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第一章8 姉として

 ラークんが目を覚ましてから三日目の朝がやってきた。鳥の囀る音が聞こえ、少しだけ冷えた隙間風が漂ってきていた。


 私は体を少し震わせながら、目を覚ました。ラークんの温もりがこの涼しさと相まって心地よく、思わずギュッと抱きしめてしまっている。今日も今日とて、ラークんと共に添い寝をした。これからもこの生活は続くだろう。


 ラークんと共に寝たことで、その温もりによるものなのかわからないが、ラークんとの出会いを思い出させるように、私の今日見た夢は過去の回想だった。


 この世界ではよくあることだ。記憶格子による影響か、過去を夢でそのまま見ることがある。トラウマな悪夢を見てしまい、魔力暴走をする人も度々目撃されるといった事例もある。


 そのため、この星ではカウンセラーの需要が高く、これが好循環を生むのか、治安をかなり良い状態で維持されている。心が荒み犯罪に手を染める人が少ないのはこの星の良いところだろう。

 だからと言って犯罪組織がなくなったわけではなかった。魔法を使えるこの星では記憶が価値となる。そのため、記憶操作系統の魔法は御法度となっている。

 過去に巨大犯罪組織、『アビス』によって記憶改竄、捏造、洗脳や国王暗殺未遂、子供誘拐などで大々的な問題となっていたこともあった。


 しかし当時実験体として攫われた子供が、アビスの研究施設から抜け出すことに成功し、王自らに報告まで行えた肝の座った子のおかげで事なきを得たと聞く。


 もし、目の前で天使の寝顔をしているラークんが異界の者と知られれば悪い奴に狙われるのは間違いない。


 幸い、この別荘を知るのは父上とメルヴィナ、そして父上直属の精鋭部隊である『玄朧影』の面子だけだった。森の一角にあるこの別荘の周りはかなり凶暴な魔物が出るとされ、並大抵の人物はここまで辿り着けないのが正しい。ではなぜ私たちが魔物から襲われないのか。それは特殊な魔除けを半径二キロメートルに分布し、有害な魔物にしか効かない魔除けを放っていたからだった。

 これは父上が私を守るために施した策だが、ラークんを守ることにも最適な環境が整っていることになったのだ。父上には本当に感謝してもしきれない。


「ラークん、悪い奴らは全て私が追い払って見せるからな」


「んぅ……」


 寝言で返事を返してくれたラークんが愛おしく、私はだらしなくニヤニヤと頬を緩ませた。


 今日の予定は昨日ラークんにも簡潔に伝えたが私はまだ魔法を教える立場としては未熟なため、その教科書や魔導書を買いに出かける予定だった。ついでにラークんとのデートをするための下見も兼ねている。

 そのため、昼食はあらかじめメルヴィナに頼み用意してもらった。しっかりと味や熱を保てるよう保存の魔法をかけてもらうよう頼んでもいる。


 あとは朝食をラークんと共に取る予定と、今日の修行内容と行ってはいけない場所の伝授、夕方頃には帰ると約束をするくらいだった。そのため私はラークんが目を覚ますのを待っていた。


 ラークんはまだすぅすぅと寝息を立てていた。

 まつ毛がふるりと揺れ、寝顔は本当に天使そのものだ。朝日を浴びた横顔が、どうしてこんなにも愛おしいのか。


「……かわいい……」


 私は堪えきれず、ラークんの頬にそっと指を添えた。むにゅ、と柔らかく沈む。

 ラークんはくすぐったいのか、眉をちょっと寄せて「んぅ……」と寝返りした。

 その仕草だけで胸がぎゅっとする。


 ……ああ、こんな子に……あんな辛い記憶があるなんて。


 思い出すたび胸が痛む。

 だからこそ、今のラークんが怖がらず眠れていることが何より嬉しい。私は彼の頭をぽんぽんと優しく撫でた。


「ラークん、起きたら……一緒に朝ごはんだよ。君の好きそうな甘いパンも、果物のジュレも用意してあるんだ」


 そう呟くと、ラークんの指が布団の端をぎゅっと握った。まるで「もっと寝ていたい」と甘えるみたいに。


「ふふ……仕方のない子だな」


 私は我慢できず、彼の額に軽くキスを落とした。

 そこで――ラークんのまつ毛がぴくりと震えた。


「……む……ん……?」


 瞼がゆっくり開いていく。私は姿勢を正して、優しく微笑んだ。


「ラークん、起きたのか?」


 ラークんは目を細めて私を見つめ、ぽつり。


「……セルシア……お姉ちゃん……?」


 その一言で胸に電撃が走った。


「……っ、そうだ!私は君のお姉ちゃんだぞ!」


 思わず声が裏返り、変にテンションが上がってしまった。

 ラークんが寝起きでぼんやりしているのをいいことに、私は抱きしめていた。


「お、おはよう……セルシアお姉ちゃん……?」


「おはようラークん!」


 嬉しさが溢れて、私はラークんの頭をなでくりまわした。


「ちょ、ちょっと……くすぐった、い……!」


「えっ、ご、ごめん!?」


 はっと手を離したが、ラークんは小さく笑っていた。

 その笑顔の破壊力に、私は布団の上で転がりそうになる。

 ……これが、尊いという感情……!……ッ危ない危ない、姉としての威厳が溶けてしまう。


 私はハッとして首を横に振った。


「さ、朝ごはんにしようか。今日は私、お買い物に行ってくるからな」


「買い物……?ああ、思い出した、確か魔法の教科書的なのを買ってきてくれるんだよね。ありがとう、セルシア姉さん!」


「う……」


 一瞬、考えが揺らいだ。やはり連れて行きたい。本当はずっと一緒にいたい。でも今のラークんを街に出すには危険が多すぎる。

 私が連れて行くのか行かないのかの葛藤に苛まれていると、ラークんは心配した様子で首を傾げ、上目遣いで私を見上げた。


「どうしたの?セルシア姉さん」


 私の心臓にダイレクトアタックを受け、鼻から血が垂れるような感覚に陥った。※鼻血は出てる


「ぐっ……君を守るためで、仕方ないことなんだ!ラークんはまだ星に慣れていないし……まずは私が色々準備するから……!夕方には絶対に戻ってみせるから!!」


 私は興奮した状態でラークんの肩を鷲掴みし、死んでもこの約束は守ると勝手に誓い立てた。その様子にラークんは目が点となり、状況を飲み込めてはいなかった。


「ちょ、セルシア姉さん⁉︎何がどうしてそうなったの⁉︎てか、鼻血出てるよ⁉︎」


 こうして私たちのドタバタな朝のベッドでのやり取りは終わりを迎えた。



◇◆◇◆◇



 ラークんもこの世界で目を覚ましてから三日目になり、ここでの生活にも順応してきたのか初日のようにただ後ろを付いてくるみたいなことは少なくなった。ずっと後ろをくっついてくるのも可愛かったから少し寂しい。これが親の気持ちなのだろうな。


 私たちは並んで食卓についた。朝の光が木漏れ日のように差し込み、テーブルに置かれた皿の縁をほのかに照らしている。

 メルヴィナが用意してくれたフルーツジュレの鮮やかな色が、ラークんの金色の瞳に反射してきらりと揺れた。


 ラークんはスプーンを手に取り、もぐもぐ口に運んでゆく。

 無意識なのだろう、頬をふくらませて食べる姿が……かわいすぎる。……朝からこんな破壊力を向けてくるとは……反則だろう。


 私は紅茶を飲むふりをして、内心の悶絶を必死に誤魔化した。


「今ラークんは魔法の制御のための特訓をしているだろう」


 少し落ち着くために、私は意識的に“姉らしい声”を出した。


「うん。とりあえず、《ルミナス=ジェリー》を5秒間、セルシア姉さんの補助が無くてもできるように頑張ってる!」


 ラークんはスプーンを握ったまま、胸を張って言った。

 胸を張りながらも、口の端にジュレがついたままなことに気づいていない。


「ラークん、ここ……ついてるぞ」


「え、あっ……!」


 私が拭いてやると、ラークんは耳まで赤くした。

 私はふっとっ微笑みを浮かべ、話を続けた。


「その調子で魔法の特訓も行ってほしいが、今日からは並列して筋トレもしてもらう」


「わかった!……けど、魔法って身体的な体力を使うものなの?」


 ラークんは首を傾げ、パンをちぎりながら言った。

 そんな素朴な仕草一つ一つが、昨日より“生活している子供”らしくて嬉しくなる。


「いや、魔法自体は魔力を消費するが……魔法だけに頼るのは危険だ」


 私はフォークを置き、静かに指を一本立てる。


「魔法は予備動作が多い。魔法の選択、詠唱、制御を行い、狙って撃つ。……その間に敵に近づかれれば、致命傷になる」


「……あ」


 ラークんはパンを握った手を止め、納得したように目を丸くした。


「確かに敵に近づかれた時、体力がなかったら逃げることもできないもんね」


「ああ、その通りだ。加えてこれからは剣術の基礎も学んでもらうことにする。近接もできる魔法使いは……それだけで生存力が上がる」


 ラークんは少し緊張したような表情を浮かべた。

 私はその気配を察し、ふっと微笑む。


「心配するな。最初から無茶はさせない。私が全部教える」


「……うん。セルシア姉さんが言うなら、頑張るよ!」


 そう言って笑うラークんの横顔を見て、私はまた胸がきゅうっと締め付けられた。

 この子が痛む姿なんて、絶対に見たくない。大丈夫……私が守る。絶対に。


 私は姿勢を正し、ラークんの前に指を三本立てた。


「それと、今日出かける前に大事なことを三点伝えておくぞ。まず一つ目修行内容についてだ」


 ラークんは背筋を伸ばし、まるで授業の時間のように真剣に聞く。


「《ルミナス=ジェリー》の制御訓練を1セット3回まで。目標は——補助無しで5秒維持だ」


「うん!」


「次に体力づくり。外で軽いランニングと基礎筋力訓練。ランニングはこの庭一周と腹筋や腕立て、スクワットを20回ずつ1セット」


「わかった!」


「1セット分終わり次第、休憩をとること。無理をしないようにな」


「無理は……しないようにする!」


 ラークんはやる気に満ちて、瞳を輝かせている。……こうして前を見てくれるだけで、嬉しい。ああ……危険な目に遭わせたくない……。


 私は深呼吸し、次の“もっと大事な項目”を口にした。


「そして……二つ目は行ってはいけない場所についてだ」


 ラークんの表情が真剣になる。


「まず、森の北側と西側には絶対に近づくな。魔除けが薄く、魔物が寄りやすい」


「うん……わかった」


「それから、別荘から二百メートル以上離れないこと。もし何かあれば……すぐ私の名前を呼べ」


「……名前呼んだら、聞こえるの?」


「もちろんだ。姉だからな」


 たとえ聞こえなくても、飛んでいってみせる。


 私は微笑んだ。


「最後に……夕方までには必ず戻る。昼食も用意はしてあるからそれを食べてくれ。どんなに遅くても日が沈む前には帰る」


 ラークんはほっとしたように胸をなでおろした。


「よかった……帰ってきてくれるならなんでもいいよ!」


「当たり前だろう。ラークんを一人にするつもりなんて最初からない」


 その言葉にラークんは少し照れながら、口元をほころばせた。


「……ありがと、セルシア姉さん」


 その笑顔を見た瞬間、胸の奥が急に熱くなった。

 くっ……可愛い……! 姉として……これ以上の褒美はない……!


「い、いや……当然のことだぞ……!?」


 誤魔化すようにテーブルの皿を動かすと、ラークんはくすりと笑った。


 朝の光が差し込み、穏やかな温度のなかで——

 私はこの時間がいつまでも続いてほしいと、自然と思った。



◇◆◇◆◇



 私は買い物へ行くための身支度を整え終わり、出かけようとするタイミングで声をかけられた。


「その、セルシア姉さん……?本当にその服装で行くの?」


 ラークんは私を見てどこか心配と困惑が入り混じったような顔で言った。何かおかしいのだろうか。


「どうかしたのか?一応王族だからな。身バレ対策でこのような恰好をしているのだが」


「セルシア姉さん……すごく不審者にしか見えないよ」

 その言葉に、私はぴたりと動きを止めた。


「……不審者……だと?」


 今日の私の格好は黒のフード付きローブに、黒いマスクとサングラス。腰には護身用のレイピアも携えている。

 王族特有の髪色である紫紺を完全に隠すための変装である。

 我ながら完璧な身バレ対策だと思ったのだが。


 ラークんは半目で私を見つめていた。


「だってその……顔は見えないし、フードは深いし……村に一人はいる“絶対に近づいちゃいけない人”みたいだよ?」


「ま、まさか……!?そんな風に見えるのか!?」


 私は慌ててフードを外し、髪を耳にかける。

 ラークんの視線は真剣そのものだった。


「うん。まあ、王族って言ったら人混みで大変そうだし……変装は必要だもんね」


「ああ……そうだ」


「せめて、マスクかサングラスのどちらかは外した方がいいと……」


「わかった。ではサングラスを外すとしよう」


 私はサングラスを外すと、ラークんは私を数秒じっと見つめた。


「……うん。さっきよりは不審者じゃない。ただの“ちょっと怪しい人”になった」


「評価が微妙に改善している……!」


 私は胸を張るか迷い、結局しょんぼりと肩を落とした。そんな私を見て、ラークんは小さく笑った。


「そんな気を落とさないでよセルシア姉さん!ほら、買い物行くんでしょ?」


 ラークんは私の手提げバックを前に差し出し、励ましてくれた。


「ああ、そうだな。早く行って、早く帰ってくるとするよ」


「うん、待ってるね!いってらっしゃい!」


「行ってきます」


 ラークんの飛び切りの笑顔に見送られ、すぐに帰るからなとそう強く誓いながら、私は転移陣を展開し、王都ラグナメイアへと向かった。

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