序章・壱 始まりの日
また別の作品書いちゃいました。
見切り発車第三弾、作者無謀長編シリーズ。
――俺は今日、異世界に行く。
揺るぎない強い意思で、少年は誓っていた。
少年はたった今、駅から降りたばかりである。
本日は少年にとって人生の大きな分岐点、不自由のない現代の日本、いや世界との決別の時が迫っていた。
少年の瞳に宿るのは哀愁ではなく、希望の光。
これからかけがえのない家族に会いにいくのだ。後悔などしない、する訳がない。
しっかりとした足取りで目的の場所――「ゲート」へと向かっていく。
少年は歩きながら辺りを見渡した。
ちらほらと見かける人々、その格好には「魅せる」という姿勢が感じられない。身に纏う服装が最近の流行とは掛け離れたものなのである。
それは少年も同じであった。その年代では信じられないくらいの簡易ファッション、だがこの場所ではまるで違和感がない。
それも当然、此処にいる人間には共通した目的があり、服装は規定の範疇に過ぎないのである。
「結構いっぱいいるな……」
少年の呟きは驚きではなく淡々とした実感、人の多さは予想済みであった。
ここは東北地方の某所――田舎と認知される場所だが、この「渡航都市」だけは都心と比較しても大差ない光景が広がっていた。
一面畑だらけだったのどかな景色も、六十年前から進められた開発により、猛烈な勢いで変わったのである。
少年の両脇には様々な店舗が立ち並んでおり、テレビでも有名な一流店がずらりと並んでいる。少年が行ったこともないような高級店だ。
辺りは活気に溢れ、個人や団体に関係なく長蛇の列が出来ている。
「高そうだな。でもいよいよ食い収めか……名残惜しいな」
この場所には月に一度、とある理由で世界中の人間が集まってくる。中には数週間前から宿に泊まり奮発している客もいるがそんなのは稀であり、その殆どが当日に訪れる。
彼らは少年と同じ"渡航客"、特別なこの日だけは悔いがないようにと下調べを欠かさないでいた。
ある意味最後の日でもある今日の食事は正に最後の晩餐、悔いがないように豪華な食事を楽しむ者が多くいるため、一食の値段が破格の高さにも関わらず高級店への出入りが激しい。
そのため競合店がひしめくことで自然と味の質も値段も高くなり、彼らがもたらす経済効果は国には欠かせないものとなっていた。
「でもまあ、お金は持って行けないしな、豪盛に食っちゃるか」
少年はさして選びもせずに適当な店に並んだ。
彼の手持ちはアルバイトで稼いだ微々たるもの、それでも使い切るとなれば高級料理一回分くらいにはなる。それでも庶民が入っても良いのだろうか、と胸が尋常じゃない速度で鼓動していく。最悪な一言「お金がアリマセン」などとは死んでも言いたくはない。
少年が恐る恐る順番を待っていると、一時間程でお呼びが掛かった。
冷静を装いつつ目を泳がせながら、案内された席へと座る。
「いらっしゃいませ。おまかせでよろしいでしょうか?」
「オ、オマカセでしょうか?」
ガチガチに緊張した思考の中問いかけられて、少年はつい石畳を思わせる硬い口調でオウム返ししてしまう。
似たような客が度々訪れるのか、注文を取りに来ていた少女は苦笑いを浮かべて親切に教えてくれた。
「知らないんですか? ここはどんな金額でも見合った質と量をお届けする、歩合制みたいなものですよ」
「ブアイセイ……?」
――なにそれ?
意味が分からず少年はパニクっていた。
このままでは話が進まない、と思いきや、恥ずかしさでタコのように赤くなった顔を見て、店の少女が柔軟に気を効かせてくれた。
「ふふっ、要は持っているお金に合わせて料理をお出しするんです。前払いなのでご安心ください」
「――! なるほど!」
それならばお金が不足する事態に陥る心配はない。
少年は緊張を少し緩めて、笑顔で問い返した。
「――!」
その笑顔に今度は逆に少女の顔が真っ赤に染まった。
そんな少女の態度に不思議なものを覚えながらも、少年は「それでお願いします」と元気良く答える。
少年の返事に我に返った少女は「りょ、りょうかいでしう」と言葉を噛むと、より一層赤くなり、その顔を伏せるようにそそくさと奥に入っていった。
焦っていながらお金を受け取るのを忘れない辺りは、少女のプロ根性が垣間見えた瞬間だろう。
しばらくすると高級感満載の彩りを添えた料理が運ばれてくる。
少年は未だかつて見たことのない品々を前に、目を白黒させた。
「こ、これが……伝説のフォアグラなのか?」
感動とドキドキで声が震えながらも、早速箸で摘み一口頂くことにする。
口の中に入れると、味わったことのない旨味が広がっていく。
「う~ん、トレビア~ン……うま、うま、はぁ~、うめぇな」
舌の上で味が無くなる程に転がして、無駄に時間を掛ける。
貧乏性の成せる技であった。
数分後、キャビアやトリュフといった高級素材をふんだんに使った食事を、少年はあっという間に堪能し終える。
満足したように腹を撫でながら、名残惜しそうな店員の少女に「御馳走様でした」と忘れず御礼を言い、店を出て行った。
扉を閉める間際に「くっ、この看板娘たる私が一目で落ちるなんて不覚だわ」と聞こえたのは、旅立ちの効果音としては丁度良いだろう。
少年はもうこの世界で恋をする気はなかった。
しばらく歩いていると規則正しい人の流れが出来上がり、列を組むように並ぶハメになる。
――ここにいる連中全部が自分と同じあの場所に行くのか。
少年は目的地に向いながらふとそんなことを思う。
これから行く場所は世界一の厳重区域に指定されている場所であり、許可なく近づいただけで捕まって重い処罰が下される程の重要区画である。
当然、許可証を持たない見送りの人間は、この先へ踏み入ることはできない。
「この人達、皆、異世界組か……友達できるかな?」
まるで徘徊する夢遊病患者のように、皆一様に同じ方向へと進んでいく。
現代社会に疲れた者、今の生活に肌が合わない者、現実世界に失望あるいは易癖した者、あるいは魔法や空想生物に憧れて未知なる冒険を求める者……。
理由は人それぞれ……そんな者達が行き着く先――異世界。
六十年前、日本某所に突如として空いた常闇の穴。ソレは何もかもを飲み込むブラックホールのようであった。
当時穴の発生と同時に、近くにいた数十名程の人間の所在が分からなくなり、最終的には穴に飲み込まれたであろうという結論で締めくくられる。
そして発生から数ヶ月後、行方不明者の捜索は打ち切られ、国内の研究者達により正体不明の穴の解析が開始されたのである。
その黒い穴に入れた物体は喪失してしまうのか、全く反応がなく、どんな質量の物体も際限なく消えていった。
この結果から超重力による物質の消滅、あるいは別次元へのワームホール論が浮上する。
――もしかしてどこか別の世界にでも繋がっているのかもしれない。
そんな夢物語を検証すべく、遠方間の映像受信を可能とする端末を送り込んだり、現地で生きているかもしれない行方不明者へとコンタクトをとろうとしたりもしたが、その全てが徒労に終わっていった。
原因究明が進まなく皆が困惑する一方、この未知の現象が起こす新たな技術の可能性に、世界中の研究者達が注目することとなる。
優秀な自然現象研究チームが集められ解析が行わるものの、結局のところ何も分からず、その後も細々と調査が行われていった。
転機が訪れたのはそれから十年後、穴に落ちたであろう一人の行方不明者によってもたらされた。
その人間は異世界から何らかの手法で次元間超越通信を行い、生存情報を家族の元へとメールで送ってきたのである。
内容は以下の通りであった。
『私達は地球とは別の世界で生きている。生存者は……』
この連絡で判明したのは、穴は異世界への入り口という事実であり、今までに異世界に落ちた人物のリストであった。
詰まるところ、異世界の存在が明らかになったのである。
その情報に世間は騒然とし、テレビ、新聞、インターネットなどの情報媒体を通して、あらゆる種類の人間の知るところとなる。
特に十代二十代の低年齢層には反響が強く、ネットではある事ない事様々な情報が飛び交い一時期はお祭り騒ぎにまでなった。
その後も追加の情報が異世界から次々ともたらされ、詳細が明らかになっていく。
情報によると、
――異世界に落ちた人間は「渡り人」と呼ばれ、世界中に認識され始めている。
――渡り人が落ちるのは毎回同じ地点であり、その場所には渡り人に管理された「地球協会本部」が建てられている。
――魔法や空想上の生物が存在している。
――言語をカバーするような便利な魔法等は存在しない。がんばって習得するしかない。
そしてこれが一番重要。
常闇の穴は行き限定の片道切符であり、異世界へ行ったら最後、元の世界に戻ることはできない。
つまり帰り道のない一方通行の旅なのであった。
衝撃の事実が舞い込んでいき情報が落ち着いてきた頃、国内で新たな法律が制定された。
いわゆる異世界移民法である。
異世界へと移住したい人間は国内だけに留まらない。
世界中からのオファーがあったことから、この法律は全ての国から同意が得られて、万国共通の認識となった。
本人が希望すれば移住が可能であり、親族の同意、本人名義の全資産の譲渡、異世界生活用講座の受講、持ち込み制限等々、文化水準の違う世界に悪影響を与えないように配慮した文面も多々あったのである。
理由は人それぞれ、生きてきた価値観も多種多様、されど行き先は一つ。
今日も渡り人は新たな世界を求めて旅立つのであった。
「ここか……」
人混みに揉まれて辿り着いたのは、異世界への穴を囲むようにして造られた会場。
少年はいよいよ扉を開けて入っていく。
一歩足を踏み入れた瞬間、辺り一面を漂う負のオーラを諸に浴びてしまい、「うっ」という後ろによろめいてしまった。
――この中に行きたいけど行きたくはない。
二律背反の心が少年の歩みを止めていた。
しかし入り口で立っている訳にはいかず、仕方なく端の方を進んでいく。
「暗い……お通夜かここは……しかし良く考えてみれば人生の落伍者が大半か……」
便利な現代社会を捨ててまで異世界に行こうとするのには、余程の理由と覚悟がいる。
その大半は夜逃げ同然の者か、生涯孤独になった人間、社会に馴染めずに自暴自棄になった者なのだ。
どんよりした空気に思わず顔を背けずにはいられない。
――俺は違いますよ。
少年はそれだけは強く主張したかった。
これらと同類にされてはプライドが許さない。
「クッ、空気が重い。何だこの負のオーラは……」
――どいつもこいつも目が死んでやがる。
あまりの情けなさに喝を入れたくなるが、出発前にトラブルはごめんであった。
そんな少年が葛藤のような思いにふけっていると、肩を誰かに叩かれる。
振り返ると茶髪のチャラそうなイケメンが立っていた。
「ねぇ、あんたも失敗したオチ?」
ニヤニヤしたその男が話しかけてくる。
――何だコイツ?
死人のような連中も嫌いだが、それを茶化すような奴はもっといけ好かない。
そんな心情が少年を渦巻く。
少年が訝しげに見ていると気を悪くしたのに気付いたのか、茶髪男が申し訳なさそうに謝ってきた。
「……ハハ、わりぃ、わりぃ。いや、悪気はないんだ。何かここにいる奴らって辛気臭いのばっかでさ。いい加減易癖してるんよ。兄ちゃんは何か違うふうに見えたからさ」
少年の予想とは裏腹に茶髪男は案外良い人であった。
気が抜けたように、次の瞬間には気を取り直して、少年は笑顔で返事をする。
「まあ、確かに落ち込んではいないな。俺は家族に会いたくて行くんだ」
少年の家族は一足先に異世界へと旅立っていた。
理由は異世界からの定期交信にある。
三年前に当時十二歳だった妹が攫われたのだ。犯人は逃亡、そのまま異世界へと身勝手な駆け落ちをしてしまう。
そんな事実を知ることもなく警察に捜索を頼む毎日だったが、ある日情報が入った。
妹は異世界で無事保護され、元気で暮らしていたのである。
そこからの両親の行動は早かった。即準備、即渡航。
俺にも一緒に行くように説得があったが、その時は行けない理由があった。
よって、この一年間一人で頑張ってきたのだ。
「へぇ~、家族があっちにいるんだ? 何で一緒に行かなかったんだ? いや、言いたくなければ良いけどさ……」
「う~ん、実は彼女がいたからなんだけど……アイツ浮気しやがって……別れたから俺も行こうかなって……」
そう、単純な動機。少年は彼女とのうふふん生活をふいにしたくはなかったのだ。
それで残ってしまった、今に思えば馬鹿な自分。
少年は溜息しか出なかった。
「ほぅ~、……まあ、ありきたりな話だな。おっとそうだ。俺は三橋竜司、十八歳。よろしく!」
「俺は篝星夜だ。同じく十八歳。こちらこそよろしくな!」
少年――星夜は茶髪男こと竜司に快く挨拶をする。
打ち解けて人柄を知ってしまえば、竜司は良い奴であった。
早速、竜司が星夜に質問をしてくる。
「お前あっち行ったらどうするの?」
「う~ん、……とりあえずギルドに家族の居場所を聞いて直ぐに会いにいくつもり、かな?」
星夜が最初にすべき行動は既に決まっていた。
何をするにしてもまずは会いにいくべきだろう。
竜司は何かを考え込むようにして、数瞬後には決意したかのように星夜にお願いしてきた。
「ふぅ~ん……なぁ、俺も付いていっていいか? 俺知り合いいないんだよね」
「……そうだな。しばらく一人だし良いぞ」
「よっしゃぁ! 実は一人で不安でさぁ~、ハハハッ……」
不安なのは星夜も同じである。
助け合える知り合いがいるのは心強いので、星夜としても願ったり叶ったりであった。
さらに打ち明けた二人は親交を深めていく。
「気持ちは分かる。ところで竜司は何であっちに行こうと思ったわけ?」
「おっ、早速呼び捨て、いいねぇ~。じゃあ俺も星夜で。え~と……俺の理由だっけか……まあ深い理由は無いんだけど……敢えて言うなら夢と希望をもってってところか?」
「はっ?」
予想だにしない回答を受けて、星夜の口から間の抜けた声が溢れ出る。
そんな星夜の様子にニヤケながらも、竜司は堂々と語りだした。
「だってよ~、魔法だぜ、魔法! 魔法使いって憧れるじゃん!」
「……はぁ、確かにそうだけど……それだけ?」
「それだけって、……まあ、俺には家族も恋人もいないからな……」
「――! ……そ、そうか……」
突然の爆弾発言に、星夜はバツが悪そうに口を濁す。
だが竜司に悲壮な感じはなく、おどけた態度で開き直っていた。
「ん? 同情してくれちゃってるの? 気にすんなって、もう慣れたしな……」
この短時間で互いの事を理解した二人であった。
竜司とたわいのない馬鹿話をしながら、席に座って待っていると、いよいよ旅立ちの時がやって来た。
先程までの楽観的な空気が一転、星夜と竜司の二人は気を引き締めていく。
「いよいよか……」
「ああ……」
異世界への渡航を行うために、国から派遣されている数人の係員が、穴を公開する準備を始める。
何重ものパスワードが打ち込まれ、カードによるチェックや責任者の生体認証が行われていく。
その全てが終了すると、厳重な扉が開いていき、直径メートル程の黒い穴が出現した。
「これが異世界へ渡る穴? 穴というよりは扉だな……」
落ちるように下にあるのではなく、真正面に構える扉のような穴――いや、球といった方が正確だろうか。
その球に向かって一列に並んだ人が順番に入っていく。
「次は貴方ですね。渡航ナンバー二億三千五十一番、篝星夜さんですね」
「はい」
「では、進んでくだ――」
ドォオオオォォォォォォン……
その瞬間、大地を覆すかのような重低音が響き渡り、会場が大きく揺らいだ。
「な、何だ!?」
星夜の驚きと共に、突然会場の扉が勢い良く叩きつけられ、テロリストと思わしき銃を持った人間が数人入ってきた。
「――キャアアアッ!」
周りから恐怖におののいたような悲鳴が上がっていく。
その叫び声にテロリストらしき男が苛つくように反応して、声を荒げて怒鳴り散らした。
「静かにしろ! 死にたくなければうっとおしい声を上げるな!」
その発言に辺りが不自然に静まり返る。
――コイツら、まさか、テロか?
「よし、聞き分けがいいな。妙なマネはするなよ」
銃を持った男がゆっくりと近づいてきた。
これから何をされるのだろうという恐怖で、皆の足が一斉に竦みあがる。
「我々は反異世界を掲げている。自分達の生まれた世界を捨てて違う世界に降ろうなんざ、道理に反してるとは思わねぇか?」
その時、無謀にも渡航予定の男が一人、穴を目指して駆けていった。
直ぐ様、テロリストの男が銃口を向けて威嚇する。
「おい、そこ動くなと言った筈だぞ!」
「えっ?」
無謀な男が走ってきたのは、星夜のいる近辺だった。
反射的に別のテロリストの男が何かを投げた。
――手榴弾!
このままでは爆発で死んでしまう。
そう思った星夜は咄嗟に穴の中に飛び込む――
ドォオオオォォォォォォン……
穴の境界を通り過ぎたと同時に、爆発が起こり穴がうねるように歪み始めた。
「星夜ぁーッ!」
竜司の悲痛な叫びを星夜は聞いた。
そのまま永遠の闇を思わせる常闇の世界へと誘われていく。
「うわぁああああああーーーーーーッ!」
物凄い引力で、星夜は逆らうこともできずに引っ張られていった。
その途中――漆黒の光景の中で星夜は黄金の光を目撃する。
それを最後に少年は意識を失った。
かくして少年は異世界へと旅立った。
書きたいときに書く。
それが私のポリシー、的なノリで連載していきたいと思います。