣にも"格"というものが存在する。格が高い名剣程、当然秘めたる力が強い」
「ふんふん……」
「今まで剣を常備していたわけじゃが、何かを感じんか?」
「う~ん……そういえば、生気に似たような感じがするような……」
ほぼずっと持っていたせいか、星夜は最近妙な気配を覚える。恐らくそれのことを言っているのだろう。
確信がないせいか、曖昧な返事をしてしまう。
厳格な師匠ならば怒られそうな倦怠感を醸し出していた星夜に、実は適当な性格の幻十郎が気にせず飛びつく。
「そうじゃ! それは剣に宿る気、"剣気"じゃ! その感覚も己の生気と同じように感じとれ。剣の威力は剣速、膂力、重心、角度、軌道、全身の力の移動、そして内外の気の強さによって決まる」
「内外の気?」
興奮したように幻十郎が捲し立てると、聞いたことのない初情報に星夜も食いついた。
この時点で既に星夜は気付いていた。情報は命、どんな些細なことでも知っておいた方が良い。
まったりとしていた空気が引き締まる。
先生のノリで幻十郎の講義が続いた。
「そう、外界を己の生気で覆うことで剣の威力や強度は跳ね上がる。じゃが、所詮一方通行の補強。内からも支えてやらねば最良とは言えん」
「一方通行、ね……」
言われてみれば確かにそうかもしれない。片側だけを支えても安定感が無い気がする。
奥が深いな、と星夜は聞き逃さないようにと身を乗り出した。
ふふ、目付きが変わったのう。最近気が抜けておったからの。
幻十郎は久しぶりに真剣な星夜を見て、内心で微笑んだ。
「内界に剣気を循環させることにより内外で支え合い最高の威力を発揮する。究極の剣術とは格の高い名剣の力を引き出すことにあるッ!」
バンッと黒板を叩きつける熱血教師が如く、幻十郎も徐々にヒートアップしていく。
星夜は確実に強さを吸収していった。
基礎能力を身につけ、大まかな知識も習い終えて、今日から剣術と体術の基本が開始される。
幻十郎は星夜にこれまで、一切の剣術稽古を禁止していた。
基礎を飛ばして応用に行っても変な癖がついてしまうだけだから、というのが理由である。
しっかりとした土台ができてからこそ、技術の積み上げが可能となるのだ。
ようやく下積みが終わって、いよいよ本格的な修行の開始である。
魔法で実体化した幻十郎と撃ち合いながらの訓練に、星夜は胸を高まらせる。
「……剣かぁ、二刀流とか格好いいよな~」
「二刀流は大変じゃぞ」
「えっ、そうなの?」
剣の道に生きると決めた星夜は、それならカッコよく宮本武蔵みたいに成りたい、と意気込んでいた。
彼は幻十郎の言葉を聞いて、魔法に続いてまたか、と嫌な顔をした。
一つ一つ夢が潰えていくのは何故だろうか。神様、俺何かしましたか?
星夜は心の中で不条理を嘆き叫ぶ。
「まず二刀を自在に操るなど並大抵なことでは実現できん。人の意識は一つじゃ。そのために、二刀流には"型"というものが必要不可欠なのじゃ」
「型、か……ダジャレじゃないが、お堅い感じがするな……」
意味合いは違うが、堅物は星夜の苦手とするところである。
思えば、亡くなった星夜の祖父がそうだった。会いにいく度に作法に厳しく、年々遊びにいくのが段々と億劫になっていった。
家族が恋しい今となってはそれも良い思い出だ。
「その型を状況に応じて素早く判断。まあ、極めれば手数は最強じゃが速度自体は一刀流と大して変わらん」
「う~ん、案外忙しそうだな」
星夜としては、何物にも囚われることなく、剣を振り回したい。
折角ファンタジー世界へやって来たのだ。極力、好き勝手に生きたいのである。
「それに類稀なる天性の筋力も必要じゃ。腕の疲労も半端ではないぞ」
「そっか、意外と大変なんだな……」
星夜は段々とどうでも良くなってきた。
彼は自分が天才肌ではないと自覚していた。天賦の才が必要なら無理することもない。
じゃあ、一刀流で良いや、と呆気なく方向転換した。
「そうじゃろ? その点、一刀は自由奔放、気の向くままにエイ、ヤアッ、じゃ」
「なるほどな。確かに型を覚えるなんて面倒くさいしな」
「フォフォッ、お主は儂に良く似ておるわい。まあ、二刀流も嗜み程度には教えてやるわい」
幻十郎の声色には長年の経験から培った自信が漲っていた。
頼もしい師匠を前にして、星夜も自然と口元が緩んでいく。
この師匠ならば、どこまでもついていけるだろう。
気合い十分で星夜は掛け声を上げた。
「お願いしますッ!」
「よし、始めるぞいッ!」
幻十郎の練りに練った修行法により、星夜は剣というものを極めつつあった。