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第一章10 迫る影

 セルシア姉さんにいってらっしゃいと言い見送ると、転移魔法で街へと出かけて行った。


 セルシア姉さんの姿が見えなくなってから数分。静まり返った別荘の周りで、僕は軽く肩を回しながら深く息を吸い込んだ。

 ……セルシア姉さんがいないだけで、こんなに静かなんだ。


 僕はここで初めて気づく。ずっと当たり前みたいに隣にいてくれたことは、僕の想像より何倍も大きく、心の支えとして機能していたということに。


 しっかりしなきゃ……姉さんだって頑張ってるんだし。


 気持ちを切り替えるように頬を軽く叩き、準備運動を再開した。足首、膝、腰、肩。昨日の魔法修行の際に教わった順番通りに身体を動かしていく。


 体が十分に温まったところで、僕は両手を胸の前で組み、深く息を吸い込んだ。


「……ゆらめく光よ……記憶の海より……いま、形を成して、僕の前へ――《ルミナス=ジェリー》」


 ぼん、と柔らかい光の塊のクラゲが生まれる。

 半透明の膜を揺らし、ふわふわと浮いている。僕の唯一の魔法。だけど制御はまだ安定しておらず、三秒近く経ってからすぐに霧散した。


「……っ!くう、また上手くいかなかった……」


 なんでセルシア姉さんの補助がなければ上手くいかないのだろうか。そこで僕はセルシア姉さんにしてもらっていた時のことを思い出した。


 記憶の中のクラゲを思い浮かべた。幻想的な生き物で、実際に僕が魔法で出したクラゲのように魔法でできた生き物のような存在だった。


 そうだ、もっとクラゲを思い浮かべれば長く保つのでは?そう考えた僕はとにかくクラゲを想像した。その時思い出すのはやはりノイズがかかった過去の記憶。きっとこのノイズが何か影響を与えていると言うのが否が応でも理解できた。


「ここに来てから、僕は大事な何かを……忘れてる?」


  ぽつりと零れた言葉は、風に溶けて消えた。

 頭の奥がじん、と痛む。ノイズのように、ざらついた霧が記憶を遮る。

 ……考えすぎても仕方ない。今はやれることをやらないと。

 気持ちを切り替えるために、僕は深く息を吸い込んだ。


「もう一回……!」


 想像——いや、“思い出す”。

 クラゲの形、揺れ方、淡く光る膜。

 浮遊するときの、あのゆるやかな動き。


「《ルミナス=ジェリー》!」


 再び光が生まれ、ふよんと揺れた。

 今度は先ほどより長く保った。四秒、五秒……七秒。

 そしてぱちん、と弾けて霧散した。


「や、やった!やったぁ!!!セルシア姉さんの補助なしで、今日の目標だった五秒をもう超えた!!」


 胸の奥で小さな自信が灯る。やはり、記憶が鍵だったのだろう。イメージを何度も何度も繰り返すことによって形を維持することに成功した。


 その後、もう一度繰り返しやってみると、ルミナス=ジェリーの制御はまたもや五秒を超えることに成功した。


「よし!これは自慢になる!!ふふーん!できたことを報告した時のセルシア姉さんの顔が楽しみだなぁ」


 僕はルンルンな気持ちで三回ほど魔法制御のセットを終わらせたので、次に基礎トレを行なった。


 まずはこの庭の外周を軽く自分のペースで三周走り、筋トレを各三十回ずつこなしてから、言われた通り休憩を取った。


「はぁ……はぁ……っ、かなり疲れた……」


 僕は用意されていた水を飲み、息を整えていた。夢の中でこんなにも特訓をすることになるなんて思わなかったが、今は魔法を扱える楽しさが上回り特に気になることはなかった。


「後少し休憩したら二周目に入ろうかな?」


 僕はこの特訓をお昼近くまでこのペースを保ちながら続けた。その間、魔法に関しては五秒から八秒近く維持ができる以上進展はなかったが、それだけでも大きな進展を感じた。

 基礎トレの方は僕の体力の無さを改めて思い知らされたため、これからはコツコツとやっていこうと心に誓った。



◇◆◇◆◇



  太陽はいつの間にか真上に近づき、じんわり汗が額を伝う。


「……もうお昼かぁ。お昼休憩しよっかなぁ……」


 そう呟き、家の中に足を踏み入れようとした瞬間だった。

 風が一瞬、ぴたりと止まった。

 鳥の声も、木々のざわめきも、不自然なほど静かに感じ取った。いや、感じざるを得なかったのかもしれない。


 ……え?今の……なに?


 胸がざわつき、僕はゆっくりと顔を上げた。昼の光はいつもと同じなのに、空気だけが違う。


 “何かが近づいている”


 そんな感覚が肌を這った。

 まるで、目に見えない視線がどこかから注がれているかのような──

 気のせい……じゃない。誰か、いる……っ⁉︎


 あの時、僕のルミナス=ジェリーが異質な変化をしかけていたタイミングで感じた気配とどことなく同じ感じがした。

 背筋にひやりとしたものが走り、思わず拳を握りしめた。

 その時だった。

 

 コツ……

 

 足音は二人分、だが感じるのは三人の気配。

 

 別荘の裏手、森の影から、三つの気配がゆっくりとこちらに向かってくる。


 だ、誰……?なんでこんな場所に……?

 昼休憩に入ろうとしていた緩んだ空気は、一瞬で消え去った。


 そして──姿を現す、三つの影。

 

 重い足取りで歩んでくる黒い外套を纏った男。

 冷たい何かを纏った気配の銀髪の青年。

 空中をゆらりと自由に漂い、地面に足をつけずに浮いている少女。


 三人。僕にとっては面識のない人達が現れ、そのまま僕のいる場所へと真っ直ぐに進んできていた。僕は咄嗟に気付いてないふりをしながら家の中に入った。とにかく落ち着き払うため、とりあえず椅子に座った。


 もしかしたら、家の中には入ってこないかもしれないし、偶々ここを通りかかっただけかもだし……?


 僕はそんな願望を心の中で唱えて自分に言い聞かせていると、扉をコンコンコンと誰かがノックした。

 ……ですよね。来ちゃうよねー……。


 僕は息を呑んで扉の前に向かい、二秒間深呼吸をしてから満を辞して扉を開けた。


「その、何か用でもありますか……?」


 恐る恐る声をかけてみると、目の前にいた黒い外套の男はさらに一歩前へ出て、僕をまっすぐに見つめた。

 鋭い眼光。けれどその奥には妙な静けさがあった。


 銀髪の青年は少し距離を開け、周囲を観察するように視線を巡らせている。

 その動きは洗練されていて、油断というものが一切ない。


 そして——空中を漂う少女。

 身体が透けている……?霊体……?


 僕はごくりと息を飲んだ。

 な、なんで……こんな人たちがここに……!?しかも、セルシア姉さんがいない今日に限って……!


 黒い外套の男が口を開いた。


「おう、昼間に急に押しかけて悪いなぁ、ちっこい坊主」


「——っ!?」


 思ったよりも気さくに話しかけられて、僕は思わず困惑した。僕はとっさに距離を取ろうと後退すると、三人はそのままズカズカと家の中に入ってきてしまった。


 僕が家の中に上げるために距離を取ろうとしたわけじゃないのに……!勘違いなのか知らないが、遠慮なく入って来ちゃった!?どうしよう!?


「緊張しなくていい。ここにいる少女に聞きたいことがあるんだ」


 銀髪の青年の優しげな声。けれど眼差しは笑っていないようだった。


 続いて、空中の少女が僕の目の前までぷかりと浮かんできた。

 すごい近い。距離感がゼロ。セルシア姉さん以上だ。


「ねぇキミ……ここで変わった魔法使った……?すごく変な形してるやつ」


「ひっ……!」


 変な…魔力……!?もしかして僕が魔法を使ってるところが見られてたのか!?


 思い返してみると、昨日、初めて修行をした時に一瞬誰かに見られた気がしていた。どうやらあれは間違いじゃなかったらしい。


 胸がどくんと跳ね上がる。


 これは——多分、間違いない。この人達の狙いは、セルシア姉さんに違いないはずだ……!


 僕の中で最悪の仮説が組み上がった。銀髪の青年は少女を探していると言っていた。そしてこの少し助けている幽霊少女は、昨日僕を見ていた。これはかなり計画的に王女であるセルシア姉さんの居場所をなんらかの方法で突き止め、誘拐か何かをしにきたのだろうというところまで思い至った。


 僕は三人から少しだけ後ずさり、何者なのか、何をしにきたのか、一応確認をしてみることにした。


「あ、あなたたちは……誰、ですか……っ。何しにここへ……」


 黒い外套の男は、軽く肩をすくめた。


「ちょいとな。ここにいる女の子に聞きたい話があんねや。案内してくれへん?」


「……っ!」


 やっぱりだ……!セルシア姉さんを狙う人達だ……!しかし、不幸中の幸いなのか、セルシア姉さんは今日街に出かけている。ここにいるのは僕だけだ。

 

 僕は慌てて頭をフル回転させ、どう切り抜けるかを考えた。そして急遽思いついたのが、誤魔化し作戦だ。この家には僕以外住んでないことを伝えれば、セルシア姉さんを狙う連中ならすぐに違う場所に探しに行くに違いないはずだ。

 幽霊少女に見られたのがセルシア姉さんがいるタイミングでないことを覚えているため、まだ誤魔化し切れる可能性があるはず。

 

 僕はさっそく作戦を決行することにした。そして震える声で言った。


「……え、えーっと、セ……!あ、えっと……」


 僕は危うく、セルシア姉さんの名前を出すところだった。この人達も流石に名前は知ってるはず、言ったら誤魔化しきれないので危なかった……。


 僕は息を吸い、覚悟を決めて言った。


「この家に、元々女の子なんていませんよ?僕ひとりです!他に誰もいません!!」


 僕はそう言い切った。言ってやった。今家の中を捜索されても本当にいないんだ。こうすればなんとかいけるはずだと、自分に強く言い聞かせた。


 相手は何も言ってこない。この間の緊張感は凄まじく、冷や汗が垂れてきそうだった。しかし、僕はなるべくポーカーフェイスを貫いた。今にも逃げ出したいところだが、捕まってしまえば状況はさらに悪化する。ここは忍耐力が試される場面だ。

 もう少しの辛抱だ、耐えるんだ、僕!!


 すると、黒い外套の男が少しだけ口角を上げ、先ほどよりも鋭い眼光で僕を見下ろした。それはとても恐ろしく、冷たかった。


「……坊主」


 先ほどよりも声の温度が一段と下がっていた。


「っ……はい……?」


 思わず詰まりながら返事を返すことしかできなかった。


「……今の、完全に嘘やんなぁ」


 そう言われた時、心臓が止まったかと思った。何故僕の嘘が見抜かれたのかがわからなかった。いや、僕が気付いてないタイミングでセルシア姉さんと僕が接触してるのを見ていたのか……?そもそも、僕が来る前より知っているとか……?


「——っ!!!」


 僕は動揺し、反論の言葉も出ず、ただ狼狽えることしかできなかった。

 あぁ、これは無理だ——。

 僕の作戦は空回っていることが判明したが、もう取り返しはつかない。

 すると、銀髪の青年がそのまま小さく溜息をつく。


「……はぁ。どうしますか、ヴァルゼさん」


「ほんなら、まぁ……プランBやなぁ」


「ふーん、了解。召集しとく」


 幽霊少女もヴァルゼと呼ばれた黒い外套の男の意見に賛成するらしい。そして、ヴァルゼは腰のポケットから何やら白色のハンカチのようなものを取り出した。


「悪いけどな坊主。あんたを捕らえさせてもらうで?悪いけど尋問対象として、確保させてもらうわ」


「え……?」


「逃げんなよー、坊主」


 ヴァルゼの姿が一瞬で揺らぐ。僕には捉えられなかった速さだった。


「待——っ!!!」


 その瞬間、背後に回られた。


「確保」


 耳元で低い声が響いた直後——、ハンカチで鼻と口を抑えられ、そのままぐらりと視界が揺れた。

 僕はこの時悟った。この人たちに心理戦を挑もうとしたことが間違いだったのだと。

 多分、最初から詰んでいたんだ。


「……っ、ぁ……」


 ここで僕はセルシア姉さんの名前を呼べば助けに来てくれると言ってくれたことを思い出したが、僕は名前を呼ぶことすらできず、そのまま意識が朦朧とし始めた。力すら入らない。


 だ、だめ……セルシア、姉さん……っごめ、……ん——。


「——それで、全員召集するの?」


「ああ、その間お前さんには悪いが残りの———」


「この子、俺が——に——」

 

 最後は三人の会話すら頭に入りもせず、僕の意識はそのまま谷底へと沈んでいった。

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