第一章2 有意義な時間
「ではまず、この家から紹介しよう。ついてくるといい」
「わかった」
そう答えながらも、僕の手は相変わらずセルシア姉さんにしっかり握られたままだった。離すつもりは、どうやら毛頭ないらしい。
手の温もりが直に伝わってきて、妙にくすぐったい。けれど、今の彼女はどこか嬉しそうで、その手を振り払うのがなんだか、悪い気がした。僕は黙ってそのまま歩くことにした。
「この家は私の別荘だと思ってくれていい。先の部屋は私の自室にあたるんだ」
別荘。王女の——。
そこでようやく思い出した。彼女は王女様だった。夢とはいえ、王族の別荘に突然住まわされるなんて、設定の盛り方がすごい。都合良すぎて、やっぱり夢だとしか思えなかった。
そういえば、さっきの部屋は玉座のような椅子以外ほとんど何もなかった。あれは王女様なりの“普通”なのだろうか。
「そうだったんだ。それにしては、かなり質素だったよね。セルシア姉さんは何か物とか置かないの?」
廊下もまた、驚くほどすっきりしていた。飾りも装飾もほとんどない。まるで建てたばかりの無人の家みたいだ。
セルシア姉さんは軽く顎に手を添えて、「確かに何もないな」と呟いた。どこか他人事のような声に思わず苦笑いしてしまう。
「私の部屋に物を置くのではなく、大抵この家の外にある倉庫に収納しているから、必然的にここには物を置かないのだろう」
「倉庫……?そこって僕も連れていってもらえる?」
興味本位で聞いたつもりだったが、彼女はぱっと顔を綻ばせた。
「もちろん、連れていってあげよう。君の知識で構わないから、私の知らない物の使い方を教えてもらいたいしな」
「わかった。僕が教えられる範囲でいいなら、力になるよ!」
実際のところ、十二年そこそこの人生経験でどれほど教えられるかは怪しい。でも、彼女が期待してくれているのなら応えたいと思った。
「ありがとう。流石は自慢の弟だ」
セルシア姉さんは口角をわずかに上げ、誇らしげにそう言った。彼女とはまだ出会って時間がそんなに経っていないはずなんだけど、何が理由で僕をここまで信頼してくれているのだろうか。やはり、姉という立場に憧れを抱いていたのだろうか?
すると僕たちは廊下から少し広い空間に出た。
「さ、着いたぞ。ここがリビングになる。そしてあそこがキッチンだ」
足を踏み入れた瞬間、木の香りがふわっと広がった。リビングは驚くほど質素……いや、徹底的に木で統一されていると言った方が近い。机も椅子も、キッチンの台まで黒褐色の木でできていた。
異世界に来てまず驚くのが家具か……と思っていると、変な不安が胸を過った。
あれ、もしかしてこれって……僕があまり家具に興味がなくて、夢で再現しきれなかった……?こんなのが原因だったらどうしよう。そんなレパートリーなかったっけな、嘘だよな……?
「セルシア姉さん、この家ってほとんど木で出来てるの?」
「ん?ああ、そうだな。私の知り合いに、植物由来の魔法を扱うのが得意な人がいるんだが、その人と加工が得意な人がこの家を建ててくれたんだ」
どんな人なのだろうか、家を建てられるレベルの魔法使いは相当な凄腕だろう。僕も会ってみたいものだ。
「すごいなぁ……!魔法で家まで建てられる人がいるなんて……」
『魔法』かぁ。一体どういう原理で魔法を使うのだろう。僕にも魔法を扱えるのだろうか。
しかし、僕に今のところその兆候は見えなかった。
「そうだな。魔法は様々な可能性を秘めている、とても面白いものだ。魔法やネサロンについては、また後で話してやろう」
「うん!楽しみにしてるね!」
彼女は僕の反応を見て、どこか満足そうに微笑んだ。僕もそんな彼女につられて嬉しくなる。
「よし、先にこの家の紹介を済ませるとしよう。あとはシャワールームとトイレの場所を教えたら終わりだな」
ここで一つ疑問が浮かび上がった。突然僕がこの家に住まうことになった訳だが、寝る場所は果たしてあるのだろうか。魔法で即席ベッドでも作り出せるのだろうか。
「セルシア姉さん、質問なんだけど……いいかな?」
「なんだ、なにかあったか?」
「僕がここにしばらく滞在することになるとは思うんだけどさ、寝る場所って、他にもあるの?」
途端、彼女は何を聞かれたのかわからないといった顔をした。やっぱり何か策でもあるのだろうか。
「む?何を言っている?私と一緒に眠ればいいだけの話だろう?」
「……え?」
……倫理観!!?
思わず僕は心の中でツッコミを入れた。倫理観とかそういうレベルじゃない。初対面の美人姉さんと添い寝なんて、12歳のメンタルでは危険すぎる。けど、姉弟ということになってるわけだからあまり関係ない……のか?
「ぇ、でも……僕とはまだ出会ったばかりで……その、一緒に寝るのは如何なものかと……」
そうだ、何せ12歳の思春期である僕に添い寝なんて、刺激が強すぎるのだ。ただでさえ、美人なセルシア姉さんと初日から同じベッドで寝るだなんてハードルが高すぎる!!
「……私と寝るのが嫌なのか?私は君と寝るのは嫌ではないぞ?」
「!?」
さっき見た“捨てられた子犬のような顔”がどうやら復刻したらしい。あれを見せられて拒否できる人間がいるなら連れてきてほしい。僕はすぐに弁解することにした。
「ああ、あの、嫌ではないよ!その、恥ずかしいだけで……」
正直に言った途端、セルシア姉さんはすっと真顔になった。なんだか嫌な予感がするのは気のせいなのだろうか。
「……なんだ、それなら何も問題はないな」
「え、僕の拒否権は!?」
「私は姉だからな」
「残酷な年齢の壁……!?」
こうして僕は、初日の夜から姉と一緒に寝ることが決定した。
でも——これ、夢だし……少しくらい甘えたって、いいよね……?
―――――――――――――――――――――
家の案内を終え、ひと息ついたところでそのまま食事を取る流れになった。
「食材ってどこにあるの?」
僕が素朴な疑問を投げかけると、セルシア姉さんは当然のような顔で答えた。
「ああ、心配しなくていい。転移魔法で取り出せる」
彼女は軽く息を整え、手を机に向けてゆっくりとかざした。すると――淡い光を帯びた魔法陣が静かに浮かび上がった。転移のときに見たものと同じ形だ。けれど今回はサイズが掌ほどしかない。凝縮された魔力の紋が静かに脈動し、空気がわずかに震える。どうやら魔法陣は用途によって大きさも自在らしい。
観察していると、セルシア姉さんは迷いなく手を魔法陣の中に突っ込み、まるでそこに“もう一つの空間”があるかのように、料理を取り出していく。
王女様ならこれくらい、用意されていて当然なのかもしれない。それにしても、いつの間に僕の分まで用意していたのだろうか。
「さあ、揃ったことだ。食事を始めるとしよう」
「うん、いただきます」
何気ない一言のつもりだったけれど、セルシア姉さんはじっと僕の動作を見つめてきた。なんの変哲もない、いつもの動作をしただけだったが彼女はそれを面白いものを見ているようだった。
「ほう…興味深い。お前たちの文化では食事の前に手を合わせるのだな」
そっか、文化が違えば知らないのも当然だ。僕が見る夢にしてはその辺しっかりしてるんだね。
「そうだよ。食材と作ってくれた人に——感謝をしろって教わったんだ」
「そうなのだな。わかった。私もそれをしよう。……いただきます」
僕の見様見真似をしてセルシア姉さんも手を合わせていた。なんだか見ていて微笑ましく、律儀で良い子なのだなと伝わってきた。
あれ、そういえば……誰に教わったんだっけ……?
——と、そこで何か思い出そうと思ったが、それは目の前の料理によって思考は書き換えられた。
「……これ、何……?」
刺身。
刺身なのだが——七色に発光している。
まるで中に小さな光源でも入っているかのように淡く輝き、表面が虹色にゆらめいていた。
これを“食べ物”と認識するまでに数秒かかった。
「ん、それか?それは『ルミナ・フィン』という光る川魚の刺身だ。どこでも取れる魚だ。味は美味いぞ」
「は、はぇ〜、これが……どこでも、取れるんだ……?」
この異世界、だいぶヤバいのかもしれない。しかし、セルシア姉さんはまるで気にする様子もなく、楽しそうにその光る刺身を頬張っていた。満足そうに頬がほころび、目尻がふにゃりと下がる。
ああ……本当に……美味しいのかな……。
僕は覚悟を決め、深呼吸して——目を半分閉じた。
見た目の情報を極力遮断して、箸のような食器でそっとすくい、勢いで口の中へ——。
「……ッ!?」
味の率直な感想は美味しかった。
見た目のインパクトに反して、味はマイルドで柔らかい。身は締まっているのに舌触りは滑らかで、サーモンに近い。けれど、味はマグロのようなコクもある。不思議なバランスだ。
ただ一つだけ問題が——舌が微妙に痺れる。
いや、これ大丈夫? 食べていいやつ?え、毒ないよね?あのバスキ●ロビ●スのポッピ●グシャワーみたいな感じだよね!?
「おいひいか?」
頬をふくらませながら食べ続けるセルシア姉さんは、まるでリスのようだった。
「う、うん。美味しかったよ!あとセルシア姉さん、食べながら喋るのはお行儀が悪いよ」
注意すると、彼女ははっとして、口に入っているものを急いで飲み込んだ。
「そうだな、すまない。はしたなかったな」
しゅん、と肩を落とす。セルシア姉さんは例の“捨てられた子犬の顔”を発動させた。
いやいやいや、その顔やめて!!罪悪感が一瞬で侵食してくるから!!
この表情をされると罪悪感が湧いてきてしまう。
この表情に対策はないんですか?
「ううん、僕とは文化の違う場所で育ったんだもん。僕の方こそ、こっちの尺度での考え方を押し付けてるかもだからさ、そんな謝るほどではないよ!」
「そうなのか?」
「うん!」
僕は勢いよく頷いた。
そうなのだ、そもそも別世界の人間に僕らのものの考え方でのマナーを説いても意味がないのは当たり前のことだ。それなのにセルシア姉さんは僕の文化を尊重しようとしてくれている。それってとても素敵なことだと思うんだ。
「それに、セルシア姉さんが僕の育った街の文化を尊重しようとしてくれてること、とても感じるからさ。それだけでも凄いと思うんだ。だから、その……ありがとね!」
僕は気がつけば口から自然と感謝を述べていた。『ありがとう』を面と向かって伝えていた。その事実に僕はつい目を泳がして、先程まで見ていたセルシア姉さんの目から視線を逸らしてしまった。顔も熱い。今日は何回この熱さを味わうのだろうか。
すると彼女は持っていた食器を置いて席を立ち、僕の目の前まで来た。
「ラーク、お前は本当に可愛いやつだな。これからの君との生活が……私は本当に楽しみだ。いや、今既にすごく楽しい」
そして——彼女は片手で僕を包み込むように抱き寄せ、もう片方の手を使って、優しい手つきで僕の頭にそっと手を置き頭を撫でてきた。
……撫でてきた!?
「あわわわわわわ◎△$♪×¥●&%#?!」
まるで故障した機械のような言葉しか発せず、僕の頭はオーバーヒートした。脳が焼かれるとはこのことだったのか。
「よし、親しみを込めてラーク、君にあだ名をつけるとしよう」
「ええ!?あだ名!?ここに来て急に!?」
「ああ、お前のことが愛おしくて堪らないからな。つけたくなったんだ。何がいいだろうか……」
何がどうしてこうなってるのだろう。突然あだ名を考え始めたセルシア姉さんのおかげで、頭も少しは冷えて冷静になれた。
またセルシア姉さんについて詳しくなった。それは、この人はとんでもなく気分屋さんでもあるということだ。
でも僕はそんな彼女のことを愛おしく感じていた。これは僕の感覚がおかしくなったのだろうか。いや、きっと誰にでもそう感じるはずだ。
……僕って、こういう姉を欲してるのかな。だからこんな夢を見てる……?
夢なのに味や温度までリアルで……なんか、変だよな……。
そんなことを考えていると、セルシア姉さんの手がふと止まった。
「決めたぞ」
彼女は少し誇らしげに胸を張り、宣言した。
「——”ラークん”。どうだ?可愛い響きで、君にピッタリだと思うのだが」
あまり変わり映えないが『ん』が付くだけで響きが可愛くなるのもきっと何かの魔法なのだろう。僕はもうどうにでもなあれと自暴自棄気味になっていた。この人が気に入ったモノであるなら正直なんでも良いのだ。
「……うん、セルシア姉さんの付けたいあだ名でいいよ」
「ではこれからはラークんと呼ばせてもらおう。……可愛いぞ、ラークん」
12歳の僕はまだ子供だから、年上の人からは可愛いと思われるのは仕方のないことなのだろう。でも僕も男なのだ。これだけ可愛いと言われてしまうとプライドがズタズタなのだ。
「もう!セルシア姉さん!!可愛い可愛いって言い過ぎだよ!もう!!」
「そうだな、揶揄ってすまなかった。だが——可愛い反応をするラークんが悪いと思うんだ」
僕の反撃は虚しく、さらにはなぜか他責で僕のせいになっていた。確かに、満更でもないような反応をしてしまう僕も悪いかもしれないが……それは仕方がないではないか。正直開き直ると、こんなかわい美しい美人な姉さんに言われたら誰しもがこうもなるだろう。
……うん、きっと世界中が共感するはずだ、そうに違いないはずなのだ。
こうして僕の新しく住まう家の紹介と、初めての別世界での食事を終えたのだった。




