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好印象

作者: 春高

朝の通勤電車。吊革に片手を掛け、私は、窓に映る己が顔を見ていた。昨夜の夜更かしのせいで、目の下にわずかな影が宿っている。それでも唇の両端を持ち上げれば、世間並の笑顔はつくれる。人は見た目が九割だという。私はその九割を信じ、これまでを凌いできた。感じのいい笑顔、柔らかな口調、無駄のない所作――それらが私の武器だった。


 その時、視界の端で何かが動いた。窓の向こう、暗い景色の中に、私の肩越しに黒いものが映っている。輪郭は曖昧で、顔の位置すら定かでない。振り向くと、そこには誰もいなかった。冷房の風だけが、首筋を撫でて過ぎた。


 以来、それはほとんど毎朝、現れるようになった。初めは淡い影に過ぎなかったが、やがて質感を持ち、灰色の皮膚を帯び、裂け目のような口を開いた。その口元は笑っているようで、笑ってはいないようでもあった。


 ある昼休み、同僚が缶コーヒーを啜りながら言った。

「佐伯って、ほんと作り笑い上手いよな」

 私は曖昧に笑った。視界の隅で影が蠢く。窓に映ったそれは、白い歯をぎらぎらと見せていた。私の笑顔よりも、遥かに大きく、遥かに歪んで。


 日ごとに影は私に似ていった。背丈も姿勢も同じ。ただし顔だけは、笑顔の形を真似しようとして失敗したような、不格好なものだった。夜、風呂上がりに鏡の前に立つと、それが私の背後にぴたりと貼り付いている。振り返れば、そこには誰もいない。だが、再び鏡を見ると、やはりそこにいた。


 眠れぬ夜が続いた。それでも朝になれば、身だしなみを整え、笑顔をつくり、会社へ向かう。軽口に笑い、冗談に笑う。そのたび、背後の裂け目がわずかに開いていくように思えた。


 金曜の夜、残業を終えて会社を出た。駅前のガラス壁に私が映る。その背後――スーツを着、同じ姿勢で立つ“何か”がいた。顔は昨日よりも鮮やかに、昨日よりも深く笑っていた。

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