【1】
「徹! どうしたの、それ……!」
玄関を開けた僕を見たお母さんの、悲鳴のような声。
「お母さん、仕事は?」
しまったなあ。
まさかお母さんが、この時間に家にいるなんて思わなかった。
「この間、日曜に半日出たから午後は代休なのよ。……それより何があったの!?」
僕が着ている薄い青のシャツの前裾が、血で汚れている。ハンカチを巻き付けた左手も不自然だよね。
あいつに突き飛ばされて当たった窓ガラスが割れたから、手の甲を切ったんだ。
「ちょっと、クラスのやつに……」
「誰に何をされたの!? 徹、お母さんには教えてちょうだい。たった二人きりの家族じゃないの!」
それを言われたらもう逃げられないよ。
お母さんにとっての僕も、僕にとってのお母さんも、何よりも大事な唯一の『家族』なんだ。
無視も嫌がらせも別にどうってことなかった。強がりなんかじゃなくて本当に。
どうせすぐに飽きるだろう、ってこっちの方こそ無視してたんだ。耐えてた、って意識は全然ないな。
──そういうところもあいつには気に食わなかったのかもね。一人じゃ何もできないやつには。
「六年生になってから──」
しぶしぶ切り出した僕の話を聞いていたお母さんの、握り締めた拳が小刻みに震えているのが目に入る。
だから知られたくなかったんだ。
僕を育てるために毎日必死で働いてくれてるお母さんに、余計な心配掛けるのだけは嫌だったのに。
「相手の子の家に行きましょう。本人はともかく、親と話したらなんとかなるかも──」
「無駄だよ。……お母さん、そいつ雨宮 花って名前なんだ。普通の『植物の花』の花だよ」
僕の言葉に、お母さんは予想通りの反応を見せた。
「え!? 女の子なの?」
「ううん、男。……息子に『花』なんて付ける親に、まともに話通じると思う?」
お母さんは溜息を吐いて同意してくれる。誰だってそう感じるよね。
「そういうことね。じゃあ学校に行かないと」
「それも意味ないと思うな。あの担任じゃ何もできないし、……する気もないよ」
だけどお母さんは、今度はあっさり引かなかった。
「それでも学校には行かないといけないのよ。相談実績だけでも作っておかなきゃ」
実績。そういうこともあるんだ。僕じゃあ、そこまでは思いつきもしないよ。
「だったら、話し合いは録音しておいて。お母さん、ICレコーダー持ってるよね?」
「……わかったわ。とにかく病院に行かなくちゃ」
僕の真剣な声に、お母さんも難しい顔で頷いてくれた。