【3】
「今野先生」
帰りの会が終わって教室を出た担任を追い掛けて、人気のない廊下で呼び止める。
今野は、不機嫌さを隠そうともせずに僕の方を振り向いた。
「北条。何か用か?」
用がなければお前なんかに構うわけないだろ。
……そもそも、朝の「事件」について何も知らないわけ? あれだけクラスの雰囲気がおかしかったのに?
根本的に教師には向いてないし能力も足りないって自覚もないんだ。へーえ。
「ねえ、僕がここでお前を刺したらどうなると思う?」
一歩踏み出し距離を詰めてギリギリまで潜めた声で囁きながら、カッターナイフを握ったままの右手を目の高さまでそっと持ち上げる。
チキチキ、チキ……
スライダーに掛けた親指に力を込めると同時に、刃先が僅かに顔を覗かせた。
「そ、そんなもの……! 自分が何をしてるかわかってるのか!? 早く仕舞いな──」
「わかってるに決まってるでしょ? ……ああ、この間の『話し合い』はお母さんが全部録音してるから。もちろん、そうなったら大々的に公開するよ」
今野が大きく目を見開いた。流石に僕が言いたいことは通じたらしい。
「え!? あ、あれは、そんな、……そんなことされたら、俺」
「そう。お前はもし殺されても『イジメをなかったことにしようとしたクズ教師の自業自得』としか見られないってこと」
自分でもよくわかってるんだろ?
今更慌てても遅いんだよ。
「だからお前は、とにかく『担任教師として』の役目をきちんと果たせよ。その能力がないって言うなら、邪魔だからさっさと辞めたら?」
「……、……そ、れは。仕事、だ、から。そう簡単には……」
無駄な抵抗を続ける今野に呆れ果てる。
「先生」なんて呼ばれて持ち上げられて、自分の無能さに気づかなかった罰が今来てるだけなんだけどな。
それさえまだ理解できてないんだね。
「もし僕が雨宮や他の連中を殺しても、お前はタダじゃすまないんだってちゃんと覚えといた方がいいよ」
一から十まで説明しないとわからないみたいだから、面倒だけど教えてやる。
僕の方が「教え子」のはずなんだけどね。
「『先生』ならもちろん知ってると思うけど、今のネットの人たちってすごいんだって。──家族も無事だといいねえ?」
「……か、家族、は」
目の前の男の声と膝が震えるのに、勝手に笑いが込み上げて来た。
抑えるのに苦労するよ。
「もう一度言うね。『お前は、自分の、仕事を、しろ』。──わかった?」
囁き声はそのままに、僕は役立たずのでくの坊に念を押す。
今野が引き攣った顔で頷くのだけ確かめて、僕はカッターの刃を収めて右手を下ろした。
膝も口元も震えるに任せるしかできない教師を置き去りに、僕はその場を立ち去る。
家に帰って、仕事から戻るお母さんを迎えるために。
~END~