桜とハイビスカス
散ることのない桜の花はあるのだろうか
あったとして、それを見つけたとき人は桜をなお特別な存在とするのだろうか
和歌や短歌によく詠まれていたからか
桜には特別な何かを与えられているような気がする
心情と桜の移り変わりを並べるのかなぁ
冬は木枯らし風を受ける寂しさ、心細さ
冬の終わりには芽吹き
春は開花と花びら舞い散る嬉しさ、明るさ、温かさ、出会いと別れ
夏に近づくと葉が生い茂る、はつらつと走り出すような
秋は
秋は…葉が茶色や赤、黄に塗られてふかふかベットを作る
秋と感情の結びつきは別れ、離れる辛さ、心情の変化、流れに逆らうことなく流される様などだろうか
これは我が思い付きだけで綴っているのだが実際どういう風に
季節と心情が使われているのかは
気が向いたら…うん、きっと調べないだろう
これが散ることなく花が咲き続けたら
葉も一斉に散るのではなく常緑であったならば
そう考えたときハイビスカスが頭に浮かぶ
まさにそれだから。
琉歌にも桜はあるがハイビスカスは聞かない
不自然ではないがハイビスカスが歌に見られないのはなんだかおもしろい
もし歌に使うならば ずっと変わらずそこにある はつらつさ
朝 花開き 夜 しぼむから 朝方人間
とかで使いたい
桜は年中花でないから重宝されたのだろう
派手に咲き、華麗に舞い、悲しく散るから特別なのだ
諸行は無常であるが甚だしい変化がドラマを生むというものだろうか
などと考えたある日の午後