私の故郷 【月夜譚No.358】
温泉街が、私の故郷だ。建ち並ぶ古い旅館と商店、硫黄の匂いが混じる湯煙、観光客の楽しげな笑い声……そんなものが、物心ついた頃からいつも傍にあった。
多くの人間にしてみれば非日常の雰囲気も、私にとっては毎日触れる当たり前の日常。子どもの頃は、どうしてこれが良いのかと疑問に思ったものだ。
けれど、故郷から離れた今となっては、その良さがよく解る。温泉に浸かる心地良さも、賑やかな呼び込みの声も、温泉独特の匂いと風景も。好きな人が多いのも頷ける。
私にとっては日常でも、他人にとっては非日常。そんな当然のことを、昔の私はまだ理解していなかったのだ。
今の私にとって、この場所は故郷であり、安らぎの場所でもある。それは、ここに生まれた者だけの特権だ。
「ただいま」
限られた人間にしか許されない言葉を口にして、私は引き戸を開けた。