第一章12 一人を追って
あれから私はただ必死だった。
ラークんの名前を呼びながら部屋という部屋の隅々を探し周り、さらにはクローゼットの奥まで覗き込んだ。いつもなら「そんなところに入らないだろう」と自分に突っ込めるのに、今はそんな余裕すら無いに等しく、真剣だった。
布団の中にもいない。暖炉の裏にも転がっていない。シャワールームでシャワーを浴びているわけでもない。家の中を一周するたび、胸の奥がどんどんとざわついていった。
「……どこだ……!ラークん……お願いだ、返事をしてくれっ……!」
焦りのあまり庭へ飛び出し、森へと足を向けた。もし、好奇心で足を踏み入れて道に迷ったのなら——そう思って木々の間を駆け回った。枝が頬を掠めても気にする余裕はなかった。
倉庫の周りも探した。扉を開け、中の木箱を全部ひっくり返す勢いで確かめたが、そこにラークんはいなかった。
やがて夜になり、空にはこの世界の夜を覆う淡い光のヴェール、《ルミナリスの帯》が白金色に揺らめきながら、真っ暗な大地を少し照らし始めていた。本来なら美しく感じるはずなのに、その光加減が今の私にはただ胸を締めつける残酷な”孤独さ”を強調するようだった。
私は夜が明けるまであと三時間ほど前まではくまなく周辺を探し回った。魔物だって何体も葬り、どれだけその腹を割いたかわからなかった。しかし魔物は関与していないのか、ラークんを襲った形跡などは見つかることもなかった。
私はひとまず早朝まで家で待機することにした。
——ラークんは戻ってくるかもしれない。何か私のために、プレゼントの用意をしている可能性だってあるかもしれないし……もしくはどこかで眠ってしまっているパターンだってあるはずだ……。
と、とにかく自分に「きっと帰ってくる」と言い聞かせた。そう自分に言い聞かせなければ、どうにかなってしまいそうだからだ。
「ラークん、私のことが嫌いになったわけでは、ない……はず……、そうだろう……?」
その問いを誰も返してくれることなく、虚空へと消えていった。そこにいつもなら笑顔で返してくれるラークんはいなかった。
私は床に座り込み、膝を抱えた。椅子に座るだけでも落ち着かない。胸の奥が空っぽになったみたいだった。こんな姿を父上が見たら王女の器ではないと失望することだろう。
でも——そんなことよりも。ただ、ラークんがいないという現実のほうが今は痛かった。
私はラークんの帰りを待っている間に、早朝まで帰ってこなかった場合、次はどう動くのかを思考した。そして思い至った。夜が明けても戻らない場合、私は“奥の手”を使うことを——。
父上から許可なんて貰ってなどいない。しかしこの場合は緊急事態のため致し方ないだろう。私はラークんを探し出すためなら許可がなくとも、たとえ私用で使うことは許されていないとしても、ためらいなく使って見せると心に決めた。
◇◆◇◆◇
鳥のさえずりが、やけに遠く聞こえた。
結局ラークんは帰ってはこなかった。その間、私は一睡もすることなどできなかった。目を閉じればラークんの笑顔が浮かんで、心が締め付けられた。私はこれを幾度となく繰り返したのだ。うかうかと寝られるわけがないだろう。
しかし、うじうじとするのももう終わりだ。もう待つ必要なんてない。充分待ったのだ。これだけ時間が経っても戻ってこないということは、ほぼ確実にラークんの身に何かが起きたことを意味している。
そうだ。決して、私を嫌いになって家出をしたとか、そんなことはありえないのだから。
きっと今頃は私の助けを待っているに違いないはずだ。私が恋しくて涙を流しているかもしれないのだ。
私は立ち上がり、ペンダントの護符を胸の前に掲げた。
この護符の名は『エーテル・チューン』。私の身に危険が迫った時のための非常用の魔道具だった。
このエーテル・チューンの効果は魔力の同調。魔力を外部から込めることによって、使用者が一時的に護符に込められた魔力と同調することができる魔道具だ。緊急時以外は使用を推奨されていない魔道具である。その理由は莫大な魔力をもたらすほど、使用者の体に負担がかかり、適応できなければ魔力暴走をする可能性があることから推奨されていないのだ。
そしてこの魔道具には父上の魔力が込められていた。私でも制御できるかわからないほどの魔力が秘められている。使い方を誤って全開放でもした場合、今の私では魔力暴走するだろう。そんな危険な魔道具だが、ここで使わない手はないはずだ。
「……ごめんなさい、父上。だけど、これは“王女”としては失格なのかもしれません。ですが、“セルシア”にとってこの決断は正しいと信じてます」
私は掲げていた『エーテル・チューン』をゆっくりと胸に押し当てた。
その瞬間──護符の中心に埋め込まれた蒼白の魔石が、まるで目を覚ますように“コン”と低く脈動した。次の鼓動は少し強く脈動し、そして三度目には、私の心臓と同じリズムで脈を打ち始める。
「……っ、ふ……くっ……!」
魔力が流れ込んでくる。液体でも光でもない、“圧”そのものが血管に押し込まれてくるような感覚。胸が熱い。苦しい。けれど拒めない。
──同調が始まるった。
蒼白だった光は次第に白金へと変わり、護符の周囲に小さな輪がいくつも出現した。まるで音叉が発した見えない音の波紋が光となったように。リングは私の身体を縦横に通り抜け、通るたびに神経がじりじりと焼ける。
「だ、大丈夫……私は耐えられる……!ラークんを、助けるまでは……絶対に……!」
呼吸が荒くなり、足が震え、涙が滲んだ。それでも私は耐え続けた。
護符の光はさらに強まり、髪が無風のままゆっくりと浮き上がり、瞳の色が淡く発光し始める。“王族の魔力反応”特有の輝きが私の体から漏れた。
すると、エーテル・チューンは役目を果たしたと言わんばかりか元の姿へと戻っていた。
「成功……した……?」
私の身体には魔力暴走に近い重さの負荷が圧し掛かったが、今はそのすべてを受け入れることに成功した。同調ができたのだ。
その成果からか、脳裏に新たな感覚が広がった。視覚でも聴覚でもない。“世界の粒子が流れる方向”そのものを嗅ぎ分けるような感覚だった。
「……魔力痕が……見える……!?」
空気中に小さな光子がふわりと舞い、淡い青い光の粒子が流れていた。
これが、メモリートレイル──記憶格子越しに見える“残留魔力の道”。この青い粒子は私の残留魔力だろう。色濃く辺りを粒子が流れていたため、そう予測ができた。
私は震える指先をその光の尾に伸ばし、そして、一歩踏み出した。
「待ってて、ラークん。絶対に……必ず……私が見つけるから」
光の粒子が導く方へと私は歩いて行った。
すると、入り口付近に四種類ほど私とは色が違う残留魔力を見つけた。かなり時間が経っているのだろう。それは薄く今にも消えかかっていた。その残留魔力は外へと流れているのを確認し、庭へと出た私は光の粒子の流れを追うように歩みを進めた。
そこには、たしかに四種類の残留魔力があった。だが──すぐに違和感が胸を刺した。
一つだけ、はっきりと残っていた残留魔力があったからだ。四種類ほどの残留魔力のうち黄色い光の粒子だけが。長くここに滞在していたと思わせるくらいにはそこら中に点々としていた。
「……これは……間違いなく、ラークんの魔力……!」
ラークんの残留魔力と判別ができたのはいいが、他の残留魔力の痕跡を見るとやはり何者かに攫われてしまっていると推測できた。その痕跡は、外へ——森の奥へと続いていた。
「……ラークん……っ……攫われたんだな」
言葉にした瞬間、喉の奥が焼けるように痛んだ。怒りと恐怖と焦燥が混じり合い、胸の奥で暴れ出す。私は握りこぶしを作り、歯を食いしばった。
だが、涙は出なかった。代わりに、腹の底から燃えるような決意だけが湧き上がる。
「……よくも……私のラークんに触れたな……」
父上の魔力と同調した“白金の奔流”が、私の全身を裏から押し上げるように広がる。
足元の草が風もないのにそよぎ、空気が震えた。
私は深く息を吸う。
「ラークん。今行くから。絶対に……絶対に私が助けるから」
その言葉とともに、粒子の道が淡く脈打った。
私の決意に呼応したかのように。
◇◆◇◆◇
森へ足を踏み入れた瞬間、気配に気づいた魔物が木々の奥で一斉に逃げ散った。枝葉がざわめき、四方へ跳ねていく音だけが響く。
私が魔物を脅したのではない。ただ歩いただけだ。ただ、呼吸しただけ。
今の私は“父上の魔力”を全開近くでまとっている。生き物が本能で恐れるのも当然だった。
……そうだ、邪魔をするな。私はただラークんを取り戻しに行くだけだ。
粒子の道は森の奥、さらに奥へと続いていた。獣道とも呼べないほど細い道を、黄色い光が静かに照らしている。
息をするたびに胸が軋む。父上の魔力を半ば強引に身体に馴染ませている以上、当然の痛みだ。それでも——歩みを止める理由にはならなかった。
「この方角は、王都外縁の……」
私は木々を押し分けながら進み、やがて、森の密度が不自然に薄くなる場所へと出た。そこだけぽっかりと穴が空いたように、開けていた。
風は吹いていない。鳥の声もしない。まるで、世界の音そのものが消えてしまったようだった。
「……地下への……入口?」
岩肌が穿たれたような大穴。その周囲には古代語で書かれた石柱が三本立てられ、薄く青黒い魔力が煙のように漂っていた。
粒子の道は、迷うことなくその闇の奥へと吸い込まれていた。
「間違いない……ラークんは、この中へ……!」
私は唾を飲み込み、石柱の文字へと視線を走らせた。古代王国期の“遺都封印文”——教本でしか見たことのなかったものだ。
そこにはこう刻まれていた。
——《幽淵の遺都》
——不干渉の深層
——王血無き者、踏破不能
「……王族でないと、奥には進めない……?」
ちょうど良いことに私は王族の血を持つものであるためこの忠告文は気にする必要はないだろう。これは私が行かなければならない。
この遺跡は私のことをよくわかっているらしい。私でなければ、ラークんを——助けられない。
きっと古代王国のこの遺跡を築いた人もこれを見越していたのだろう。
「……行く。必ず……取り戻す」
私は入口へと足を踏み出した。
その瞬間、地下から——ごう……と低い風の音が吹き上がった。
まるで、深淵そのものが私を迎えにきたかのように。
しかし、その音に怯む理由はどこにもなかった。むしろ、胸の奥で何かが静かに燃え始めていた。
「待ってて、ラークん。すぐ行くから……」
護符の内に眠っていた父上の魔力が、まるで道を照らすように私の全身へ脈打った。
私はそれに沿って進んだ。右手をわずかに掲げ、指先に魔力を集中させて光を灯し、周囲の闇を照らす。
古代の階段が、闇の底から淡く浮かび上がった。
その奥は深い深い闇。
気配も、光も、魔物の息遣いすら感じない。
——ここに、彼が囚われている。
握った拳に力を込め、私は息を吸い込んだ。
「……ここが、《幽淵の遺都》……! 」
足を一歩、階段へ踏み下ろした。
ぱん、と空気が弾ける。
王族魔力を認証したかのように、入口の結界が薄く揺らぎ、霧が道を開けた。
私は振り返らない。
——ラークんを助けるために。
——私を必要としてくれたあの子のために。
「あと少し、すぐ迎えに行くから」
白金色の粒子が私の髪に淡く溶け込み、階段を照らした。
私は深淵へ向けて歩き出す。




