第一章3 この世界の魔法
食事を終えた僕らは外に出ることになった。窓からも見えていたが外は平けた草原で、空は少しピンクと水色が混じったような不思議な空をしていた。近くにはこの家と同じくらいの大きさをした建物がるのが見えた。
「ではまず、ラークんの知らない要素である、魔法について話していくことにしよう」
「はい!よろしくお願いします!!」
胸が高鳴る。ようやく、ようやくこの世界の根幹である“魔法”についての説明が聞けるのだ。
僕は無意識に背筋が伸び、姿勢を正しながら深く頭を下げていた。セルシア姉さんの魔法は、これまでの行動の中で一度も“詠唱”を必要としていなかった。そういった謎も今やっと解き明かされるかと思うと、期待が手足の先まで満ちてくる。
「頭を上げていいぞ、ラークん」
「はい!」
促されて顔を上げると、セルシア姉さんの視線がまっすぐ僕に向けられていた。
卓越した知識を持つ人独特の落ち着きと、僕に教えることを楽しんでいる優しい色が混じっている。
彼女はゆっくりと指先を持ち上げ、空気の表面を撫でるように滑らかに動かした。
「さて、私たちが今いるこの星、ネサロンにおける魔法とはすべて、”記憶”の量・質・構造によって発現する」
「”記憶”……?」
聞き慣れていない訳ではないが、僕は自然と眉を寄せ、言葉が反射的に零れ落ちていた。
魔法と記憶がつながるという発想は一度もしたことがなかった。目の前で語られる“魔法”は、未知というより哲学的で、どこか神秘的でもあった。
僕の戸惑いに気づいたのか、セルシア姉さんは柔らかく口元を緩めた。まるで、子どもにお気に入りの宝物を見せる前のような、そんな笑みだ。
「ああ。私たちは見たもの、聞いたもの、感じたものを脳で記憶するだろう。この世界の魔法とは、『記憶の可視化』……つまり『過去の具現化』ということになるな」
“過去の具現化”——
その言葉が胸の奥に落ちた瞬間、世界の輪郭が違って見えた。
思い出を形にする?記憶が力になる?
そんな考え方、今まで生きてきたどんな物語にもなかった。空気が少しだけ重くなる。それは恐怖じゃなくて、新しい真理に触れるときの重みだった。
「過去の具現化……ってことは、前に見たことあるものとかを魔法として使えるってこと?」
自分でも驚くほど目を開き、身を乗り出して聞いていた。セルシア姉さんは僕の反応を面白がるように、くすっと笑う。
「そうだな。そして、脳・魂に刻まれた記憶が魔力の源となるんだ。強い記憶ほど高出力で、曖昧な記憶ほど低出力となるんだ」
彼女は指を軽く鳴らした。すると、ぱっと彼女の手のひらの上に、淡い光の粒が浮かび上がる。
それはひとつひとつが“思い出の断片”のように揺らめきを放ち、僕の視線はその光に吸い込まれるように釘付けとなった。
「だからこの世界での”価値”とは、”記憶”を指すことが多いだろう」
記憶が価値……か。思ったよりもずっと深い話だった。
その発想は驚くほど美しくて、そして少し怖かった。思い出のひとつひとつが力になり、資産になる世界。忘れたい過去さえ力になってしまう世界。
確かにそれなら、記憶はとても大切な資産となるわけにも納得だ。
「記憶することで魔力ができるって、つまり魔力は記憶エネルギー的な感じなの?」
自分でも説明が雑だと思うような質問だったけど、それでもセルシア姉さんは迷わず頷いてくれた。
「ああ、その解釈で差し支えない。どんな記憶も魔力となる。しかし、内容次第でいかようにも化けてしまうのが難点だ」
確かに“記憶”と一口に言っても、楽しいものばかりじゃない。
今日の楽しい思い出もあれば、忘れたくてたまらない嫌な記憶だってある。
魔力がそういう感情の重みで決まるというのなら、魔法は“心”そのものに近いということなのかもしれない。
「じゃあ、さっきまでの記憶を僕は、"楽しい記憶"として"魔力"に変換されているってこと?」
「そんな感じだ。魔力とは即ち、経験の値として考えるとわかりやすいだろう。例を挙げるとしよう。楽しい記憶であれば、それは安定した魔力として変換される。だから先ほどの記憶は安定した魔力となってラークんの体内に蓄積されるだろう」
彼女にそう言われると、胸がじんわりと温かくなる。
さっきまでの時間——家の案内も、食事も、全部が自分の力になるという事実が、不思議と心地よかった。
「逆に恐怖や損失の記憶は爆発的な魔力に変換される。つまり制御が利かなくなるんだ。それをこの世界では"魔力暴走"と言う」
魔力暴走——その響きにはっきりと陰が宿る。楽しい記憶とは違う、鋭い棘を含んだ概念だ。トラウマが力になるとしても、それは良い方向に働くわけではない。
胸の奥に固く冷たいものが落ちる。
「魔力暴走した人はどうなるの?」
「症状は様々だな。トラウマや恐怖を消し去ろうとするために暴れ回る者、身体的な異常を発現する者など様々だ。だが基本的には、良い記憶の量を悪い記憶が上回ることがなければ魔力暴走は起こらないな」
良い記憶が多ければ暴走しない。
つまり——幸せな思い出こそが“安全装置”になるということだ。
そういえばセルシア姉さんが……
"一番は家族になることこそ、私たちの距離を縮め、より強い記憶としても残るからだ"
と言っていたことを思い出した。
あれは、僕と姉弟という近しい関係になればより良い記憶を紡いでいくことができて、安定した良い魔力として変換できることにも繋がるからなのだろう。
「なるほど……なんでセルシア姉さんが僕と姉弟になったのか、わかった気がする」
僕がそう言うと彼女は少し強張った様子で、息を呑んでから制止の声を放った。
「……その、っ待ってくれ!これだけは聞いて欲しい!この説明をする前、ラークんは私と共に食事をしただろう?それは、勘違いをしてほしくなかったからなんだ!」
「勘、違い……?」
やけに焦った反応を示していたが、何を勘違いしてほしくなかったのだろうか。僕にはあまり検討が付かなかった。しかし、彼女は手を少し震えさせ、胸の奥を抑えるようにしていた。
「ああ。私は君を利用して、ただ強い記憶を手に入れるとか、"そんなこと"のために君と過ごすことを決めたわけではない、ということだ……!」
一瞬僕は固まってしまった。返ってきた返答は僕の予想だにしない返答だったからだ。ああ、この人はとても心優しい人だったなと、改めて認識した。僕を『自分が強くなるための道具』として見ていないと、彼女なりに気を遣ってくれていたのだろう言うのは伝わってきた。
僕の口角は自然と上がり、いつの間にか身体も動いていた。
「そんなこと、知ってるよ!僕は今、えっと……その、”お姉ちゃん”のこと、一番信頼してる、からさ」
僕は自分からセルシア姉さんを抱きしめていた。僕は信頼の意を込めて呼んでほしかったであろう呼び方でだ。つい顔を合わせるのは恥ずかしいから、胸にうずめてしまっているのは仕方のないことだろう。僕はセルシア姉さんに安心してほしかった。その一心で身体は動いていた。僕の行動にセルシア姉さんは困惑をしたのも束の間、すぐに抱きしめ返して安堵の息を吐いた。
「……そうか、ありがとう」
まるで、長く張り詰めていた糸が解けたかのようだった。僕らは長い間何も喋らず、ただ抱きしめあった。体感一時間近く抱きしめあった気がした。
なんか、この生活は僕の心が持たないかもしれない。だってこれ、まだ一日目……なんだよ?
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思う存分抱きしめあった僕らはぎこちない雰囲気になっていた。
「コホン、その、取り乱してすまなかったな。話を戻そうか」
セルシア姉さんは気まずい雰囲気を流すために咳払いをしてから僕と視線を合わせた。凛とした表情や立ち振る舞いにはどこか清々しさもあった。
「うん、いいよ!魔法が記憶エネルギーを使うことで発現するってところまでわかったよ」
「よし、では魔法を発動する手順についての話をしよう。一段階目、まずは発動する魔法を"想起"するところから始まる」
「想起って、思い浮かべる……的な?」
記憶が魔法においてかなりのキーだということがよくわかった。僕が首を傾げると、セルシア姉さんは頷いた。
「ああ、そういうことだ。では手本として、水魔法を軽く出そう。二段階目は魔法の"記述"を行う。脳に、つまり記憶に対して魔法の構造を書き込む行為だ。呪文は記憶の式を言語化したものになる。今回は手本だから詠唱を唱えよう」
するとセルシア姉さんは目を瞑り、先程魔法陣を出した時のように手を前にかざした。
「三段階目、"具現化"をさせる。『静けき水よ、記憶の形を成し、私の手へ集え――」
セルシア姉さんが詠唱を始めるとかざした手に水が少しずつ集まっていた。
「《アクア・メモリア》』」
詠唱が終わると同時に手に集まってきていた、透明感のある澄んだ水が勢いを増し、手をかざしている方向へと放出された。『静けき』と言っていた通り詠唱の声以外、とても静かで、勢いよく水を放ったかのような音は鳴らなかった。思わず僕は手を叩いて拍手をしていた。
「すごい、感動したよ!魔法を使ってるセルシア姉さんがとっても美しく見えた!」
素直に出た感想だ。本当に美しく、まるで芸術の作品としても成り立つくらいには綺麗だった。するりと出た僕の感想に、セルシア姉さんは頬を染め、指で横髪をくるくるとして嬉しさを滲み出していた。
「……そこまで言われると、私も照れるな。ありがとう。やって見せた甲斐があった」
照れているセルシア姉さんはそれはそれで可愛かった。これ、僕はプライドを捨てて、セルシア姉さんを可愛いと褒めまくっているほうが心に余裕ができるのでは?とも思ったが、きっと先に恥ずか死ぬのは僕の方なのでこれは没とした。ひとまず僕は気持ちを切り替えてどんな魔法なのかを聞くことにした。
「それでセルシア姉さん、今の魔法の《アクア・メモリア》ってどういう魔法なの?」
「《アクア・メモリア》は記憶の種類で、水の性質が変わる水魔法だ。昨日、近場の湖で風が止み、凪いでいた水を見たことによって出せた魔法になる」
魔法の性質は記憶の内容が大きく関わってるのはわかった。では、セルシア姉さんがあれだけの水を出せた理由はなんなのだろう。
……でっかい湖だったのかな?
「じゃあ、なんで水の量が多かったの?」
「それは単に私の魔力量は常人より多いというのもあるが、この魔法は記憶による依存が大きいからだな。より直近で鮮度が高かったから威力が増したのだろう」
「へぇ……本当に魔法は記憶によって左右されるものなんだね」
そう思うと、僕のような人間が魔法を扱えるなんて到底難しいだろう。日常生活の記憶って、次の日には大体忘れてしまっていることが多いから、火や水とかは逆に印象に残りづらいように思えてきた。思い浮かべる程度なら出来はするだろうが一般的な魔法レベルしか扱えないと推測できた。
「そうだな。見る、聞く、触れる。その全てが魔法に繋がるんだ。魔法とは発想であり、発想とは経験の結晶。つまり魔法は“記憶の形”そのものなんだ。魔法を上手く扱う人間は、記憶力が良いだけではなく、発想と工夫の仕方が上手い人間なんだ」
「てことは、発想や工夫次第では、オリジナル魔法を作れたりもするの?」
記憶の中で実際に見たものしか作れないとすると、魔法は創意工夫はしづらいモノだとも思っていたけど、オリジナルの魔法は作れたりするのだろうか?
「もちろん作れたりもする。しかし、自分自身で記憶していないものを生み出そうとすると、その魔法は著しく魔力の効率が悪くなる」
つまり、知らないものを具現化は上手くできない、ってことか。それをしっかり理解、把握していかないといけないのだろう。
「だから発想と工夫が必要なんだね。魔法を重ねて組み合わせられたら、そういう魔法が使えたりもできるってことだよね?」
「そうだ。多くの者はその発想と工夫を放棄し、一般的に売られている魔導書で満足していることが多いな。逆に魔法を扱うのが上手い人達は、一つの魔法の操作を極める者やより変わった記憶を持ち、それを魔法として具現化をする者と、概ねこの二種類に分けられるだろう」
僕が魔法を扱うなら、多分他の人の記憶にもない地球の知識をオリジナル魔法として駆使することになるかもしれないな。なんだか、夢にしては設定凝ってるよね。これって現実……?イヤイヤ、魔法が現実なんてありえなくない?でも、この夢はいつまでも続いて欲しいな。だって、こんなにも良い姉と暮らせているんだもの。
「ああ、あとこの説明をしてなかったな。最後に魔法を発動する手順の四段階目、魔法は具現化した後、"制御"が必要になる。これが最も重要だったりする」
「制御が大事ってことは、センスも問われたりするの?」
「センスも問われるだろう。しかし、それ以上に感情に左右されたりすることがある。大きく怒りを持った状態で扱えば、より暴走して明後日の方向へ飛んでいってしまう、なんてこともある。だから冷静に、落ち着いて制御することが大切だ」
なるほど、感情任せでは魔法を上手く扱えないってことなんだろうな。これ、戦いで焦ってしまったらかなり危険ってことか。……僕にも戦う場面が来るのだろうか。少し創造してみたが、危険な状況下で冷静でいられるのだろうか。いや、今の僕では多分無理かもしれない。
「……確かに、これが一番難しそうだね。感情に振り回されないようにしないといけないってことだよね」
「ああ、魔法を使っている時の感情が制御にかなり影響を与えるからな」
セルシア姉さんは腕を組んでから目を瞑り、一呼吸おいてから何かを判断したのか目を開いて腕を解き、そして僕の肩を掴んだ。
「さて、ここまで長々と魔法の仕組みとか話してきたわけだがラークん、試しに何か思い浮かんだ魔法を使ってみるといい」
「えぇ⁉︎もうやるの……⁉︎その、記憶の式とかどうやって作るのかわかってないんだけど……」
急な無茶ぶりに僕は戦慄した。確かにより詳しく魔法を教わったけど、記憶の式の作り方がさっぱりわかっていなかった。
適当に唱えれば何か記憶の式にでもなって魔法として出る……のかな?
わからないことを伝えたが、僕が魔法を使えることを確信しているのか、表情に揺らぎはなかった。
「そうだったな。でも大丈夫だ。君はこの星に来たことで後天的に"魔力回路"が体内で作られているからな。だから手を前にかざし、目を瞑って、思い浮かべた記憶から浮かび上がった式をそのまま読めば大丈夫だ」
「ん……?その、魔力回路っていうのは……?」
「これもまた後で話そう。ラークんは真面目だな。流石は私の弟と言ったところか。だが今は魔法を試しに使ってみてくれ。その後の方が多分説明しやすい」
「わかった!やってみる!」
僕は目を瞑り、手を前にかざした。何を思い浮かべようか。僕が一番思い出として記憶に残っているもの。それは…………
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『遠い昔』
僕らは水族館に来ていた。◎★€■と、○〒¥%、そして▲■◎¥の四人で。あの時い◎¥☆があんなに楽しそうに『クラゲ』を見て、とびきりの笑顔で僕に言ったんだ。
「クラ■さん★ね、しん●うや脳が無い◎¥って!すごくしん●てきだ◼️ね!それ●いてきれ$€かわいい!」
興奮しているその▲■◎¥がとても可愛らしく、微笑ましかった。ここで見た光景を僕はカメラで写真を撮った。僕は初めてみた『クラゲ』と可愛らしい▲■◎¥の幻想的な光景に感動した。
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ノイズが掛かった過去を思い出した。何故だか重要そうな人物名と、その顔にはモザイクのように黒い何かが掛かっていた。そのノイズの奥に、なぜか胸が締め付けられる痛みだけが確かにあった。誰かを大切だと思った記憶だけが、形を失って残っている。
このような違和感は前からあった。ここに来た時から。でも、今は魔法を打たなければと思い、雑念を取り払うことにした。あの記憶で僕は『クラゲ』が頭に思い浮かんだ。そして脳裏にいつの間にか式が浮かび上がってきていた。これを読めばいいのかな。
「『ゆらめく光よ……記憶の海より……いま、形を成して、僕の前へ――《ルミナス=ジェリー》!」
すると、目の前に一体の淡い光を放ち、それでいて透明感のある手のひらサイズの美麗な『クラゲ』が召喚されていた。クラゲはふわりと揺れてから、光の粉を残しながら静かに霧散していった。
「今のが……魔法……!セルシア姉さん、今のできてたよね⁉︎⁉︎できたよ姉さん!!!」
僕は自分が魔法を扱えたことに興奮してしまい、ついセルシア姉さんに自慢をしてしまった。
魔法を使えたのだ。こんなの興奮するに決まっているだろう?
しかし、彼女の顔は一瞬曇り、どこか哀しそうな目をしていた気がした。でもそんな表情はすぐに変わり、何かを決意した瞳と共に、僕の頭を壊れそうなものを触れているかのように優しく撫でた。
「ふふ、やはりラークんは面白い魔法を使えるのだな。いいじゃないか。しっかりできていたよ。偉いぞ」
僕はまた頭を撫でられてしまっているが、今回は興奮が勝り何も気にはならなかった。むしろ褒めてくれることにより、魔法を使えたという余韻が余計に抜けなくなった。
「ありがとう、えっと、お姉ちゃん!」
僕の初めての魔法は《ルミナス=ジェリー》という、光るクラゲの召喚だった。それは遠い昔どこかで体験した、『あの頃』の感覚を具現化したかのような魔法だった。しかしその頃の記憶は未だ曖昧なままだった。




