人の寿命が見える眼鏡をかけた日
最初に違和感を覚えたのは、数字だった。
駅前の横断歩道。
夕方の帰宅ラッシュで、信号待ちの人間が 詰まっている。
赤信号の点滅。
人の流れはまだ動かない。
そのとき、視界の上に、妙なものが見えた。
——「312,441」
数字だった。
誰かの頭の上に浮かんでいる。
「……は?」
思わず声が漏れた。
隣に立っていたサラリーマンの頭上。
黒いスーツの、くたびれた背中。
その真上に、白く透けた数字が浮かんでいる。
312,441。
意味が分からない。
視線をずらす。
別の女。
買い物袋を持っている主婦。
——「1,204,882」
また数字だ。
さらにその奥、学生。
——「98,122」
違う。
全員違う。
誰の頭の上にも、数字がある。
「……なんだよ、これ」
目をこすった。
もう一度見る。
やっぱりある。
消えない。
浮かんでいる。
まるで、それが当たり前みたいに。
信号が青に変わった。
人の流れが一斉に動き出す。
数字も一緒に動く。
それぞれの頭の上に張り付いたまま、揺れもせず、ついていく。
逃げ場がない。
俺はそのまま歩き出しながら、周囲を見回した。
誰も気づいていない。
スマホを見ている奴、イヤホンをしている奴、会話している奴。
誰一人、空中の数字を見ていない。
おかしいのは——俺だけだ。
横断歩道を渡りきる頃には、心臓の鼓動が早くなっていた。
呼吸が浅い。
頭の中で、何かが警鐘を鳴らしている。
これは、見てはいけないものだ。
そういう直感だけが、妙に現実味を帯びていた。
会社に着いても、数字は消えなかった。
エレベーターの中。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた人間の頭上に、無数の数字。
近い。
圧迫される。
数字の群れに囲まれているみたいだった。
——「552,019」
——「882,004」
——「41,992」
桁がバラバラだ。
規則性がない。
ただ一つ共通しているのは、
全員にある、ということ。
俺以外、全員に。
「……」
自分の頭上を見る。
当然、見えない。
そもそも、自分の頭の上なんて視界に入るはずがない。
鏡を見るしかないか。
そんなことを考えながら、エレベーターを降りた。
デスクに座る。
パソコンを立ち上げる。
いつもの作業。
なのに、集中できない。
向かいの席の同僚、佐藤。
頭上には、
——「203,118」
視線を外す。
また戻す。
やっぱりある。
「なあ、佐藤」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
聞けるわけがない。
「お前の頭の上に数字見えるんだけど」なんて。
冗談にすらならない。
むしろ心配される。
いや、心療内科を勧められる。
それくらいには、異常だ。
でも、確かに見えている。
現実として、存在している。
逃げられない。
昼休み。
社員食堂。
人が多い。
そして、数字も多い。
もう、慣れ始めている自分がいる。
それが一番気持ち悪い。
最初は驚いていたのに、今はもう、観察している。
桁の違い。
増減の有無。
法則。
探している。
「……減ってる?」
思わず呟いた。
斜め前に座っている男。
さっき見たときは、
——「144,221」
だった。
今は、
——「144,215」
6、減っている。
時間か?
秒単位?
いや、さっきからずっと見ていたわけじゃない。
でも、確実に減っている。
「……カウント、か?」
その瞬間、嫌な想像が頭をよぎった。
残り時間。
制限。
終わりまでの、何か。
「まさか……」
否定したいのに、妙に納得してしまう。
桁のばらつき。
減少。
個人差。
全部、説明がついてしまう。
もしこれが——
寿命だとしたら。
午後の業務は、ほとんど頭に入らなかった。
ただ、数字を見ていた。
減る。
確実に。
ゆっくりと。
誰も気づかないまま。
全員が、削られていく。
平等に。
無音で。
それが現実だとしたら、
あまりにも、静かすぎる。
帰り道。
雨が降っていた。
細かい雨粒が、アスファルトを濡らしている。
傘を差しながら、歩く。
前方。
小学生くらいの男の子。
母親と手をつないでいる。
頭上の数字。
——「12,882」
少ない。
明らかに。
周りの大人と比べて、桁が違う。
「……」
嫌な予感がした。
視線を外そうとして、
外せなかった。
そのときだった。
キキッ——!
急ブレーキの音。
振り返る。
車。
スリップ。
タイヤが滑っている。
進行方向。
子供。
「危ない!」
叫ぶ声。
体が先に動いていた。
俺は走った。
考えるより早く。
子供の腕を掴む。
引き寄せる。
勢いで転ぶ。
地面に叩きつけられる。
車が、目の前を通り過ぎる。
ギリギリだった。
「……っ」
息が詰まる。
痛みが遅れてくる。
でも、それよりも先に——
確認してしまった。
子供の頭上。
——「12,882」
変わっていない。
一切。
一秒も。
減っていない。
「……は?」
おかしい。
今、確実に危なかった。
死んでもおかしくなかった。
でも、数字は動いていない。
減るどころか、
何も起きていない。
「大丈夫!? 本当にありがとう……!」
母親の声。
震えている。
俺は頷いた。
「いえ……」
立ち上がる。
子供を見る。
元気そうだ。
無傷。
でも——
数字は、最初から変わっていない。
その夜。
部屋に戻っても、眠れなかった。
電気を消して、ベッドに横になる。
暗闇。
何も見えないはずなのに、
頭の中には、あの数字が残っている。
減る数字。
変わらない数字。
そして——
意味。
「……寿命じゃないのか」
もし寿命なら、
今の出来事で変わるはずだ。
でも、変わらなかった。
つまり、
あれは“確定しているもの”だ。
何をしても、
変わらない。
「……じゃあ、なんだよ」
答えは出ない。
でも、一つだけ分かったことがある。
あの数字は、
未来を示している。
しかも——
変えられない未来を。
翌朝。
鏡の前に立った。
洗面所の蛍光灯。
白い光。
自分の顔。
寝不足で、目の下にクマができている。
そして——
ゆっくりと、視線を上げる。
自分の頭上を見る。
そこに、数字は——
なかった。
翌朝、目が覚めた瞬間、最初に確認したのは天井ではなかった。
数字だ。
起き上がるより先に、枕元のスマホを見る。
時間。
午前七時十二分。
問題はそこじゃない。
ゆっくりと顔を上げる。
部屋には誰もいない。
当然だ。
一人暮らしだし、誰かがいるはずもない。
それでも、視線を動かす。
壁。
カーテン。
クローゼット。
何もない。
——数字も、ない。
「……」
小さく息を吐いた。
少しだけ、安心した。
もし、無機物にまで数字が見えていたら、さすがに頭がおかしくなったと思っただろう。
あれは、人間にだけ見える。
少なくとも、今のところは。
会社へ向かう電車の中。
昨日と同じ光景。
同じ人混み。
そして、同じように浮かぶ数字。
ただ一つ違うのは——
俺が、それを“確認している”ことだった。
意識的に。
観察している。
逃げずに。
目の前に立っている男。
スーツ姿。
無精髭。
頭上の数字。
——「421,008」
昨日見た記憶はない。
初見だ。
当然か。
他人の寿命なんて、覚えているわけがない。
でも、仮に覚えていたとしても、意味はない。
なぜなら——
減るからだ。
「……」
視線を固定する。
数字を見る。
数秒。
変化はない。
いや、あるのかもしれない。
ただ、人間の目で認識できる速度じゃない。
もっと長く見ていれば、分かるはずだ。
会社に着く。
席に座る。
パソコンを立ち上げる。
同時に、視線は向かいへ。
佐藤。
昨日と同じ同僚。
頭上の数字。
——「203,118」
……違う。
昨日見たときより、確実に減っている。
どれくらいかは覚えていない。
でも、“減っている”という事実だけははっきり分かる。
「おはよう」
「おう」
いつも通りの挨拶。
いつも通りの朝。
ただ一つ違うのは、
俺だけが、終わりのカウントダウンを見ていることだった。
午前中は、ほとんど仕事にならなかった。
いや、手は動かしている。
最低限の業務はこなしている。
でも、意識はずっと別のところにあった。
数字。
減る。
確実に。
ゆっくりと。
誰にも知られずに。
全員が同時に、終わりへ向かっている。
その光景が、どうしても頭から離れない。
昼休み。
社員食堂。
昨日と同じ席に座る。
同じ景色。
同じように浮かぶ数字。
だが、今日は違う。
検証する。
意図的に。
昨日はただ見ていただけだ。
今日は違う。
確認する。
これが何なのか。
どこまで正確なのか。
どこまで変えられないのか。
「……」
近くの席の男を見る。
中年。
ネクタイが少し曲がっている。
頭上。
——「88,402」
少ない。
平均が分からないが、感覚的に短い。
視線を外さず、観察する。
食事をしている。
何も変わらない。
普通だ。
そのときだった。
男が、ふと胸を押さえた。
「……?」
表情が歪む。
苦しそうだ。
呼吸が浅くなる。
周囲がざわつく。
「大丈夫ですか?」
「誰か、救急車——」
騒ぎになる。
男は椅子から崩れ落ちた。
床に倒れる。
音が響く。
ざわめきが広がる。
俺は、ただ見ていた。
男の頭上を。
——「88,402」
変わらない。
一切。
減らない。
止まっている。
「……なんで」
おかしい。
今、明らかに異常が起きている。
このまま死ぬかもしれない。
なのに、数字は動かない。
いや——
違う。
数秒後。
数字が、一気に減った。
——「88,398」
——「88,350」
——「88,120」
跳ねるように。
一気に削られる。
不規則に。
急激に。
「……っ」
背筋が凍る。
これは、一定じゃない。
均等に減っているわけじゃない。
状況によって、削られる量が変わる。
男は担架で運ばれていった。
意識はない。
その後のことは分からない。
でも、確信した。
あれは——
寿命だ。
午後。
俺は外に出た。
理由をつけて。
営業の用事でも何でもいい。
とにかく、人を観察したかった。
会社の中だけじゃ足りない。
サンプルが少なすぎる。
もっと見る必要がある。
街中。
人の流れ。
雑踏。
数字。
無数の数字。
それぞれ違う。
それぞれ減っている。
ただ、さっきの男のように、
急激に減るケースもある。
つまり——
事故や病気で、削られる。
通常はゆっくり。
異常時は一気に。
「……」
理解してしまった。
してしまった以上、無視はできない。
そのとき、視界に入った。
若い女。
二十代前半くらい。
スマホを見ながら歩いている。
頭上。
——「1,202」
少ない。
異常に。
桁が違う。
周りの人間は、何万、何十万単位なのに。
彼女だけ、極端に少ない。
「……」
心臓が、嫌な音を立てた。
視線を追う。
彼女の進行方向。
交差点。
信号は青。
車は止まっている。
普通なら、何も起きない。
でも——
数字が、異常だ。
何かが起きる。
そう思った。
根拠はない。
でも、確信に近い直感だった。
「……やめろ」
小さく呟く。
自分に言い聞かせる。
関わるな。
まだ確定していない。
ただの思い込みかもしれない。
でも——
足が動いた。
気づいたときには、走っていた。
彼女に向かって。
「すみません!」
声をかける。
振り向く。
一瞬の隙。
そのときだった。
横から、バイクが突っ込んできた。
信号無視。
スピード。
回避不能。
「危ない!」
叫ぶ。
彼女の腕を掴む。
引く。
間に合うかどうか、分からない。
でも——
結果は、同じだった。
バイクは彼女に接触した。
鈍い音。
体が宙に浮く。
地面に叩きつけられる。
周囲が騒然とする。
俺は、固まっていた。
手を伸ばしたまま。
届かなかった。
助けられなかった。
彼女の頭上。
——「0」
数字が、消えた。
救急車のサイレンが遠くで鳴っていた。
誰かが通報している。
人が集まる。
ざわめき。
スマホ。
動画。
現実が、軽く扱われていく。
俺は動けなかった。
ただ、見ていた。
彼女の頭上。
何もない空間を。
さっきまで、確かにあったはずの数字。
それが、消えた。
完全に。
「……」
吐き気がした。
理解してしまった。
完全に。
これは——
未来の確定値だ。
変えられない。
回避できない。
どれだけ先に知っていても。
どれだけ動いても。
結果は変わらない。
その夜。
部屋に戻る。
電気をつける。
何も変わらない部屋。
でも、世界はもう変わってしまっていた。
人を見るたびに、
終わりが見える。
しかも、それは変えられない。
「……クソが」
思わず吐き捨てる。
意味がない。
知っても。
何もできない。
むしろ、知らない方が良かった。
確実に。
ベッドに倒れ込む。
目を閉じる。
でも、すぐに開ける。
暗闇が怖いわけじゃない。
目を閉じると、あの数字が浮かぶ。
消えない。
焼き付いている。
あの「0」が。
「……」
呼吸が浅くなる。
考えるな。
考えても意味がない。
でも、考えてしまう。
もし——
もし、自分の大切な人の数字が見えたら。
そして、それが少なかったら。
どうする?
助けようとするか?
でも、無理だ。
今日、証明された。
何をしても、変わらない。
だったら——
知る意味は何だ?
「……」
答えは出ない。
ただ一つ、分かっているのは——
この力は、
人間に与えていいものじゃない。
そして、もう一つ。
決定的な事実。
鏡の前に立つ。
自分を見る。
頭上を見る。
やっぱり、何もない。
俺だけが——
終わりを持っていない。
それから数日、俺は人を避けるようになった。
理由は単純だ。
見たくないからだ。
数字を。
減っていくものを。
終わりを。
視界に入れた瞬間、嫌でも認識してしまう。
だから、極力外に出ない。
コンビニも深夜。
人が少ない時間帯。
会社も最低限の会話だけ。
視線を上げない。
顔を見ない。
そうすれば、多少は誤魔化せる。
完全には無理だが。
それでも、完全に避けることはできなかった。
ある日。
会社の帰り。
駅のホーム。
人が多い。
避けようがない。
仕方なく、視線を落としたまま歩く。
足元。
白線。
靴。
それだけを見ていればいい。
そう思っていた。
——「12」
視界の端に、数字が入った。
反射的に顔を上げる。
そこにいたのは、見覚えのある顔だった。
「……佐藤」
同僚。
毎日顔を合わせている。
頭上の数字。
——「12」
桁が違う。
ありえない。
昨日まで、あいつは二十万以上あったはずだ。
それが、たったの12。
「おい」
思わず声をかける。
佐藤が振り向く。
「ん? どうした」
「お前……」
言葉が詰まる。
何を言えばいい。
「あと12秒で死ぬのか?」なんて、言えるわけがない。
でも、時間は待ってくれない。
数字は——
減っている。
——「10」
——「9」
「佐藤!」
腕を掴む。
「ちょ、なんだよ」
「ここから離れろ!」
「は?」
説明している時間はない。
とにかく、この場から動かす。
それしかない。
俺は強引に引っ張った。
ホームの端から離す。
数歩。
それだけでいい。
——「5」
——「4」
その瞬間だった。
背後で、轟音が響いた。
振り返る。
電車。
急停車。
悲鳴。
人が倒れている。
誰かが、線路に落ちた。
そして——
さっきまで佐藤が立っていた場所にいた男が、巻き込まれていた。
動かない。
完全に。
周囲が騒然とする。
「……」
佐藤の頭上を見る。
——「124,882」
数字が、跳ね上がっていた。
一気に。
ありえない量で。
「……なんだよ、これ」
声が震える。
理解できない。
いや——
理解してしまった。
入れ替わった。
死ぬはずだった位置にいた人間が、別の人間に変わった。
結果が、すり替わった。
そして、その“余り”が、佐藤に加算された。
「おい、大丈夫か?」
佐藤が覗き込む。
「あ、ああ……」
俺は頷いた。
でも、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
その日を境に、世界の見え方が変わった。
今までの前提が、崩れた。
変えられないと思っていた。
確定していると思っていた。
でも違う。
条件がある。
位置。状況。関係。
それらが変われば、
結果も変わる。
そして、その帳尻は——
どこかで合わせられる。
俺は試した。
意図的に。
危険なことを。
数字の少ない人間に近づく。
タイミングを計る。
位置を変える。
結果を観察する。
何度も。
何度も。
何度も。
そして分かった。
これは、単純な寿命じゃない。
“割り当てられた死”の残量だ。
誰が、どこで、どう死ぬか。
それが、数字として表示されている。
だから、
状況が変われば、対象も変わる。
だが——
死そのものは消えない。
その理解に至ったとき、同時に気づいたことがある。
俺の数字が見えない理由。
それは、特別だからじゃない。
むしろ、その逆だ。
「……俺は」
鏡の前に立つ。
自分を見る。
何度見ても、何もない。
空白。
ゼロですらない。
表示されない。
「……最初から、ないのか」
言葉にすると、妙にしっくりきた。
最初から、割り当てられていない。
あるいは——
すでに消費しきっている。
記憶が、浮かぶ。
断片的に。
忘れていたもの。
意識の奥に沈んでいたもの。
雨の日。
あの日と同じ、濡れたアスファルト。
交差点。
ブレーキ音。
誰かの声。
そして——
目の前にいた、小さな背中。
「……あ」
思い出した。
はっきりと。
あれは、数年前。
まだ今の会社に入る前。
通りかかった交差点。
信号無視の車。
子供。
飛び出した。
俺は——
間に入った。
衝撃。
視界が回る。
音が消える。
体が浮く。
地面。
冷たい。
痛み。
そして——
そこで、途切れている。
「……」
おかしい。
俺は生きている。
今、ここにいる。
普通に生活している。
でも、記憶はそこで終わっている。
その先が、ない。
「……そうか」
理解した。
全部、繋がった。
あのとき、俺は——
死んでいた。
だから、表示されない。
もう“割り当て”がないから。
終わっているから。
それなのに、今も存在しているのは——
どこかで、帳尻が合っていないからだ。
世界の中で、
俺だけが、ズレている。
その証拠に、
あのとき助けたはずの子供を思い出す。
顔。
服装。
場所。
断片的に、浮かぶ。
もし、あの子が生きているなら——
「……」
探すしかない。
確かめるしかない。
数日かけて、記憶を辿った。
場所を絞る。
時間を思い出す。
そして、見つけた。
あの交差点の近く。
小学校。
下校時間。
子供たちの群れ。
その中に——
いた。
あのときの子供。
少し成長している。
でも、間違いない。
同じ顔。
同じ目。
頭上の数字。
——「482,201」
長い。
十分すぎるほど。
「……」
胸の奥が、妙に静かだった。
怒りでも、悲しみでもない。
ただ、納得している。
すべてが、正しい位置に戻ろうとしている。
そんな感覚。
そのときだった。
子供の進行方向。
道路。
トラック。
スピードが出ている。
信号は、赤。
止まる気配がない。
そして——
子供は、気づいていない。
周囲も、まだ気づいていない。
でも、俺には分かる。
頭上の数字が、一気に減り始めている。
——「482,201」
——「482,150」
——「482,000」
削られていく。
急激に。
このままいけば——
また、同じことが起きる。
「……」
足が動いた。
考えるまでもなく。
あの日と同じように。
走る。
子供に向かって。
距離を詰める。
間に合うかどうかじゃない。
間に合わせる。
それしかない。
子供に手を伸ばす。
視界の端で、トラックが迫る。
音が大きくなる。
時間が、遅くなる。
すべてが、鮮明に見える。
そして——
その瞬間。
自分の頭上に、初めて“何か”が現れた。
——「3」
「……」
笑いそうになった。
やっと、見えた。
自分の数字。
残り。
たったの、3。
でも、それでいい。
十分だ。
子供を突き飛ばす。
安全な方向へ。
体が軽くなる。
代わりに、視界が傾く。
衝撃。
音。
光。
全部が混ざる。
でも、不思議と怖くはなかった。
地面に倒れながら、視線を上げる。
空。
曇っている。
雨の匂い。
そして——
視界の中で、数字が減っていく。
——「2」
——「1」
静かだった。
驚くほど。
何も聞こえない。
周囲は騒がしいはずなのに、
全部、遠い。
最後に見えたのは、
無事だった子供の姿と、
その頭上にある、変わらない数字だった。
——「0」
数字が消えた。
自分の視界から、
すべての数字が、消えた。
そのとき、ふと思った。
ようやく、順番が来た気がした。




