第壱章・七 妖精娘、再び
奴隷から解放された人達が、船内を慌ただしく動き回っている。甲板上の魔獣を手分けして駆逐したまでは良かったが、今は別の問題を抱えていた。
「浸水してるぞ! 穴を塞げ!」
彼らの中には職人の人間も多くいた。中には、造船技師や大工のおやっさんもいた。ムキムキのオヤジなんか売れるのか、と星夜は疑問に思わずにはいられない。
牢屋にいたときは目に力が無かった彼らが、今では爛漫とした仕事ぶりだ。本当に攫われてきたんだな、と星夜が確信した瞬間でもあった。
工具にも限りがあるので、星夜はお手伝い。彼が押さえている木板を、隣にいる男がトンカチで叩いている。他でも同じような光景が見られた。
一通り作業が終了すると、食事の準備に入る。
女性陣が握ったおにぎりと、一切れずつの果物、それとメインは魔獣肉の香草焼きを頬張っていた。奴隷生活で満たされなかった腹が、猛烈な勢いで膨れていく。
事態が安定して、漸く皆は寝そべった。
それぞれ攫われてから色々とあったのだろう。残してきた家族を心配しているのかもしれない。
静かで安らかな空気が流れ、皆神妙な面持ちをしていた。
甲板には結局、他に生存者はいなかった。
海賊共は全滅。因果応報という奴だろう。だがそれを喜べるほど暢気な者は、この場にいなかった。
魔獣のおかげで助かったのも事実、人が死にすぎたのもまた事実だ。奴隷側の被害は三人。それが多いか少ないかは人によって区々だ。
一言で言えば後味が悪い。
それが率直な感想だ。
それでも今は、互いを労うようにしんみりしていた。
そんな折――
星夜は一人、船首で黄昏ていた。沈みそうになる夕日を切なく仰ぎ、海を眺めている。
魔獣は一通り掃討した。海賊の安否など知ったことではないし、奴隷達もとりわけ親しい間柄という訳ではない。少々冷たいが出てしまった犠牲は仕方がない、と考えていた。ここはそういう世界だ。
危機も去って、通常ならば喜ぶべき場面である。
だが星夜は喜べなかった。
「……はぁ」
やはり船内に荷物はなかった。元々、布袋の中身だけが別の場所にある、などと現実逃避な理屈は通らない。流されたと見て間違いないだろう。
儚い希望だったのだ。一縷の望みに掛けただけ、それは分かっている。
しかし、しかしだ。
事態を回避する機会は幾らでもあったのだ。労力を駆使して錠を引きちぎるも良し、錠が有ったとしても雑魚の海賊など蹴散らすことはできた。
それを後で取り返せば良いや、と侮っていたのだ。過去の自分を殴ってやりたい。
失った装備一式は蒼魔龍の皮鎧に銀糸服、それと黒曜蝶の靴に防火マントだ。これらは星夜の知るところではないが一級品の数々、滅多に手に入らない伝説級の逸品であった。
私物の方は、これから先の貴重な生活費、旅に便利な携帯本『異世界のススメ』、身分証発行のために必要な『仮発行証』などだ。これらも別の意味で手に入りにくいものである。
火打石などの小物は、この際どうでもいい。失った物は大きかった。
故郷の想い出の品々、幻十郎に頂いた物も全て泡と消えてしまった。
何もない。
いや、手元に残ったグレートソードだけが唯一の救いか。
「はぁあああ~」
星夜はより深く溜息を吐く。
最近では日課になっていた溜息の回数が、ここ数時間で更に増えた気がする。星夜は幸運がどんどん逃げていく錯覚を感じていた。
何故、自分はこうも不運に見舞われるのか。偶然では済ませられない何か大きな渦に巻き込まれている、そんな危機感が湧いてくる。
星夜が不条理な現実に黄昏ていると、聞き覚えのある旋律が風に乗って流れてきた。
「おーーーーーーい!」
陽気でどこか天然さを感じる声色。
「ワタシだよ、ワタシ! ティックだよ!」
沈み込む気持ちを逆撫でするような、明るく活発な声だ。
――アレが来たか。
無人島から追いかけてきたのか、ティックが手を振りながら星夜の下に近づいてきた。
星夜が渋々そちらに目を向けると、気にした様子もなく、声の主が話しかけてくる。
「無事で良かったね! でも、ワタシのおかげなんだよ!」
目の前をヒラヒラと舞い踊り、桃色の花粉を撒き散らす。両手を腰に当てて、偉そうにするお喋り娘――ならぬ、花妖精ティック。
彼女の発言を耳にして、星夜はある考えに至った。
「……お前の仕業か?」
「そうなの! 少し離れた場所に魔獣がいっぱいいたから、ワタシの"花幻術"でこう、騙してやったのよ!」
シャドーボクシングみたいに、ティックがシュッシュッとパンチングの真似事を始めた。
やたらと楽しそうだが、星夜は楽しくない。
「ほう~、お前が、ねぇ……」
「エッヘン、セーヤを助けてあげたの!」
ティックが鼻高々に、自分の功績を自慢する。その鼻具合いは天まで貫くようであった。彼女にしてみれば百点満点の出来だったのだ。誇らしいことこの上ない。
しかし星夜から見れば穴だらけの作戦。一変の曇りもないその自信はどこから来るのか。星夜は何か変なモノでも見つめるように目を細めて、じーっと動かずにいた。
彼女の使う『花幻術』とは、幻覚作用を及ぼす花粉を媒体に、ある一帯の空間を誤認識させる術のことである。俗に種族固有魔法と呼ばれるその術は、花妖精しか使えない特有の魔法なのだ。種族において、その魔法を使えるようになるのが一人前の証――種族の代表として、独り立ちが許される目安でもあった。
今回の騒動は、偶然湧いていた魔獣を、更にティックが術により誘導した結果だったのだ。
だが今の論点はそこではない。
そのことを告げるべく、自然と星夜の声色が下がっていく。
「そうか、お前にしては上出来だったな」
「ほめて、ほめて」
「良くやった」
「えへへ」
「――が、俺の荷物を紛失させたのは頂けない」
「へっ?」
上げて落とす、ジゴロの手口である。星夜の冷たい視線が、突き刺さるようにティックを射抜く。
完璧な星夜救出作戦だったが、どこかで粗相でもしたのだろうか。嫌な予感がティックの脳裏を過ぎる。
蕩けた顔をしていたティックが一転たじろぐ中、星夜が淡々と事実を連ねていった。
「アナタのお連れになった凶暴な魔獣さん達のおかげで、わたくしの大事な荷物が流されてシマイマシタ」
「……あぅ、そ、そうなの?」
「そうナンデス」
「はは、ど、どんまい? テへっ」
「テへっ、じゃねーーーーーーッ! このアホ虫が!」
居心地悪そうに可愛らしく誤魔化そうとするティックに、星夜が吠える。そうは問屋が卸さない。鬼のような形相の星夜、彼の怒りが爆発した。取り敢えず発散しないと気が済まないのだ。
途端に落ち込むティック。彼女にも言い分はある。さよならされて寂しくて、ピンチの星夜をわざわざ助けに来たのだ。多少の過ちには目を瞑って欲しい。彼女はぶつくさと文句を言い出した。
「うぅ~、セーヤのいけずぅ、冷血漢っんぅ……だってさ、置いてけぼりくらってさ、ワタシはさ……」
「フンッ、以後、気をつけるように!」
「――えっ?」
不貞腐れていたティックの耳に、星夜のツンデレ発言が飛び込んできた。
ティックの顔がパアっと輝く。もしかして……
「じゃあ、じゃあさ! 一緒に行ってもいいの?」
「……好きにしろッ」
「わぁーい!」
奔放的なティックの仕草に、星夜の怒りも露と消える。
何故か憎めない。
そんな不思議な魅力がティックにはあった。過酷な海の旅を一緒に乗り越えたというのも大きい。
情――愛着とでも言うべき感情が星夜に芽生えていた。
愚痴は言ったし、もう良いだろう。正直なところ寂しい気持ちもあったから、という理由は言わない。調子に乗るのが目に見えるからだ。
ティックも悪気があった訳ではないだろうし、こうなったのも自分の行動の結果だ。ティックに当たるのはお門違いだろう。
死んでいった者も一生奴隷でいるよりは、解放されて良かったのかもしれない。あくまで星夜の主観だが、詮無きことだ。
装備については後で買えば良い。品質はかなり落ちるかもしれないが、気にしても仕方がない。金は船を漁れば出てくるだろう。最悪誰かにたかる。
ティックは満面の笑みで喜んでいた。
星夜は想う。彼女のはしゃぎ回る様子は、昔の妹のようだ。
今頃、どこで何をやっているのだろうか。妹ももう十八歳。この世界での結婚の適齢期は十六歳からだと聞いていた。もしかして良い人でもいて、幸せにやっているのかもしれない。もしそうなら、一度で良いから会って、おめでとうと言ってやりたい。
ティックの後ろに、妹の成長した姿を重ねていた。
勝手な幻想に過ぎないとは分かっているが、嬉しそうなティックを見ていると、つい頬が綻んでしまう。
温かいものが星夜の胸を伝わっていく。
「仕方ないよな」
星夜は一人呟く。
失くしたものは戻らない。物もまた、人もまた然りだ。昇天した幻十郎を想い出すと、今でも心の空白が星夜を襲う。
仮発行証や携帯本は痛いが、それらは地球協会本部に行けば何とかなる。再発行してもらえる、そう思いたい。
仮発行証はあくまで「渡り人であることを証明するもの」であり、現地人の証明手続きをすれば身分証明証は貰える。そこまで深刻になる必要もないのだが……渡り人に優遇されるギルド特典は無理かもしれない。まあ、無い物ねだりをしても仕方のないことだ。
それに考えてみれば、ギルド特典は今の自分には必要ないだろう。
星夜の記憶では、特典内容は半年間の簡易住居や初期装備の貸出、一ヶ月分の生活費の支給、期間限定サポート(実地生活フォローや戦闘訓練)、魔法講座受講資格、後は職業斡旋の優遇処置――渡り人の先輩達のコネを使った独自ルートの紹介などだ。
最終的な住居は家族の元を頼れば良いし、お金や装備は今すぐにでも手に入れなければならない。戦闘については問題ないし、生活のノウハウについてもここにいる誰かに頼ればやっていける。申し込めばいつでも受講可能な魔法講座も、悲しいことだが自分には関係のない話だ。
職業も本部に行ってから、などと悠長なことを語っている場合ではない。一番近い国で開拓せねばならない。
「気にしたところで始まらない、か。いい加減切り替えないとな……はぁ……」
とは言ったものの、渡り人なのに渡り人でない身分証というのも、気持ち悪いしこり感が消えないのもまた事実だ。簡単に割り切れれば良いが、そう都合良くいかないのが人の感情というものであった。
支部での手続きは難しいかもしれない。どのみち一回は本部に行くつもりだったのだ。プラス思考で行こう。
星夜は今必要なことを考える。
最も重要なのは服装だ。現在の恥ずかしい格好では人前を歩けない。簡単な服でいいので、どこかにあって欲しいものだ。
その辺は要相談である。
「戻るとするか。行くぞ、ティック」
「おおぉーっ」
ティックは喜びを表現するのに、星夜の髪を引っ張っていた。構ってと言わんばかりだ。毛根は強いと自負している星夜だが、やめて頂きたい。
そういえばティックを連れて行っても大丈夫なのだろうか。捕獲されて売り飛ばされたりしないことを祈るばかりである。
定位置の肩に腰を下ろしたティックと共に、星夜は戻っていった。
星夜が人集りに着くと、皆が忙しく騒いでいた。何だろう、と近づいていくと、服を配っているのが目に映る。
その場にいた三人組の一人ガイスが、星夜に気づいて招き入れた。
「おお、セーヤだったな。こっち来いよ――ん? ソイツは妖精か? また珍しいな」
「こんにちは! ワタシはティック、よろしくね!」
「おお、こちらこそ、こんにちはだ、嬢ちゃん」
「コイツはまあ……気にしないでくれ」
「うぅ、ひどい扱いだよ、セーヤ」
「はは、まあ良い、あれ見ろよ。今、服を選んでるんだ。お前さんもそんなスカスカの服じゃ落ち着かないだろ?」
色とりどりの服が山になっていた。それを女性陣を筆頭に選び取っていってる。女性は見た目にデリケートだ。少しでもお洒落をしたいのだろう。
見れば男性陣が苦笑いしていた。女性陣に圧されて割り込めず、外で待っている状態だ。
星夜は周りを見渡した。
スエルや三人組それとごく一部は、きっちりとした身なりをしている。戦士――傭兵や騎士だった者は、それ専用の装備を着用していた。
剣や鎧などの武器防具類は倉庫にあったので、そこから持ち出したものだ。
下着はつけているのか? 直に着ているのではないだろうか。
素朴な疑問が浮かんでくるが、星夜は敢えてスルーした。特にスエルからは反感を買いそうだ。
女性陣の取捨選択は早い。センスも皆変わらないようである。要らないとばかりに放り出された服が女性陣を囲むようにして、転がっていた。
男性陣はそれを拾い、適当に見繕った上下服を着ている。
数は問題なかった。海賊連中の着替えなどを考慮すると、そこら辺の部屋から掻き集めた服で事足りるようだ。
星夜も適当に見繕うことにした。
「なんかダサいね、セーヤ」
ティックのことは気にしないことにした。
不運はまだ終わらない。災厄というものは重なるものだ。
「魔獣に荒らされて船の状態がマズイな」
造船技師の男が階段を上がってきた。船内を見て回っていたのだろう。専門家にお言葉だ、信頼できる。
この時代、造船技術も発達していた。鉄鋼船の建造までには至らないものの、木造船の技術は飛躍的に進歩していた。これも渡り人の影響と言われている。
星夜達が乗っていたのも、地球ではキャラベル船と呼ばれていた小型の帆船である。小回りが利くのが特徴だったが、流石に魔獣の一斉襲撃には対応できなかった。
魔法という力が存在するこの世界では、船も魔法による簡易結界のおかげで強度が増していた。生半可な衝突では傷一つつかない安全性を誇っていた船だが、それでも魔獣の一斉突撃の前には脆くも崩れ去った。
「そんなにヤバいのか?」
「ああ、応急処置はした。が、長くは持たないぞ。どこかの島に上陸しないとヤバいな」
「……そうか」
造船技師の顔にはその深刻さが現れていた。ガイスもそれに答える。
船の状態は最悪、沈没の危機だ。時間制限を与えられてしまった。
皆の顔に不安の色が浮かんだ。




