12 決戦 魔王VS儚き我ら!
まだ胃がいてーな。しかし覚悟を決めろ。そうだ、吸って吐いて吸って吐いて、くんかくんか……じゃなかった! あぶねー! マジでくろばさんの思考がおれに侵蝕してきている。ヤバい。それだけはマズい。せめて人としての自我を保たねば……。
ピンポーン。
アホみたいに陽気な音である。しかもこの親父めっちゃにこにこしてやがる。おい、頑張るのはおれたちってか。ふざけんなよ本当に!
涙目になりつつもおれはちあきの腕をとった。今から始めてないと不自然だろうからな。
チャイムが鳴っても出てくる気配がない。おれはその間に家を見上げた。そう、この家見上げるほどに大きい。三階建てはあるんじゃなかろうか。
やっべーな、マジで緊張してきた。おれは高鳴る心臓を抑えたい衝動に駆られたい欲求に支配されそうになる。なにいってんだかわかんねーな。まぁそれくらいにはき、緊張しているッつうわけだ。
「春斗くんへーき? お水飲む?」
「お、おう。サンキューな」
こういうときちあきのメンタルの強さには助けられる。マジでこういう子嫁にしたらきっと幸せになれるだろう。
おれはお水をゴクゴクと飲んだ。浴びるほどに飲んだ。いっそのことこのミネラルウォーターに溶け込んでしまいたいとすら思った。
そのときガチャリと扉が開いた。
「おう、待ってたぜ。久しぶりだなぁくろば。…………それと、まぁいい。とにかく入れ」
中から出てきたのはマジで若そうな男性だった。黒髪のロングヘアー。いかにもって感じの大男だった。身長は二メートル近い。マジでデカい。嘘だろ? この人がくろばさんの父親、だと!? おれは息を呑んだ。いくら何でも若すぎやしないか? 見た目はもはや十代後半に見える。信じられないかも知れないが本当だ。
その大男はギロりとおれの方を睨んだ。うわ! おれは反射的に目を逸らす。こえーよマジで! 鋭い眼光は獲物を狩る鷹のようだった。そう表現するのが一番ふさわしいだろう。
それからその大男――ちあきのおじいちゃん――は、ちあきの方を向いた。するとなんと、ちあきは片手を上げて「おじいちゃん久しぶり! 元気だった!?」と言った。お前マジですごいな……。いや自分のおじいちゃんなんだからまぁ当たり前っちゃ当たり前なのかもしれんケド、さすがに久しぶりって言うテンションじゃねーぞそれ。
ちあき祖父はちあきのことをじっと見つめた。まさかちあき、お前やらかしたんじゃねーか? 久しぶりでそのテンションはさすがにマズかったんじゃねーの?
しかし――おれの予想は外れた。いやマジで拍子抜けしたね。
ちあき祖父はにやりと笑った。それから言った。何とも渋い声で。
「久しぶりだなちあき。また大きくなったんじゃねぇか? もしおれが若い頃だったらふつうに抱いてるぜ? いい女になったじゃねぇか」
「へへ! そうかな!? 私身長二ミリくらい伸びたんだよ! すごいでしょ!」
「あぁそりゃすげぇな。てめぇの努力って奴だ。誇れよ」
い、意外と優しい人なのかなちあき祖父。もしかしたら話通じるタイプかも知れない。
「んで、その男。お前だよお前。もしかしてくろばの再婚相手って奴か?」
「こ、こんにちは貴文さん! しってらしたんですね! 私も早めにご挨拶をと思ってたんですが、仕事で急がしてくて! いや本当に申し訳ありませんでした!」
「てめぇどういうつもりで来たんだ? まさか挨拶しに来たってんじゃねぇだろうな」
「へ、ヘェその通りでごぜーやす」
親父は緊張のせいか声が震えていた。ほらな、この親父はこういう奴なんだ。ソウカソウカ君はそういう奴だったんだね! ちあき祖父に叱られちまえ!
どうやらここに来るまでに事前連絡はしていたらしい。
ちあき祖父――貴文さんだったか――はゆっくりとサンダルを突っかけて、おれの親父のところに近付いていった。親父冷や汗掻いている。それから貴文さんは親父のアゴをくいっと持ち上げた。それはいわゆる顎クイと呼ばれる行為だったが、男同士がやると全然意味が変わってくる。
つまり紛うことなき威嚇だ。てめぇにおれとやり合う度胸があるのかという、意思表明をしろと、貴文さんの目は語っている。
「いい面してねぇな。くろばと勝手に結婚しておいて、てめぇの言い訳はちゃんと考えてきてあんだろうな。親に黙って娘に勝手に結婚されるってことが、どれだけ辛いことか、てめぇならわかんだろ? こいよ、きっちりと説明してもらう」
あれ? とおれは思った。貴文さん、めちゃくちゃまともなことを言っている! ビックリしてしまう。だってこんな怖そうな人がめちゃくちゃ正論言ってんだぜ? なんかこの人ふぉいくんに見えてきた! やだ! 抱かれたい! おれは脳みそを乙女にして頭の中だけで叫んだ。この親父さんちょっとかっこいいかも知れない。親父じゃなくて祖父だったか。
よく見ると腕にイレズミまでしている。こ、この人女遊び激しそう……。ラノベのキャラクターにしたら、多分この人人気ランキング上位に入ってくる。間違いない。だってラノベ読みがそう思うんだもん。マジでかっこいい。おれはこの一瞬で惚れそうになってしまう。
親父は完全に腰を抜かしている。はは、ざまぁねーぜ。おれ多分この貴文さんとだったらちゃんと話せそうな気がしてきた。
「入れ。話はそれからだ」
貴文さんは低い声でそういった。それと同時に場の空気まで一気に冷えたような気がして、おれたちは気を引き締めないといけないなと本気で思った。さもないと、殺される。
「んー、どしたん貴文? 客人? っててめぇかよ。どの面下げた帰ってきたんだコラ?」
「あらあら。娘が自分の家に帰ってくるのに許可が必要なのかしら?」
「ちっ。口先だけはうまくなりやがって」
中にいたのはこれまた美人さんだった。間違いなくくろばさんの母親だろう。ってかこの人も十代後半に見える。本当はいくつなんだろうか。多分五十は超えているだろうけど……。
その女性は長い金髪をチョイチョイいじくっている。マジで思春期男子にはあぶないキャミソール姿だ。スナックのママとかやってそう。
「再婚した理由を話しに来たそうだ。まぁなんだ、手始めに茶でも入れてやってくれや」
「あ、あたしがやんの? ま、いいけどさ。貴文の命令だし……。ったくしょうがないな」
なんなんだこの家族……。おれは思わず突っ込んでしまいたくなる。五十過ぎてもまだこんなやり取りしてるとかマジ萌えるんだが。しかしおれはまだ萌えている場合ではない。切り替えよう。今から始まるのは戦いなのだ。説得という名のな。
あれ違ったな。おれたちが今からすべきなのはラブラブなところを見せつけることだった。いけないいけない。忘れるところだった。
おれたち四人は和室に案内された。広いなこのうち。近くには仏壇があって、くろばさんがちーんと音鳴らす奴を鳴らしていた。こういうところはしっかりしている。
気まずい沈黙が流れた。座布団に座り、座卓を挟んで向かい合う。これからカードバトルが始まりそうな雰囲気だが、始まるのは恋愛バトルだ。何だそのかぐや様みたいなバトル。おれはしたくない。
おれたち一家と、貴文さんが向かい合う。貴文さんは手持ち無沙汰そうに、かち、かち、と机を指で叩いている。き、緊張すんぜ……。
「ま、待たせたし。お茶ね。あんまうまくないけど、我慢しな」
「わりぃなちはる。置いたら隣に座れ。重大な話がある」
「た、貴文の隣でいいの!? あ、あたしなんかでよければ……」
夫婦だよな……。まぁ色んな夫婦の形あるか。失礼を承知で言わせてもらうが、きっと貴文さんはめちゃくちゃ頭がいいけど、ちはるさんはあまり頭のいいタイプではないのだろう。いや勝手な偏見だし推測だが、多分当たってると思う。
「さて――話そうか」
空気ががらりと変わった。おれたち一家の肩がビクリと跳ね、話し合いがスタートした。
ちはるさんがライターの火を貴文さんの元へと近づけていく。ちはるさん妙に嬉しそうだった。それだけ必要とされていると言うことが嬉しいのかも知れない。でも絶対この人五十歳超えてるよな。あんまりツッコんじゃいけないか。夫婦の形ってのはそれぞれだし、彼女が幸せならそれでいいのだ。
貴文さんはタバコの煙をふっと吐き出すとおれたちに向き直った。やっぱりこの人の威厳はすさまじい。おれの親父もキレるとなかなかに怖いのだが、貴文さんはシンプルに生物として怖い。遺伝子的なレベルで違うのかも知れない。なんつーか、本能的に女に好かれるタイプだなと思う。
「んで、なんの話だったか」
前振りだ、とおれは思った。絶対になんの話だかわかっているけど、あえておれたちに主導権を握らせようとしている。それはつまり「おれたちがなにをしてくれるのか」を潜在的に期待しているように思えた。
おれはゴクリと唾を飲む。おいおいおい親父大丈夫かよ! おれとちあきは今からいちゃつかなくてはならない。貴文さんたちにおれたちがラブラブであると言うことをアピールするためだ。しかしこの空気感の中ではさすがにむりなような気がした。いささかお遊戯会じみているというか、緊張した雰囲気の中でラブラブっぷりを見せつけるのは何か違うような気がする。
そうだ、おれたちに今求められているのは――親父が素直に「娘さんを僕に下さい!」と誠実に言うことなんじゃないのか? だってそうだよな、元を正せば親父とくろばさんの結婚を認めさせることが本来の目的なのだ。それなのにおれたちが出しゃばるって言うのはどうもおかしい。倫理的に、社会的に、道徳的に――。
おれは親父の耳元に口を寄せていった。親父は首もとにものすごい冷や汗を掻いていたが、ニヤニヤ笑いは止めていなかった。ここは腹をくくるべきだぜ親父。この一ヶ月間のおれたちの努力はむだになるけど、それはそれだ。親父が親父らしくいねーと解決できねー問題だってあるんだぜ!
「親父、ここはいっそ素直に言った方がいいんじゃねぇか? この空気の中でおれたちがいくら好き合ってるアピールしたところで、ぜってー解決しねーって」
「むぅ。しかしだな。お、おれは怖い! どうしたらいいんだ!」
クソ親父だな本当に。おれは頭を抱えた。もういっそのこと叫んでやりたい。どうしてこんな奴が親父なのか。まったく子どもじゃねーんだからよ。
「ねー、さっきからずっと気になってたんだけどさー、あんたその髪型なに? 今時オールバックとか流行らんでしょ? それとも今の中学生の中では流行ってんのー?」
おれはビクッと肩をふるわせた。ちはるさん――ちあきのおばあちゃんがおれに向かって声を掛けてきたのだ。何というかナチュラルに聞かれたので、おれは戸惑ってしまう。髪型の話か――。おれは冷静に頭を回転させる。もしかしたら貴文さんを納得させなくても、ちはるさんを納得させられればこのミッションはクリアできるんじゃねーか? そんな気がしてきた。ちはるさんはどこか天然っぽい。言っちゃうと、頭悪そうだ。脊髄で喋っているギャルって感じがする。この人に好かれればこのゲームおれたちの価値なんじゃないか――そう一縷の望みを掛けておれは口を開いた。慎重にな。
「いやぁ、はやりってわけじゃないんすけど! おれにとっちゃこの髪型が一番似合うかなーって思ってやってんです。ほらかっこいいじゃないっすかオールバックって! 男らしくて!」
「ふ~~ん、でも今の男の子のはやりってセンターパートとかマッシュなんじゃないのー? 今時珍しいっつうか、若い人その髪型せんでしょふつう」
この人めっちゃ若者の流行詳しいな! おれは内心の驚きを悟られないように、顔を取り繕う。しかしどうしたものか。意外とこの人頭いいかもしれない。いいや、ファッションのことについてだけはめちゃくちゃ詳しいのかもな。
おれたちの間にものすごく気持ちの悪い沈黙が流れた。おれは言葉を返すタイミングを失ってしまったのだ。そのせいか妙に居心地が悪い。ここは宇宙空間と思うほどに、ぬめっとしてじめっとしていた。田舎だから風通しはいいし、線香の匂いとタバコの臭いが混じってちょっぴり気分は落ち着くが、この緊張感の中でこの落ち着きはやけにアンマッチなように思えた。
貴文さんがタバコを押しつけて、火を消した。それから口を開く。
「ぷはっ! なぁんだてめーら。ここは葬式会場かなんかか? 言いたいことがあるんならきっぱり言ったらどうなんだ?」
ヤバい。マジでヤバい。どん詰まりだ。この空気感を打破できるカードはおれらにはない。そりゃそうだ、ちょっと考えればわかることだった。なんで今までおれたちはこの作戦で乗り切れると思っていたのだろうか? おれもちょっとは楽しんでいたけど、よく考えりゃむりだよな! ちあきといちゃつけばおれたちの勝ちだなんて、そんなうまい話があるわけないのだ。
「あぇ、あああ、あはっ、うぅ………………その………………」
親父がなにか言っている。なに言ってんだか分かんねーぞクソ親父。だいたいあんたのまいた種だろうが! おれは心中毒づきたくなるが、おれもさっきまでうまくいくかも知れないと思っていたので同罪だ。この状況をなんとか打破しなくてはならない。
ちあきがモゾモゾと動き始めた。何だお前。まさかトイレに行きたくなったとか言うんじゃねーだろうな。ぶっ飛ばすぞ!
「ごめんね春斗くぅーーーん、ちょっとおしっこ行ってくるね……」
そのまさかだった。しかもダイレクトに言った。しかしそんな上目遣いで、袖をチョイチョイやられながら言われるの犯則だった。おれは赤ちゃんを見守るような瞳でうなずいてしまった。はっ! おれはなんでうなずいてしまったのだ! しかし時すでに遅し。ちあきは「わーい!」と言ってトイレに向かってしまった。あいつ空気読めよ……。
「行ってこい」
「んー、いってらっしゃい」
しかも祖父母から見送られている。これがちあきの才能って奴か。どこまでも子ども扱いされてる奴だ。だがその扱いが今では羨ましかった。おれたち大人――おれも含めてな! って言うかおれが一番うちの家族で大人なんじゃね? ――は、自力でこの問題を解決しなくてはならなかった。
どうする? どうしたらいい!? おれは頭から湯気が出そうなほど悩んだ。ストレスでハゲてしまうかも知れない。やだ! 十代前半でハゲたくない! しかし世の中のハゲとは遺伝で決まるらしい。なんたることだ! おれは最近親父がハゲかけていることを思い出して猛烈なショックを受けた。って待て待て! 考えるのはハゲについての話じゃねーよ! 落ち着け! 落ち着くんだおれ! カームダウン! 深呼吸深呼吸! すーはー、すーはー、くんかくんか……って違う! よけいに心拍数上がっちまったじゃねぇか! おのれくろばさんめ! おれは彼女による洗脳教育を受けさせられていたのかも知れない。
おれは加熱した頭を冷却していった。心頭滅却。すべての成功は精神の安定から生まれいづるものだ。おれは冷静に、極めて落ち着いて、状況を眺めてみた。そうだ、おれは折木奉太郎だ。ちょっと考えてみれば結論に至れる。ダメだ! おれは奉太郎じゃない! どれだけ状況を眺めてみても答えが出ないときは出ないのだ!
ちはるさんは嬉しそうに貴文さんの横顔を眺めている。貴文さんは親父の顔を睨みつけ、親父は気まずそうに灰皿を眺めている。くろばさんはむすっとした顔でちはるさんの顔を眺めている。ちあきは便所ナウ。なんなんだよこれ! おれ以外まともな人間いねーのかよ! おれは泣きそうだった。泣いてもいいですか? こんな時にはやっぱり泣くしかないと思う。笑っても涙が出てくる。男の子だもん。しょうがないよね。
おれがどうすべきか悩んでいると、親父が急に――予期せぬタイミングで口を開いた。本当によけいなことしか言わない親父だと、このときばかりはぶん殴ってやりたかった。
「お、お父様に見せたいものがあります! この日の為に息子たちがどーしてもやりたいって言うので、彼らは一生懸命練習してきたみたいです。どうかお父様にも見て貰えませんでしょーかね!?」
最悪だった。いや最悪だろこれ。今から始まるのは地獄以外の何者でもない。親父……プレイボーイだったんならせめて雰囲気作りとかやってくれ。頼むから。おれたちこの流れでやらなくちゃいけないの? 今から始まるのは「ちあきちゃんと春斗くんによるいちゃラブ劇」である。誰も見たくはないだろう。おれだってやりたくない。ちあきがどう思ってるかはしらねーが、今奴はトイレにいる。なんでトイレにいるんだよ。せめてこの場にいて欲しかった。おれ一人じゃ心細い。
「ほう。面白そうだ。どれ見せてもらおうじゃねぇか」
この返答もまた最悪だった。逃げ場などなかった。
今からお見せするのは、シュール以外の何者でもない光景である。多分北欧神話に出てくる世界よりも地獄なんじゃないかと思う。いやもう本当に閻魔様も涙目で逃げ出すくらいの地獄であろう。
……おれは泣きそうな顔の親父に肩をポンポンと叩かれた。マジでやるのかよ……。
「ちょっと待っててくれよ、今ちあき呼んでくる」
多分史上最悪のお遊戯会だったと思う。今からその光景をお見せする。心して見てもらいたい――
「ちあき。非常事態だ」
おれはふすまを閉めて、トイレから出てきたちあきに声を掛けた。
「ってことはついに来ちゃったんだねあの瞬間が! 大丈夫だよ! 私たちのラブラブっぷりは、世界をひっくり返すくらいすごいんだからね! もう熱すぎて全世界の人が焼け死んじゃうよ!」
それじゃあお前の祖父母も死んじゃうじゃねぇか。おれは死ぬほど突っ込んでやりたかったが、やめておいた。時間のむだだからな。こんな不毛な会話に時間を割いてやる余裕はないのだ。余裕のない男はモテないとかよく巷で言われるけど、おんなじ状況に遭遇してみろ? マジで余裕なくなるぞ。ならおれはモテなくて構わない。とにかくこの状況を何とかしたい。誰か助けて。
「今からやれだってさ。おれとちあきのラブラブ劇場」
「そうなの! ついに練習の成果を見せつけるってことだね! さぁやっちゃおう!」
「どうしてそんなにポジティブでいられる!? おかしいぞお前! 相手はちはるさんと貴文さんなんだぞ! これでポジティブでいられる方がおかしいだろ!」
「えぇ……? なんで!? 春斗くんそれは間違いだよ! おじいちゃんとおばあちゃんものすごく優しい人だよ! いくら春斗くんでも二人のこと馬鹿にするのは許さないからね!」
お前はどんだけ甘やかされてきたんだよ……。羨ましいよ。おれはこの世の不遇をかこちたくなった。もういっそおれは泣きわめいてやりたい。中間管理職の方々が大人のお店で赤ちゃんプレイを望むのがよくわかった気がする。たしかに苦しいとき誰かに甘えたくなっちゃうよな。大事。甘えられるって大事。しかしおれは許さん! 甘えるのも禁止だ!
「お前がポジティブで助かった。まぁ多少失敗するかも知れねーけど、考えてみりゃお前のおじいちゃんとおばあちゃんなんだよな。優しく見守ってくれるよな!」
「うん! 二人熱々で羨ましーねーって褒めてくれると思う! お小遣いもくれちゃうかもね」
「そ、そうだな! おれたちにもやれるよな! 見せつけてやろうおれたちのハートを! 燃えるような恋がこんなに素晴らしいんだって! 褒めてもらおうぜ! ははっ、なんだ! 考えてみりゃお前のおじいちゃんとおばあちゃんは、おれにとってもおじいちゃんとおばあちゃんなんだもんな! よーっし、じゃあ張り切っていくぞちあき――!」
「おぉ――――――っ!」
「きゃー春斗くん恥ずかしいよう! 膝枕なんてそんな大胆なー、あー、春斗くんのエッチ!」
「うわーちあきの太もも柔らかくて気持ちいいなー、おれこん中で眠れるなんて最高だなー。気持ちいいなー、もうおれここで死のうかなーーーーーー………………」
お遊戯会以上に惨憺たる光景が生まれた。おれたちは正直冷や汗だらだらで演技を続けている。あのちあきですら動揺を隠せない様子だった。
それはそうだろ! おれはどうしてちあきと一緒ならどんな困難も乗り越えられると思っちまったんだろうか。怖い怖い。人間の自信ほど恐ろしいものはない。性犯罪も男の勘違いから生まれると言うし、やっぱり人間の勘違いなんて必要ないんじゃないか。誠実に生きるのが一番なんじゃないか。だから親父、おれたちをどうか止めてくれないだろうか。
「わー二人とも仲良しじゃのう!」
「素敵ねー。ふふ、私たちもこれくらい仲良しだものねー、ね? あなた?」
加勢しやがった。いやすんなよ! 頼むから加勢しないでくれよ! できれば止めて欲しかったんだよ! どうしてくれんだよこの空気感を! ほら見やがれ! 現にくろばさんのお父さんもお母さんもドン引きしてんじゃねぇか! 貴文さんに至っては唇をヒクヒクさせていたし、ちはるさんに至っては目をまん丸に見開いて顔を真っ赤にしている。あれ何だその反応……、ちょっとおれとしては予想外だった。しかし明らかにおれたちの奇行に引いている。こんな演技が通用するのは五歳児までじゃなかろうか。おれたちは一体なにをやっているんだろうな。死にたい……。
「春斗いいなー! ちあきちゃんとラブラブで羨ましいなー! やっぱりあれだな! 人間は愛がないと生きていけないんだなー! 素晴らしいな! 生命と生命同士が繋がり合うってすごく素敵なことだよね!」
親父に至ってはなにを言ってるのか全然わからない。いっそのこと黙って貰えないだろうか! ッつうか何のフォローにもなってねぇよ! 黙っててくれた方がこちらとしては安心できるのに、さっきからよけいなことばかり言っている。黙れ。お願いだから黙れ。
マジでなんなんだこのカオスな状況は。おれはもうとてもじゃないがフォローしきれない。って言うかどうでもいいけどちあきの太ももめっちゃ温かい。おれはもうこのまま眠ってしまいたい。そうだ、いっそのこと眠ってしまった方が幸せかも知れない。子どものうちは寝ていればすべての問題は解決される、ってな。これを読んでいる読者なら経験あると思う。学校の支度とかしてないけど、朝起きたらお母さんがやってくれてたとかな。え? ない? すまんおれもなかったわ。やっぱり起きたら現実は現実だよな。忘れ物をしたら廊下に立たされるのはなにものび太くんだけじゃない。
「やめろ!」
突如として貴文さんが怒鳴りつけた。当然だ。当然の反応ですよ貴文さん。止めてくれて本当にありがたかった。カオスだった。お遊戯会以下だった。いい中学生が一体なにをやっているのだろうか。しかもそれがだらしのない親父の再婚を認めさせるためと来た。古今東西親のためにここまでする中学二年生二人は存在しなかっただろう。
おれはふとちあきの顔を見上げた。女の子を下から見上げるなんて初めての経験だった。ちあきは顔を真っ赤にして仏壇の方向を向いている。お前恥ずかしかったのか? なぁもしかして恥ずかしかったのか? 変なところででれる女もいたもんである。ま、まぁおれもちょっと恥ずかしいけどよ。
おれはできる限り小声で言った。
「ちあきもういいだろ。これくらいにしよう。諦めるときが来たみたいだぜ」
「う、うん……そーだね。へへ、私ちょっと恥ずかしかったよ」
「同感だ。お前に恥ずかしいという感情があることにも驚きだが、まぁお前も人間だもんな」
「春斗くんいくら何でも私のことバカにしすぎじゃない……?」
おれは敗戦ムード漂う勢いで起き上がった。貴文さんは憤慨したように顔を真っ赤にして、ちはるさんは「あわ…………あわわわわ」と口をパクパクさせている。この人絶対恋愛映画とか見るとうぶな反応見せちゃうタイプだよな……。なんか旦那さんがいるのにこの反応しちゃうって、けっこう可愛い。
「お前らの用件はだいたい把握した。お前らがしたいこともよくわかった。だがな、おれにそんなモンを見せるな」
ですよね。おれもマジで恥ずかしかったし、ちあきだって恥ずかしかっただろう。まぁ恥ずかしがっているうちが華なのかも知れないけど、さすがに目的が不純すぎる。おれたちは貴文さんを騙そうとした。それは親父のせいでもあり、それを認めたおれのせいでもある。
「結婚を認めさせてやるって話だが、お前らがそんな態度を取る限りおれは認めねぇ」
そりゃそうだ。親父はそんなこと言われると思ってなかったかのように口をパクパクさせていた。あんたそれくらい予想つかないのかよ……。さすがに怒られても仕方がないようなことをした。
「てめぇらの演技はへたくそで、見てて吐きそうになるくらいのレベルだった。あれだな、幼稚園児の方が百倍はマシってもんだぜ。何度も言うが、おれにそんなモン見せるんじゃねぇよ穢らわしい。一瞬テーブルひっくり返すところだったぜ。それと親父、てめぇだよてめぇ。考えが浅はかなんだよ。小学生でもそんなレベルじゃないぜ? ちゃんと義務教育受けたのか? あ? 脳みそが足りねぇんだよクズが。てめぇの脳みそはサル以下か? 動物園で育てられたのか? どうせ周りに助けられて生きてきたんだろ? クソが」
ひどい言われようだった。おれはちょっぴり親父のことを否定されていやな気持ちになったなんてことはない。言われたいだけ言われてくれよ親父。頼むから反省してくれ。いやきっちりと言うべきだろう。
「いや…………でも………………この二人は恋人関係にあるんですぜ! おれたちの再婚にはそれは深いわけがあって! この二人の恋愛を支援してるうちに、だんだんとくろばさんと仲良くなったんです! えぇ違いありません!」
もう見苦しいからやめてくれよ……。おれは耐えきれなくなって、親父の裾を引っ張った。
「親父、限界だぜ」
正直な話白々しいとは思ったぜ。おれだって最初はうまくいくと思っちまってたんだ。まったく中学生の頭脳だよ。ちあきはちあきでこいつは天然なところがあるからな。こいつもうまくいくと思ってたのだろう。
おれは考える。この状況を打破すべき方法はなにか?
考える必要もなく答えは出ていたような気がする。
おれはバッと頭を下げた。まったくいつの世の中も、親の尻拭いをするのは子どもの役目ってか。まぁ今回の件はおれも同罪だからな。
「親父の結婚をどうにか認めて貰えないでしょうか」
消え入りそうな声だった。おれは自分の声がこんなにも小さかったなんて初めて気づいた。いや違うな。それだけ思いが詰まっていたと言うべきか。
やれやれだ。おれはあとで散々親父を叱ってやろう。親を叱るのも子どもの役目だ。ったく世話の焼ける野郎だぜ。
「わ、私からもお願いします! へへ! お母さんたちすっごく仲いいんだよ! だけどちょっぴり不器用なところがあるから、緊張しちゃっただけなんだよね! 回りくどいことしたってことは思ってるけど、でもお義母さんパパと一緒にいてすっごく幸せそうだよ! だからおじいちゃん、それからおばあちゃんも! 結婚認めて欲しいな!」
隣でちあきが頭を下げた。幕切れ……って言うにはあまりにも呆気なかったな。
つうか最初からこうしてればよかったんじゃねーのとか思うけど、それはそれだ。経験は積んでから経験と呼ぶのだ。
「何の解決にもなってねぇよ」
たしかに。貴文さんの言うとおりだ。だがおれはここでもう一押しする。
「親父はたしかに人格破綻者だ。もう何やっても空回りするし、そのくせマウント取ってくるし、女にもてるし、部屋の中で平気でおならするしでもううんざりだ。ケド決して悪い奴じゃないんだよ! 親父はたしかにクソ野郎だけど、ちゃんと家族を思ってるんだ」
すっげぇ白々しいなこのセリフ。だがきっちりと言うべきだと思った。前代未聞だぜ。親父のために子どもが頭を下げるラブコメなんてよ。
おれは舌をなめ取った。あと少しだ。あと少しでこの二人を納得させることができる。だが熱意じゃどうしても足りなかった。おれの熱意だけじゃ。
そこで――ばん! と音がした。おれは震え上がったね。見れば貴文さんの拳は座卓の上に置かれていた。ものすごい勢いで叩き付けたからだ。机が割れるかと思った。ちはるさんは完全に怯え上がっていて、硬直した状態で貴文さんのことを眺めていた。
「誠実さが足りねぇんだよ。てめぇらぜんいん」
貴文さんの眼光が親父を捕らえる。ついに来たな――とおれは思った。貴文さんの目はまるで獲物を捕らえようとする鷹のように光っていた。
それだけ――
それだけ娘への愛が強いと言うことか。
わからない。おれは親になったことがねぇから分かんねぇよ。ケド貴文さんの目は真剣そのもので、完全におれたちとは温度が違った。
甘かった。なにもかもだ。こんなお遊戯会じみたことで解決できるような問題じゃない。いや、そもそも問題だと捉えていたこと自体甘いと言わざるをえない。それくらい真摯に向き合わなければならないことだった。
ふいに――胸にすさまじいほどの罪悪感が吹き荒れた。おれたちはなにをやっていたんだろうか?
貴文さんはチラリとくろばさんの方を見た。貴文さんはただひたすらにくろばさんを睨みつけるだけで、くろばさんの方も貴文さんのことを睨みつけるだけだった。それだけ二人の間には確執があると言うことか。不良娘と、父親。おれには想像もつかない関係性なのだろう。
親子なのに――。だから仲良くしろと言うのは、少しばかり無責任だ。思い返してみれば今日ここに来てからずっとくろばさんはいつもより大人しかったような気がする。ふだんならふざけた様子だけど、今日はまったく喋らなかった。このうちについた瞬間からだ。
この空気感の差――我が家のいつものおちゃらけた雰囲気とはまったく違うこの空気感。たしかに居心地がいいかと問われれば、よくないな。
くろばさんは目を糸目がちにしながら、ゆっくりと話し出す。その声音は妙に凍て付いていた。そしてその声の中には、親への甘えが、ほんの少しの願望が含まれていたような気がする。
「やっぱり黙ってた方がよかったのかしら」
それだけだ。言いたいことはそれだけだったのだ。黙ってた方がいい。再婚するのは個人の自由であって、親の許可なんか取らなくてもよかったのだ。勝手に結婚すればいい。そう思う人もいるかも知れない。だがくろばさんはその方法を選ばなかった。
本当は、欲しかったんじゃないのか? 目に見えないものが、本当に欲しかったものがあるんじゃないのか? それは親からの愛情だったり、お好み焼き屋で繰り広げられるような日常だったり。
おれの脳内に電撃が走った。いやそんな大仰なもんじゃねぇか。とにかくある結論がふっと頭の中によぎった。くろばさんが欲しかったのは、何気ない、楽しい家族との会話だったんじゃないかと。
そうだ。
おれは全身に鳥肌が立つのを感じた。くろばさんがいつもおちゃらけてた理由、それなのにどこか寂しげだった理由。
心の底から楽しめる関係性というのを望んでいたんじゃないだろうか。重い空気感から解放されて、家族全員で楽しく過ごしたかったんじゃないだろうか。
くろばさんは一回結婚を経験している。親父で二回目だそうだ。推測だが、一回目の結婚相手も貴文さんみたいな人だったのかも知れない。子どもって言うのは親に似ている人と結婚したがるってよく言うしな。
くろばさんの表も、裏も、なんとなく見えたような気がした。鈍すぎだぜおれ。ケドそう考えれば納得がいく。
山田家の日常。そしてくろばさんの実家での日常。
あまりにもきれいなコントラストだ。それこそ暗い世界に住んでいた人間が、明るい世界に飛び込んでいくような。
くろばさんが求めたものを、親父が持っていた……そう考えるのが妥当だろう。おれの見通しは何もかも甘かった。親父……おれあんたのこと見くびってたかも知れない。親父は誰に対しても自由奔放なところがある。くろばさんは……そこに引かれたんじゃねぇのか? いつでも楽しげな毎日を送れる我が家。おれは自分でも気づいてないだけで、それってものすごく素敵なことなんじゃないのか? 宝石みたいに、太陽みたいに輝かしいものなんじゃねぇのか?
くろばさんは、『日常』が欲しかった――多分そうだろう。くろばさんが多くを語らなかったのも、そんなことを言ったらおれたちが笑い返すと思ったからかも知れない。考えすぎか? くろばさんの人間性をわかったような気になってるだけか?
でも、人間ってのは根っこの部分に何かしらを抱えている。抱えているからこそ明るい性格を演じる人だっているわけだ。見た目じゃわからない。どこかにきっと、行動理由があるのだ。
おれは貴文さんの顔を見た。それからくろばさんの顔も。おれはほんのちょっぴり、貴文さんが悲しそうな顔をしているように思えた。勘違いか? おれの考えすぎか? しかしおれは貴文さんがくろばさんと親父にに嫉妬しているように思えたのだ。
親父は貴文さんにないものを持ってる。だからこその嫉妬。
おれにはこの問題の最たる本質が見えてきたような気がした。
貴文さんはどうしようもなく不器用なんじゃないか。
だからいつもくろばさんに対して厳しくしてしまっていたのではないか。そしてくろばさんは抑圧されたものを晴らすことができずにいた。
父親としての自信――それを貴文さんは、持ってないんじゃないのか。
なんて失礼なことを考えてんだろうなおれは。考えすぎにもほどがあんぜ。第一親になったこともねークセにそんなことわかるわけねーよな。
沈黙がなめらかに過ぎていく。言葉が、動作が、完全に死んでいた。紛うことなき沈黙である。だから誰も動かなかったし、誰も動けなかった。おれにも、貴文さんにも、ちはるさんにも、くろばさんにも、そして親父にも思うところがあったからだ。みんながみんなそれぞれに抱えていて、抱えているものがあるがゆえに切り出せないでいる。
空気を読む。それは大事な能力かも知れない。だがそれがふだんから大事かと言われれば、そうじゃないとおれは思う。ケド、おれは動くことができなかった。話せる語彙は尽きていた。
そんな時、ふと横から声がした。姿勢を直したちあきが、顔を上げて、堂々と言い放ったからだ。
「――私、楽しいよ!」
なぜかその言葉が胸に強く響いたのだ。場を切り裂いたのだ。貴文さんが顔を上げ、ちはるさんが驚嘆し、親父が瞠目し、くろばさんがまじまじとちあきのことを見つめた。くろばさんにとってはちあきは実の娘なのだ。そんな娘がいきなり声を上げたのだ。
ちあきは無邪気そうに笑った。さっきのような空気感なんて最初からなかったかのようなそんな笑顔だった。
「楽しいよ毎日が! パパもお母さんも春斗くんもみんなでいて、わちゃわちゃくだらないお喋りするのものすごく楽しいよ! おじいちゃんとおばあちゃんのうちに来たときも楽しいけど、うちでの生活もものすごく楽しいよ!」
だから何だ、と他の人は言うかもな。現にここに第三者がいりゃあこいつらなんでこんな重苦しい空気になってんのとか思うかも知れない。しかし当人たちにとっちゃ違うんだぜ。
「私いっつも思ってるんだけどね! 毎日って掛け替えのないものだと思うんだ! 誰と過ごすかもものすごく大事だけど、一番は自分が楽しいかってことだと思うの! 私パパとか春斗くんに出会えてすっごくよかったなって思ってるよ! だってこんなに面白い人他にいないモン! へへ~~~、照れるなぁ」
舌を出してちあきが笑った。おれはこいつの笑顔を見ているとどこか安心した。常に笑顔でいるこいつは本当はおれにとって大切な存在なんじゃないか――いや最初からそう思ってるか。とにかくこいつはありとあらゆる人を笑顔にする。
現にさっきまでむすっとしていた貴文さんが、ふっと笑みを零した。いやほんとと驚いたね。人間ここまで相手の表情に影響されちまうもんかと。もしもちあきが就職活動生だったとしたらきっとすべての会社で無双していると思う。それくらいすごいんだぜ、ちあきさんよ。
「だからさ! こんなピリピリした雰囲気よくないと思うな~~~! たしかにパパは春斗くんの言うとおりけっこうどうしようもなくて時と場所を考えないところもあるけど、それはパパのいいところだと思うんだよね。へへっ、なんか私すごくいいこと言ってる気がするー! ケド本当にそうだよ! おじいちゃんは気づいてないかも知れないけど、パパにはもっともっといいところがあるんだから! 私パパがパパでよかったって思うモン! 前のお父さんと比べたりはしないからね、だってパパはパパで、前のお父さんはお父さんだもん」
最後のセリフは真面目なトーンでちあきは言った。こいつ……天然そうに見えて実は気遣いできるタイプなんだよな、と素直に感心する。ちあきの美徳はそこだ、おれにはとうてい真似できねーよ。それくらいすごい。
「だからパパに認めて欲しいな! 私のパパはパパだから! お母さんがパパと結婚してくれなくちゃ春斗くんにも出会えてないってことだしね~~」
ちあきはまた楽しそうに笑って、だからと付け加えた。
「おじいちゃんおばあちゃん、二人の結婚認めて上げて? ね?」
ちあきが頭を下げた。俺はいてもたってもいられず、釣られるようにしてちあきと一緒に頭を下げた。
「おれからもよろしく頼みます! 親父はどこか甲斐性なしで、子どもが世話を見てやらねーといけない場面もあります。ケドおれくろばさんとかちあきと出会えて本当によかったと思います。こいつの言ってるとおり毎日が楽しいんですよ! もう笑いっぱなしです。何なら貴文さんたちも混ぜてやりたいくらいですよ! おれは二人が結婚してくれてよかったと思ってます。子どもからの意見です。でも僕たちはそんな二人の元で暮らして、成長していく覚悟もできてます! だからお願いです貴文さんとちはるさん、どうか二人の結婚を認めてやって下さいませんか?」
おれは言い切った。後悔はない。
沈黙が走った。おれは心中で冷や汗をだらだらと掻いていた。これからなにを言われんだろうか。ちくしょう、言った傍から怖くなってきた。アルビダにクソババァと叫んだコビーはこんな気分だったんだろうな。怖い。怖い怖い怖い――!
流れる沈黙三十秒、次に口を開いたのは貴文さんではなく親父だった。親父のこんな震える声を聞いたのは初めてかも知れなかった。それくらい覚悟決めたってことでいいんだよな。
「……ちんたらしててすみませんでした――ァ! 情けない話です。僕は子どもになんてことを言わせてしまったんでしょうか。お、おれからもお願いします。娘さんを幸せにする覚悟はできてます」
おれはふと視線を逸らした。親父シャツの脇の部分真っ黒じゃねぇか……。あとで放っておくとクサくなりそうなくらいに汗を掻いていた。だがおれはそれで満足だった。これが正しいかどうかは分かんねーぜ。ケド後悔をしない選択はできてる。おれたちはきっちりと向き合うべきだったのだ。
「お前はどうなんだくろば?」
低い声で貴文さんは言った。聞く人が聞けば失禁してしまいそうなほどに威圧的だった。多分貴文さんが野球選手ならマウンド立った時点でバッターがバッターボックスには入れないレベルだ。そんくらい怖かった。
「後悔はないわね少なくとも。もう前みたいにはならないと思ってるわ。健吾さんや春斗くんと暮らしていて楽しくなかったことなんて一度もないものねぇ」
くろばさんが真面目なトーンで言い切った。するとふっと糸が切れたように貴文さんが笑みを零した。一気に空間が緩んだ気がした。それくらい貴文さんが場を支配していたと言うことか。
「――お前がそう言うなら好きにしろ」
そう貴文さんは優しげに言った。次いでちはるさんが、
「ふん、まぁあんたの幸せならあんたが掴めばいいんじゃないの?」
といった。なんかこの夫婦揃ってツンデレな様な気がする。威圧的に振る舞いながらも実は娘のことが心配だったんじゃないだろうか。
おれは顔中だらだらと汗を掻いていたのが、徐々に引いていくのを実感した。これで一件落着だろう。マジで焦った。おれは死ぬかと思った。
貴文さんは親父を呼び出して扉の向こうへと消えて行ってしまった。貴文さんがいなくなったあと手持ち無沙汰そうにしてたちはるさんは「お茶、淹れてくっから待ってな。あぁそれと、姿勢きつかったら崩していいかんね。血流悪くなると体調崩しやすいから。べ、べつにくろば! あんたのために言ってんじゃないんだからね! かっ、勘違いしないでよねっ! お、お茶取ってくるから待ってて……」と恥ずかしそうにして台所へ向かっていった。ちょっとなにこの人可愛いんですけど。美魔女って奴? 実年齢いくつですかあらやだ教えて欲しいわ!
なんてくだらないことを考えていると、ちあきがパタンと後ろの方へと倒れた。緊張から解放されたらしい。おれは仰向けになったちあきの肩をポンポンと叩いた。
「お疲れさん。いやマジでお前には助けられたな! 一時はどうなるかと思ったけどな!」
「んー、そーだねー。人生で一度あるかないかの苦労だったよ……。とほほ、つ、つかれた……」
マジで疲れてるみたいだな。今すぐにでも眠りに着きそうなくらいだ。このあと車の中で眠っとけ。ついたらおれが起こしてやるよ。
おれはため息をついた。なにも疲れてんのはちあきだけじゃねーってことか。
ばたん、と音を立てて後ろに倒れる。天井の木目がやけに田舎くさくて、畳の匂いもどこか生活臭が染みついていた。なんかこれはこれで安心するよな。
ふとおれの視界にくろばさんの顔が入ってきた。もともと目が細い彼女はさらに目を優しげに細めて「お疲れ様、ゆっくりね」とささやいた。
おれはこの日――母親の素顔を初めて見た気がした。
「……………………ん?」
おれが目を覚ましたときには車の中だった。ガタガタとタイヤからの振動がお尻に伝わってきて、なんだかとてつもない悪夢を見ていたような気がする。
ぼんやりとした頭で外を見ると高速道路だった。矢印がものすごい勢いで遠ざかっていくのをなんとはなしに眺めて、運転席に座っている親父の姿をミラーで確認、親父はかなりやつれた顔でハンドルを操っていた。
どうやら父親同士で長々と会話していたみたいだな。おれが気づかないうちに親父もまた成長したと言うことか。貴文さんからなにを言われたのか知らないが、おれはその内容を知る必要もねーだろうな。
ちあきは眠っていた。こいつ寝顔かわいいな。抱きしめたいな! 可愛くて襲いたくなっちゃうな! そうだいっそのこと襲っちゃおう! おれはこっそり指を伸ばしてちあきの頬に触れようとした瞬間、彼女はモゾモゾと動き出して「んはぁ、春斗くんだぁ! 夜這い?」とか聞かれちまったのでおれはそっと手を引っ込めて「ちげーよ」と答えた。一体なにを考えているんだろうなおれは。まったくいい男が聞いて呆れるぜ。紳士的な人間とはタイミングを見計らうものじゃなかったのか山田春斗よ。お前はもっと落ち着いた態度を取るべきだ。
車内は静かだった。まぁあんなことがあったあとだからな。話すのはゆっくり家でってとこだろう。なんだか一家全員が成長できた……そんな気分だぜ。
外は真っ暗だった。行き交う車のヘッドライトやテールライトが網膜を焼く。カラオケで流れている映像ってなぜかこんな感じだよな。光が線を引いてうっとうしいくらいに映像が反転する。あれ酔うからちょっとやめて欲しいぜ。しかもちょっといきった曲の方がそういう映像流れる場合って多いんだよな。オルソンはよくそんな曲を歌っていた。中学生二人で行くカラオケなんてそんなもんだぜ。ろくなことにならない。
そうだ、と思いつく。家に帰ってしばらくしたらちあきとカラオケにでも行こうじゃねぇか。おれはふとちあきの顔を見た。こいつまた眠ってやがるぜ。なんちゅういい笑顔してやがんだ。『すやすや』という擬音がこれほどまでに当てはまる女の子が他にいただろうか。いやいない! おれの妹は世界一だ! 大好きだぜちあき!
流れゆく景色はおれの記憶には残らない。だが今日のできごとは一生おれの記憶の中に残り続けるだろうな。何という素敵な経験だろうか。うれし恥ずかし初体験だ! これ以上ないほどにおれへの成長を促してくれたぜ。窒素リン酸カリよりも遥かに栄養価が高い一日だった。
はぁーあ、また眠くなってきたぜ。だが心は眠りたがっているのに体は眠りたがらないというのはけっこうよくあることで、おれはブランケットをかけ直しても眠れなかった。なのでおれは車の中の後部座席からゆっくり景色を眺めることにした。変わりばえしないもの。だが……とおれは親父の後頭部を見ながらふと思った。この後部座席から見える景色も子どものうちにしか見れねーんだよな。いつかおれが大人になったときは親父が座っている席に座ることになるのだろう。
だからもう少しだけ、おれは意識を集中させて後部座席からの景色を堪能することにした。多分今しか味わえないものってのはたくさんある。




